第6話 その言葉だけで嬉しかった

 朝登校していつもの通り良子に挨拶をしに行った烏丸が見たものは、頬に貼られた大きなガーゼだった。いつもいい姿勢が、ほんの少しだけ崩れているところを見るときっと服で隠れた場所も怪我しているだろうと察する。


「おはよう松雪さんってその顔、大丈夫? 何かあったなら話聞くよ」


「……おはよう、烏丸くん。ちょっと階段でこけちゃっただけよ。鞄があってうまく受け身が取れなかったの」


「君は相変わらず誤魔化すなぁ。まあいいさ。会いたくなったらいつでもおいで。話、聞くし解決策も一緒に探そう」


 良子はその言葉だけで嬉しかった。けれど烏丸にこの問題を解決することは無理だと思っている。相手はこの町で権力を持った父親なのだ。ただの高校生が勝てるわけがない。


「本当にありがとう……だけどこれはどうにもできないのよ。この話は放課後にしましょ。いつもの場所で待ってるわ」


「そんなに身構えなくても大丈夫さ。言いたくないことは言わなくて。話したいことだけ聞くからさ」


「……ありがとう」


 放課後、良子は裏山のいつものところに座っていた。今日はやけに放課後までの時間はとても長く感じた。これは烏丸と話すことが楽しいからなのだろうか。


 4月の頃は自分のことを恐れずに話しかけてきた彼に驚いたし意味がわからなかった。


 5月になって、話した時間もだんだん積み重なってきて、こんな私でも友達ができるのかと現実を噛み締めている。


 家に帰れば私のヒエラルキーは底辺でいつも誰かの世話をし、家の仕事をし、誰かに頭を下げている生活ばかりしているが、学校でちょっといいことがあるだけで、まるで自分の世界に色がついたような、そんな体験をしている最中だ。


 でも烏丸くんも3年間の授業を終えて卒業をしたらきっとどこか遠くに行ってしまうのだろう。そう考えるとあまり踏み入った関係にはならないほうがいいのかもしれない。


—そうよ。楽しいのはきっと今だけ。またあの色の無い暗い生活に戻るのよ


 そう考えているとやだなぁと思う。だって良子は人と関わることの楽しさを知ってしまったのだから。

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