第2話 校門までならご一緒させていただきます

『俺が君に飛び方を教えてやる!』


 この言葉は良子の心に妙に響いていた。飛ぶだなんて夢は小学生の頃に皆潰え、現実を見るだろう。それなのに飛ぶ、と彼ははっきりとそう言った。


 でもその心に響いていたものも次第に落ち着き、現実を直視せざるを得なくなった。松雪良子に自由はないのだ。そんな現実を。


 いずれ結婚するまでは父親に支配され、結婚すればその相手に頭を下げて生きていく。これが良子の未来だ。


 他のクラスメイトのようにこの地を出ていくことも叶わず、一生人のために尽くして終わる。そこに良子の意思が入り込むことは許されない。


 なんでこんな息苦しいところに生まれてしまったのだろう。


 そんなことを考えているうちに今日の授業は終わりを告げたようだ。周りを見れば皆帰る支度や部活に行く支度を始めている。


「まーつゆーきさん。一緒に帰らない?」


 無邪気な笑顔で烏丸が良子の顔を覗き込んでくる。


「ごめんなさい。父から異性との下校は禁じられてるの」


「へーそうなんだ。でもバレなきゃ大丈夫じゃない? 校門まででもいいからさ、一緒に帰ろう。え、もしかしてそれもダメ?」


 だんだんと誰にも遊んでもらえなかった子犬みたいにしょぼんとしてきた烏丸を見ていると、なんだか可哀想になってしまった。


「わかりました。校門までならご一緒させていただきます」


「やったぁ! ありがとう、松雪さん」


 烏丸は本当に嬉しそうに笑っている。なんならガッツポーズまで決めている。


 良子は不思議だった。こんなつまらない自分と一緒に帰ることにいったいなんの価値があるのか。全く理解できていなかった。でも、嬉しそうにしている烏丸を見ていると、楽しそうだしいいのかな、と自分では気づいていないが少し微笑んでいた。


烏丸は微笑んだ良子を見て軽く頬を染め、気まずそうに顔を少し逸らした。


「あら、どうしたの? 私何かしちゃった?」


「いや、そうじゃないんだ。あまりに綺麗に微笑むからつい」


「綺麗に微笑むだなんて、そんな……」


 良子は目を伏せ押し黙ってしまった。


 なんだか気まずい雰囲気になってしまった。烏丸はパァンと手を叩いてそれをすぐに払拭した。


「よし。松雪さんの笑顔も見れたし俺は満足だよ。帰ろうか」


 そう言って手を差し出す。しかし、差し出した手がとられることはなかった。


「これも父親に言われてるのかい?」


「ええ。ごめんなさい。あなたのことが嫌いなわけではないの」


「大丈夫大丈夫! 俺は松雪さんに嫌われてなければ問題なーし。さ、今度こそ帰ろうか」


 教室から校門まで他愛のない話をした。良子はまだ烏丸に警戒心を抱いているようで、そっけない返事をすることが多いが、なぜか烏丸は楽しそうだった。


「校門まであっという間なのが残念だ。じゃあね松雪さん。また明日」


「また明日、烏丸君」


 2人は手を振って互いに違う方向に歩き出した。


 良子は誰かが父親に密告するのではないかとか、そもそも見られていたのではないかと少し後悔をしていた。だけど烏丸と帰ったこの短時間はほんの少し楽しいものだった。


 いつも他の人と話していると感じる、自分を通して会社や良子の父親、叔父を見られているような、そんな感覚がなかったのだ。


—きっと烏丸君は私自身を見てくれていたのでしょうね。私に嫌われたって、私に好かれたって何にもならないのに。私はただの駒よ


 なぜ烏丸が自分を構ってくるのか皆目見当もつかない。もしかしたら会社に関わることで親から媚を売ってこいとでも言われているのかもしれない。


 でもきっと烏丸は良子自身のことを見るだろう。それはあまりしたことのない体験であることは確かだった。

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