烏天狗と飛べない少女

大和詩依

4月ー卯月ー

第1話 飛べない少女

 松雪良子にとって、当たり前のように息ができる場所は存在しなかった。


 住民が全員知り合いで、ちょっとしたことから、プライベートなことで人に言いふらすようなことではないことまでいつの間にか噂として広まっている事がよくある程の田舎に住んでいる。


 そんな田舎に気を抜ける場所があるはずない。


 運がいいのか悪いのかは入学するまでわからなかったが、高校に上がると人口が少ない村や町合計3つから人が集まる、都会の高校に比べると規模は小さいが小・中学校の頃からは考えられないくらい人がいる公立高校へと通うことになった。


 残念ながら運は良くなかったらしい。きっかけはクラスメイトの一人がその話題を口にしたことから。皆不満が溜まっているらしい。話が落ち着くことはなくむしろ有る事無い事が織り混ざり、話題が尽きることがない。


 まだ4月も半ば。平和な時間は入学してすぐに終わりを告げ、教室での話題は良子の家の噂話で持ちきりだった。


「松雪さんのお父さんって、会社の社長らしいんだけど、そこの会社の社員が自殺したらしいよ」


「なんで? パワハラ? 過労死?」


「その人は過労死だって! うちのパパも残業ばかりで帰ってくるの遅いし!」


「実は俺の家も。親父帰ってくるのめっちゃ遅いぜ。まあ、いてもうざいだけだからどーでもいいけど。帰ってくると文句ばっかなんだ。あの社長は偉そうにするだけで何もしない。副社長である弟は、まぁ暴言の嵐。レコーダーで録音して出るとこ出ればパワハラ、モラハラで訴えられるってさ。しかも勝てる」


 じゃあなんでそれをしないのかと聞かれれば、今と同じ給与条件で働くことができる場所が他にないからだ。


 だから誰も良子の父と叔父に逆らえない。親が抱えて帰ってくる不満を子供らが聞き、その不満が伝染するのだ。


「あそこの会社は社長が1番偉くてその弟が次に偉い。辞めたとしてもこんな田舎には行き先も、今ほどの待遇もないから、みんな逆らえないんだろ」


 そんなことは分かりきっているから、噂話をしていたクラスメイトたちは誰も何も言えなくなってしまった。この話題になるといつも最後はこうである。


 だか、今日は違った。気まずい雰囲気の中、話題転換して会話を繋げようとした者がいた。


「それよりもさ、あいつの母親のこと知ってるか?」


「外から入ってきた人ってことくらいは知ってるけど……」


「ほら、あの家爺ちゃんと婆ちゃんは、農業もやってるだろう。だから相当こき使われてるらしい」


 良子が中学校に入学する前までは、一家はこの町にはいなかった。ここは父親の実家であって、都会にいた一家、特に父親が工場を地元に作ることになって戻ってきたのだ。


「うわぁ、せっかくお嫁さんに来てくれてるのにね。だいたいうちの村は無駄な行事が多すぎるのよ。私はこんな窮屈な場所卒業したら絶対に出てってやるわ。ママみたいに村の大人に使われるだなんてもうごめんよ」


「俺も。知ってるか? 東京の方が会社がたくさんあって、コンビニも買い物できる場所も、遊ぶ場所もたくさんあるんだぜ? 今よりずっと自由になれる場所があるのにこんな場所に居座るわけないだろ」


 そうだ、学校を卒業したら就職でも進学でもいい。こんな田舎出て行ってやると話は話題を転換して盛り上がっていく。


(そうよ。こんな田舎、居座る理由なんてないわ)


 自分もそうしたい。でもそれが叶うことはないのだ。憂鬱な気持ちで席に着いていると、前の席の男の子が話しかけてきた。


 名は烏丸天(からすまそら)。一週間ほど前から話しかけられるようになった。そしてしつこいほど絡んでくるのだ。


「なあなあ、アンタ、顔の傷誰にやられたんだ?」


 誰も彼も気を遣って聞いてこないようなことを、まるで世間話でもするかのように聞いてくる。


「誰でもないよ。私が階段に足引っ掛けて顔から転んだだけ」

 

 烏丸君には目を合わせないまま、そう言った。


 本当は違うが、言ったところでこの人がどうにかしてくれるわけでもない。最も誰にも害のなさそうな理由をつけて、この話題を終わらせようとした。


「それは痛そうだ。他に怪我は?」


「ないよ」


「嘘。左足、怪我してるだろう。歩く時庇ってる」


「嘘じゃないよ。多分、私の歩き方が下手なだけ」


「歩くのが下手なら君は飛ぶのも下手そうだな」


「面白いこと教えてあげる。現実で人は飛べないわ。道具なしにはね」


「じゃあ想像は? 想像なら自由じゃないか」


「あら残念。他の皆さんがどうかは知らないけど、私は飛べないわ」


 良子は自分についている枷が同級生よりも重すぎると十分に理解したし、体に刻み込まれている。


 いつかこんな田舎を出てどこか人が多くて、他人にあまり興味がないような土地で一人で暮らしていくのだと想像したこともあったが、それももうこれでもかと言うくらいに踏み躙られたのだ。


「じゃあさ、俺が飛べるようにしてやるよ」


「無理よ。私はこの地に足をつけて、誰よりも低い位置で生きていかなければいけないの。父よりも、母よりも。そして、誰かはわからないけどいずれできる未来の夫よりも」


「随分と前時代的な考え方が染み付いてるな。要は自由がないって言いたいんだろう。なら、その原因を全部ぶっ壊せばいい。それなら俺にもできる。よし、決めた!」


 烏丸は立ち上がって、両手を握りしめて俯いている良子の手をとり烏丸の方を向かせた。


「俺がお前に飛び方を教えてやる!」


 良子の両目からたったひとつづつ、小さな星がこぼれ落ちた。

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