話せない日々

第14話 九条くんに嫌われた

 暗くて、何もない部屋の中。私はこれでもかってくらい床に頭を擦り付けて、土下座をしている。

 そして目の前には、氷のような目をして私を見下ろす九条君がいた。


「そうか……羽柴は今までずっと、俺のことを騙していたんだな」


 恐ろしいくらい冷たいその声に、体がガクガク震える。


 九条君が怒るのは当たり前。だって彼の事を騙していたのは、紛れもない事実なのだから。


「本当は犬なんて虫けら以下としか思っていないのに、好きだなんて嘘をついて。心の中では俺やガレットのことを見下して、嘲笑っていたのか。さぞいい気分だっただろうなあ」

「ま、待って。違うの、嘘をついたのは謝るけど、見下してなんか……」

「誰が顔を上げて良いと言ったー!」

「ヒィィィィッ!」


 上げた頭を、再び床に擦り付ける。

 だけど少しだけ浮かして目線を前に向けると、九条君はまるで般若のような顔で私を睨んでいた。

 こ、怖すぎる。普段の優しい九条君は、どこにいったの!?


「優しかった俺は死んだ。羽柴のせいでな」


 えっ! 心を読まれた!?


「羽柴の事、絶対に許さない。俺達をもてあそんだ罰を受けてもらう……ガレット!」

「バウッ!」


 ガレットくんの鳴き声がしたかと思うと、ズシーン、ズシーンと大きな音が聞こえてくる。

 思わず顔を上げたら、ビックリ仰天。そこにはゆうに5メートルはある、巨大なガレットくんの姿があった。


「ガ、ガレットくん。いつの間にこんなに大きくなったの?」 

「羽柴に騙されていた怨みと悲しみで、巨大化したんだ。犬ってのはそういう生き物。常識だろ?」

「そうだったの!? 初耳なんだけど!」

「さあ、罰を受けてもらう。……ガレット、羽柴を食べてしまえ!」

「ワンッ!」


 巨大ガレットくんは躊躇なく頭を近づけてきて、そのまま私をパクリ。

 いつかパパが言っていたように、私は生きたまま、バリボリと食べられてしまったのだった……。


「ぎぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっ!?」


 悲鳴と共に飛び起きると、そこはガレットくんの胃の中……じゃない。私の家の、私の部屋。ベッドの中だ。

 窓の外には朝日が輝いていて、部屋のドアの向こうからはお母さんの「亜子、朝から何騒いでるの!」と言う声が聞こえくる。


 えーと、今のは夢?

 氷の魔王と化した九条君がいて、巨大したガレットくんに食べられちゃうなんて、とんでもない悪夢だよ!


 だけどもしかしたら、悪夢よりも辛い現実が待っているかもしれない。

 だって本当は犬嫌いだってことが、九条くんにバレちゃったんだから。


 昨日ドッグカフェに行ったはいいけど、そこでトイプードルと遭遇。

 みっともなく叫んで涙を流し、最後には気絶してしまうと言う醜態をさらしてしまった。


 目が覚めてた時、カフェの奥の部屋で横になっていて、傍らには九条君がいたけど、彼はこう言ってきた。


『気分は悪くないか? 送っていきたいけど、ガレットがいるし……どうする? 羽柴、犬苦手なんだよな』


 全部バレてた。


 私は何て言えばいいかも分からずに、ほとんど喋らないまま九条君とは別れて、家に逃げ帰った。


 だけどいつまでも逃げてはいられない。学校に行ったら否応なしに、九条君に会わなくちゃいけないんだもの。


「学校、行きたくないなあ……」


 どんよりとした気持ちを抱えながら、私はベッドから抜け出す。


 いっそ風邪でも引いてくれたらお休みできるのに。

 けどバカな私は、風邪なんて引かない。

 いつも通り登校して自分の席に着きながら、登校してきた弓香ちゃんに昨日の事を話す。


「……そっか、ついにバレちゃったか」

「うん……どうしよう。九条君、私のことを最低最悪の性悪嘘つき女だって、思っているかな?」

「うーん、まあ嘘つきとは思っているかもしれないけど」

「や、やっぱり!」


 終わった。完全に終わった。

 だけど机に伏せる私に、弓香ちゃんが慌てて言ってくる。


「落ち着きなよ。嘘つきでもさ、ちゃんと謝れば許してくれるかもよ。当然、アンタも謝るつもりなんでしょ?」

「もちろん。土下座だってするし、場合によっては靴だってなめる覚悟もできてる」

「オーケー、アンタが本気なのは分かった。けどそれはやめておこうね。かえって迷惑だから」


 た、確かにいきなり土下座されたり靴なめられたりしたら、九条君周りから、変な目で見られちゃうかもね。


 で、その肝心の九条君はと言うとまだ来ていなくて、隣の席は空っぽのまま。

 いっそこのまま、来てくれなくても良いのになんて、つい考えちゃう。いつもなら、早く会いたいって思うのに。


「あ、九条君が来た」


 ふえっ! き、来ちゃったの!?

 弓香ちゃんの言葉で教室の入口を見ると、そこには確かに九条君の姿が。

 だけど心なしかその顔は元気の無いように見える。

 さらに私に気づいたみたいで、こっちを見たけど……。


 プイ。


 目、目をそらされた!?

 こんな事、同じクラスになってから初めての事。や、やっぱり昨日のこと怒ってるんだ。

 当然だよね。今までずっと騙していたし、気絶しちゃって迷惑かけたし。


 心臓をバックンバックン言わせていると、九条君は隣の席にやって来て、腰を下ろす。

 だけどいつもの挨拶もなければ、やっぱり目を合わせてもくれずに、無言のまま鞄から取り出した教科書を机の中に入れていく。


 こんな時、どうすればいいんだろう?

 やっぱり土下座? 土下座しかないの?


 ぐちゃぐちゃな思考の末床に膝をつこうと、椅子から腰を浮かしたけど。


「ほら、亜子。黙ってないで挨拶くらいしなさい」


 なかなか動かない私に痺れを切らせた弓香ちゃんが、背中を叩いてくる。

 そ、そうだよね。せめて挨拶くらい、ちゃんとしなくちゃ。


「お、おはよう」


 顔を伏せながら、なんとか絞り出す。

 九条君はすぐには返事をせずに少し間があったけど、やがて小さな声で答える。


「……おはよう」


 ニコリともせずに、微かに目をそらしながらの挨拶。

 き、気まずいー!


 で、でも昨日のことや今までのことを、ちゃんと謝らないと。


「あ、あの、九条君……」

「悪い、ちょっとトイレ」


 やっと出かかった私の言葉を遮って、逃げるように席を立った九条君。

 愛想の欠片も無い、突き放すような態度。避けてるって丸分かりだった。


 九条君はそのまま呆然とする私に振り返りもしないで、足早に教室を出て行き、後には私と弓香ちゃんが残される。


「えーと、なんて言うか。取りつく島も無しだね。亜子、これからどうするよ。亜子?」


 弓香ちゃんが何か言ってるけど、頭に入ってこない。


 さっきの九条君の態度。これはもう間違い無い。私は、九条君に嫌われたんだ。


「う、うえ~ん、弓香ちゃ~ん!」

「あー、コラコラ、泣くな泣くな。とりあえず、どっかよそに移動しよう」


 泣き出した私を見て何事かと、クラス中の注目が集まっている。だけど、そんなことはどうでもよかった。

 九条君に嫌われてしまったことの方が、もっと大問題なんだもの。


 ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?

 できることならゲームみたいに、セーブしてある所からやり直したい。


 ドッグカフェで、トイプードルに遭遇した所から。ううん、そもそも最初、犬が好きだって嘘をついた所からやり直す事ができたら、どれだけ良いだろう。


 そんなあり得ない幻想を抱きながら、弓香ちゃんに連れられて教室を後にするのだった。

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