第17話 晴れて、高校中退!

 共通一次の当日の会場は当時一般的だった岡山大学ではなく、高校入試で落ちた高校だった。しょうがないので、縁起を担いで両日とも校門前に塩をまいて入試に臨んだ。塩のお清めの効果あってか、それなりに得点できた。


 次は、二次試験。

 岡山大学に入試願書を提出するにあたって、少し困ったことが起きた。

 当時は、大検合格者=高校の内申書はまず無理という考えが一般的だったからか、大検合格者に対しては調査書こと内申書の提出は求められていなかった。

 だが、大検合格者でも、定時制高校に「在籍」してなおかつ「卒業見込」でもない者はどうすればいいのか?


 烏城高校の職員室に行くと、今宮校長から、早速「檄」を飛ばされた。


 君のケースで必要かどうか、確かにこの入試便覧の表現はあいまいかもしれん。

 だが、わからないなら、なぜ岡大の入試事務局に問い合せに行こうとしない?

 今日はもう遅いから、明日でも直ちに、岡大に行って聞いて来なさい。

 提出期限まで、まだ時間は十分あるだろう。必要と言われたら内申書をすぐ書いてもらうようにする。

 しつこいが、明日早速、自転車で岡大の事務局に行きなさい。

 電話よりも、そのほうが早かろう。


 というわけで私は、岡山大学の事務局まで行って願書の提出要件を尋ねた。

 担当者の方は丁寧に回答してくださった。結論はこうだった。


 もし高校が書いてくれるというなら、書いてもらって願書に添付して提出してください。


 結局、内申書を書いてもらい、願書を提出した。

 ひょっとすると、その内申書と大検の合格証は、私の合否判定で、入試担当者に新鮮さとともになにがしかの好印象をも与えられたのかもしれない。


・・・ ・・・ ・・・・・・・

 

 二次試験も無事終え、1988年春、現役の年で岡山大学に合格できた。

 こうなると、烏城高校は晴れて「中退」である。

 最初のうちは無理解な言動が幾分見られたよつ葉園の大槻園長だが、この頃になると非常によく理解してくれるようになっていた。


「立つ鳥後を濁さず、というでしょう。きちんと退学届を出してきなさいよ」


 そう言われ、退学届を出した。

 そこまではいいが、なんと封筒に「退学届」ではなく「退学屈」と書いてしまった。加太先生に指摘され、職員室で大笑いされた。


 当時の烏城高校は、退学者や休学者が多かった。職員室の黒板に、「退学(休学) **** *年*月*日」という字が見られない日がなかったほどである。

 ついに私もそこに書かれるのかと思うと、なぜか、うれしかった。

 学校を頼らずあてにせず、自らに勉強を課して結果を出せたことは、今もって、私の誇りである。


・・・ ・・・ ・・・・・・・

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