第6話
小鳥の囀る、空気が最も透き通った時間。
昨晩開けたままだったのか、窓の隙間からそよ風が吹き込んだ。それに煽られたカーテンが捲られ、顔面に日の光が直撃する。
寝ぼけ眼には刺激の強いその光を受けて、ユーキは目覚めた。
久々に柔らかい寝床で寝たおかげか、かなり熟睡できたようだ。
上体を起こし、思い切り伸びをする。
頭を掻きむしりながら、キョロキョロと意味もなく視界を動かすと、随分とくたびれた様子でベッドに腰掛けるマウトが目に入った。
そしてユーキが起きたことを、彼も気付いた。
「あ〜……おはよう、ユーキ。……君、その……すごかったね」
「おはようございます。すごいって?」
「あぁ、記憶ないのか……。君は本当に寝相が悪いね。残念ながら一睡も出来なかったよ……」
掌を眉辺りに当てがって、ゴシゴシと擦る。せめて意識は保っておかなければならないというマウトの意思が、掌から感じる。その抜け落ちた短い毛を見れば分かる。
ユーキは鈍感なので、災難だったなとしか思っていない。自分が原因だと言われたのにも関わらず、ケロッとしている。最早才能の領域である。
支度を済ませて集会所にやって来た二人。
受付嬢は、マウトの様子を見て察したような顔をしていた。
マウトは疲れた顔のまま、昨日と同じマネーバンクの窓口で袋を受け取っていた。昨日と違い一袋だが、一袋あたりの重さは昨日以上だ。
だがユーキの意識は、マウトではなく依頼が貼り出される掲示板に向いていた。いや、正確には、そこに群がる冒険者達にだ。
原因は間違いなく、昨日出したマウトの依頼だろう。
屈強な冒険者達が、紙一枚のために殴り合いの争奪戦を繰り広げる様は、ユーキにとっては目を奪われる光景だ。
今そこに乱入すれば、どさくさに紛れて拳を振るえる。普段のユーキなら、欲望のままに乱入して全てをめちゃくちゃにしていたのだろうが、何故しないのか。
それは、昨晩マウトが予め釘を刺していたからだ。「君の拳は人を殺してしまいかねない」と。むしろこれまでそうならなかったのは奇跡だといえる。
埒が明かないので、怒号に混じり合って飛んできた「腕相撲で決着をつけよう」というのに皆同意する。
マウトの雇う人は、腕相撲大会で決められることになった。
丁度良い台や、冒険者の中から実況を始めるものまで用意されて、本格的に大会のようになっていく。
「さあさあ血気盛んな冒険者達よ、此度の賞金を賭けて腕相撲に挑戦するかー!?」
「「「ウオアアアアアアアアア!!!!!」」」
「最初の挑戦者は……そこら辺を走り回って培われた筋肉が自慢の通称〝走り屋〟、ビビッド!」
「必ず勝ち取ってやるぜ!」
「対戦相手は……ダンジョンの宝箱を無駄に担いで運ぶ通称〝運び屋〟、シック!」
「宝は俺のものだ!」
「両者位置に着いて………ファイッ!!!」
マウトの出した奉仕を賞金呼ばわりして、朝っぱらとは思えない盛況を見せる腕相撲大会。
当の依頼主は寝不足で、怒号が飛び交う度に頭にキンキン響くことに悶えている。
結果、力自慢の冒険者が五人勝ち抜けて依頼を渡されると、案の定「賞金じゃないのか!?」と言い出す者が現れたが、マウトには関係ない。
「君達が依頼を受けてくれた冒険者だね。僕が依頼主だ。これから目的の場所に行く。仕事はそこで説明しよう」
体格差から生まれる威圧感をものともせず、マウトは逞しい冒険者達に相対した。
ここで絡まれるというのはよくある展開だが、先程の腕相撲で多少満足していたからか、それとも疲れていたからか、特に変な絡み方をされることもなく素直に話を聞いていた。
仮に絡まれたとて後ろに控えるユーキがめちゃくちゃにしてしまうので、新しく雇わなければいけない以外に問題はない。
ルーティス地方の森の奥、ガルダの小屋に着いた。
「また……随分と大所帯だな」
ガルダは困惑していた。
まぁ無理もないだろう。高ランク冒険者でもあり若くして賢者でもある少年が金貨をぎっしり詰め込んだ袋を持って、最強の拳を持つ少女や五人の筋骨隆々な冒険者を引き連れて来たのだから。
「昨日の請求分と、君の仕事を代わる人達だ」
「……つまり、お前は俺にユーキの特訓に丸一日費やせって言いたいのか」
ガルダは頭を掻きむしる。
「話が早くて助かる。ちなみにもう報酬は支払ってるから、君から見れば無料の労働力さ」
「金にものを言わせやがって……。そんなに大事なことなのか」
「ああ。なんてったって人類の存亡を賭けるからね」
雇われ冒険者達は何やらヒソヒソ話している。節々から聞こえる言葉は「嘘だろ」とか「妄想」とかなので、ホラ話か御伽話と思われているようだ。
ガルダはため息と共に肩を落とす。
「あ〜……、分かった。お前がそこまでやるなら俺も本気で向き合ってやるよ」
「頼んだ。はいこれ、昨日の請求分。少し色をつけてある」
マウトは金貨袋をガルダに手渡した。「重いな」と溢すガルダを気にすることなく「僕は用事があるから」と、マウトは瞬間移動魔法ですぐに居なくなってしまう。
ガルダは小屋の中に金貨袋を投げ込むと、早速冒険者達に仕事の説明を始めた。
◆
ガオナス砂漠。
大陸最大の砂丘があることで有名な、デザディア王国の領地である。
マウトがここに来たのは、端的に言えば旅の備えだ。
バリスド町よりも賑わいを見せる城下町を通って、王城に赴く。
誰に咎められることもなく城内に容易く入れるのは、賢者の顔パスである。
ここデザディア王国は学院、もっといえば賢者に対して特別な価値観を持っており、賢者を神聖視することからその身分であれば自由に城を出入りできる。学院にいる生徒の20%がデザディア王国民なのも、賢者を目指す国民が非常に多いことを示している。
ある意味、学院と王国は密接な関係を持っているのだ。
「若賢者か。よく来た、用件はなんだ? 無くても、自由にしていくとよい」
迷わず玉座の間にたどり着いたマウトを迎えたのは、この国を治める女王だ。
二人は既に会ったことがあり、顔見知りである。
「どうも、女王様。今日はとあるお話を持ってきました」
「貴様がそう言う風に話し始めた時は、大抵良いことは言わぬ。まぁ続けるがよい」
「単刀直入に言いますね。氷結竜クリスタルドラゴンの覚醒期が迫っています」
「………あの神竜が、か。先代が酷く怯えておったのは覚えているが、それ以上のことは分からん。それで、本題はそこではないのだろう? こんなところまで来て、それだけ伝えて帰るタマでもあるまい」
「ええ。僕は討伐チームを組んで、それを狩るつもりです」
「なるほど、理解した。補給地点としてほしいのだな?」
「その通りです」
「いいだろう。具体的に何が欲しい? 賢者の言うことだ、無条件に従うつもりだから安心するといい」
「では水と食糧、それと砂漠を横断するための足を用意していただきたい」
「足か。岩トカゲでどうだ?」
「最高級の足ですね。大変ありがたいです」
「ふん、世辞の礼など要らんわ。礼の気持ちがあるなら、しばらく妾との話に付き合え。砂漠の城は暇なのだ」
「分かりました」
マシンガン的に繰り広げられた会話……否、取引に、従者達は慌てふためくようにメモを取ったり、動き始めたりする。
この女王は命令しない。一挙手一投足一言から意思を読み取り、行動しなければならない。
このような客人とのやりとりも例外ではなく、皆必死になって取り組む。
これを地獄のような環境だと思う者もいるだろうが、彼ら従者は彼ら自身の意思で、喜んで従っているのだ。
あえて咎める者もいないので、ここではそれが常識である。
客人の若賢者も、それを理解しているから敢えて何も言わない。むしろ面倒な手続きをしなくて済む分、楽だと思っているのだ。
彼はそんな光景を視界の端に収めながら、女王との談笑を楽しんでいた。
嫉妬した女王が「余所見をするな」と言ってくるまでが、ここでの流れのセットである。
◆
夕暮れ時。
森の中の開けた場所で、丸太が宙を舞う。
華奢な少女が拳を振るうと、丸太に拳大の穴が開いた。
「欠けたり消し飛ばしたりしてねぇ。お前成長してるな。すげぇじゃねぇか」
ガルダは落ちてくる丸太を片手でキャッチしながら、ユーキに褒め言葉をかけてやった。
「へへっ!」
誇らしげに鼻の下を人差し指で擦るユーキ。
修行二日目にして、彼女の
すると、マウトが瞬間移動魔法でやってきた。
人が消えたり現れたりしていて、奥で作業をしている雇われ冒険者達はギョッとしているが、手前の丸太みたいな腕で丸太を持つ男とアホみたいな威力の拳を持つ少女は、それをもう当たり前の状況として受け入れてしまっている。全く動じていない。
片方に関しては長い付き合いだからまだ分かるのだが、もう片方は適応が早すぎやしないか。それとも何も考えていない馬鹿なのか。
「やぁガルダ。特訓はどうだい?」
「あぁ、順調だよ。ユーキの成長速度は凄まじいな。もうほぼ完成してるといっても過言じゃねぇ」
「えっへん!」
「なるほど。だが、修行期間には、まだ余裕があるね。完成したら、次は究極を目指してくれ」
「あのなぁ、そこまでいったらそりゃもう俺の専門外なんだよ」
ガルダは頭を痛くすることもなく、冷静に反論する。
「じゃあ常識とかでも教えてやってくれ」
「おい師匠、仕事しろ」
「しろー!」
ガルダの突っ込みに、ユーキも便乗した。
「仕事はしてるよ。僕には時間がないから、君に頼んでいるのさ」
「俺も時間を持て余してるわけじゃ………お前に持て余すように仕向けられたばっかだった……」
やはりガルダは頭を抱えた。
「………やれるだけのことはやる。だが期待すんなよ。せいぜいお守りが限界だ」
「ああ、それで問題ない。これからも頼むよ、心の友よ」
「心にもないこと言うな」
「さて、もう帰ろう、ユーキ。また明日も頼むよ、ガルダ」
「師匠より師匠のおっさん、あんがとね!」
「生意気なガキだぜ、全く」
手を振りながら離れていくユーキに、笑いながら毒を吐くガルダ。
それは、多少なりともその人を認めた証である。
「あ、そうそう。
捨て台詞を吐いたマウトは、ユーキを腕を引っ張り風のように去って行った。
ガルダは頭を抱えた。
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