第3話

 タジラ王は非常に身長が高い。通常の女性と比べれば、1.5倍はあるだろう。

 アズラク公国の王族は、国民と同様、元人、鳥人、鱗人の血が混ざっている。どの血がその体躯を作っているのか。あるいは、温かいアズラク公国の気候ゆえか。

 いずれにしろ恵まれた体躯。私もアニータも、そしてワルダとその従者たちも空を仰ぐようにタジラ王を見上げる。


「タジラ王」

 真っ先に私は膝を折った。

「先の戴冠式でのご無礼、申し訳ございません」

 遅れてアニータも私に倣う。

「このような形でご無礼になりますが、まず謝罪を―」

おもてを上げなさい」

 私の言葉を遮るように、タジラ王は口を開ける。もっとも、金と白の装束で見えているのは目元だけだ。

 私は恐る恐る、王様の藍色の目を見返す。

「回復したようで、安心したよ」

 言葉通りに受け取っていいらしい。王様の目はにこりと細められている。

 しかし、藍色の目は即座に開かれ、私の向こう側、ワルダとその従者に向かう。

「それで、お前たちは何をしていたんだい?」

 柔らかい口調。その中に含んだ詰問の声。私も含め体を固くする。

「私たちは……その……」

 口ごもるワルダ。王様の視線は鋭くなる。

 まるで射殺しそうな目。

「案内を、していただいたのです」

 私はとっさに口を挟んだ。

「目を覚まし、王に謁見したいと考えておりましたが、なにぶん右も左もわからぬことばかりですので。まずは道を教えていただこうと……」

 私は頭を下げながら答える。頭上で、探るような視線を感じた。

「そうか」

 ため息のような声と共に、視線は外れる。

「であるならば」

 王の目は冷たく細められる。

「そういうことにしてあげよう」

 その一言と共に、払う仕草をした。ワルダとその従者は即座に意図を汲み、こうべを垂れその場から去る。


 私も謝罪は改めて。とアニータと共に引こうとした瞬間、タジラ王の腕が私の肩に回った。

「クロスは目立つように、ここへ飾ったんだ」

 金色の爪の装飾が私のドレスに沈む。

「気に入ってくれたようで、よかった」

 タジラ王の目が、私を覗き込む。

 もしや、先ほどのワルダとのやり取りは聞いていたのだろうか。

 私は真っ青になる。

 王様に対し、結果的に虚偽の報告を行ったからだ。

 どのような理由があろうと嘘は嘘。そのような存在を王様が妃として身近に、宮中に置くだろうか。

 王様の腕が、そっと、しかし確かに私へ進むように促す。

「せっかくだ」

 後につくアニータや、王様が伴っていた兵士に対し振り返る。

「二人でいこう」

 人払いがされてしまった。

 反論しようとしたアニータを、私は視線で制す。

 もしも私の身に何かあれば、私の骨を故郷に返す者は、アニータ、あなたしかいないのだから。


 タジラ王に伴われ階段を降りる。私は唇を固く引き結んだ。

 いったいどこへ連れてゆかれるのだろう。地下牢か、あるいは拷問室か。

 私は故郷の城にある、囚人がつながれた牢屋を思い出す。灰色の石壁に囲まれ、差し込む光はほんの少しの隙間から。気が狂った囚人が壁に頭を打ち付けた跡。

 たまらず、小さく震えた私を、王様はさらに強く腕を回した。

 地下。白い壁にロウソクの光が反射する。陽光よりもおぼろげな灯りは、私をいっそう不安にさせた。

 大きな木製扉の前に立つ。王様の大きな手が鍵を開け、扉を押した。ゆっくりと重い音を立てて開く。

 中から漏れる乾燥した空気を吸い込む。私は軽く咳をした。口元を抑え、そろりと目を開けた先。王様が持つ燭台が、中を照らす。


 そこには、牢屋も拷問部屋もなかった。

 部屋と呼ぶには広すぎる空間。そしてずらりと並んだ棚。

 私は目を見開いた。床から天井まで本が並ぶ。紙、木、皮、粘土板など様々な媒体の本が納められていた。棚から溢れた一部は床に積まれている。

 さらに、机の上には書きかけの文書が。無意識に読んだそれは、政治的な文書ではない。逸話や伝承、いわゆる昔話だ。

「ここは……」

「私の書斎だよ」

 王様が室内のロウソクに火をともしてゆく。アズラク公国は地下でも空気が乾燥している。日光の入らないここは、本を保管しておくに最適だろう。

 このような素晴らしい空間が存在していたなんて。私は自分の立場も忘れ見とれていた。

「ここには世界中の本が集まっているんだ。私の国の本は当然。東のシン皇国やツァル帝国。南西諸島の海人が書いた木簡。最近では、ニナ、君の母国の本も」

 見慣れた紙、装飾の本が指さされる。

 タジラ王の目が私をうかがっていた。

 見下ろされる藍色の目は、しかし、高圧的で答えを強制するものではない。例えばそう。子供が親に褒められることを待っているような。

「……グラン王国の物語は、いかがでしたか?」

 顔を向けた私に、王様の目はぱぁ、と明るく輝く。

「すばらしかったよ。特に雪山の描写は―」

 高揚を抑えた声で、それでもはしゃぐように語る王様。

 なんて楽しそうなのか。彼の本や物語に対する愛情が伝わってくる。

 そうか、王という身分では、なかなか語り合う機会がないのかもしれない。

 グラン王国は比較的紙が手に入りやすく、書物も身近だ。出身の私であれば、当然この手の話もできると踏んだのだろう。

 私はタジラ王の煌めく瞳に親近感を覚え、私はタジラ王の手に私の指を重ねていた。金属の冷たい感触が伝わる。

 私の手に、流ちょうに語っていた王様は、言葉を止め私へ振り返る。

 少し迷うように目を伏せた彼は、私に笑いかけた。

「これからここは、君の書斎にもなる」

 私はその真意を探ろうとして、王様の目を見返した。

「ニナ、君は私の妃だ。だから、当然、私のものは君のものになる」

 そこに裏の思考はない。まるで、秘密を共有する子供のような感情を瞳が語る。

「一緒に、たくさんの本を読もう。物語を眺めよう。ここには無限に、世界中の書が集まる。君も私も、一生をかけても読み切れないほどの」

 だから、ずっと一緒に楽しむことができる。

 タジラ王は目は輝いていた。

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