第23話 リベンジ

 試験から1ヶ月が経ちました。

 私はといえば、相変わらず店の前で、商品の説明と、受付についての広報活動をする毎日です。いつもと変わらない生活のはずなのですが、ここしばらくは少し違いました。

 試験が終わってからというもの、なんだか気力がわかないのです。

 燃え尽き症候群というものでしょうか?


 手話を普通に使うには、まだまだのレベルだということは、もちろんわかっています。

 ただ、自分で言うのもなんですが、試験勉強は相当がんばりました。なので、その結果が出るまでは、ゆっくりしても良いかなと思えたのです。

 とは言っても、もちろん手話の勉強は細々と続けていました。だからこそ、再び訪れた機会を、見逃さずにすんだのだと思います。


 その日、三十代の夫婦らしき二人が、手話をしていることに、すぐ気がつきました。

『受付は一人で行かなければならない。君が一人で行きなさい』と、男性が女性に向かって手話をする。

『一人は(不安だから)嫌』と女性が答える。

 どうやら、私が広報した内容を、ろう者の女性に話しているようです。

 混雑緩和のために、受付は一人でする決まりになってはいましたが、それはあくまで基本的な話。日本語が苦手な人(ろう者だけでなく、外国の方も)などは、通訳者や介護の方などが、一緒に立ち会うことは、了承(マニュアルにも載っています)していました。

「お困りですか?」

 私は、男性に声を掛けました。

『私は聞こえません』と、聴者だと思っていた男性が、手話で答えます。

『聞こえないのは、あなただけですか?』と、私が男性に手話で聞くと、『二人とも聞こえません』と、女性から返事が返ってきました。

 予想外の展開です。

 私は、手話を読み取るのが、あまり得意ではありません。でも、せっかく興味を持って、手続きをしようとしているお客様を、放置するわけにもいきません。

『私が案内します。どうぞ、二人で大丈夫です。スタッフには、私が説明します』

 正直に言うと、ちゃんと通じたのか不安はありましたが、カウンターへ案内しました。それから申込書を記入してもらい、列に並んで待ってもらうようにお願いをします。

 待ってもらっている間に、先に回って他のスタッフへ二人の説明をしておきました。

 ろう者の方が、また自分の事を『聞こえない』と説明するのは、面倒だし嫌なことかもしれないと思ったからです。

 出来れば、最後まで付き添ってあげたかったけれど、呼び込みや商品の案内もしなければならず、諦めました。

『もう少しお待ちください』

 私が手話でやりました。

 すると『ありがとう』と、二人が手話でやってくれたのです!

 私は手を振り、その場を去りました。

 休憩の時間などもあり、そのお客様とは残念ながら、その後会うことはありませんでした。けれど、あのとき『ありがとう』と手話で言われたときの感情を、一生忘れることはないでしょう。

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