第16話 手話の歴史

 昔は、ろう者を『聾唖ろうあ』(聞こえない、話せない)と、差別を込めて呼んでいた時期がありました。

 そんななか、ろう者の中に、口話こうわ(言葉で話す)の上手な人が現れたそうです。

 その人の声がラジオで放送されて、ろう者も訓練次第で、誰でも話せるようになる(と、口話を指導した人が言ったらしい)という考えにいたったようです。これは、国の方針にもなりました。

 ろう者の親御さんも、子供の将来を考え(聴者の中で生きるため)て、よかれと思い口話を推進したのでしょう。

 当時の、ろう者に対しての差別は、今の比ではありません。

 そして手話禁止の時代が訪れたのです。


 ろう学校は、ろう者の為の学校であるにも関わらず、手話が禁止されました。そして先生は、手話のできない人ばかり。

 ろう者に口話(言葉で話す)を強要し、厳しく指導していたそうです。

(家庭内でも、手話を禁じていました)


 自分が、ろう者(学生の)だと想像してみました。

 全く聞いたことの無い『声』。

 それを自分で出す練習。自分で出した『声』を、自分では聞くことが出来ないから、正解なんてわかりません。

 なのに「違う」と『声』で注意され、怒られた上に体罰も受ける。発声が出来るまで、ずっと居残り。遊ぶことも許されない。

 そんな毎日。

 私には、耐えられそうにありません。

 実際、口話が嫌で、学校が嫌いになったり、不登校になった人もいたようです。


 学校の授業中はもちろん、プライベートですら手話を使うことは、禁止されていたそうです。

 口話による授業内容を、理解できる者はほとんどおらず、ろう者の授業は遅れていきました。(二学年以上遅れていた学校もあったそうです)

 当然、卒業後の進学、就職にも、大きなハンデとなりました。(この頃、ろう者は知能が低いなど、中傷が多くあったそうです。ですが、教わらないものを、理解出来るわけがないのです)

 たまたま口話の上手く出来る『ろう者』がいて、それを全ての『ろう者』に当てはめてしまった結果です。


 その間も、子供たちは大人に隠れて、手話でコミュニケーションをとっていました。

 手話は、先輩などから、見よう見まねで伝えられたと言います。

 それが原因なのか、ろう学校によって、手話が微妙に違うのだとか。(手話の癖で、出身校がわかるらしいです)


 1948-1996年、優生保護法。

 ろう者だけではありませんが、多くの障がい者の方などが、妊娠できないように手術されたり、中絶させられたりしました。

 本人の同意がないものが、かなり多かったようです。


 2011年の障害者基本法の改正をもって、ようやく手話が言語であると位置づけられました。


 ろう学校で、無理やり口話を強要された人の中に、聴者(聞こえる人)を嫌う人がいたとしても、不思議ではありません。

 今まで手話の使用を禁止しておいて、間違っていたと言われたようなものです。

 人生を変えられた人も、少なくないでしょう。


 実際には、もっと複雑で、資料を読んだだけの私が、語るようなものでないのは承知しております。

 ただ、避けて通るのも、何か違うような気がしました。もし、ろう者の方が見て、不快な気持ちになったら、すいません。

 全く、こんな事実があったことを知らなかった自分が、恥ずかしく思えました。


 もし、私が聞こえなかったら、口話が出来るようになったでしょうか? いや、そもそも口話を覚えたいと思うのかもわかりません。

 もっと言えば、聴者と手話で話したいと思うものかも、疑問が残るところでした。

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