第19話

 メルマノティカ台地。

 またの名を、タクタノスの雪原。

 アクラフィティル地方北を占める降雪地帯をそう呼ぶ。

 地名としてはメルマノティカ台地の方が正しいといえば正しいが、タクタノスの雪原の方が名前の知名度が高いので、ギルドや学院でも度々使われることがある。というか、頻度はむしろこちらの方が高い。

 寒さ故に動植物は極端に少なく、稀に見られる魔物も競争する存在がいないためか、あまり強くない。ただ、体温を高く保つために毛深く、図体の大きいものが多い。

 ちなみに、キマイラはその放浪する生態もあってよく見られる。ただ、イメージと違うためか別の魔物だと思われ、それが噂として広まったのが雪原の魔物イエティである。

 雪原固有の魔物はマシュマロベアくらいしかいない。

 マシュマロベアは、体毛が物凄くフワフワな大熊だ。冒険者達にとっては癒しであり、美味い肉と温かい毛皮を一緒に持っている最高の宝箱でもある。

 防寒魔法を重ねがけしても肌を突く寒さは耐えられないので、たまたま出会ったマシュマロベアに感謝しながら狩猟した。

 毛皮を剥いでそのまま包まることしかできないのだが、いかんせん生臭い。軽く炎魔法で炙るだけでもだいぶ違うので、これから雪国を旅する冒険者が防寒具を現地調達するなら炎魔法を覚えておくといいだろう。

 それよりも優先して防寒魔法を覚えてもいいが、雪国以外で使えるところがほとんどないので、余裕がないなら後回しにした方がいい。

 まぁ、防寒魔法ひとつ覚えるのはそこまでの苦行ではないから問題にはならないだろう。

 マシュマロベアの毛皮をマウトとユーキの二人で分け合って包まりながら歩く。


「ポカポカする〜」


 岩トカゲは、防寒魔法だけで問題ない。この魔物は砂漠地帯にしか生息していないが、何故か寒冷地への適応もしているという。

 ガオナス砂漠が過去に寒冷地であったとされる説を唱える際に、真っ先に矢面に上がるくらいには有名な話だ。

 その適応力の高さから、冒険者はよく連れ回している。

 女王も言っていたが、肉も美味いので最悪非常食としても役に立つという、どこをとっても素晴らしい魔物なのである。

 自然発生したものから人工的に増やしたものまで、大陸中に流通している使い勝手のいい〝足〟だ。

 基本的におとなしく、天然養殖に限らず人間の言うことも結構聞いてくれるのもポイント。

 この旅でも半分以上彼の足にお世話になっている。

 ちなみに、この岩トカゲはオスだ。



 ほとんど無言で進み続けていると、ふとユーキが口を開いた。


「ねぇ、師匠はなんで……えっと………なんとかドラゴン………なんだっけ………?」


「クリスタルドラゴンか?」


「そうそう、それそれ! で、なんでそいつを倒そうとしてるの? 他の人はだーれも知らないんでしょ? あー、でもあの変な商人は知ってたな」


「………言われて見れば、なんでなんだろうな」


「………」


 マウトが重い空気を使ったので、ユーキは珍しく押し黙る。


「故郷を滅ぼされた……とか、それはあくまで別の竜だし。全ての竜に対して憎悪を燃やしているわけでもない。もしそうなら、この岩トカゲも、ヴァインスネイクも、迷わず即刻殺していただろうし。

 僕以外、奴の危険性を知る者はほとんどいない。情報がなさすぎるというのもあるが、賢者の連中も直前まで信じなかったしね。

 なら、僕らだけがそれを知っているから、使命感で? ………いや、僕はそういう人間じゃない。

 憎しみとか、使命感とか、そんなものよりもっと大きな何かに動かされて、自然とそうしようとしている。そんな気がする」


 上手く言葉にできないね、と笑うマウト。


「ふ〜ん。師匠って大変だね」


「そういうユーキは大変そうじゃないね。そんな特異な力を持っているのに、考えているのは拳、拳、拳ばかり」


「だって、難しいこととかめんどくさいこと考えても、楽しくないじゃん」


「………」


「だからね、楽しくなることだけ考えて過ごせば、ずっと楽しいだけになるじゃん!」


「………まぁ、そうだな」


「それって、すごいいいことじゃない!」


「………だが、そういうわけにはいかない」


 そう言ってマウトは少し考え、また言葉を続ける。


「だから、いつかの未来にそうなるように、僕らは頑張らなくっちゃあいけない。嫌なこともやらないといけない。例えば、命をかけて天災を倒すとかね」


「私は全然楽しいよ?」


 ユーキは、マウトの前に体を寄せ、とびきりの笑顔を見せた。


「だって、拳を振るえるもん!」


「………そうだな、ユーキはそういう奴だった」


 マウトは苦笑する。


「寒いから、今日はマシュマロベアで鍋を作ろう」


「やった!」


「多分、雪の下に食べられる草があるはずだ。とびきり甘いだろうから、きっと美味いぞ」


「頑張って探すぞ〜!」


 マウトは、意図的に話を逸らした。

 この話を続けていて、もし自分の中の盤石な意思が壊されてしまったら。そんな恐怖があったから。

 もちろん、そんな簡単に砕かれるほど柔らかくない。

 彼は、16年前から今日のために準備をしてきたのだから。

 ………間違いではない。

 だが、一番の違いに気づくのは、あくまで全てが終わってからである。

 少なくとも今のマウトにとって、赤竜と氷結竜の存在は同一である。



 簡易テントの下で火を起こし、鍋に雪と具材を敷き詰め、最後に調味料として塩と燻製肉を突っ込んで、しばらく煮込めば、二色しかない最高のキャンプ鍋の完成だ。


「いただきま〜す!」


 手を合わせたと思うと、すぐさまがっつくユーキ。

 口に放り込んではハフハフと熱がり、涙を流しながら飲み込む。


「おいひい!」


「よかった」


 対照的に丁寧に食べるマウトだが、ユーキの食べ方を見て思うのは、「汚い」ではなく「可愛い」だ。

 恋愛対象というより、小動物や娘を見るような目だ。

 愛くるしい子供を見るような目で見ながら、しっかりと食べ進めるマウト。

 岩トカゲにもしっかり食べさせてやっている。


「顎に汁が垂れてるよ」


「ん」


 マウトは布切れを取り出して、ユーキの口の周りを拭う。

 綺麗になったユーキは一層笑顔になって、さらに食べるスピードを上げた。

 二人で食べるには量が多いように見えたが、あっという間に食べ終わってしまい、マウトは少し驚く。

 ユーキは満足感と満腹感でいっぱいになっていた。


「しあわせ〜」


 ユーキがため息混じりに呟く。


「………こういうのが、もっと続くようにするためだ」


 マウトは、揺らぎかけた気持ちをギュッと引き締めた。



  ◇



 夜が明け、しばらく歩くと、やがて雪が止んできた。

 正確には二人の方が、雪の降らない場所に足を踏み入れたのだ。

 眼前に広がるのは、同じ銀世界ではなく氷海である。

 タクタノスの鼻先。

 メルマノティカ台地によって、南からの進路がちょうど遮られてしまっているため、行くなら相当時間をかけて回り込むか、台地を直接抜けるかしかない。台地を直接行くにも、急勾配になっている面と多少なだらかな面とがあるので、自身の体力等を吟味して進まないと、場合によっては余計に時間がかかってしまうだろう。

 氷が太陽の光を反射することで生まれるこの美しい景色は、台地を苦労して登らなければ見られない至高のものである。

 絶景のあまり、目を奪われて言葉を失うユーキ。


「ほら、行くよ。目的はここじゃない」


「え〜……もうちょっと見たいよ……」


「駄目だ。そういうわけにはいかない。僕が気絶していたせいで相当時間を食ってしまったんだ、もしかしたら、奴は既に覚醒期に差し掛かっているかもしれない」


「は〜い……」


 ここだけはマウトも譲れない。ユーキの我儘を振り払い、はっきりと言った。


 タクタノスの鼻先は、あくまで海の上に分厚い氷が浮かんでいるだけである。

 ただ、その端が海岸と接着しているために、普通に歩く分には陸地と変わらない感覚になるのだ。

 それが普通である。

 だが………。


「近づいてみてやっと分かったが、くっついていないね」


 ギルドにあった情報と違って、氷が海岸と接着していない。根本からポッキリと折れている。

 理由は様々あるだろうが、一番考えられるのは覚醒期が近づいたことによる地殻変動だろう。

 永い時を生きる竜は、往々にして寝覚めすらも世界全体に影響を及ぼす。

 だが、今重要なのは原因よりも発生したという事実だ。

 ユーキが氷を踏んでみると、ぐわんと沈む。

 何度かやっていると、そのうち氷にヒビが入り………割れてしまった。


「いっ………!?」


「いや、ユーキのせいじゃない。多分、地震か何かで相当ダメージが入っていたんだろう」


「そ……そうなの?」


「ああ。だから気にすることはない」


「う、うん」


「だが、氷を渡って島に行くことは出来ないから、どうにか別の方法を探さなければ」


「サメと戦ったときみたいに私をぶん投げるのは?」


 マウトは首を振る。


「失敗したときのリスクがでかいし、何より僕がまだ完全に回復していない。ずっと回復魔法をかけ続けているが、蓄積しているダメージが思ったより多いみたいだ」


 だから………と、マウトは杖を掲げ、巨大な岩の塊を作ら出した。

 すると、今度はそれを砕いた。

 砕けた一部をギュッと固め、また岩の塊を作り出し、砕き、一部を固め………。

 何度も繰り返して、最終的にできたのは、巨大な鉄の塊だった。

 次にそれを炎の魔法で炙り始める。真っ赤になった鉄の塊を、硬い粘土のようにグニャグニャと空中で曲げ、やがて楕円の器の形を成していった。

 さらに炎魔法で炙り、海水に浸けて一気に冷ますと、簡単な作りの鉄の船の完成である。


「これで行こう」


「泥舟?」


「鉄製だ。泥じゃない。岩魔法はいくつかの鉱物が同時に生み出されるから、特に含有量の多い鉄を集めて船を作ったんだ。消さずに維持するのは大変だけどね」


 往復する時間だけなら、維持するのは容易い。マウトはそう考えている。

 岩魔法や水魔法は、術者の魔力を変換して存在を維持し続けているだけで、本来そこにはない物体を生み出す魔法ではない。周囲から寄せ集めて使うタイプの岩魔法、水魔法もあるが、余計なものを残さない変換式を、マウトは愛用している。

 ちなみに、変換式と集結式の使用者は半々くらいである。これは、どちらにも重要があるためだ。


「はぇ〜」


 ユーキは、短時間で仕上げたマウト印の鉄船を興味深そうに見る。


「拳で壊そうとするなよ」


「バレたか」


 手癖の悪さを先に注意しながら、マウトは横で作った鉄のオールを手渡す。


「これで二人で漕いでいくぞ」


 マウトは岩トカゲの首にロープを巻きながら言う。

 ロープの反対側の先端を岩魔法で固めて、地面に突き刺した。


「こいつとはここでお別れなの?」


「クリスタルドラゴンを倒したら、また合流するよ」


「そっかぁ」


「漕ぎ方は分かるか?」


「わかんない」


「じゃあ、教えてあげよう。こうやって………」


 船に乗り込んだ二人は、海の向こうの島を目指す。

 次第に、終末の足音が近づいていた。

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