2章
第5話
「人手が足りないわ。アニータ、誰か捕まえてきて」
「は、はい!」
祖国の紙が盗まれている。
その緊急事態に、私はすぐにアニータへ指示を飛ばした。
紙とはいえ倉庫を埋める量だ。加えて盗まれた、と言うには枚数を確実数える必要がある。二人では一晩かけても確認しきれない。
しばらくし、アニータは二人の鱗人を連れてきた。アニータよりも小さな鱗人。子供だ。
「申し訳ございません。ニナさま……」
アニータは頭を下げる。
「人手を借りたいと頼み込んだのですが、夜中と言うこともあり、このような子供しか」
「そう」
子供の鱗人は、宮殿の下働きをしているのだろう。簡素なサンダルを履き、明らかな寝間着、こちらをうかがう眠気まなこ。寝ているところをたたき起こされたか。
「大丈夫よ、子供かどうかはさほど問題ではないわ」
「それが、ニナさま……」
アニータはさらに頭を下げる。
「まさか、数も数えられない子供を?」
私は軽く額を抑える。
被害状況を確認するために、紙の確認は早急に行いたい。警備の状況から見ても紙を盗んだ者は、考えたくはないが宮殿内の人間だ。朝が開けるのを待つまで再び盗まれる可能性もある。
「仕方がないわ」
背に腹は代えられない。この四人でどうにかするしかなかった。
「あなたたち、数はいくつまで数えられるの?」
私は膝を折り、子供と目線を合わせる。
「……10まで」
二人の子供は両手を広げて答えた。
「そう。アニータ。状況は思うほど悪くはないわ」
一応宮殿で働いている子供だ。1も数えられない者ではなく、安心した。
私はアニータと子供二人を倉庫に入れる。
「いい?まず、この紙を10枚数えるの。できるわね?」
子供二人はこくりとうなずいた。
「そして10枚の束を、10束、交互に重ねる。重ねたら、ここに印をつけるの」
用意した木版に線を引く。
「束を重ね山を作り、印が10本になったら、新しい山を作る。わかった?」
説明が理解できただろうか。子供二人は無言でうなずいた。
「アニータ、私はこちらから数えるわ。あなたはこの子たちの監督をして、あちらがわから数えて」
「承知いたしました」
アニータはついとお辞儀し、作業に取り掛かった。
夜の倉庫に、もくもくと紙をめくる音と、印をつける音が響く。
私は確認作業を行いながらも、頭では別のことを考えていた。
『誰が紙を盗んだか』ということを。
この倉庫は、諸外国からの献上品を納める区画に存在する。当然、それらを盗まれたとすれば外交問題になりかねない。そのため警備は厚い。なので、紙の窃盗は宮殿関係者の犯行と考えていい。その中でも、容易に倉庫を出入りできる存在。となれば位の高い文官か、あるいは大臣……。
とはいえ、私が紙の窃盗を訴えたとして真面目に受け止められるだろうか。
書物に精通したタジラ王はともかく、他の大臣や貴族はまともに受け取らないだろう。
彼らが紙の価値を知らない、というわけではない。盗まれた紙が、アズラク公国のものではなく、私個人のものだからだ。
嫁いできたばかりの妃を、手厚く歓迎するほどこの国は一枚岩ではない。私は、まだこの国の者として扱われてはいないということを、アニータが連れてきた二人の子供を見て確信を得ていた。
仮にも妃の要望に、10までしか数えられない子供をよこすだろうか。日中の態度からして、王様は私を歓迎しているが、他の人々はその限りではないのだ。
私はまだ、この国に受け入れられていない。
無意識に指先に力が入り、紙にしわが寄ってしまった。ため息を吐きながら丁寧に伸ばす。
4人で行う作業は、一晩続いたが、確実な結果を得ることができた。
200枚の紙が倉庫から盗まれていた。
それが確認作業での結果だった。
紙は、いくつも連なる紙束山から少しずつ抜き取られ、一目ではわからないように盗まれていた。
非常に悪質なやり口だ。
しかし、昨晩の件は私のもとにとどめ、保留にしている。空高くさんさんと照り付ける陽光を感じながら、私は窓の外を眺めため息を吐いた。
タジラ王にこのことはまだ報告していない。公務に忙しいはずの彼の手を煩わせたくはなかった。
という理由は表面上のもの。
本当の理由は、私が嫁いできたばかりの妃だからだ。仮に王様の力を借りたとして、それは王様に庇護されたということになる。グラン王国の姫は、王の加護なしに生活できない妃。婚姻初日でそのようなレッテルを張られたくない。
それに、戴冠式で倒れたという失態を回復したかった。
加えて、下手に22歳まで独り身でいた私の意地が、王様に頼ることを拒んでいる。
ひとまず応急として、倉庫の警備を厳重にするようにだけは頼んであるが、果たしてそれに意味があるのか。
もう一度大きくため息を吐く。
私自身の力で解決したい、とは思うものの、それがわがままだということも理解している。
紙の枚数の確認で報告が遅れた、という言い訳は長く続かない。明日までに目立った成果がなければ、タジラ王に報告する必要があるだろう。
「相変わらずの顔色ね。また倒れないか心配だわ」
沈んだ空気を蹴散らすような声。
「ワルダさま。ごきげんうるわしゅう」
私は姿勢を改め挨拶をする。
彼女は相変わらず、何十人もの従者を引き連れていた。愁いのない自信の満ちた表情に、少しうらやましくなる。
「ふん、今日はあのおチビちゃんはいないのね」
きょろりと蛇のように大きな目で見渡した。
「アニータは今使いに出しております」
彼女には今、倉庫の出入り記録を確認させている。
「残念ね。せっかくアズラクの茶と菓子を持ってきたのに」
ワルダが手を軽く鳴らす。即座に従者がテーブルと椅子を用意し、茶の準備が始まる。瞬く間に、アズラク特産の茶の香りが広がった。
「何をしているの?ぼぅっとして」
「あ、すみません。失礼させていただきます」
カップを手に取ったワルダの向かいに、私も腰かける。
促されるまま、琥珀色の茶に口をつけた。ハーブが混ざった独特の香り。未知のそれに、おいしいともまずいとも判別つかない。
「そのままでも好まれるけれど、オレンジを入れるほうがおいしいの」
ワルダはオレンジのドライフルーツをカップに漬け込む。
私も同じようにオレンジを漬けてみた。
「あ」
まったく印象が変わった。オレンジの香りと、砂糖の甘みではっきりとした味になる。
「ね、おいしいでしょ?」
ワルダは私の表情が楽しいのか、肩を揺らして笑う。
「こちらのケーキも試してみて。もちろん、ケーキは茶に漬けては食べないわ」
からかわれつつも、私は小さなケーキを手に取る。シンプルな生地に、ジャムが挟まれ、一口サイズに切られている。カラトリーは使わず、素手がアズラク式だ。
「おいしい」
果実を煮詰めたジャムは、目が覚めるように甘い。私だけが味わうにはもったいない。
「アニータに包んでも?」
「もちろん」
ワルダは優雅に笑む。
その表情に、私は彼女が被っていた、仮面の下を垣間見たような気がした。
「アズラクの水はあなたに合うかしら?」
ワルダは茶に漬けていたオレンジを引き上げる。
「まだ、慣れないことが多くあります。……戸惑ってしまうことも」
皿に上げられたオレンジから、じわりと茶がにじむ。
「けれど、こうして席を共にすることで、この国の一員になれればと」
私もワルダに倣い、オレンジを引き上げた。
ワルダの目が、一瞬煌めく。
「そう。これから機会はいくらでもあるわ。だってあなたは、妃なんですもの」
「はい」
「でも……」
ワルダは目を伏せた。
「寂しくなることはないの?故郷を離れて。もう二度と、帰れないかもしれないことに」
ひそめられたワルダの言葉に、私は察した。
ワルダは婚姻の適齢期。近い将来、家を離れ嫁に向かうことは確実だ。しかも、私のように外交のカードとして利用されるかもしれない。いや、利用しない手はない。そうなれば、彼女はアズラク公国を離れ、どこか遠い国へと嫁入りする。
私と同じように。
「寂しいと、思うことはございます。望郷の念に押しつぶされそうになることも」
ですが、と私は指先でカップを撫でる。
「寂しさよりも多くの驚きが、アズラク公国にはあると私は感じています。そして、たくさんの温かな人も」
「ふふ」
ワルダは口元をほころばせた。
「よかったわ……そうそう」
ワルダは手を叩き、まるで乙女のように密かな声になる。
「私ね、お手紙を書いているの」
「手紙ですか?」
「ええ、直接会ったことはないのだけれど。いつか、私が妻になる殿方に」
彼女の目が遠くを見つめている。きっと、彼女が近い将来嫁ぐ顔も知らぬ男性を思い描いているのだろう。
「それで、殿方へのお手紙ですもの。飛び切り特別な紙を使おうと思っているの。でも慣れない紙で、インクがにじんでしまうのよ」
「ああ、それでしたら。水を少なめにすれば解決しますわ」
アズラクで常用されるインクは、悪質な紙でも書けるように少し水っぽい。上質な紙を使用するとなれば、少々インクを濃くした方が書きやすくなる。
「そうなの、どれくらいがいいのかしら」
ワルダはちょうど、件の飛び切り特別な紙を持っているらしい。
「特にこの文字、にじんで不格好になってしまって」
恥ずかし気に差し出した手紙を覗き込み、私は表情を固めた。
手紙の出来が悪い、文字が崩れている、という理由ではない。
その紙に、見覚えがあったからだ。
「……ワルダさま、こちらの紙は、どちらから?」
グラン王国出身ゆえに、紙に興味を持ったのだと勘違いしたのだろう。ワルダは嬉しそうに答える。
「用意してくださったの。お父さまが」
「お父さま、が」
私は硬い表情を悟らせまいと会話を続けた。けれど、どのようなことをしゃべったのか、よく覚えていない。
私の頭の中には、目の前にある紙のことしか考えられなかった。
目の前にある、私から盗まれた、故郷の紙のことしか。
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