第13話

 アズラク公国の市場にはたくさんの香りがある。

 海が近いため鮮魚ばかりかと思っていたが、実際には異なった。肉や菓子も豊富だった。特に多いものは香辛料やハーブ。調合師が数百を超えるそれらを扱い、複雑な香りが市場全体に漂っていた。

 故郷の市場とは全く異なり嗅覚が迷子になってしまいそうだ。それがむしろ面白く、私は市場へとアニータを連れ商品を覗き込んだ。

 タジラ王が歓談中に、しばしばの散策。元居た場所からは離れないし、兵士には一言伝えてある。今も兵士はこっそりとついてきている。私は迷惑をかけないようにゆっくりと行動した。

 ふと、装飾品に目が留まった。腕輪だ。

「いかがなさいましたか?」

 アニータが腕輪と私を交互に見る。

 珍しいと思ったのだろう。私は普段、宝石や金銀よりも本を優先してしまうから。

「ごらんなさい、ここ」

 私は腕輪の直線で作られた文様を指す。

「たしか、西部に住む鱗人が使っている文様よ。壺や焼き物には見たことがあるけれど。腕輪に刻まれているものは初めて見たわ」

 私がその表面を視線でなぞっていると、店主が手を揉みながら近づいてくる。私たちの様相に乗客だと踏んだのだろう。

「お目が高いですね奥様。そちらは職人が作りました特別な品ものです」

「職人が」

 職人による特別な品という割には荒い掘りのようにも見えるが、そういうデザインなのだろうか。

 私の疑問には気づかず店主はにこにこと笑う。

「ええ、決まった相手にしか流通を許さない頑固な職人でして、仕入れには苦労しましたとも。ですが、粘り強い交渉の結果、このように店頭に置かせていただいております」

「そう」

「いかがです、奥様? 特別な腕輪ですので、こちらの品のみとなる上に、先述の理由で再入荷もいつになるかという状況です。今を逃すと二度と手に入らない可能性も……」

 なんとしてでも、と店主の意気込みが伝わってくる。

 話の内容が本当にしろ嘘にしろ、私としては興味深い。しかし、問題がある。今、私は支払う金がないのだ。

 買い物の予定はもともとない。会食が始まるまでのほんの少しの間眺めるつもりだった。そもそもこうもすばやく売り込んでくるとは思わなかった。さすが、商人の国といったところだろう。

「さあさあ、いかがです」

「い、いえ、その……」

 断り文句が見当たらない。

 私は困り腕を撫でる。身に着けていた腕輪に指先が触れた。

 店主はそれを見て、かっと目を見開いた。

「これはこれは!王宮の方でしたか!でしたらこちらの腕輪よりも良いものが」

 店主の視線は私のドレスに付属する装飾品に釘付けになっていた。

 タジラ王の隣にいる以上、みすぼらしい格好はできない。こちらに来てからは、派手にならない程度に装飾を身に着けている。特に、アズラク公国の紋章が入った装飾は王宮の関係者を表すものだ、必ず着用していた。

 通常であれば所属と身元を明確にする身分証の役割を果たす。しかし市場という場で身に着けることは、悪手だった。


「王宮の方かい?!うちの絨毯も見てってよ!」

「東方から仕入れた珍しい器があるよ!」

「山の花はいかが?」


 周辺の商人たちがわらわらと私たちを取り囲んだ。無理やり商品を持たせようとするものもいる。

「い、いえ、その、やめ」

 アニータが追い払おうとしているが、小柄な彼女も押しつぶされそうだ。兵士たちもあまりの人数相手にかきわけることもできない。

 窒息しそうな人の数に、私は目が回った。わんわんと響く商人の声。

 また戴冠式のときのように倒れてしまうのではないか、このあとの会食が、公務が。

 ぐらりと揺れかけた私の体を、大きな腕が包んだ。

「こっち」

 同時に男性の声。返答する間もなく私は商人の波から掬い取られる。


 するするとその人は泳ぐように私を連れ人気のない路地裏へと入った。

「大丈夫だった?」

「え、ええ、あなたは……」

 見上げた私は、目を見張る。

「また、会ったね」

 笑む青い目。外されたフードの下から現れる灰白の羽毛。そして黒いかぎ爪。

「ディ」

 ディアン。私の喉はあの子の名を呼ぼうとした。

 彼は確か、水路に落ちた私を助けてくれた鳥人だ。

「ニナが無事でよかった」

 自然な仕草で彼は私の手を取る。

「俺はテトラ商団の副団長。ダイアン」

 ひやりとしたかぎ爪が触れた。

「ニナにはぜひ、ディアンって呼んで欲しいな」

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