9月ー長月ー

第18話 新学期

 9月になった。優が宣言したとおり、後期になった今日から良子と同じクラスに転入してくる。


 良子と優はその道のりを一緒に歩いていた。はたから見ればカップルに見えたかもしれないが、純粋にそう見るには違和感があった。優の荷物は良子が持っていること、そして良子は優の三歩後ろを歩いていることだ。優はそれがさも当たり前かのように振舞っている。


「僕らの家からはちょっと遠いからね。まあ道は覚える必要はないよ。これから毎日僕と登下校をするのだからね」


「はい。優様」


 良子は普段通りを装っているつもりだが、その声はもとから乏しかった明るさがさらに乏しくなっていた。


「その様づけはいただけないな。僕が偉ぶってるみたいじゃないか」


「いえ、あなたのお母さまから言いつけられていますので」


「ふーん。やっぱりうちはめんどくさいな。あ、かばんはここまででいいよ。クラスにばれて恥ずかしい思いをするのは君と僕だからね。」


 荷物をすべて持たせることが非常識であるという考えはあったらしい。そんなことを考えていると、優は良子の手をつかんで自分の隣を歩かせた。


「あの」


「婚約者なんだからこれくらいいいだろう。ああ、僕は行きたいところがあるから、先に教室に行っていてね」


「承知しました」


 良子はされるがままだ。


        ♢♢♢


 その男は屋上のフェンスの近くにいた。カバンを置き、空いている部分にうまい具合に足と手を引っ掛け登ってゆく。そしてフェンスを乗り越えると屋上の端っこに腰を下ろす。


 下を見ると、これから登校してくる生徒がまだいるのか、次から次へと生徒たちは校舎へと入っていく。


 男は校舎の縁で立ち上がり下を覗き込んでみる。


(校舎下には木が植えられているな)


 男は背筋を伸ばし、手を組んで上にあげ体の筋を伸ばすと、ふいに片足を空中に投げ出そうとした。


男は本当はもう片足も踏み出したかった。けれどできなかった。何度もやろうとしたけれども、一度として両足を空に踏み出すことはできなかった。


(やっぱり僕は飛べないや)


 予想通りの結果に男は無感情であった。


 どうせできない。わかっていたはずだ。期待していなかったからこその絶望はしなかったが、ここで飛び降りることができれば家に縛られることもなくなるのではないかという希望はまた踏み躙られた。


「そろそろ時間か。教室に向かうとするか。あーあ、転校生ってことになるから自己紹介とかするのかな」


 男は嫌そうにぼやいた。


         ♢♢♢


 教室に着くといつもの陰口で構成されているざわつきは疑問と予測による構成に変わっていた。


 良子の婚約者が決まったことは、あるものは親を介して聞き、聞いた子供はクラスで噂するためクラス中に広がっていた。だが誰が婚約者であるかは知らされていなかったのだ。


 ざわつきはすぐに強制的に収まることになった。ホームルームが始まったのだ。転入生である優はまだ自分のことを知らないクラスメイト達に自己紹介をすることになった。


「初めまして。米山優です。そこに座っている松雪良子さんの婚約者です。これから半年間よろしくお願いします」


 予測が確信に変わったところでクラスはまたざわつき始めた。


 良子は教室のざわめきに紛れてちらりと烏丸の方を見た。烏丸は険しい顔をしていた。自分から別れを告げたくせに未練は残るものだな、とぼんやり考える。


 ホームルームでクラスはざわついたが、授業はいつもの時間にいつものように始まった。優の席は教師の配慮で良子の隣に収まった。


「教科書はまだ届いていないんだ。今日は見せてもらっていいかな」


 優の言うことは絶対である。お願いの形で言ってはいるがそれが命令であるのは優と良子の間の暗黙の了解であった。優しい口調をしているが優は良子が言うことを聞かないことは無いということを知っている。


「はい。……優さん」

 

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