エピローグ
エピローグ
一週間前の大雨の時とは違って、ぽかぽかとした穏やかな日曜日。
いつもの公園で、全然穏やかじゃない大きな悲鳴が響いた。
「ギィィィィヤァァァァッ! やっぱり犬ヤダ──っ!」
「あははっ。亜子ってば全然ダメじゃない。いい加減慣れなって」
「そ、そんなこと言われてもー!」
「ワオワオーン!」
私は今ガレットくんに追いかけられていて、弓香ちゃんはそれを見ながら薄情にも、お腹を抱えて笑っている。
そして弓香ちゃんの隣では飼い主である九条君も、苦笑いを浮かべていた。
「羽柴、そんなに怖がらなくても、ガレットは噛みついたりしないから。じゃれつくくらいはするかもしれないけど」
「ひぃぃぃぃ、無理ぃぃぃぃ!」
私は追いかけてくるガレットくんから逃れるため近くの木に飛び付いて、するすると登って行く。
犬から逃げるために木に登るって、まるでマンガみたいだよ。
何故こんなことになっているのかと言うと、実は今犬に慣れるための特訓の真っ最中なの。
ガレットくん行方不明事件の後、九条君と仲直りした私は、犬嫌いを克服する特訓を再開したんだよ。
やっぱり苦手は、なくした方がいいものね。
もう九条君にも犬が苦手ってバレちゃってるから、今度は全部話した上で協力してもらってる。
だからこうして堂々と悲鳴を上げて、木に登って逃げたりもできるの。
こんなんで本当に、犬嫌いを治せるのかって? 仕方ないじゃん、簡単に治せないから、苦手って言うんだもん。
「あははっ。ガレットくーん、どんどんやっちゃってー!」
「い、いやぁぁぁぁっ! 弓香ちゃんけしかけないでー!」
木の上まで逃げたは良いけど、ガレットくんは真下でお座りしながら、まるで獲物を狙う肉食獣のような目で私を見上げている。
「ワンワン!」
「ひぃぃぃぃ、私は食べても美味しくないよー!」
「いや、食べないから。いい加減その、犬が人間を食べるっていうアホな認識をどうにかしなさい」
私も本当は食べないってことくらいちゃんと分かってるけど、頭にこびりついてるイメージは中々拭えないんだよね。
弓香ちゃんはやれやれと肩をすくめながら、九条君に目を向ける。
「呆れたでしょ。亜子、あれくらい犬が苦手なのよね」
「ああ、思った以上で、かなり驚いてる。けど、だからこそスゲーよ。だって溺れそうになってたガレットを、助けてくれたんだもの」
「あたしもそれが信じられないわ。それって本当に亜子だったの? 双子の妹とかじゃなくて?」
弓香ちゃんは首をかしげているけど、私も何故あんなことができたのか本当に謎。
火事場のバカ力的なものだったのかなあ。今じゃガレットくんをおんぶするなんて、絶対に無理だよーっ。
「と、とにかくまず、ガレットくんを退かして! これじゃあ降りられないー!」
「分かった。ガレット、ちょっと退いててあげような」
「ワゥン」
ガレットくんはしょんぼりしたように鳴いたけど、回れ右して木から遠ざかってくれる。
た、助かったー。
とほほ。この調子だと犬慣れできるのは、当分先かもしれないよ。
しょんぼりしながら、木から降りていく。
「お疲れ様。とりあえず、一休みしようか」
というわけで、私達はベンチに腰かけて休憩。
弓香ちゃんは飲み物買ってくるって言って行っちゃったから、今は九条君と二人きり。
もしかして弓香ちゃん、気を使ってくれたのかな?
「ワン!」
あ、ごめん。ガレットくんもいたね。
私に近づきすぎないよう、九条君が「待て」をしてくれている。
「だいぶ追いかけ回されてたけど、気分悪くないか?」
「何とか。それよりゴメンね、付き合わせちゃって」
せっかくのお休みに、こんなアホな特訓に付き合ってくれるなんて、九条君はやっぱり優しい。
あとガレットくんも。逃げてばかりの私も疲れたけど、追いかけてたガレットくんも絶対に疲れちゃったよね。
「ガレットくんもありがとね」
「いいって、ガレットは走るの好きだから。それよりさ、一つ聞いて良いか?」
「なに?」
「羽柴が犬嫌いを治したいのって、好きなやつのためなんだよな? もし犬嫌いが治ったらそいつに、告白するのか?」
「ふおっ!?」
予期していたなった質問に、思わず変な声が出る。
こ、告白って。そんなこと考えてもいなかった。
ただ九条君に近づきたいって思って始めた特訓だったけど、告白かあ。
「う、うん……できればしたいかも。犬を好きになったからって向こうが好きになってくれるわけじゃないけど、きっかけにはなると思うから」
って、なに本人にこんなこと言ってるんだろう?
一方九条君は笑うわけでも茶化すわけでもなく、真剣に耳を傾けている。
「俺は良いと思う。好きなやつのために苦手を治そうなんて、スゲーしな。きっとそいつにも、気持ちは伝わるかもしれないから」
「そ、そうかな?」
「まあそうなったとしても、俺は諦めないけど」
ん、どういうこと?
よくわからないけど九条君、「絶対に負けない」ってなんか燃えてるし。
いったい誰と戦うつもりなんだろう?
「まあ、いつになるか分からないんだけどね。前はガレットくんをおんぶもできてたのに、どうして今はできないんだろう?」
「不思議だよな。けどたぶん、絶対無理ってわけじゃないだろ。こんなこともできたくらいだし」
そう言って九条君が開いたスマホに写し出されていたのは……。
あわわ、お姉さんに撮られた、ガレットくんとのお昼寝写真だー。
九条君のお家に行ったあの日、疲れた私はリビングで寝ちゃったんだけど、寝ている間にガレットくんがやってきて、一緒に寝てたみたいなの。
写真のガレットくんは私にくっつきながら丸くなっていて、二人揃って穏やかに眠っていた。
意識がなかったとはいえ、自分がこんなことをしてたなんて信じられない。写真だけ見たら、仲良しの飼い主と愛犬みたいなんだもの。
「いつかまた、こんな風にできるといいな。いや、羽柴ならきっとできるさ」
「あ、ありがとう。で、でもそれはそうと……この写真消してー!」
顔を真っ赤にしながら、九条君のスマホに手を伸ばす。
だって寝顔を撮られてるんだよ。頭が爆発しそうなくらい恥ずかしいもの。
だけど九条君はひょいとスマホを引っ込めて、伸ばした手は空を切る。
「はははっ。それじゃあ、犬嫌いが治ったら消すってことでどう?」
「ええーっ! そんなのいつになるか分からないじゃない」
「そう言うなって。消したかったら、1日でも早く犬嫌いを治さないとな」
「ううっ、イジワル」
犬嫌いを治さなきゃいけない理由が、またひとつ増えちゃったけど。この調子じゃ克服できるのはいつになるんだろう。とほほ。
「ワンッ! ワンッ!」
ガックリと方を落とす私に、まるで頑張れとエールを送るみたいに吠えるガレットくん。
ええい、分かったよ。
犬嫌いも、それに恋だって絶対、なんとかしてみせるんだから。
私の戦いは、まだ始まったばかりもん!
おしまい🐾
犬好きな彼と犬嫌いな私 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます