第16話 手紙
本当は終わらせたくなんかない。烏丸との時間は良子にとって息を抜ける唯一の時間だったのだ。勿論それだけではない。一人の人間として尊重してくれて、好意まで寄せてくれたのだ。はじめこそ戸惑ったが、次第に良子もその気持ちにこたえたいと思うようになっていた。
経験したことのなかった感覚にしばらく名前を付けられなかったが、世間一般でこの気持ちを「恋」だと呼ぶことにようやく気が付けたのに。この気持ちに終止符を打って好きでも何でもない、ただ家のためだけにその身を捧げるのだ。
(しょうがないわ。このような家に生まれてきてしまったのは私なのだもの)
手紙は書けた。後はこれを渡すだけだ。渡してこの恋心を終わらせる。それだけなのだと再び覚悟を決め、良子は図書室を後にした。
手紙は6時間目が終わってホームルームの前の時間まで隠し持っていた。ちらりと烏丸の机の方を見るとちょうどクラスメイトと話しているところだった。
(いまのうちに)
これ以上烏丸と話したりすればおそらくクラスメイトの誰かに告げ口をされるだろう。もしかしたら朝の会話ですらその対象になっているかもしれない。できないとは思うが、万が一烏丸に家が危害を加えるなんてことがあったら耐えられない。
良子は誰にもばれないように自分のロッカーに荷物を取りに行くふりをして、素早く手紙を烏丸の荷物の中に滑り込ませた。
(さようなら。烏丸君)
心の中でそう告げて、良子は帰りのホームルームが始まる前にそっと教室を後にした。
烏丸はそんな良子に気付いていた。おそらく家関係で何かあったのだとあたりを付け、丁度話ていたクラスメイトに探りを入れる。
「なあ、朝から教室がピリピリしてたけどなにかあったのか?」
「そうか、烏丸は親があの会社で働いてないから知らないのか。松雪さん婚約が決まったんだと。それで親が他の男にうつつを抜かさないように俺たちに監視をしろって。親伝いで話が来たんだよ。逆らえば俺の親は解雇されるし、同じ町に住んでる奴らなんかは下手したら町から追い出されかねない。だから何一つ見逃さないように親があいつの親の会社に勤めている俺らはぴりついてたんだ。」
「へえ。そうだったんだ。情報提供ありがとう。俺やることできたから先帰るわ。じゃあ」
「あ、ちょい待て」
事情だけ聞きだした烏丸は、クラスメイトの静止も聞かずにカバンだけ持って教室を飛び出した。
(くっそ、婚約決まったなんて聞いてないぞ。待てよ、松雪さんは後でわかるって言ってたな。何も言わずにいなくなるなんてことは彼女ならしないだろう。ならほかの手段……直接話すのは監視の目があるから無理だ。だとしたらSNSか? いや、俺松雪さんの連絡先知らねえ! 普段使わないから聞くの忘れてた! 残る手段は……)
烏丸は何か見落としていると頭を悩ませた。
(思い出せ! 彼女の行動を!)
しばらく悩んだ末に、烏丸は自分の机のそばを通った良子のことを思い出した。教室での机の並び順は出席番号順である。仮にロッカーに荷物を取りに行ったとしても良子が烏丸の机の近くを通り過ぎる必要はないのだ。
だとしたら理由は限られてくる。
「机の中見てくるの忘れた! とりあえずカバンか」
烏丸は背負っていたリュックサックを乱暴に開け、中身を確認する。
そこには見覚えのない紙が入っていた。
それは小学生が授業中に手紙を回すときに折るような形で紙がおられていた。烏丸はそんな文化は知らないが直感的にそれが良子からの手紙であるということに気付いた。
破らないように慎重に紙を戻していくと、中には文字が書かれていた。それは間違いなく良子の書いた文字であった。
中身を見ると、婚約のこと、今まで楽しかったこと、友人ができたのは初めてだったということ、急に話せなくなったことを申し訳なく思っていること、最初こそ戸惑ったが烏丸との時間は人生で一番楽しかっこと、そしてもう一緒に帰ることも話すこともできないということが言葉を尽くして書かれていた。
「何だよこれ」
烏丸は良子の家の事情を知っているから彼女を責めるつもりなんて毛頭ない。しかし、こんな手紙一つを残してただの友人である自分と話すことすら制限するような家に憤りを覚えた。
(こんなことならいっそのこと……さらいに行くか?)
そのようなことも考えたが、良子が自ら家をでることや親と縁を切る事を決めなければ、その鎖は一生良子を縛り付けたままだということは分かっているのだ。
(今はまだ我慢だ)
真の意味で良子を救うには結局良子があの環境から離れることを自分で決めるほかに方法はないと烏丸は思っている。だから今はこらえた。手紙の内容に納得して良子に関わらないように演技を続けた。
それから夏休みが始まるまで烏丸は良子に近づくなかったし、良子も烏丸に近づくことはなかった。
また今度、また明日の声は聞こえなかった。
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