第22話 冷たい川を渡りきれ!

 おっかなビックリ、ガレットくんに手を伸ばして、びしょ濡れになってる体に触れる。


 ううっ、ちょっと可愛いって思ったけど、そう簡単に苦手意識がなくなるわけじゃない。やっぱり、怖いって気持ちはあるよ。


 けど今だけは、勇気を出さなきゃ。だってここからガレットくんを連れて戻るには、抱えていかなきゃいけないんだもの。


「ガ、ガガガガ、ガレットくん。お願いだからお、大人しくしててねぇぇぇぇ」


 声が震えているのは、寒さのせいだけじゃない。

 ええい、頑張れ私! 犬好きになるためにやってた特訓を思い出せ!

 きっとこの時のために、あの特訓はあったんだ。


 犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き犬大好き──!


 よーし、これでOK!

 お願いだから、じっとしてるんだよ。

 手の震えを止めて、ガレットくんを抱え上げる……。


「重たっ!」


 ズッシリとした重みが両腕にかかって、落としそうになるったのをどうにか踏ん張った。


 こ、これは思っていたより大変かも。

 犬が好きとか苦手とかじゃなくて、大型犬を抱えて歩くのがどれだけ大変か、完全になめていた。

 前に人間の赤ちゃんを抱っこしたことならあるけど、それより大変だよ。こ、小型犬だったら、まだ何とかなったかもしれないのにー!


 しかも流れの早い水の中。服もびしょ濡れで重さが増していて、滅茶苦茶動きにくい。

 犬が苦手ってだけで高難易度ミッションなのに、ハードすぎないかなあ!


 すると動揺する気持ちが伝わったのか、重くてごめんなさいと言いたげに、ガレットくんはしょんぼりした顔をする。

 そういえば九条君が、犬は人間の気持ちに敏感で、考えてることが分かるっていってたけど、どうやら本当だったみたい。


「ごめんねガレットくん、全然重くなんて無いよー」


 私だって、ダイエット経験もある乙女。重いと言われて傷つく気持ちはよーくわかる。

 傷つけちゃってゴメン。


「と、とにかく何とかするから」


 ガレットくんを背に回して、子供を背負うようにおんぶしてみる。

 う、うわーっ、私今、犬をおんぶしちゃってるよー! い、いや。余計なことを考えるのはよそう。


 重さは相変わらずだけど、さっきより大分抱えやすくなったし、これなら……って、あれ?


「ガレットくん。君、暖かいね」

「わぅん?」


 背中に体温が伝わってきて、まるで湯たんぽみたい。

 川に入って体が冷えていたから、この温度は心地いい。背中に伝わる体温を感じてると、不思議と怖い気持ちが薄らいでいく。


「今ならやれる気がする。お願いガレットくん、私に力を貸して」

「ワン!」

「それじゃあ行くよ。後少しの辛抱だから、我慢しててね」

「ワオーン!」


 再び川の中を、今度は岸に向かってざぶざぶと歩いて行く。

 雨はだんだんと激しさを増していて、ガレットくんを背負っているからさっきより足取りは重い。

 けど一歩ずつ確実に、歩を進めて行く。


「半分くらいまで来たかな。後少し……わっ!?」

「ワォン?」


 いけない。さっき転んだ時と同じように、つるんと足を滑らせた。

 だけど間一髪、何とか踏み止まって、体勢を整える。

 セ、セーフ。良かった、ガレットくんを背負った状態で、転んだら大惨事だったよ。


 川の流れも大分勢いを増してきたし、早く岸まで行かないと。

 そう思ったその時。


「羽柴ー! ガレットー!」

「え、九条君?」


 足元を見ていた顔を上げると、そこには土手を下りてくる九条君の姿が。


 来てくれたんだ。

 って、持ってた傘を放り投げちゃったよ。何やってるの!?

 すると驚く私をよそに、九条君はためらいなく川の中に入ってきた。


「何やってるんだよ! 俺が来るまで、待っててって言ったじゃないか!」

「だ、だって早く助けないと、危ないって思って」

「それで川に入ったら、今度は羽柴が危ないだろ! 消防に連絡して、助けてもらうこともできたのに」


 はっ! その手があった!

 川で溺れた犬や猫を消防の人が助けたって話、聞いたことあるもんね。もっともな指摘に、頭を抱えたくなる。


 だけど、九条君だって入って来てるじゃん!

 九条君はザブザブと川の中を進んで私の側までやって来くると、背中にいるガレットくんに手を回した。


「ガレットも無事だな。ここからは俺が背負うよ」

「う、うん。背負って歩くのって、見た目より大変だから気を付けてね」


 落とさないよう慎重に、ガレットくんを預ける。

 だけど九条くんが来てくれたのはいいけど、流れはますます早くなってるよ。

 もしもまた足を滑らせたら、今度こそ危ないかも。


 岸がやけに遠く見えるし、無事に戻れるのかなって、今更ながら不安になってくる。


「羽柴、平気か? まだ歩けるか?」

「だ、大丈夫。九条くんも、転ばないよう気を付けてね」

「ああ。流されでもしたら、本当にヤバいもんな。くそ、命綱でもあれば良かったのに」


 そうは言っても、そんな都合のいいものあるわけ……いや待って!


「ねえ九条くん。ガレットくんの首輪、まだ持ってる? リードがついてるやつ」

「ああ、それならズボンのポケットの中に……そうか、リードで俺達を繋げば!」


 そうだよ。繋いでおけば、もしも一人が流されても、もう一人が引っ張る事ができるはず。


 九条君はガレットくんを背負ったまま、ポケットからリードのついた首輪を器用に取り出した。


「ガレットにも首輪をつけた方がいいけど、背負ったままじゃ難しいか。……あのさ羽柴、こんなこと言うの酷だとは思うけど、ガレットに首輪つけられないか?」

「や、やってみる。ガレットくーん、今度は外しちゃダメだからねー」


 首輪を受け取ると、おっかなビックリしながらガレットくんにはめる。

 けど、思ったより怖いとは思わなかった。慣れてきたからなのか、それともこのままじゃ流されちゃうこの状況のせいで感覚が麻痺しているのかは分からないけど、まあいいや。

 そして首輪をつけた後は、そこから伸びるリードを九条君の、そして私の手首にも結んだ。


「これで少しはマシになったはずだ。これ以上流れが早くならないうちに、脱出するぞ」

「うん!」


 九条君を先頭に、少しずつ歩いていく。

 流れはやっぱり早いけど、九条君が一緒だからか、最初よりも怖くない。


「羽柴、ついてこれてるか?」

「うん、平気……きゃっ!?」


 返事をした矢先、グラッと視界が揺れた。

 またしても。またしても川底の石に足を滑らされたの。

 だけど次の瞬間、手首に巻かれたリードがグイッと引っ張られた。


「おーい、大丈夫かー!」

「く、九条君。あ、ありがとう」

「早く……体勢を立て直してくれ」


 辛そうに顔を歪めている。

 ガレットくんを背負ったまま、倒れそうな私を支えているんだもの。当然だよね。

 だけどおかげで助かった。リードを結んでなかったら、今度こそヤバかったかも。


「後少しだ。もうちょっとだけ頑張るぞ!」


 もう体力は限界だったけど、九条君の言葉が元気をくれる。

 そして岸に近づくにつれて、だんだんと水位は浅くなっていく。


 これなら大丈夫。だけど次の瞬間。


「うわっ!」

「きゃっ!?」

「ワオン!?」


 最後の最後で九条君が足を滑らせて。更にリードに引っ張られて、私も一緒に重なりあうように倒れ込んだ。


 マズイ! 

 一瞬、最悪の事態が頭をよぎった。だけど……あれ? ここ、水の中じゃない?


「痛ってー。って、羽柴、大丈夫か!?」


 倒れた九条君が、慌てて身を起こす。

 倒れたそこは、川の中じゃなくて岸だった。渡りきったんだ。


「平気だよ。九条君が先行ってくれて助かったよ。おかげで無事生還できましたー!」

「羽柴……良かった~」



 横になったままVサインを作る私を見て、せっかく立ち上がったのにへなへなとその場に座り込む九条君。

 きっと安心して力が抜けたんだろうなあ。ごめんね、心配かけて。


 だけど、あのー。

 ちょっと言いにくいんだけど、良いかなー?


「あ、あのね九条君。できれば、ガレットくんどけてもらえると助かるかなー」

「えっ…………あっ!」


 九条君、ようやく私の状況に気づいたみたい。

 倒れた拍子にガレットくんが九条君の背中から落ちて、私に重なるように乗っかっていたんだよ!


 さっきおんぶしてた時もそうだったけど、やっぱり重いー! 早くどかしてー!

 今は犬が苦手とか関係無しに、単純に押し潰されちゃいそうで苦しいよー!


「ガレット、早く退くんだ! 悪い羽柴、大丈夫か?」

「へ、平気……くしゅん!」

「くぅん」


 ガレットくんは退いてくれたけど、安心したら今度は、一気に寒気が襲ってきた。


 川の中で転んで全身ずぶ濡れなんだもの、当たり前だよね。体がすっかり冷えちゃってる。

 しかも雨は容赦なく降っていて、このままじゃ風邪引いちゃう。


 弓香ちゃんならバカは風邪引かないって言いそうだけど、バカでも引くの!


「バウッバウッ!」

「ひゃあっ!? ガ、ガレットくん、急にどうしたの?」


 さっきまで大人しかったガレットくんが、急にすり寄ってきた。

 ビックリして思わず身を縮めたけど……あ、暖かい。


 おんぶしてた時もそうだったけど、ガレットくんが冷えた体を暖めてくれる。


「こらガレット、あんまり羽柴を困らせるな。悪い、けどきっと、助けてくれてありがとうって、お礼を言ってるんだと思う」

「お礼?」

「ワン! ワン!」


 つぶらな瞳をキラキラと輝かせて、ジッと私を見つめるガレットくん。

 私はガレットくんの言葉は分からないけど、九条君がそう言うなら、きっと間違いないよね。


「どういたしましてだよ。ガレットくん、無事でよかった」

「ワン!」


 ガレットくんは嬉しそうに尻尾を振りながら、元気よく鳴いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る