第2話 犬嫌いを治して犬好きになる!

 皆は、死を覚悟した時ってある?

 私はあるよ。冗談抜きで死んじゃう、人生が終わるって本気で思った事が。


 あれは確か、三歳の頃。

 ママと一緒にお出かけした先で、猛獣に襲われたの。トイプードルという名の猛獣に。


 雨が降っていたその日。私はママと一緒にスーパーにお買い物に行ったんだけど。お店に入ろうとしたら、突然雷が鳴ったんだよ。

 すごく大きなゴーンって音がして驚いたんだけど、もっと驚いたのはその後。

 近くにいた買い物客が連れていたトイプードルが、雷の音でビックリして飼い主の手を離れ、私にぶつかってきたの。


 多分そんなに痛くはなかったと思うんだけど、ぶつかった拍子で私は仰向けに倒れて。更にトイプードルはその上に、馬乗りになってきたの。

 この時私は、メチャクチャ怖かったんだから!

 それと言うのもイタズラ好きのうちのパパが、常々私にこんなことを言っていたの。


『亜子、犬さんはな、お腹を空かせたら猫さんを食べることがあるんだぞ』

『え、そうなの? 猫ちゃんを食べちゃうの?』

『そうだぞー。小さくて可愛いチワワだって、猫さんをバクバク食べちゃうんだぞー。もしかしたら猫さんだけじゃなく、亜子みたいな小さい子供なら、人間だって食べちゃうかもなー』

『ひぃっ! ヤダヤダ、犬さん怖いー!』


 パパは……いや、うちのバカ親父はどうして、こんな無意味な嘘を言って娘を怖がらせたのだろう?

 今ならそんな事あるはずないってわかるけど、当時の幼く純真無垢な私は、この嘘を信じていた。

 だからトイプードルに乗っかられた時は、食べられちゃうって本気で思ったの。


 きっと頭からバリバリ食べられるんだ。私の人生は、今ここで終わるんだって。恐怖のあまりワンワン泣いたのを覚えている。


 まあすぐに飼い主さんが、引き剥がしてくれたんだけどね。とにかくこの時植え付けられた恐怖はトラウマになって、私を完全無欠の犬嫌いにさせてしまったの。


 なのにそんな私が、犬好きな九条君(犬を飼ってるってことは、きっと犬好きだよね)の事を好きになるなんて。

 なんという運命。まるで現在の、ロミオとジュリエットみたい……。


「なーにがロミオとジュリエットだ!」


 昔を思い出してトリップしていた私を現実に引き戻したのは、腕を組んで仁王立ちしている小野寺弓香ちゃん。

 小学校から仲良しの同級生の女の子で、公園で九条君と別れた後、私は弓香ちゃんの家に行ったんだけど。部屋でさっきあった事を話したら、弓香ちゃんは大きなため息をついた。


「なるほど。それじゃあアンタは人の良い九条君を騙くらかして、犬好きだって大ホラを吹いたわけね」

「人聞きが悪いよ! そりゃあ、ちょっぴり嘘はついちゃったけど」

「ちょっぴり? ほう、ちょっぴりとな。どれどれ……」


 弓香ちゃんは椅子から立ち上がると、ベッドの枕元に置いてあったソレを掴む。そして。


「ほらっ」

「ぎゃああああっ!?」


 悲鳴を上げて、飛んできたソレを慌ててはじく。

 だって弓香ちゃんが放り投げてきたのは、世にも恐ろしいコーギー犬のぬいぐるみだったんだもの。


「あ、こら。アタシの犬太郎をいじめるんじゃない!」

「投げてきたのは弓香ちゃんじゃん。ひぃー、止めてー、犬太郎を近づけないでー!」

「こらこら。相手は本物の犬じゃなくて、ぬいぐるみだぞー。いったいこんなのの、何が怖いのさ?」

「全部だよ。とがった耳も、その短い手足も!」

「むう、この短足の良さが分からないかなー」


 不満そうに頬を膨らませながら、犬太郎の前足をいじる弓香ちゃん。

 弓香ちゃんは動物全般が好きで、犬だって全然平気だからねえ。

 けどそんなこと言ったって、怖いものは怖いんだもの。


「ぬいぐるみですら怖いなんて、ちょっとどころじゃないじゃん。猫なら平気なのにね」


 そう言って今度は三毛猫のぬいぐるみ、猫太郎を投げてくる。

 あ、これなら大丈夫。キャッチして目を合わせても、全然怖くないや。


 ふふふ~。犬と違って、猫ちゃんは可愛いねえ。

 あーあ。九条君も犬じゃなくて、猫好きだったら良かったのに……って、違ーう!


 ブンブンと頭を振って、考えを振り払う。

 私はなんて酷いことを考えたんだ。そりゃあ犬は苦手だけど、ガレットくんは九条君の大事な家族なんだよね。それを猫ならよかっただなんて、失礼すぎるよね!


 うう、ごめんね九条君。それにガレットくんも。二人が悪いわけじゃないのに、酷いこと考えちゃった。

 すると、弓香ちゃんが言ってくる


「あのさあ。悪いこと言わないから、九条君にさっさと本当のこと言った方がいいよ。嘘ついて気に入られたって、しょうがないじゃん」


 うっ、それを言われると辛い。私だって、罪悪感が無いわけじゃないんだよね。

 更に。


「それにさ。そのうち絶対にボロが出るよ。アンタの犬嫌いは相当だものね。バレて嫌われちゃったとしても、自業自得なんだからね」

「そんな!」


 もしも九条君に嫌われたって考えただけで、ショックで倒れちゃいそう。

 けど、間違ってないんだよねー。やっぱり弓香ちゃんの言う通り、明日学校でちゃんと言った方がいいのかな。

 本当は犬が大の苦手ですって。言った方が、いいのかな……。


「……ううん、それじゃあダメだよ」

「は?」

「犬が苦手なままじゃ、ダメなんだよ! だって九条君は犬好きなんでしょ。好きな人の好きなものを好きになろうともしないなんて、そんなの本当の好きじゃないもの!」

「待った。『好き』が渋滞してて、何言ってるのかよくわからないんだけど。つまりどゆこと?」

「私も犬を好きになる!」


 胸を張って、高々と宣言する。

 これなら、九条君に言ったことだって嘘にはならないし、万々歳だよね。


「犬を好きになるってアンタが? でも別に、無理して好きにならなくてもいいんじゃないの。九条君の事が好きなのは分かるけど、必ずしも同じものを好きじゃないといけないってわけでもないんだし」

「ダメだよ。だってもしも将来九条君と結婚しても、犬嫌いのままじゃ九条君が困るじゃない。『俺、犬を飼いたいんだ』って言われら、どうしろって言うの?」

「なに図々しい妄想してるのよ! 結婚どころか、付き合ってもいないでしょーが!」


 ま、まあそうなんだけどね。

 けどとにかく、犬嫌いを何とかするのは悪いことじゃないじゃん。

 そもそも犬嫌いのトラウマを抱えたままなのは、自分でもどうかと思っていたし。


「とにかく九条君のために犬嫌いを治して、犬好きになる!」

「まあ、苦手をなくすのは良い事か。じゃあ手始めにほら、犬太郎を抱っこしてみろ」

「ぎゃああああっ! 押し付けないでー!」


 や、やっぱり犬は苦手。ぬいぐるみでも、メチャクチャ怖いよー。


 だけどこれは乗り越えなければならない、愛の試練。

 私は押し付けられる犬太郎におののきながらも、決意を固めるのでした。



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