第19話

「テトラ商団は、悪いようにはしない」

 王の寝室。ベッドの上。

 タジラ王は私を膝に乗せ、そうつぶやいた。

 浴場で返り血を流した王の羽毛は、まだ少しだけ湿っている。

「はい。おばあさまの、初代王妃のご出身だと理解しております」

 正確には、初代王妃の出身集落がテトラ商団に所属している。

 そのためテトラ商団を潰すとなれば、アズラク公国のルーツを汚すことにもなりかねない。

 なによりタジラ三世、幼名ディアン。彼は祖母の血を濃く継いでいることがその容姿から判断できる。普段の金と白の装飾の下に、白銀の羽毛が隠されているなど思いもよらなかった。

 しかし鳥人の特徴が強く出ている彼は、そのルーツに思うところがあるのだろう。そのような忖度に加え、なによりテトラ商団はアズラク公国の組織ではない。外部の存在だ。ゴルドバーク家のようにはなるまい。

 加えて、犯人、ダイアンの首は落とされた。正式な手続きも交渉もなく行った処刑は、対外的に心証が悪い。これ以上アズラク公国側は下手な動きはしないほうがいい。


 そのように私は冷静に考えながら、必死にあのときの血の香りを思い出さないようにした。

 ごとりと冷たく落ちた音が、まだ耳に残っているようだ。

「ニナ」

 タジラ王は私の体に腕を回す。いつの間にか、私は震えていた。

「怖いのかい」

 藍色の目に見下ろされる。周辺の皮膚は闇夜のように黒い。普段は白く化粧しているのだが今は地色が見えた。

「……いいえ」

 私はゆっくりと彼の頬に触れた。


 先王、タジラ二世の時代。アズラク公国は水面下にて跡取り問題に揉めた。

 タジラ二世が娶った王妃は一人。ハーレムも解体したため後宮も持たなかった。なので正統な後継者は、王妃との間に生まれたタジラ三世、幼名ディアンのみ。

 のはずだった。

 しかし、タジラ二世には多くの愛人がおり、その間に多くの隠し子が存在していた。

 それが火種となった。

 正当後継者であるディアンが亡き者になれば、隠し子の誰かがその座を手に入れることとなる。

 そのような考えから、ディアンは幼くして常に命を狙われ、あるいは篭絡の罠を差し向けられ続けていた。

 加えて、ディアンの母は彼が幼いころに亡くなっている。母はおらず、父は公務にかかりきり。周囲には信用のならない他人ばかり。

 そのような環境が、彼の心に冷たい影を育てた。

 裏切り者には徹底的な罰を。害する者は完膚なきまでの廃絶を。ディアンは王子という権力を最大限に利用し、その者を、その血縁を、全て切り捨て根絶やしにした。

 そうしてディアンがタジラ三世を名乗り、王の座に収まるまで多くの貴族、名家が取り潰された。

 と、タジラ王が入浴中に、臣下の方々とアニータが教えてくれた。


 しかし。

 たとえ冷血だろうと、倒れるまいと戦ってきたあなたを、自身を守ってきたあなたを、ディアンを、私は恐ろしい怪物として見ることなどできない。

 血の流れる事態には恐怖した。だが、彼本人を恐れたりなどは決してしない。

 その冷徹さは、一人戦うあなたを物語っているのだから。

 冷たい頬をそっと撫でる。

「私はあなたから、決して離れたりなんてしないわ。ディアン」

 藍の目がすっと細められる。

「ああ」

 腕が閉じ込めるように私を包む。

「またあなたに、たくさんのお話を聞かせる。その約束をようやく果たせる」

 ディアンはすり、と私の手にすりつく。

「まさか、気づいていないとは思わなかった」

「こんなに立派になっているとは思わなかったもの」

 夫となるタジラ三世がディアンだなんて、つゆほども思わなかった。

「それに、あなたは口下手だから」

「昔のはなしだ」

 昔の話をふることができないくらい、今も十分口下手なのに。

 ふふ、と私は笑いながら彼の胸板に体を預けた。ひんやりとした羽毛。その下から体温を感じる。とくとくと動く心音を確かに耳で拾った。

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