第17話
ガオナス砂漠を抜けた先、さらに東の地域は、まだどの国も手をつけていない土地である。人が住み、いくつかの集落が形成されていたりもするが、それらはどこの国にも属さない。
そのような未開拓地は、基本的に冒険者ギルド管轄になる。最近はギルドと学院とが提携し、調査や研究などの融通が効くようになった。マウトが割とすんなりここまで来れたのは、そういった背景もある。
そして、この樹海迷宮のような未開拓地での醍醐味は、まだ見ぬ魔物との遭遇だ。
例えば、このように空を泳ぐ大鮫。
「ナンセンスだ」
鮫は海など、水のある地帯に生息する生き物だ。
いくら魔物とはいえ、空飛ぶ鮫というのはいかがなものだろうか。
手元の方位磁針を見てみると、相変わらずぐるぐる回っている。
魔物が接近すると、今度は反対向きに回ったり、回転が加速したりする。
十中八九、この魔物がこれを狂わせた原因たろう。
「GYAAAAAA!!!!」
その証拠を見せると言わんばかりに、魔物は鮫とは思えぬ咆哮をあげながら全身にバチバチと帯電した。
そして、そのまままっすぐこちらに突っ込んできた。
およそあの体躯から出るスピードではない。おそらく魔力による加速をしている。
宙に浮いているのも、間違いなく魔力によるものだ。
魔法というのは、人間のみが使える技術だ。
なぜなら、そこには想像や発想をする知能が必要だから。
だが、魔力を操って、擬似的に魔法を再現できる魔物も一部存在する。
この大鮫は、おそらくそれだろう。
キマイラやジェネルアントでも、魔力こそ持つもののそれをしっかり操ることはできなかった。
対してこの大鮫は、それができている。
岩トカゲの尻を叩いて走らせ、ユーキを掴んで投げ、瞬間転移でユーキの着地に飛びキャッチ。鮫の突進を難なく回避した。
マウトは、大鮫の強さをランク300前後だろうと推測している。
「さて、どうやって倒したものか」
「GYAAAAAA!!!!!」
大鮫は溜め込んだ電気を放出し、周囲の木を焦がした。
よく見ると、樹海の木々はあちこちに不自然な焦げ跡がある。
「ユーキ、構えて」
「あいわかった!」
未知の魔物だが、討伐しても何も問題はない。ただギルドに報告したとき、こっぴどく怒られるだけである。
少なくとも、マウトはそういう認識だ。倒す能力があるのに未知の危機に曝されるくらいなら、倒してしまった方がよいと考えているから。
今回の目的は調査ではなく、氷結竜の討伐である。それ以外について思案を巡らすのは二の次だ。
ユーキは指示通り、拳を放つ構えをとった。
が、次の瞬間、大鮫に落雷が直撃する。
鮫の体表は灰色からみるみるうちに青く染まっていき、先程とは比べ物にならないほどの電気を溜め込んで——————狂ったように突進してきた。
「まずい———」
マウトは咄嗟にユーキに防護魔法をかけた。一瞬で何重にも重ねられたバリアは、ユーキを守ってくれる。
が、自分自身にかける余裕はなかった。
そのまま突っ込んできた鮫にぶつかり、数十メートルを鮫と一気に飛んでいく。
弾ける電気に身を焦がされ、木々に何度も叩きつけられた体は、原型を留めているのが奇跡だ。
それがただの人間だったのなら。
マウトは、魔力で常に肉体を強化している。軽い肉弾戦なら前衛で戦うウォリアーやファイターにも肉薄する程には、頑丈だ。
でなければ、即死だった。
この強さ、これでは300どころではなく500………
マウトに考える猶予は与えられない。
狂った魔物は次にユーキを狙った。
ユーキにかけた防護魔法は、いつの間にか消えている。
いや、消えたのではない。先程のマウトへの攻撃の余波で完全に砕かれてしまったのだ。
まずい。
ユーキの体は、まるで強くない。500級……いや700級の強さはある大鮫の攻撃など、軽く小突かれただけで簡単に殺されてしまう。
衝撃で尻餅をついているユーキがここから立ち上がって、さらに拳を放つという時間はない。その前に魔物の突進の餌食となって終わりだ。
だが、先程よりも距離がある。
まだ猶予があると踏んだマウトは、脳が焼き切れんばかりに魔法を連続して発動させた。自身に防護魔法を何重にもかけ、身体強化魔法で目を血走らせて、瞬間転移で大鮫の前に立ちはだかった。
ダメ押しとして大岩をいくつも射出し、大鮫にぶつけるがまるで意味がない。粉々に打ち砕きながら、遂にマウトと接触する。
パリン、パリンとバリアが壊されていく音が、突進による轟音の中でも一際大きく響く。
抑え込もうにもパワーが強すぎる。持てる全ての魔法をフル稼働させてもなお、押し負けそうになっている。
………ふと、マウトは思いついた。
これなら、あるいは隙が生まれるかもしれない。
強化魔法の維持をやめ、大量の水を魔法で生み出し、大鮫に漏れなくぶつけた。
それは、急仕上げだが、多量の魔力を込めた水だ。それが当たるとどうなるか。
全身に纏った電気を残らず引っ剥がし、その超パワーを急激に弱まらせたのだ。
そして、これが最大のチャンスとなった。
「ユーキ、今だ!」
マウトが体を横にずらすと、鮫の視界に入ってきたのは、先程狙いを定めた少女。
ユーキの放った渾身の一撃は、鮫の鼻先から尾鰭までを一気に貫き、暴れる余裕も与えることなく絶命させた。
「ぶいっ………って師匠!?」
勝利を噛み締めたピースサインを見せるユーキ。
マウトはそれに反応できず、その場にぶっ倒れたままだ。
それを見て心配そうに駆け寄るユーキ。
いつの間にか戻ってきた岩トカゲは、荷物をほとんど落としてしまっていた。
「ふんぬっ!」
ユーキは、とりあえず師匠を岩トカゲに乗せて、あてもなく歩く。
このままじゃ抜け出せない。
馬鹿なユーキも、それくらいは理解していた。
ふと、ユーキはマウトのローブを
「あった!」
取り出したのは、方位磁針。
魔物を討伐したことで、正しく機能するようになったようだ。
ユーキは、これを頼りに樹海を抜けるつもりらしい。
「確か、東だよね……」
マウトの言っていたことを思い出しながら、ユーキは方位磁針に従い歩みを進める。
使い方や読み方が正しいのは、単なる偶然だ。
岩トカゲと意思疎通を図り、マウトに衝撃が入らないように注意しながら樹海を進む。
道中、魔物と新たに出会うことはなかった。
やたらめったらに走った岩トカゲがばら撒いたワイバーンの燻製肉のおかげなのか。既に燻製したのだから、臭いが残っているはずもない。恐らく、あの魔物が占拠していたせいで、他の魔物が皆逃げてしまったのだろう。将軍蟻の時と同じである。
奇跡的に、投げ出されても無事だった水と食料を発見した。おかげで、ユーキは樹海を抜けるまで飢えることは無かった。
マウトは食べ物を飲み込むことこそできなかったが、ユーキが声をかけて飲み口を当てがってやると、水だけは飲むことができた。
岩トカゲは雑食なので、ユーキの意識が回らなくても勝手にそこら辺の草をむしゃむしゃ食べていた。
樹海を抜ける頃には、ユーキはヘトヘトになっていた。
柄にもなく頭を一所懸命使ったためである。
しかも一瞬ではなく、数日連続。
少し歩いたところで、まだ昼にも関わらずユーキは眠ってしまった。
岩トカゲも、それに合わせて歩みを止め、休み始めた。
アクラフィティル地方。
樹海を抜けた先の東の地域は、大陸最東端までギルドの管轄である。
「わぁ———!」
一眠りしたことで余裕が生まれたユーキの視界いっぱいに見える広大な平原。
まだあまり人の手がつけられていない、自然物である。
ユーキは、不思議と心が軽くなる。
拳に異常な執着を見せるユーキだが、その実彼女は花を愛でる少女で、まだ見ぬ大地に心躍らせる冒険者である。
ワクワクやらドキドキやらで重症のマウトのことを一瞬忘れてしまうほどには、そういうものへの憧れはある。
一人になったら一人になったで、ユーキはしっかりやれる子である。
このように、一瞬緩んでしまった気持ちを再び引き締めて、マウトを第一に考えて進んでいた。
だが、とりあえず樹海を抜けたはいいが食料や水をどうしようか。
そろそろどちらも底を尽きそうだ。
「うえっ……」
岩トカゲを真似してそこら辺の草を食べてみたが、不味くて食べられない。
不味さを感じられるのは幸せな生活をしていた証拠でもあるが、今の状況においてはただ苦しいだけである。
岩トカゲを見て、ユーキは思わず涎を垂らす。
が、食べてしまっては師匠を運ぶ足がなくなってしまう、ということで思いとどまった。
岩トカゲは一瞬感じた捕食者の視線に、本能的に驚いてしまう。
マウトを乗せて、どこかへ走り出してしまった。
「あ、ちょっとまってよ!」
慌てて追いかけるユーキ。
「食べようと思ったのは謝るからさ! ごめんね!」
岩トカゲに追いついて、なんとか捕まえたユーキの目に飛び込んだのは、まるまる太った猪。
「………じゅる」
ユーキは、再び涎を垂らした。
命の危機を感じた猪はユーキに突進する。が、それは悪い選択だった。
ユーキは拳一発で猪を倒し、簡単に食料を手にしてしまった。
血抜きの方法も分からないのでそのまま丸焼きにしたユーキは、残る生臭さを自分一人で成し遂げた狩りの達成感で上書きし、美味い美味いと平らげた。
一応マウトにもあげようと揺すって起こそうとしたが、マウトは少し唸るだけで、未だ眠ったままだった。
◇
ユーキは自覚なく、アクラフィティル地方の西半分を進み切ったところ。
マウトのためにとっておいた肉は、翌日には酸っぱい臭いを発していたので、ユーキは捨ててしまった。
川の水を飲んで腹を壊してから、安全そうな飲み水を見つけられず、干からびそうになっていたユーキは、集落を発見した。
水欲しさに集落に入っていくユーキ。
住民の一人を捕まえて声をかける。
「あの………水をください………」
物珍しそうに見てくる住民は、ユーキの知らない言葉を話した。
「………? あの、水が欲しいです………」
必死に伝えようとするが、住民には伝わらない。
何かを欲している気持ちは伝わったようで、目に持った野菜を渡してくれる。
「違う、そうじゃなくて………」
首を横に振りながら言ったら、住民はそれを引っ込めた。
ユーキは、ジェスチャーなら伝わるということに気がついたので、今度はコップを傾けて中身を口に運ぶ動作を見せた。
「こうやって………飲み物をください」
それか、と合点がいったような顔をした住民は家に引っ込んで、丸い器にたっぷり入った水を持って来た。
受け取ったユーキは中身を見ることなくそれを思い切り飲み干して、お辞儀をした。
「ぷはっ、ありがとう!」
意味は伝わっていないが、感謝の気持ちは伝わったのか、それとも飲みっぷりに感心したのか、住民は嬉しそうに笑った。
ここは、後にテワヒムの集落と呼ばれる大陸最東端の人里である。
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