第23話 もう一つの青春 ~ 高校中退者短歌集
ここで、私の高校時代の心境を後につづった「短歌」とそれが掲載された書籍のことを紹介したい。
定時制高校はいささか微妙な位置にあるが、とりわけ近年の広域型の通信制高校はそもそも入学者よりも卒業者のほうが毎年多い。
これは通信制高校の持つ(特に全日制の)高校中退者の受け皿としての役割が大きく求められており、それがすでに定着していることを意味している。
1990年前後の高校中退者の声を短歌の形で表現されたものを、北海道の国語教諭である内山義一氏と岡山県玉野市の真鍋照雄氏が編集し、内山氏が解説を加えた書籍が当時出版された。その書籍を紹介する。
自分さがしの旅の始まり―高校中退者の青春嘆歌
内山義一・真鍋照雄 著 学事出版 1994年7月刊行
本稿に紹介されるもととなった冊子は玉野市の真鍋照雄氏が1993(平成5)年に編集された「もうひとつの青春 高校中退者短歌」であり、私の短歌と感想文も掲載されている。その短歌と感想文の一部を紹介しよう。
幼稚園高校共々中退でそれでもやれると司法試験に
ごたくなど聞く暇あれば勉強して結果つきつけ黙らせてやれ
高校の入試に落ちて八年間されど紙切れ学位を見たまえ
球場でマユミーマユミーホームラン中間捨てて大憂さ晴らし
わが道を行く私にも味方あり学校で知った人の世の情
中学の大恩師宅に電話かけグチやぼやきを聞いていただく
これだけの人とは違う経験の積み重ねこそ我が身の財産
紹介された短歌はこれだけで、この冊子の順番通り原文ママで記載した。
さらに、この感想文の最後にはこんなことを書いた。
(前略) 高校など行かなくても(落ちても)大学へは行ける。司法試験もやれる。高校なんて何なのでしょうね。学歴なんて「利用する」ものである。「利用される」ものではないと思います。形云々ではない。高校ごときにこだわっても結局何にもなりません。いかに生きていきたいか、そのために何をすべきか、それだけを考えて道を探り、動くことを考えるべきだと思います。(以上、原文ママ引用)
今読み返しつつパソコンで「書き直して」みると、あまりにも稚拙な文章に思えて恥ずかしい限りである。
例えば「思う(思います)」という言葉。
今の私ならこれだけの文章で2度も使うことはまずない。
こんな言葉はどんなに長い文章でも一度使うかどうかだ。
それはともかく当時23歳の私はここに、10代で学ぶべき人生を乗り切っていくための指針を簡潔に表現した。
現在広域型の通信制高校に通っている生徒やその保護者の皆さんはもとより10代の中高生たちにも、十分伝え得るメッセージがこもっていると自負している。
内山氏は私の短歌を総括し、「(前略)言葉の魔力の恐ろしさを知らされた思いがする。言霊説の受け売りではないが、一度自分を離れた言葉の独り歩きの怖さを改めて確認させられた。(同書95頁より。原文ママ)」と述べられている。
個々の短歌の解釈はともかく(読んでいて喧嘩腰になっていたくらいです~苦笑)、氏の言葉は今の私にとって実に心すべきものと改めて痛感している。
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