第7話

 若干日常になりつつある、ルーティス地方への外出。

 ガルダの小屋には、酔い潰れて屍になった屈強な男達の山が築かれていた。


「あぁ、お前達か。……悪いな、見苦しいところ見せちまって。昨日、奴らの中の一人が酒を隠し持っていやがってな。しかも、樽四つときた。最早どうやって隠してたのかすらわからねぇ。とにかくそれをここにいる六人で全て空にしたんだ。……完全に死んだよ。肝臓がな」


「それは気の毒だね。早速だが、ユーキの面倒を頼んだよ」


「お前には思いやりの心ってモンが欠けてやがるな……」


「前から決まっていたことだし、二日酔いは君の不摂生によるものだろう」


「いいか? 人は正論で一番キレるんだよ」


「とにかく頼んだ。今日は一番重要なお話をしにいかないといけないから」


「はぁ……分かったよ。というか、なんかお前いつもと服装が違うな。似合ってないぞ」


 今日は自業自得で頭を抱えるガルダ。

 彼に預けられて彼とは反対に元気に腕を回すユーキの姿を、マウトは視界に収める間もなく消え去ってしまう。

 彼への悪口も届かなかったガルダはこれから頭痛と戦いながら、働き手どもを叩き起こしたり、もうやることのないユーキの特訓をしなければならない。

 彼は、二重の意味で頭を抱えた。



  ◆



 遠方に火山が見える町、シムバッハ。

 かつて氷結竜が覚醒期に暴れた場所である。

 そのため、この辺りには〝竜の鉱脈〟と呼ばれる採掘地帯が多くあり、竜の成分が混じって特異な硬度や剛性、靱性を手にした金属を大量に生産している。

 大陸全土で使用される貨幣を生産する場所としても有名だ。

 マウトがここにやってきた理由は、ズバリ交渉のためである。

 学院には、氷結竜に関する情報があまりにも少ない。

 何故かというと、そもそも学院は学術的に信憑性が確かであるものしか情報として取り扱えないことと、学院が保有する氷結竜に関する資料はほとんどが御伽話のようなもので、分野的に役に立ちそうなものではないということが主な理由として挙げられる。

 学院は世界の危機に対してこれまで無頓着であったかといえば、そういうわけではない。むしろ、最大限手を尽くしてこれなのだ。

 氷結竜に関する情報は、全くと言っていいほどない。

 唯一の手掛かりであるこのシムバッハ町も、学院とは仲が悪く、ここからまともに情報を貰えないという始末である。

 では、何故賢者の一人であるマウトがシムバッハに来ているのか。

 彼は、賢者という身分を隠してこの町で情報を集めるつもりなのだ。


「すみません、ここはシムバッハで間違いないですか?」


 マウトは、通りがかりの人に尋ねる。


「お、あんた観光客か? 最近は火山の活動が活発化してるから、馬車とかはほとんど出ないんだがなぁ。……もしかしてあんた学者か?」


「いえいえ、ただの旅人です。特に目的もなくフラフラとね」


「なんだ、ただの金持ちか。いやね、ここで学者を名乗ると痛い目見るから、もし仮に身分偽ってたりするならバレないように注意しとけよ。最悪……」


「最悪?」


「生きて帰れるか……なんて、冗談だよ。だがまぁ、俺は別にそうでもないけど、ここの町民の学者嫌いは筋金入りだ。教養があっても、あまり頭いいアピールはしない方がいいぜ」


「忠告ありがとう。だが、生憎旅に必要な知識しか持ち合わせていないから、他人にひけらかすのは恥ずかしくてできないよ」


「ハハ、なら問題ねぇな。観光するならいい場所を教えてやろうか?」


「それはありがたい。是非聞かせてほしい」


「まず、ここはなんといっても唯一の造幣地域。現在稼働中の施設は一般人の立ち入りはできねえが、初期に使われてた工場は今は資料館みたいに展示品が並べられていたりと普通に入れるようになってる。行ってみるといいぜ。

 他には、やはり鉱脈だな。とはいえこっちも絶賛作業中のところは駄目だ。既に掘り尽くされた鉱脈の跡地なんかは、普通に入れるからここもおすすめだ。

 あと、美味い飯屋はあそこの〝ヴィトゥム〟とか〝カーペラ〟とか、あとは〝キニタ〟なんかもいいな。どれも俺の舌が味を保障してやれる美味さだぜ」


「なるほど、ありがとう。今日で離れるから、せめてどこか一つの店には行きたいものだ」


「なら、キニタに行くのがいい。あそこは美味さももちろんいいが、それに加えてここの特色が印象強く残る味だからな」


「参考にさせてもらうよ」


「楽しんでけよ、旅の人!」


 手を振って見送ってくれる彼の名を、今後知ることがないのは残念である。マウトはそんな町民の一人に、心の中で敬礼した。



 その町民に言われてやってきた初代造幣施設。かつて使用された古い装置には、金属の粉末が付着していたり、錆びついていたりと年季が入っていた。

 誰もいないことが分かると、マウトはなんでもないことのようにハンカチで機械を撫でる。金属粉末を採取したのだ。バレれば窃盗などの罪に問われるかもしれないが、彼はそんなヘマはしない。

 例えば、今他の観覧者が入ってきたが、焦ってハンカチを落としたりなどせず、しっかりしまうことができる。

 案外、堂々としていれば悪事はバレないものである。そもそもマウトには悪事を働いている気はないのだが。



 そして、次に鉱脈。行ってはいけないと忠告された坑道を躊躇なく進んでいく。

 早速マウトは作業員に見つかってしまうが、彼を知る者にはまるで別人に映るほど人当たりのよい喋りで懐柔させ、あまつさえ氷結竜の作った結晶を手に入れた。



「———ですから……」


「駄目なものは駄目だ。いくら旅の者であるとはいえ、そう易々と話せるものではない」


 彼は偶然にも町長と遭遇したので、直接話を訊いてみることにした。

 だが、町長のガードは固く、氷結竜の話どころか、他の話も全く聞き耳を持たない。


「……まだ分からないのか? 儂は既に


「っ………」


 マウトは、珍しく焦りを見せた。

 先程の坑道でもそうだ。彼は普段、あのような人心掌握の手段を使うことはない。

 実際のところ、世界の危機について最も重く考えているのは彼であり、彼が世界を救う土台作りの第一人者なのである。

 もう一月そこらで世界が終わってしまう。

 言ってしまえば、この未来を馬鹿正直に考えているのはマウトしかいない。

 賢者達も協力的ではあるが、内心は「別に大したことにはならないだろう」と思っている。

 賢者達は氷結竜について知り得る情報が少ない。そのために危機感を持てと言われても難しい話だ。

 シムバッハの民のように、情報を知っていたとしても危機感を持たないのは、この数百年である意味最も危険と考えられる地域で安全に過ごしてこれたのだから、無理もない。

 反対に、ここまでマウトが危機意識を持っているのは何故なのか。

 それは、直感によるものだ。

 彼はふざけていない。至って真面目だ。

 彼の直感は、若くして賢者となり、高ランク冒険者としての地位を獲得するのに大いに役立った。

 その直感が、伝説にある500年毎に覚醒と休眠が切り替わる生態を真実であると告げている。


「何故そこまで聞きたがる? 〝竜の吐息で結晶に塗れた者を助ける方法〟など、何の役にも立たぬだろうに」


「……役には立たない方がいいかもしれません」


「ああ、そうだ。それに、貴様のような学者の得になるような情報など与えてやらん」


「ですが、仮にそうなったときに知らないというのは、やはり困りますから」


「だからなんだ? 儂は貴様が頼めば頼むほど答える気にはならん。今回は見逃してやる。さっさとこの町から出ていけ」


「………」


 万が一のための安全策を手にしたかったが、それは失敗に終わった。

 町長はどんどんマウトから離れていく。

 ………。

 マウトはニヤリと笑った。

 本命であるは手に入ったのだ。

 町長から情報を抜き取れなかったのは残念だが、相手どった時に『盗み出した結晶』がバレてしまうのを見事に回避してみせたのは、彼自身も口元を緩ませるほどのナイスプレーであった。



  ◇



 そして、この成果を学院に持ち帰ったマウトは、早速知り合いの学者に研究を頼むことにした。


「やぁ、ハルザム」


「マウトか。珍しい格好に珍しい時間の訪問だな。どうした?」


「これを見てくれ」


 マウトはハンカチに閉じ込めた金属の粉と掌より大きい結晶を取り出し、手渡した。

 ハルザム、ここの研究室では二番目に地位が高いが今トップが離れているため実質的に一番の権限を有する学者である彼は、目を見開いて驚く。


「………! これっ……」


 ハルザムは知っていた。彼が学者になる前、家族と旅行した時に立ち寄ったシムバッハで見た結晶と同じものだったからだ。


「君は見たことがあるんだったよね。だからこれの研究を頼みたい」


「…………」


 見惚れている彼には声が届かない。

 マウトが指先から音をより大きくした小爆発を起こす魔法を使うと、我に返ったハルザムは反応した。


「………っお、すまない。これを……研究してもいいのか? しかもタダで?」


「ああ、ちゃんと結果を教えてくれるのなら、レポートも自由にとっていいよ」


「本当か!? なら早速人を集めよう。悪いな、あんまりもてなせなくて」


「気にしなくていいよ。そうだ、まだ時間はあるから、少し手伝おう」


「ええっ、いいのか? 賢者様に手伝わせてしまって」


「賢者は称号。あくまで本分は学者だ。むしろこんなにいい研究対象があるのに、仲間外れになんてさせないでくれよ」


「なるほど、言えてる」


 二人は、かつて研究室を同じくしていた時代に戻ったかのような錯覚に陥り、いつもユーキを迎えに行く時間をとっくに過ぎても研究を続けていた。



  ◆



「な、なんでこんな奴がここに……!?」


「ルーティスってこんな魔物出たっけ!?」


「誰かガルダさんを、ガルダさんを呼んできてくれ———」


「GYAAAAAAAAAAAA!!!!!!」


 巨大な影の咆哮を聞いて、本能的に死を感じた屈強な男達。そのうちの一人は失禁していたり、泣いていたり、とても冒険者とは程遠い情け無い姿をしていた。

 彼らは確かにあの地域では最も強かった。

 だが、それは〝魔物が全くいない地域〟での話だ。

 真に強大な魔物と相対した時、彼らの強さは一転して弱さに変わり、本当の強さとはなんたるかを身を以て知らされることとなった。

 あるいは、その授業料は命で支払うことになるかもしれない。



 かの物はワーム。翼も腕も持たない竜は、それでも人間をいとも容易く殺してしまえる。

 例えばキマイラと戦えば、キマイラが負けを悟って逃げ出すほどの存在である。

 その進路がどこへ向かうものなのか、知る者はいない。

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