第16話
「師匠〜……もう我慢できないよ〜………」
「分かった分かった。ほら」
体を震わせてぐずるユーキ。
マウトはそれに応じて、杖を上に振り上げた。
杖先から小石が飛び出し、空へと飛んでいく。それは次第に大きく膨らみ、やがて辺り一帯を影で覆い隠す大岩になった。
「思う存分やるといい」
「よ〜し!」
ユーキは腕をブンブンと振り、構える。
だんだんと落下してくる大岩にユーキが思い切り拳を突き出すと、大岩は空中で粉々に砕け散った。
そして大岩の破片が地面に落ち………ることはなく、空中で静かに消滅していく。
恍惚とした表情を浮かべるユーキ。
やれやれと呆れるマウト。
ここ数日ガオナス砂漠を進んでいる間、ユーキは毎日これを望んだ。
最早日課と化しているこの行為は、ユーキが拳を振るえないことに禁断症状を露わにし出したために、始めたことだ。
最初にユーキが体を震わせて倒れた時、マウトは何事かと思った。
「おい、どうした?」
「拳を………振るいたい………」
駆け寄って声をかけてやると、そんなことを宣った。
「………呆れた。そんな我儘の仕方があるのか」
マウトは、思わずそう溢してしまった。
拳への執着をこれほどまでに実感したのは、旅を始めた後だ。それまではガルダに押し付けてきたから、ユーキのことをそこまで知らなかったのだ。
結局、先に進みたいがために、甘やかしてしまった。
以来、毎日これである。
最初の頃はいきなり大きな岩を作って飛ばしていたが、次第に工夫するようになり、今ではそこまで苦ではない。
だが、少しでも早く辿り着きたいのに、このように毎日毎日立ち止まる日課があるのは、誤差とはいえマウトにとってかなりのストレスだ。
何か良い方法はないかと考えるマウト。
その夜、あることを考えついたマウトは、ユーキにそれをやらせてみることにした。
「う〜〜〜ん………」
「大丈夫。落ち着いて、ゆっくりとやるんだ」
マウトが教えたのは、魔力の鍛錬だ。
人は、誰しもが必ず魔力を持って生まれる。
全員が全員魔法を使える訳ではないが、魔力は全身を流れる血潮と同じくらい大事なものである。
魔力には流れというものがあり、体内を一定のリズムで循環している。そのため、流れが悪くなったりリズムが崩れると、肉体に悪影響を及ぼすことがある。
例えば、特定の欲求の過剰な渇望。暴飲暴食や昏睡、あるいは一時的な絶倫など。
ユーキの場合、それは拳を振るいたいという欲求として現れたのではないか、とマウトは仮説を立てた。
実際、マウトにはユーキの体内の魔力の流れが、少し滞っているように見える。
あくまで仮説なのは、これが必ずしも過剰な欲求の原因であるとは限らないからだ。それを解明するために、こうして魔力の流れを正常に戻す鍛錬をさせているという訳だ。
「体の中で燃える炎を想像してみるんだ。それをぐるぐるとかき混ぜるイメージで……」
「わかんない」
「………。じゃあ、体内にある湖を思い浮かべて、その水をかき混ぜるイメージを……」
「わかんない」
「………」
ユーキの想像力は、壊滅的だった。
魔力の鍛錬は、想像力が第一に重要だ。
どんな考え方であれ、魔力のムラを無くし、全身に行き渡らせるという感覚を持たせるのが肝要なのである。
しかし、そのためのきっかけとなる想像が、ユーキにはできない。
他にも粘土をこねたり、ポンプで流れを作ったり、うちわで風を起こして循環させたりなど、さまざまなイメージを教えてみたが、どれもユーキの乏しい想像力では再現できない。
文字通り、魔力にとって心臓となる部分だ。ここが上手く出来なければお話にならない。
そこでマウトは、次の手段をとることにした。
「ユーキ、ちょっとこっち来て」
うんうん唸るユーキに手招きし、寄ってきたユーキの額に手を当てたマウト。
「ひぇ!?」
「そのまま我慢して」
ユーキは力が抜け、肝が冷える感覚に驚きの声を上げる。
マウトがやっているのはユーキの魔力を吸い、そして流し込むという作業だ。それを何度も反復していく。
ユーキが自分で心臓を作れないのなら、マウトが心臓になってやればいい。
これは上手くいき、ユーキの顔色がみるみるうちに良くなっていく。
「なんか、体が軽くなる!」
「うん、ちゃんと魔力の流れが改善してきている証拠だ」
こんなにすんなりいくのなら、初めからこうしていれば良かったのではないか。いや、残念ながらそうはいかない。
もちろん、ただ魔力の流れを改善させるだけならばそれでいい。だが、これはあくまでユーキの特訓も兼ねている。
誰かの介助を受けた魔力循環は、それをコツに自分でもできるようになるか、あるいは完全に依存して自分では魔力の流れを弄ることができなくなるかもしれないという、両方の可能性がある。だから安易にやるべきではない。
「さぁ、ユーキ。今度はもう一度一人で魔力の流れを操るんだ」
「う〜〜〜ん………」
やったのなら、アフターケアではないが、このように凝り固まらない内に感覚を掴ませるのが重要だ。これだけで、前者に好転する可能性が多少なりとも上がる。
「こう………かな………?」
そして、狙いは上手くいった。
マウトは、ユーキの体内の魔力がユーキの意思で流れを早めたり遅めたりできているのが見えた。
「うん、素晴らしい」
「あ、ちょっと思いついたんだけどさ、師匠」
「なんだい?」
「拳打ちたい」
「………またそれか」
これでは駄目だ、原因は別にあったのか。
マウトが項垂れると、ユーキは「そうじゃなくて」と否定した。
「なんか、拳を放つのに、ちょっと面白いことができるかもしれないの。だから、アレ。お願い!」
ユーキは、何かアイデアが思い浮かんだようなのだ。
なんだかんだユーキに甘いマウトは、仕方ないと大岩を宙に撃ち出した。
落ちてくる大岩に、向けて放たれたユーキの拳は、今までのそれとは違って、七色に光り輝いた。
それは大岩の方面へと伝播し、煙が拡散するように炸裂する。
大岩は、いつにも増して粉微塵になった。
「………まさか、すごいな」
マウトは驚いた。
だって、さっきまで魔力の練り方も流し方も分からなかった子が、物理攻撃に魔力を乗せる高等技術を突然やり出したのだから。
ユーキは、偏りのある才能を持っている。
きっかけが与えられたおかげで、一気に開花したのだろう。元からポテンシャルはあったようだ。
マウトは、この時ばかりは感心した。
「やっぱり、なんかできた!」
ピースサインをマウトに見せつけるユーキ。
素晴らしいものは素晴らしいとしっかり褒めるマウト。
この一夜の出来事のせいで、恐れ慄いた砂漠の魔物達がそれ以来二人の前に姿を見せなくなったことに気がついたのは、全てが終わった帰り道のことである。
「で、師匠は何を作っているの?」
いつの間にかユーキをそっちのけにして、何やら作業をしているマウト。
小さい何かに対して、やけに強い雷魔法を浴びせて続けている。
「磁石を作っているんだ」
「磁石?」
マウトの解答で知らない単語を聞くユーキ。
マウトは、そんなユーキに対して磁石の解説を始めた。
「磁石っていうのは、こんなふうに鉄を引っ付けたりするんだ」
「はぇ〜、変なの」
「変なのとはなんだ。磁石ってのは———」
マウトの理屈っぽい解説はユーキにとってはちょうどいい子守唄になってしまい、拳を打って満足したのも重なりうとうとし始め、そのうち寝てしまった。
「———ということで………おや、もう寝てしまったのか。仕方のない弟子だな」
マウトの心は、話を途中から聞いていないことの怒りよりも、なんとも言えない不思議な気持ちに染まっていた。
そう、それはタツのような〝なんかいい〟感じ。
マウトも作業を終えると、そのうち眠りについた。
◇
延々と続くように思えたガオナス砂漠の移動も、遂に終わりを迎える。
ストックの水分が一気に減り、帰りの分まで足りるのか心配になっていると、二人の眼前には、木々が広がっていく。
歩みを進めるほどに広がる緑は、遂に視界の全てを埋め尽くした。
樹海迷宮。
迷宮とあるが、別にダンジョンというわけではない。
単純に、ここは未開拓の土地でその全貌がまだ確定していないために、派遣された冒険者がよく迷い込むため、冒険者達の間で呼ばれていた俗称だ。
公的機関での正式名称はペティスルの樹海。
「ここ通って行くんだよね? めっちゃ迷いそう」
「そこで、これの出番だ」
ユーキの不安そうな呟きを聞いて、マウトが取り出したのは、方位磁針。
「これって、昨日見た磁石?」
「ああ。持ってくるつもりが忘れてしまったから、鉄の切れ端を加工して作ったんだ。これを見ながら、東に向かって進んで行こう」
「あいわかった」
進めど進めど木ばかりで、手掛かりなしでは迷ってしまう。そんな時に、方位磁針があれば迷うリスクはかなり下がる。
マウトの魔法でも同じように方角を測ることはできるが、魔力を無駄遣いするわけにはいかないので、方位磁針を利用する。
しばらく進み、再び方位磁針を確認したときに、異変は起きた。
いや、正確にはその時に気付いただけで、あるいはもっと前から起きていたのかもしれない。
「どうしたの、師匠?」
冷や汗をかくマウトに、ユーキは心配そうに声をかける。
「非常にまずい」
マウトは焦っている。
一定の方向しか指さないはずの方位磁針の針が、グルグルと回転し続けている。
簡単に言えば、迷った。
道という道もないために、迂闊に動くことも出来なくなってしまった。
仮に、ここ一帯がそういう特殊な磁場だった場合、もうどうしようもないので、諦めて別の方法で脱出するしかない。
だが、もしそうでない場合。
これは、十中八九魔物による影響だろう。
マウトが焦っているのは、今実質的に遭難しているからではない。
魔物である可能性が高いのに、魔物の魔力を感知出来ないのである。
もしや、魔物ではないのか?
だが、土地そのものであるなら、既にギルドや学院にそういった情報は流れているはず。
やはり、魔物である可能性が最も高い。
そう思い、マウトは全力で警戒していた。
「ユーキ、決して気を抜かないように———」
ユーキに注意していた癖に、マウトの方は気を抜いていた、なんてことはない。
ただ、本当に突然、奴は現れた。
「………ナンセンスだ」
マウトは、その大鮫に対してぼやいた。
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