4章

第20話

 白い壁、広い敷地。宮殿と共通点はあるが、質素な作り。私ははしたないが、好奇心を抑えられずにきょろきょろと見回してしまった。

 ここはアズラク大学。

 アズラク公国が保有する最大の教育機関にして研究機関。すなわち叡智が集う施設だ。

 そのような施設を、私はようやく視察に訪れることができた。

 ちらほらと学者や学生らしき人影が見えるものの、タジラ王と私を堅牢な兵士たちがかこっているため近づくことはない。


「ニナさま」

 お時間です、とアニータに耳打ちされ、私は表情を引き締める。

 今日はアズラク大学への視察。つまり公務にきているのだから、しっかりとしなければならない。

「午後には図書館に行こう」

 しかし背筋を伸ばす私とは正反対に、タジラ王はにこにこと緩やかな笑みをたたえる。

「図書館には書斎にない本がいっぱいあるんだ。あとで私のお気に入りも教えてあげるよ」

「王よ、今は公務中ですよ」

 ゆるい雰囲気のタジラ王に、まじめにやってください、と喝を入れる。

 あれからますますタジラ王は幼きディアンのように甘えたになっている気がする。公務はしっかり行っているようなので、心配はいらなそうだが。


 そのようなゆるゆるな雰囲気の王だが、大学の視察は好調に進んだ。

 そもそも、王は私用で大学に出入りすることが多く、大学では比較的ゆるい態度をとっているようだ。

 と、いうことを案内してくれた学者が教えてくれた。

「王は大学への理解が深く、研究費用も潤沢に用意してくださります。おかげでずばぬけた才能が国内外から集まってきます」

「それはすてきですね」

「ええ、とくに図書館への力の入れようは目を見張るものです」

 促されるまま図書館に踏み入れる。

 そこを私は転びそうなくらいに見上げた。建物の奥まで続く高い本棚。これはタジラ王所有の書斎と変わりないが、大学図書館はさらに、吹き抜けの4階建て。それぞれに世界中の書籍が詰まっている。

 私は小躍りしそうな感情を抑え込み、ぐるりと図書館を見渡した。

「これは……すばらしい……」

「だろう? ニナは絶対うれしいと思ったんだ」

 私の驚きに、タジラ王は子供のようにはしゃぐ。

「これらの資料は学者や学生の研究に大いに役立っております。そちらにいる者たちが、私が教えている学生たちです」

 学者の紹介に、学生たちはそろって頭を下げる。

「特に彼女は、私の後継にと考えている優秀な子です」

 学者の言葉と共に、一人の女性、いや少女が一歩前に出た。

「ツァル帝国出身。ユリア・サハロフです」

「まあ! ツァル帝国の!」

 私は感激した。なにせツァル帝国からアズラク公国までは容易にたどり着ける距離ではない。母国のグラン王国と変わらないほど離れた地だ。

 そのような遠い土地から、学者の後継と称されるほどの才能、しかもこのような女の子が。

 ユリアはアニータと同じくらいに小さく、童顔で幼い印象を持つ。しかしその胆力、そして学習意欲に私は感動を覚えた。

「うれしいわ。あなたのような方に出会えて」

「おほめにあずかり光栄です。ニナ王妃」

 私は思わず握手をしてしまう。

「タジラ王、ニナ王妃、よろしければぜひユリアが現在たずさわっている研究をご覧になってください」

「もちろん。どのような研究をなさっていらっしゃるの?」

 私の問いにユリアは胸を張る。

「はい。私は政治と経済がどのような相関性を持つのかを、数字を利用し研究しております」

「私共は統計を以って様々な事象を研究しております。彼女が扱う内容は、特に将来性のある研究です」

「とても興味深いわ。ね?」

「ああ。特に統計資料の扱い方は興味がある。もっと話を聞きたいところだ」

 タジラ王も満足そうにうなずく。

 その様子に、ユリアの瞳は輝いた。

「でしたらぜひ! 実際に統計を扱う場をご覧になってください!」

 ずい、と勢いのいいユリアを学者は止めようとするが、かまわないとタジラ王はうなずいた。

「どのように資料を集めるのか、その精度を私も詳しく知りたいのでね」

 研究内容も王としては逃せない情報だろう。

 そのような王の問いに早口に答えるユリア。自身の研究が認められたという達成感に、興奮しているようだった。


 ユリアが語る最先端な研究内容に、しかし私は半分ほどついてゆけず、目耳はあらぬ方向へ向かっていた。

 ふと、学者が連れていた学生の中に、少し外れた集団があることに気づいた。

「あのこたちは?」

 学者は、ああ、と少し困ったように笑う。

「彼らは我々とは別の建築を学ぶ学生達です。担当する学者が、少々難解な問題にぶつかってしまったので、代わりに私が面倒を見ています」

「そう……」

 学者は多少濁したが、私は気づいてしまった。彼らの師はゴルドバーク家が横領した私の紙を受け取った者だ。結果的に横領に協力した、という罪で大学を去ることとなったのだ。

 件の学者が、紙を私の物だと知っていた可能性は限りなく低い。師を失い、専門とは異なる学者のもとにいなければならない彼らに、私は胸が痛んだ。


「はい、いつかは自分の手で本を作ってみたいんです」


 ユリアの言葉に現実に引き戻される。

『本を作りたい』

 その発言に私は意識をユリアへ戻した。

「いつか自分の手で本を作り、たくさんの人に私の研究を知ってほしいんです」

 ぐっ、と拳を握った彼女の目は本気だと語っていた。

「すばらしいね。君自身の手で残すことは、今後の後輩の学びにもつながるだろう。ね、ニナ」

「ええ」

 話を振られ、私はうなずく。

「私も本を作ることに興味を持っています。どのような構想なのか、ぜひ具体的にお聞かせ願いたいわ」

 私の問いに、ユリアの瞳はさらにさらに輝いた。

「はい! 私は―」

 とまくしたてようとしたユリアだが、学者のそろそろいい加減に、という視線を察知したようだ。

「ああ、えっと。おほんっ……。私はぜひ陛下がお手に取っていただけるような、完璧な本を作りたいと考えております。完成した暁には、大学図書館に寄贈し、その叡智に貢献できるような」


 楽しそうなユリアの言葉にうなずこうとした私は、はた、と気づいた。

 この大学に出入りするのは、学者や学生、あるいは宮殿関係者。

 つまり、国民のごく一部だ。

 私は、市場で見た商人や働いている子供たちを思い浮かべる。幼少から働く彼ら。

 彼らの手元には、例えばユリアが作る本や私の本は届くだろうか?

 いや、それどころかいまこの図書館に存在している本を手に取ったことすらないのでは。存在すら、知らないのでは。

 本に書かれた知識は、そこに書かれた物語は、ほんのわずかな人数にしか届かないのでは。

 それは、私が本を作る理由の一つ。物語、その歴史を消失させない、という願いに完全に反していた。

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