第18話
浮遊感。臓物が浮くような感覚。私はかつて、故郷でいたずらに木から落ちたときを思い出す。
しかし今のこれは、その比ではない。
恐怖と驚愕。電光石火のように思考が駆け巡り。私を襲った落下は。
唐突に消えた。
「え」
しっかりと支えられた背。体を包む体温。そして、視界を埋める白銀の羽毛。
見上げる先。藍色の目が合った。
「デ」
自然に、その名はするりと喉からあふれ出た。
「ディアン」
「助けに来たよ」
ニナ、と呼ぶその声は、タジラ三世のものだ。
タジラ三世が、私のディアンだ。
驚きもつかの間。タジラ王は、さて、とダイアンを睨む。
「私のニナをいったいどうしようとしたのかな。ダイアン」
一瞬で王の目は氷点下のものになった。
ダイアンは悔し気にかぎ爪を握りこむ。
「私が優しいうちに答えたほうがいい」
「っつ、黙っていればのうのうと。傲慢な男めっ! う゛っ」
王のもつ、黒く大きなかぎ爪がダイアンを押さえつける。
ぶわりと白銀の羽毛が逆立つ。まるで巨鳥が翼を広げたように、鐘の部屋が狭くなる。この羽毛が支えとして、鐘楼の壁を飛ぶように駆け登ったのだろう。
押さえつけられたダイアンは、見上げるような王とは体格が違いすぎる。強がってはいるが、まるで鷹に睨みつけられた小鳥のようにその灰白の羽毛は縮こまっていた。
「傲慢はどちらだ? たかだかワルダの件で、ここまでの暴挙にでるとはな」
最大の取引相手のひとつであるアズラク公国。その王妃を攫い、あまつさえ害をなそうとした。
これによりダイアンが所属しているテトラ商団がどのような立場になるのか。それは考えずともわかることだ。
いったい何が、ダイアンを突き動かしたのか。
「たかだかだと?! ワルダを閉じ込め! 苦しめ! そしてシン皇国へと売り飛ばした! 見ず知らずの土地で一生を後宮の中愛人として過ごす。その苦しみを考えたことがあるか?!」
「ない」
「国に養われた以上、国に奉仕する。それが王族に名を連ねる者の責務だ。ワルダはそれを果たしたまで。ならば無用にその心を覗くことも。無為に同情を示す必要もない。奴はそれを理解している。そして貴様に助けを求めることもしなかった」
王は冷たい。
「妄想をまくしたて、暴走したのはお前ただ一人だ」
「だからといって!」
ダイアンはもがく。しかし王に抑えられながらも。
「彼女の悲しみを! 彼女の心を! なかったことにしていいわけがない!」
王は呆れた目を向けた。
「……それ理由に、ニナを殺しグラン王国との国交を切ることで、私を失脚させ、ワルダを連れ戻そうとしたということか」
当初の目的は、ニナを篭絡しタジラ王から奪うという考えだったのだろう。そのために、ディアンの名も出した。ディアンの存在は、特別隠しているわけではない。ワルダを通じれば、私がディアンを思っていることも知っていたはずだ。
しかし、ワルダの名前が出たため予定を変え、暴挙に出た。
王はため息を吐いた。
「このような害虫を、のさばらせておく道理はないな」
ぞくりと、私の背骨にまで悪寒が走る。タジラ王の羽毛に包まれてなお、まるで凍えたように私の体は震えた。
ダイアンは王を睨み返す。
「見ろ! ニナ! これが奴の正体だ! 冷徹で人の心を持たない! 血族すらも外交の道具としか思わぬ、血の通わぬ王だ!」
「黙れ!」
タジラ王のかぎ爪は今にもダイアンの首を引き裂こうとする。
けれど、自らを抱き込むようにして私は震えを抑える。そして、そっと王のかぎ爪に手を重ねた。
王はピタリと皮膚に食い込んでいた爪を止める。
「ニナ!」
ダイアンの期待に満ちた目。
私はするりと大きな黒いかぎ爪を撫でた。
「確かに、ワルダさまは故国から、アズラク公国から離れることを不安に思っておりました」
しかし。私は強い視線でダイアンの期待をはたき落とす。
「それ以上に、彼女は故国を愛しておりました。そして、自らの役目を果たすために嫁入りをしたのです」
二度と帰れぬ故郷を思い、顔も知らぬ相手に嫁ぐ。私も同じ。だからこそ、わかる。
「その姿を憐れみ、同情し、彼女が残していった母国を傷つけようとする。その行動はワルダさまの決心を踏みにじることと同義」
ダイアンの目は見開かれる。
「ワルダさまを、その心と決心を最も侮辱したのは、ダイアン、あなたですよ」
「つっ」
怒りがダイアンの顔を支配した。
「貴様!!!」
ダイアンは震えた。目が血走る。叫び床を蹴った。向けられた敵意。
逃げ場のない私を、しかし白銀が包む。
かぎ爪はぶつりと首を狩った。
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