第10話 モフモフ天国? いいえ、私にとっては地獄です。

「それじゃあとりあえず、頭撫でさせてもらう?」

「う、うん。良いかな?」


 と、一応頷いてはみたものの、本当は心臓バクバクだ。

 弓香ちゃんのおかげで特殊体質設定にしたから、嘘バレの可能性は低くなったけど、犬が怖くなくなったわけじゃない。犬と接するのは、やっぱりまだ怖いよ。


 なのにいきなり、頭撫でるかあ。ハードル高すぎるよ。

 けどせっかくガレットくんを連れてきてもらったのに、何もしないのも悪いし。


 ええい、きっと大丈夫。いずれ正真正銘の犬好きになるんだから、これくらいなんでもないって。

 ガレットくん、お願いだから大人しくしててね。


「ガレット、お座り。羽柴、撫でてあげてくれ」

「わ、分かった。すぅ~はぁ~、い、いきます!」


 大きく深呼吸をして──いざ参る!

 近づきすぎると怖いからできるだけ手を伸ばして、前屈みになり、ゆっくりガレットくんの頭の上に下ろしていく。

 だけどあと少しで触れようとしたその時。


「ヴァウッ!」

「きゃあ!?」


 いきなり吠えられ、のけ反った私は地面に尻餅をつく。


「羽柴!? こらガレット、何やってるんだ」

「くぅ~ん」


 起こられたガレットくんはしょんぼりと尻尾を垂らしたけど。私は起き上がると、スカートについた汚れも払わずに慌てて言う。


「待って。きっと私の触り方が悪くて、ビックリさせちゃったんだよ」

「そんなこと……いや待てよ。うーん」

「あれ、どうかしたの?」


 急に何かを考え始めた九条君に、弓香ちゃんが首をかしげる。


「ちょっとな。さっきの羽柴を見てて思ったんだけど、ガレットはいきなり頭の上に手を持ってこられると、警戒する事があるんだ」

「え、そうなの?」

「ああ。ガレットにかぎらず、そういう犬は多いみたいなんだ。悪い、最初に言っておくべきだった」

「いいよ、私が考えなしに触ろうとしたのが悪いんだもの。上から触っちゃダメなのかあ、知らなかったなー」


 けど言われてみれば確かに私だって、いきなり上から押さえつけられたら圧を感じるし、怖いって思っちゃいそう。

 苦手だと思っていた犬も、そういう感覚は人間と変わらないのかもしれないなあ。


「けどそれじゃあ、どうやって触ればいいの? あたしも犬飼ったことないから、よくわからないんだけど」

「そうだな。まずはしゃがんで、目線を低くする。こうすれば犬も、圧迫感を受けずにすむだろ」

「なるほど。それから?」


 実演してみせる九条君。

 おお、上からじゃなくて、下からすくい上げるように顎を撫でてる。

 それからわしゃわしゃと撫で回すように少しずつ上へと移動していって、頭もわしゃわしゃ。

 ガレットくんは気持ち良さそうに目を細めていて、さっき私に吠えてたのが嘘みたい。


「こんな感じかな。次、やってみる?」

「う、うん。さあ、いくよ!」

「あ、それと少し、肩の力を抜いた方がいいかも。あんまり緊張しすぎると、相手にもそれが伝わっちまうから」


 しゃがんだところで、アドバイスが飛んでくる。

 肩の力を抜くだね。よーし、やってみる。


「亜子ー、顔が般若みたいに怖くなってるよー。そんな目で睨んだらガレットくん、食べられちゃうって思うかもよー」

「弓香ちゃん!」


 九条君の前でなんてこと言うの!?


「大丈夫怖くない。ちゃんと可愛いから、安心していいよ」

「へ? か、可愛い!?」

「あ、ああ。でもあんまり大きな声出すのもよくないから、そこは気を付けて」


 可愛いって言われてドキっとしてたところに、次の指示が飛ぶ。


 ちょっ、ちょっと待って。整理させて。

 つまり肩の力を抜いてニッコリ笑って、九条君はそんな私を可愛いって思ってくれてて大声を出さないようにガレットくんを撫でろと。

 ああっ、なんか分からなくなってきた!


 と、とにかく、触れば良いんだね。

 さっき九条君がやっていたのを思い出しながら、下から恐る恐る触ってみる。


 モフッ。


 あ、モフモフしてる。

 ふさふさで柔らかな毛並みが指の間に入り込んで、手のひらからは暖かな体温が伝わってくる。


 しかーし、これが猫やウサギなら、このまま撫でくり回しても平気だけど、相手は長年恐怖の対象でしかなかった犬もなのだ。

 何とか触るまではできたけど、これからどうしたらいいか分からない。

 さっきの九条君みたいに、もふもふーってやればいいのかな? 

 いや、それは無理! 触るもやっとだったのに、そんなことしたら気絶しちゃう!

 今でさえ汗ダラダラで、意識飛びそうなんだもの!


 そして、私は大事なことを忘れていた。

 ガレットくんは置物でなく、自らの意思で動く動物。つまり私が何もできずにいても、ガレットくんの方から動くこともあるのであって。

 何を思ったのか、しゃがんでいる私の顔に、自分の顔を擦り付けてきた。


 すりすりすり。

 ──ふぎゃああああああああっ!?


 出かかった悲鳴を何とか飲み込むも、ガクガクと膝が震え出す。

 いきなり何!? 私何か、怒らせるようなことした!?

 だけどそんな光景を見て、弓香ちゃんと九条君はのんきに言う。


「なんだ亜子、懐かれてるじゃない」

「こういう動きは、心を許した相手にしかやらないんだ。ガレットのやつ、きっと羽柴のことを気に入ってるんだと思う」


 そ、そうなの? ガレットくん、私の事気に入ってくれた?

 怒っていじわるしてるんじゃなくて、顔をくっつけるのは愛情表現なんだー。

 けどゴメン。私にはそれを受け入れるだけの、心の準備ができていないの! ああ、でもこれ以上醜態を見せないためにも、我慢しなくちゃ!


「ほらー亜子ー、そのままガレットくんを撫で回しなさい」

「ひぇっ!?……わ、わかった。やってみる」

「すごいな羽柴は。ガレットのやつ、もうすっかり懐いちまってる」

「は、はは……ありがとう」


 たぶん九条君の目には、ガレットくんと楽しく戯れているように映っているんだろうなあ。


 だけど実際は我慢しながら、刺激しないようおっかなビックリ接している。

 ガレットくんに罪はない。悪いのは最初に嘘をついちゃった私だけど、我ながら何をやっているんだろう。


 そして弓香ちゃんは、絶対この状況を面白がってるでしょ!


 こんな感じで。度々心の中でツッコミを入れながらも特訓は続いて、6時の鐘が鳴って解散になった頃には、精も根も尽きていた。


「はぁ……はぁ……。や、やっと終わったー」


 九条君にバレないよう気を付けながら、ダランと肩の力を抜いて弓香ちゃんにもたれ掛かる。 

 たぶん今日は、人生で一番疲れたんじゃないかなあ?

 だけどそんな疲れはてた私に、弓香ちゃんが衝撃的な言葉を告げる。


「今日はよく頑張ったね。それじゃあ、明日もこの調子で頑張ろうか」

「ええっ! 明日も!?」

「当たり前でしょ。ドッグカフェに行くまでに慣れないと。当日はアタシ、ついていけないんだからね」


 腕を組ながら、ふんぞり返る弓香ちゃん。

 弓香ちゃんはいつの間にか九条君に話をつけてくるていて、明日も明後日も付き合ってくれるんだって。


 弓香ちゃんも九条君もガレットくんも、私のためにこんなにも協力してくれるなんて、本当にありがたい。

 ありがたいんだけど、これだけは言わせて。


 こんなハードスケジュールを組んでくる弓香ちゃんは、絶対にドSだ!

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