第16話 もう邪魔はしないから

 九条君に犬嫌いだってバレてから一週間。

 あれから、毎日が地獄だった。


 文句を言われたり責められたりすることはなかったけど、一言も喋れないんだもん。これなら、何か言われた方がまだマシかもしれない。

 それでも隣の席だから視界には入って、それでいて見えない壁を感じて。まるで針で胸の奥をチクチク刺されているような気分だよ。


 そうしているうちに、迎えた日曜日。私は自宅の自分の部屋から、スマホで弓香ちゃんに電話を掛けていた。


『あんたねえ。そんなに気にするなら、さっさと謝れば? 九条君だって鬼じゃないんだし、案外すんなり許してくれるんじゃないの』

「で、でももし許してくれなかったら? 夢で出てきたみたいに、巨大化したガレットくんに私を食べさせようとしたらどうすればいいの?」

『よーし、一旦落ち着こうか。そんな事、天地がひっくり返ってもあるわけないから。まあ確かに、許してはくれないかもしれないけど』

「やっぱり! 弓香ちゃあああん、私もうダメだー!」


 そんなやり取りをした後に、私は『九条君と仲直りしよう会議』を開くべく、弓香ちゃんの家に行くことにした。


 夕方から雨が降るそうだから、傘を持って家を出て、近道をしようと公園を突っ切る。


 だけどその途中、ふと思った。

 そういえばこの公園で九条君と会ったのが、全ての始まりだったんだよね。


 1ヶ月くらい前。今日と同じように弓香ちゃんの家に遊びに行く途中で、ガレットくんを散歩していた九条君と会ったんだ。


 あの時突然現れたガレットくんに驚いて、すぐに九条君が駆けつけてくれたけど、どうしてその時犬は苦手って言わなかったかなあ。

 ちゃんと言っていれば、こんな風に拗れることは無かったのに。

 あの頃に戻って、全部やり直したい……。


「ワンッ! ワンッ!」


 そうそう。あの時もこんな感じで、ガレット君がやって来たんだよね……って、ええっ!?


 物思いにふけっていた私は、顔を上げて目を疑った。

 だってあの日と同じように、道の先からガレットくんがこっちに向かって駆けてきてるんだもの。


 つ、ついに幻覚が見えるようになったのかな!?

 だけど混乱しているとガレットくんは勢いそのままに、私に抱きついてきた。


「ワオーン!」

「ぎゃああああっ!?」


 実に一週間ぶりのモフモフ感触。

 けれど不意打ちを食らって正常でいられるほど、免疫はできていなくて、乙女らしからぬ悲鳴が公園に響く。

 や、やっぱり犬はダメぇー!


 けど、一方ガレットくんはと言うと。


「くぅん、くぅん」


 私の何が気に入っているのか、モフモフと頭をこすり付けてくる。

 犬が苦手なのに、どうして犬に好かれるかなあ?


 怖くて目を閉じていたけど、そんな中急に、モフモフした感触が消えた。


「こら、勝手に走るなって言ってるだろ!」


 こ、この声は!?


 慌てて目を開けると、そこにはガレットくんを引き剥がす九条君の姿があった。


「く、九条君!? な、な、何でここに!?」

「何でって……ここ、ガレットの散歩コースだから」


 ぎこちない口調で、目を合わせずに答える。

 そっか、そうだよね。前に会った時だって、ガレットくんの散歩をしてたからいたわけだし。この時間この道を通ったら会ってもおかしくないって、どうして気づかなかったんだろう?


 会ったはいいけど、まだ何て話せばいいか全然決まっていないよ!

 すると九条君が、申し訳なさそうな顔をする。


「悪い。羽柴がいるってわかってたら、コース変えてたのに」

「そ、そんな。私の方こそ、散歩中だって知ってたら、道変えてたよ」


 言いながら、頭をガツンと殴られたような気持ちになる。

 私がいるならコース変えてたって。それって、何がなんでも私と会いたくなかったって事ー?


「その……悪い。ガレットがまた、粗相をして。くっつかれて、怖くなかった?」

「え、ええええええと、その。別にそこまで怖くは……」

「無理しなくていいから。どうしても苦手なものって、あるもんな。俺だって、高い所苦手だし。なのにガレットのやつ、羽柴を見たとたん走って行っちゃって。本当に悪かった」


 深々と頭を下げられて、更に焦る。

 私が勝手に怖がってるだけなんだから、九条君が謝ることじゃないのに。

 それにガレットくんにしたって、ちょっと前まで遊んでいた相手が実は犬嫌いだなんて思ってないだろう。以前の調子で懐いてくるのは当たり前。それを責めるのは可哀想だよね。


「ぜ、全然気にしなくていいから。ガレットくんもごめん……」

「バウッ!」

「ひぃっ!」


 平気アピールのため撫でようと伸ばしていた手を、慌てて引っ込める。

 ダメだー。特訓で少しは平気になったはずなのに、ドッグカフェの一件以来、免疫が失くなっちゃってる。


「やっぱり、犬嫌いなんだよな」

「うっ……ゴメン、嘘ついてて」

「それはいいけど……何で嘘ついてたんだ?」

「ふえっ?」


 そ、それを聞く?

 どうしよう。一度騙しちゃってるし、これ以上嘘をつくなんてできない。

 だけどアナタのことが好きだから気に入られようと思って嘘をつきましたなんて、言えるわけないよー!


「羽柴?」


 黙ってうつ向いてしまった私を、九条君が覗き込んでくる。

 ええーい、こうなったら。


「えーと、この前ドッグカフェで言ったこと、覚えてる? 好きな人が犬好きだから、私も好きになろうとしたって話」

「あ、ああ……って、理由ってそれ? 好きなやつのために苦手なのを我慢して、犬好きなふりしてたってことか?」

「ふ、ふりをしてたって言うか、治そうとしてたの! 犬嫌いを克服して、本物の犬好きになろうとしてたんだよー!」


 好きな相手か九条だと言うことだけは伏せて、後は包み隠さず話した。

 けど、こんなの理由にならないよね。だって騙していたことに変わりないんだから。

 だけど九条君は最後まで話を聞いてくれて、大きく頷く。


「そういうことだったんだな……。ごめん、俺が足を引っ張って。足引っ張るような事して」

「そんな。九条君は何も悪くないよ」

「いや、無理をさせ過ぎたり、ドッグカフェに誘ったり、たくさん迷惑かけた。本当にごめん。もう、邪魔はしないから」


 それだけ言うと返事も聞かずに、私の横を通りすぎて行く。

 ガレットくんがワンワン鳴いたけど、構わずリードを引いて連れて行く。

 まるでもう関わるのを止めたみたいな、距離を感じる態度。

 本当にもう、これでおしまいなの?


「く、九条君!」

「……なに?」


 思わず呼び止めてしまったけど、続く言葉が見つからない。


「ご、ごめん。な、何でもない」

「そう……それじゃ」 

「う、うん。それじゃあ……」


 ガレットくんを連れた九条君の背中が、遠ざかって行く。

 嘘をついていた理由を打ち明けたところで、やっぱり許してはもらえなかった。

 分かっていたはずなのに、いざこうなったらへこむなあ。


 ああ、なんだか泣きそうになってきた。

 私は足早に公園を抜けると、そのまま弓香ちゃんの家に向かう。


「うえぇぇぇぇん、弓香ちゃあぁぁぁぁぁん! やっぱり私はとんでもない大バカ野郎だったよぉぉぉぉっ!」

「おー、よしよし。今さら何言ってるの。あんたがバカだってことくらい、とっくに分かりきってる事でしょう」


 出迎えてくれた弓香ちゃんは辛辣な言葉を吐きながらも、泣きつく私の頭を撫でてくれるのだった。




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