第13話
テフクトの亀裂。
ブルムドシュタイン王国南東のタクステブルグ地方とウィドルネルグ王国の間を分かつ大渓谷。
橋などはなく、地上からウィドルネルグに直接行くのは不可能である。
橋の建設は協議されているが、とある事情によりあまり芳しくない。
そのため両国の関係は決して良好とは言えず、橋建設の話も余計に滞る悪循環となっている。
本来別のルートから行くのだが、今回はユーキたっての希望で、テフクトの亀裂を見に来たというわけだ。
ユーキが拳以外のことに興味を示すのは珍しかったので、マウトも面白半分で受け入れた。
その結果、予定より急ぎ足になったのだが。
「おわー」
ユーキは目をキラキラと輝かせて、呆ける。
テフクトの亀裂を覗くと、ダグラムの地下通路という遺跡型ダンジョンの剥き出しになった上部がうっすらと見えるため、実力のある冒険者や旅人には観光スポットの一つとして一定の人気がある。
「満足したかい?」
「した!」
「そろそろ行かないと、多分間に合わないっすよー!」
タツが馬車から呼びかけ、ユーキはそれに応じてすぐに乗り込む。
マウトも乗り込んだタイミングで、馬車は再び進み始めた。
これから馬車が向かうのは、先程見えたダグラムの地下通路である。
ダンジョンというが、残念ながら宝探しはできない。もうそのほとんどが取り尽くされ、今は遺跡のみが残っている状態だ。
今の存在意義としては、歴史的建造物であることと、いまだにブルムドシュタインとウィドルネルグを繋ぐ唯一の架け橋であることくらいだ。
直接ブルムドシュタインからウィドルネルグに行くならここしかなく、直接でなくとも他の選択肢は航路しかない。一応センティアルト帝国を経由することでも行くことは可能だが、入国が凄まじく面倒なので、選択肢からは外されることが多い。
遺跡経由で行くのが最も早く、一般的だ。
もちろん、ダンジョンなだけあって魔物もバッチリ出現する。
ダンジョンは、地上に比べて魔物との遭遇率がおよそ4.5倍にまで上昇するという研究結果が出ており、通常の移動においてこれらの経由を推奨されることはない。テフクトの亀裂というイレギュラーがあるからこその、特例とも言えるものだ。
問題なのは、遺跡に入ってかれこれ2時間経っているのにも関わらず、魔物に全く遭遇しないという点だ。
魔物と遭遇しないというのは、一見いいことのように思える。
一般的に、遺跡型ダンジョンで魔物と遭遇するという事象は、その強さに関わらず大体1時間に一度のペースで発生する。
ダグラムの地下通路も、普段はその例に漏れることはない。
つまり、これは異常事態だ。
異常事態であるということは、即ちこの遺跡のどこかで何かヤバいことが起きている可能性があるということ。
マウトはそれで身構えていたのだが、そういえば先程ワイバーンの肉を剥ぎ取って馬車に乗せていた。血抜きなどの処理はしたが、未だ生だ。臭いは残っているだろう。
ワイバーンの臭いのせいで、弱い魔物は寄り付かなくなっている。
通路として使われる階層は非常に浅い地下3階で、弱い魔物しか現れない。
そのことを失念しており、無駄に気を張ってしまった。
「そういえば、魔物と全然遭遇しないっすね」
「ワイバーンの肉を積んでいるからね。臭いで追い払っているんだよ」
確かに異常事態だったが、それは自ら原因を持ち込んでいたのだと理解したマウトは、ふと気付いたタツに対して冷静にそれを説明してやった。
「拳振るえなくてつまらな〜い」
「どちらにしてもここは遺跡だ。ユーキがやるのは駄目だ。一体何度ダンジョンを破壊したのか覚えているかい?」
「おぼえてない」
「そのせいで借金を抱えたことも?」
「よくわかんないけど、生きてるから大丈夫かなって」
「ハァ………」
この意識の低さは、後でしっかり教育してやらねばならない。
そう考えるマウトは、ある異変に気付いた。
「………いや、やはりおかしい」
「何がっすか?」
「魔物がいない」
「それはワイバーンの肉のせいって、さっきマウトさんが言ったんすよ?」
「いや、それだけにしては、魔物がいなさ過ぎるんだ。普通なら、臭いに鈍感な少数の魔物が寄ってきてもおかしくないはずだ。僕の記憶が正しければ、ダグラムの地下通路に出現する魔物は、臭いに敏感ではなかった種もいたと思うんだが……」
「だとすると、一体何が原因なんすか?」
「………魔物の主、かもしれない」
「でも……」
「ああ、普通ならそんな強大な存在なら魔力をすぐに感じ取れるから、今このように感じ取れないなら、いないと判断するのが普通だ」
すると、暗闇の向こうから一匹の蟻が歩いてきた。
小さい魔物だが、蟻として考えたらとてつもなく巨大だ。腰ほどの高さの蟻というのは、さながら鎧を纏う騎士のような風貌といえる。
だが、問題は———
「………なんでここにアミアントが」
アミアント、つまりこの蟻の魔物は、本来ここには出てこないはずの魔物。
本来の生息地はデザディア王国のガオナス砂漠や、シムバッハのあるオスティナ地方だ。
「確かに変っすけど、アミアントはそこまで強い魔物ではないっすよね? 俺も討伐依頼を受けたことがあるっすよ」
「……アミアントが生息地以外で見られるのは、その集団全体が何かしらの脅威に晒されて移住を余儀なくされたことを表している」
「………まさか」
「そう、アミアントの主———ジェネルアントがいる」
「ジェネルアントって………それってランク100級の魔物じゃないっすか……!」
ランク100級とは、冒険者間での俗称である。
冒険者ギルドでは魔物ごとに、討伐依頼を受注可能な冒険者ランクが定められている。ギルドも意図しているかのように、ランク100以上になると、一帯の主クラスの強大な魔物が受注可能になる。
例えばアミアントはランク25以上、ジェネルアントはランク115以上とされている。
「ああ、だから面倒なんだ」
「私の拳で……」
「さっきも言っただろう。ユーキのそれは威力が高すぎる。倒せたとしても最悪生き埋めになってしまう。生き埋めになっても僕なら二人を連れて抜け出せるが、どちらかといえば面倒なのは借金の方だ。ここは二国を繋ぐ唯一のパイプなのだから、仮に破壊されたとあれば損害はこれまでの比にならない額になるだろうね」
「ひぇ………」
なぜか顔を青ざめさせるタツ。
当のユーキはのほほんとしている。
彼女のように何も考えずに生きていたいものだと、たまに思うマウト。
「だから、ここは僕がやる」
「ぶぅ」
頬を膨れさせるユーキをよそに、マウトは馬車から降りて一人進んだ。
次第に顕になる巨大な黒い影。
通路の一角を埋め尽くす鎧の将軍、ジェネルアントである。
ジェネルアントがマウトの存在に気付いた。
冒険者の中でも指折りのキャスター。その強大さは、魔物にとっても本能で分かる。
この将軍蟻に咆哮という概念はない。だが、威嚇という概念はある。
前脚を振り上げ、壁や天井を擦る。
指揮を取る将軍にとって、これは進軍の合図も兼ねていた。
無数のアミアントが一斉にマウトに向かって突撃していく。
と同時に、マウトの背後からスモークのように白く見えるほど極低温の冷気が流れ込んできた。
新たな刺客か。否、これはマウトの魔法によるものだ。
ユーキは馬車の中で身震いする。
冷気はマウトだけを綺麗に避け、進軍する軍隊蟻の群れに次々と触れていく。冷気に触れられたアミアントから、続々と霜を全身に付けて動かなくなる。
ジェネルアントが100級とされる所以は、その大量のアミアントを従えているところにある。アミアントは決して強くはないが、逆にそこまで弱いわけでもないにも関わらず多数が群れて襲いかかってくるため、熟練の冒険者でも足を取られる危険があるのだ。単体や少数では無秩序で強くないが、
逆に言えば、アミアントを全て失ったジェネルアント単体は、せいぜいランク80程度の実力があれば倒せるくらいに弱い。
むしろ、指揮官であるにも関わらずそれだけの力を持っているという事実に驚くべきか。
次第に冷気はジェネルアントの足元に集まり、固まって氷塊を形成した。
地面に張り付けられたジェネルアントは、最早なす術はない。
マウトが杖を振り上げると、空中に無数の氷や岩の針が生み出されていく。
それらは弧を描くようにして、ジェネルアントに飛んでいき、無慈悲に身体を貫いていった。
冷気で冷やされ、拘束もされているので悲鳴のような音を出すことさえ許されない。
マウトはゆっくりと歩み寄る。
せめてもの抵抗とばかりに、噛みついてやろうと頭を伸ばした………しかし、それは悪手だった。
上下に現れた岩の槌が、蟻の頭を叩き潰す。
こうしてジェネルアントは絶命し………それで終わり、とは済まされなかった。
マウトの杖先から生み出された、目で見えるほど濃密な風の玉。それはゆっくりと蟻の死体に近づき、触れる。
その瞬間、ジェネルアントの身体はズタズタに引き裂かれた。
風の玉は、一瞬で何重にも重ねられた風の刃だったのだ。
風の刃の玉は、ジェネルアントを水分の一滴も残らず粉微塵にすると、そこらに散らばったアミアントの剥製も残らず破壊し、馬車の通り道を綺麗に掃除して消えた。
タツは馬車からそれを見て、絶句した。あまりの鮮やかさに、感嘆の言葉も声も出なかった。
「通り魔みたい」
ユーキの言葉が、マウトに聞こえていたかどうかは定かではない。
一つ確実なのは、ユーキの今晩の食事の干し肉が一枚少ないことだけだ。
◇
ウィドルネルグ王国。
シクルトゥム地方は、土地の肥沃さから美味しい作物の産地として有名だ。大陸の東では、相当数を輸入しており、その依存度が窺える。
残念ながら保存食としては向かないので、今回のマウト一行には無縁のものだ。
「ここからは外国だ」
「やった! 初めての外国!」
「あくまで氷結竜討伐のための旅だ。観光気分で気を緩めすぎないように」
はしゃぐユーキを嗜めるかのように言うマウトだが、同時に「多少楽しむくらいなら許してやろう」という気持ちを出してしまっている。
だが、とりあえず。
マウトは深呼吸をした。
旅が始まったという実感を噛み締めるために。
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