第8話 ろう者と聴者と難聴と

 まず指文字を覚える。これは最優先!

 その合間で、手話番組などで気になった手話を、調べて覚える。

 そんな日々が続いていました。

 たぶん、手話のサークルへ通っている人に話したら、「覚える順番がおかしいよ」とか言われるのでしょうね。


 いまの私は、本格的に勉強をしているわけではなく、単なる好奇心でをしているような状態です。

 とはいえ、言葉を一つ一つ覚えるのが、なんだか楽しくもありました。

 長らく勉強というものから遠ざかっていたせいで、余計にそう感じるのかもしれません。

 学生時代の勉強は、あれほど嫌だったのに。


 手話について興味を持つと、より深く『手話について』知りたくなりました。

 いままでなら、見向きもしなかった番組や本にも、興味が出て来るから不思議です。

 ただ、この時点では、まだ趣味のような感覚でした。


 手話を使うなら、手話を使う人達について、知る必要があるのではないか? ごく自然に思いました。

 誰かに何かを言われたわけではなく『聞こえない』ということが、どういうことなのか。純粋に理解したかったのです。

(聴覚障がいの方からすれば、酷く失礼な表現かもしれませんが)

 頭の中でわかっているつもりでも、実際とは大きく違います。


 ろう者ならではの文化というものがあるそうです。

『ろう文化』という言葉を、初めて知ったのは、この頃でした。


 私が、知らなさ過ぎたのかもしれません。


 例えば、音の聞こえない人を『ろう者』と言う(実際の定義は複雑)こと。

 聞こえる人を『聴者ちょうしゃ』(健聴者けんちょうしゃという人もいますが)と言うことは知っていましたが、聞こえにくい人(聞こえる音域、聞こえ方など、本当に様々)を『難聴者なんちょうしゃ』、先天性でなく途中から聴覚を失った(これも度合いは様々)『中途失聴者ちゅうとしっちょうしゃ』という言葉は知りませんでした。

聾者ろうしゃ』という漢字を今では、あまり使わないらしいとか。(『聾』という漢字に、差別的な意味合いがあるからとのこと)

聾唖ろうあ』は、もっと差別的な意味合いが大きいとか。


 いろいろと知っていくうちに、何も知らないで踏み込んでいた自分が、不安になりました。


 ある日、ろう者でも手話を使わない人がいるという事実を知りました。

 考えてみると、当たり前のことです。

(日本人でも、習わなければ日本語は話せないですから)

 なのに、その事実に驚いている自分に、私は驚きました。


 ろう者だからといって、習わないで手話が出来るわけがありません。

 そもそも、私が手話を覚えたところで、意味なんてあるのでしょうか? 周りに手話の出来る人がいなければ、話す相手すらいないのです。

 手話を教えてくれる人のいない、今の状況。

 先が見えません。

 言いたいことを伝えるだけなら、わざわざ手話をしなくても、書いたって(筆談)事足りるのではないですか?


 でも……だったら、どうして手話を覚える人がいるのでしょうか?

 

 モヤモヤした感情が、グルグルと私の胸の中で停滞しています。

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