第16話 定時制高校の懐の深さ

 そこまでやれば学校側も問題視してくるではないかとも思うが、それはなかったどころか、歓迎さえされるようになった。

 私のような生徒の存在に苦言を呈した先生もいたことは前にも述べたが、理解者となってくれる先生も少なからずいた。

 というより、理解者となる先生のほうが圧倒的に多かった。

 養護施設もそうだったが、こちらも「年度替り」のおかげもあって、さらに私にはありがたいことになってきた。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 高2になった1986年、烏城高校に、今宮先生が校長としてこられた。

 もとは進学校で、古文などを教えておられた先生。

 その前年から、斉木先生というこれまた同じ敷地内にある岡山朝日高校で地理を教えられていた先生が教頭でおられた。

 斉木先生は台湾からの引揚者で、大検から大学に進まれたという。

 私のような生徒は、今宮先生や斉木先生にとっては大いに応援すべき生徒であった。最初のうちは学校のことなど構わず、ひたすら自分自身のことに目を向けていたが、そのうち、職員室で他の先生と話したりするようになった。

 担任の加太先生は、当時大学を出て間もない若手の英語の先生。

 後に進学校に転任されたが、ある高校の合格発表の際の塾のビラまきのとき、偶然お会いしたこともある。


 いつぞやは、共通一次に関係のない科目の中間テストをさぼって、プロ野球を見に行ったこともあるが、これはさすがに「やり過ぎはよせ」と一言かそこらは言われたが、それだけ。

 本来なら校長室に来いとか親を呼べという次元の話とは思うが、そんなことは一切なかった。

 もっとも自分のするべき勉強をしていないと見られたら、学校に皆勤で来ていようが定期テストで1番になろうが(テスト自体眼中になかった)、呼びつけられるともなく今宮校長や斉木教頭あたりに呼び止められて大目玉を食らっただろう。

 高3ともなると進研や代ゼミなどの模試の結果を見せに職員室に行っていたが、そのとき、志望校の欄にノートルダム清心女子大と書くの忘れましたといったら、今宮校長から「馬鹿なことをするものではないぞ」と呆れられた。斉木先生は、苦笑されていた。加太先生は、真面目な顔で、「アホか」といいつつも、「でも、判定は出るだろうな」と言われた。


 大検生は各種模試の学校受験はできない。

 そこで、模試の受験会場まで出向いて受験していた。

 ある模試の折、その会場のある男子受験生が、志望校の欄に本当に女子大を書いているのを見たことがあった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 共通一次の前日も当日も、学校には行った。給食が目当てだ。

 ついでに職員室にも行って、先生方に報告したら、校長、教頭、そして教務主任の英語の先生から、いい加減さっさと帰って寝るなりしろ、こんなところ来ている場合か、とまで言われた。

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