第11話
学院。
マウトがここに来た目的は、ハルザムに任せた結晶の研究成果。
研究室の扉を開けると、中には死の臭いが満ちていた。
腐敗臭などではない。寿命を削るような研究の仕方で、皆々が死にかけの状態なのだ。
「こりゃ酷いね」
「あぁ、マウトか………。研究成果だろ?そこにまとめてあるから持って行ってくれ………。俺はもう限界、寝る………」
マウトを見て緊張の糸が切れたのか、そのまま絶命した。……のではなく、死んだように眠りについた。
寝始めたのに顔色が悪い。相当無理をしたのだろう。だがそれは、マウトが無理を言ってやらせたのではなく、無言の圧力でもなく、個人的趣味の領域からぶっ倒れるほどに研究を続けたのだ。ユーキが拳にやたら執着するのと同様のものである。
「ありがとう、ハルザム」
パラパラと
読みながら歩き、会議室に着いたマウトは扉を開けて中に入る。
賢者達が席を寄せ合い会議をしていた真っ最中にも関わらず、彼は一言も話さずに手元のレポートに集中している。
ノールックで空いている席に座りしばらくして、資料から視線を上げた。
「おはようございます、骸骨のみなさん」
「無言で入るというのは流石にどうなんだね、ストーリア殿」
ある賢者の尤もな言葉を意にも介さず、マウトは声のボリュームを上げて宣言した。
「対策と準備が完了したので、今日には出発します」
賢者達はざわついた。
一人の賢者の言葉を無視したことではない。今更そんなことでとやかく言うほどマウトの事を知らないわけではないし、群れているわけでもない。
ざわついたのは、クリスタルドラゴンへの対策と準備が終わったという事に対してだ。
対策とは、クリスタルドラゴンの攻撃に対する対策であろうことは容易に分かる。資料をこれ見よがしに読みながら来た上、以前マウトがハルザムを尋ねて学院に立ち寄った時には何人かの賢者がその姿を見ていたのだから。
だが、それに加えて準備も完了しているのは驚きだ。
「あぁ、正確にはクリスタルドラゴンとの戦闘面での準備が整ったのです。旅の準備はこれから———」
マウトの続けた言葉に安堵したように静かになる者、逆に騒がしくなる者と二極化していく。
まだ準備は完成に終わったわけではないのか、まだ彼も人間を域を出ずに済んでいるなという安堵。
そのせいでこれからとてつもなく面倒あるいは大変な仕事を振られるぞという焦り。
これらは会議室を混沌とさせた。
「なので、今日の正午までに往復……一月分の食料と物資、加えて予備の用意もお願いします」
「ふざけるな! 流石に無理があろうて!」
賢者の一人が声を荒げる。
彼の怒りは正しい。マウトのお願いはあくまで非常識だ。
「ええ、確かにそうです。ですから、これをご覧ください」
マウトは、手元に置いた資料を近くの賢者に手渡した。
「………! これはっ………」
「なんだ? 早く見せろ!」
そのたった一つしかない資料を奪い合うようにして読み耽る賢者達。
その内容は、16年前に行われた遠方調査———過去にいた『ピース』を持つ者が死亡した時、ほぼ全壊した調査隊の生き残りが持ち帰った結晶のそれとほとんどまるっきり同じだった。
「これは、シムバッハから持ち込んだクリスタルドラゴン由来の結晶の研究結果です」
マウトの言葉に、過去の結晶の論文を読んだことがある賢者達が驚く。
これは、はっきり言って異常事態だ。
何故なら、こんな重要な情報をクリスタルドラゴンのものであると言うことを誰も知らなかったのだから。
というのも、これには理由がある。
その論文が書かれた16年前、その前後の8年間は、学院の暗黒時代と呼ばれるほど、記録が曖昧なのだ。
賢者には元々、学院全体の運営を決める権限があった。
しかし、当時の賢者達は学んだり研究するものを選別し、一部は排除かそこまでいかなくとも「やるな」という圧力をかけたりしていた。
具体的には自然科学と社会科学以外の全てが当てはまる。
挙句の果てには一部の論文の受け取り拒否や故意による破棄、学者や学生の謂れなき追放や除名、迫害が横行するようになった。
これは当時、国の情勢や圧力によって学びに影響を与えさせないための仕組みだった。だが実際はこの賢者達による独立国家とも呼べる状態が悪用され、学院は学びの楽園と呼べるような場所では無くなってしまった。
そのため次第に学者や学生達は不満を抱くようになり、暴動が起きた。
この際、学院内の建築物はおよそ二割が破壊され、保管されていた資料や論文は合計5004点が破壊された。最終的には当時の賢者が一斉に除名されるという結末となった。しかも、破壊された資料や論文は4982点が修復不可能として破棄されることとなる。
これは、当時語学を専攻したかった学生による話である。
『あれはまさに〝学びの崩壊〟と呼べるものだったよ』
学院に残った記録としては、賢者の一斉除名以前の部分はすっぽり抜け落ちているような感じで、学院全体としても暗黒時代というより黒歴史に近い扱いを受けているようだ。
マウトが学院に入ったのはそれより後でほとぼりはほぼ完全に冷めた後だったので、詳しく知らなかったのだ。
賢者達の驚く要因は、その暗黒時代に奇跡的に一部が残った論文と全くと言っていいほど同じ内容の論文が現代に蘇ったからである。
なぜ当時のことを記憶の片隅にも入っていない者ばかりなのかというと、暴動の直後から学者や学生のほとんどが意欲を失い自ら離れていってしまい、意欲のある一部の人間も他の学院や国の研究機関に移ってしまいとてつもなく過疎化してしまったのだ。つまり、今学院に在籍していて、当時を経験した人間は割合にして99%未満、ほぼいないと考えてよい。
しかもこの一件以降、学院全体に〝学び終えたら他の団体や機関に移るのがよい〟という風潮が流れ始め、学院は過疎の一途を辿っていた。マウトが賢者になるまでは。
マウトが賢者になって以降、特に若い世代の入学希望者が続出したのだ。
マウト自身もそれを理解しており、スターのような扱いをされることを甘んじて受け入れている。一部の年を重ねた世代からは反感を買っているようだが、天才故か気にしていない。
ある意味、今最も自由に研究ができているのは、間違いなく彼だ。
これは、その立場を存分に利用したことも相まって成し遂げられた快挙だ。………一部犯罪紛いの行為はしていたが。
御伽話の存在が本当だと裏付ける証拠、過去の論文では不明な成分となっていたものが生物、それも特異な形質のものだと判明、遂に出てしまった。
さらには、この結晶が微細ながら生物的な脈動加えて緩やかではあるがそれが時間経過で強まっていることを示す文も添えられており、マウトの〝覚醒期が近づいている〟という予想も裏付けられる形となった。
つまり、調査派遣という名目でマウトの物資手配申請は却下できないということになる。
「可及的速やか、ではなく火急です。用意してください」
「いやまぁ、用意できぬことはない。だが、どうやって運ぶ? 少なくともブルムドシュタイン領内には入らんといかんだろう?」
「僕の瞬間転移の魔法は植物か無生物なら一緒に運べます。ですから問題ありません。関門についても、学院で調査派遣の証明書を発行できるから問題ないでしょう」
「関所のトラブル回避法くらい知っておるわ。だが、それなら問題……ないことはないが、やれるだけやってみよう」
「やれるだけ、ではなくやってください」
「……いや、儂一人では無理だ!」
「僕は手伝わないとは言っていませんよ。それに、他の椅子にふんぞりかえってるみなさんもいますし」
マウトの言葉に反応するかのように、椅子に背中を預ける賢者達が一斉に姿勢よく座るようになる。
結局マウトに尻を叩かれ、否応なしに全員動員されることになるのだが、それはまた別のお話。
学院、噴水広場。
「これで限界だ……」
「儂の懇意にしている店もこれ以上はないと」
「同じく」
「同じく」
マウトのそばには大量の物資と、保存の効く食料が積まれていた。
「どうやってもこれは10日程度しか持ちませんね……」
「直前まで協力しなかったのは悪かったが、その場でかき集めたにしてはかなりの量じゃないか?」
たった数時間でこれだけの物資が集まったのだから、賢者達は相当仕事をした。
だからマウトはそれに不満こそあれど腹は立てない。
「悪いが、足りない分は現地調達してくれ。これ以上用意するなら早くても明日になる」
「それじゃあ諦めるしかないですね。今日出発しないと間に合いませんので」
マウトは流石に折れ、ありがとうと賢者達に感謝を述べた。
賢者達は「柄にもないことをしやがって」と思いつつ、同時に「頑張れ」と思ったりしたが、誰一人としてそれを口に出すことはない。
端から見れば、腹に一物抱えた者同士がただ睨み合っているだけのような構図だ。
「では、行ってきます」
マウトは荷物を纏めて消え去った。
瞬間転移の魔法でユーキの元へ行ったのだった。
その時、賢者の誰かが「終わったらその子を学院に連れてこい」と言っていたが、マウトに届いているのかどうかは分からない。
ひとまず、学院の出来ることは終わった。後は黙って見ているほかない。
だが、彼らは誰もそれを悪いと考えない。
なぜなら、世界の命運を天才と
◆
ルーティス地方の森の中。
小屋の修復をせっせと進めるガルダの元に、誰かが尋ねて来た。
「そこのお方。もしかして英雄の育ての親ですか? 英雄の育ての親ですよね? もしくはこれから英雄になる人の育ての親であるか。世界の命運を握る戦いですからね」
「………なんだ、あんた」
その悪趣味な装飾品を身につけた少年……いや男を、ガルダは知らない。
「ガルダ・ドミニグェスタ様、商いのお時間です」
彼を知る者は、この世で一体どれほどいるのか。
全てを知るのは彼以外にいるのか。
答えは誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは、この出会いは決して悪いことではないということだ。
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