第6話 状況への意識の変化

 真鍋氏が様々な取組を始めた1980年代半ばまでは、教育行政関係者にも、不登校や高校中退などの状況が全国的に起こっていることはもとより本来知っておくべき制度さえ満足に理解できていない者も多かった。

 大検という制度を知らない教師など、いくらもいた。

 実態も受検資格もわからない教師も吐いて捨てるほどいた。

 高校中退は、家庭の経済事情や本人の就労のため、そうでなければ病気療養、という程度の認識しかなかった。

 今から思えば実に牧歌的な認識ではあるが、それが当時の現実であった。

 もっとも、当事者としては決して「牧歌」ではすまないのだが。


 不登校の対策などとんでもない。

 なんせ当時の同事象のネーミングが「登校拒否」なのだから、何をかいわんや。

 拒否なんかされてはたまらぬと無理やり学校に行かせようとしたり、それでもだめなら子どもたちを使って学校に来させようとしたりと、とにかく学校に来させればそれでよいと考えていた教師も少なからずいた。


 高文研という出版社から1990年代に出版された堂野博之氏の「あかね色の空を見たよ」という書には、そんな時代(人によっては「古き良き時代」かもしれないが、こういう経験をした人には「心底虫唾が走る」言葉でしかなかろう)の岡山県のある地域のそのような学校や教師の姿が赤裸々に描かれている。


 問題があったのは、不登校の子だけではない。

 大学進学を目指す若者にとってもそうであった。

 この時代、大検という制度をろくすっぽ知らず、生半可な知識も覚束ない者(それも分別ある大人)が、教育関係者らにも少なからずいた。

 一般人は推して知るべし。

 今ならそんな大人は「情報弱者=情弱」として無能呼ばわりされてネットで公開私刑(リンチ)の一つもされようものだが、幸か不幸か当時はそんな「文明の利器」などなかった。


 しかし、それまで存在していた制度を別の形で活用することで青少年たちを救おうとする動きは、徐々に胎動しつつあった。

 1980年代半ばに放映された「中卒東大一直線」というドラマもまさに、その流れで出現したもののひとつである。

 このドラマはなぜか現在では再放送もされず、DVDにもなっていない。

 おそらくは著作権等の問題が大きいのであろうが、仮にそこをクリアできていたとしても、その後大検を取巻く状況があまりに変貌し、そのままでは今の子どもたちへの参考にならないという理由も大きいのではないか。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 1989年・昭和64年1月7日。

 昭和天皇が崩御し、皇太子であった現上皇が直ちに即位され、元号は「昭和」から「平成」へと改まった。


 この「元号」という制度は、意外とその時代にこの日本という国で生きている人々の意識や動きに影響を与えるものである。

 かくして、昭和末期の世にはびこっていた問題点は社会のあちこちで噴出するようになった。

 その結果現れた事例の典型が、この「大検」のさらなる認知、登校拒否改め「不登校」や「高校中退」に関わる問題ではなかろうか。

 もっともこの時期の変化というのは、日本国内の教育界隈に限った話ではない。

 ベルリンの壁の崩壊や共産主義圏の崩壊、そしてソビエト連邦の崩壊と、20世紀を良くも悪くも席巻してきた社会主義という制度の矛盾点が一気に噴出して旧態依然たる制度を破綻に導いた、そんな激動の時代の始まりでもあった。

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