第3話

 魔獣の咆哮と同時に逃げ惑う小鳥や小動物。辺りから命の豊かな優しさは消え失せ、不気味な沈黙が支配した。

 魔獣の歯軋りのような威嚇は、並みの人間が直面したなら失禁するだろう。

 キマイラ。異なる複数の動物の特徴を同時に併せ持ち、それでいて一つの生物として完成された美しいフォルム。専門家の間では「究極の魔獣」と称される。

 もちろんその力も群を抜いて強く、例えば今のように現れただけで周囲から命の恵みが消えてなくなる。所謂そういう特殊能力ではなく、その生物としての格の高さや存在感、威圧感のみによって、動物という動物が命の危険を感じて「死にたくない」と逃げ始めるのだ。植物に関しても、キマイラが通った場所に生えるものは数日のうちに枯れてしまうという。

 ユーキも震えていた。

 あの怪物に対して恐怖を抱いて、脚がすくんでしまった。


「すっごい、あんなの初めて見た!」


 否、そうではない。

 彼女のそれは武者震いだった。

 ユーキは、大きくガッツポーズをした。


「ねぇ、あれに拳振るってみたい! やってもいい? やってもいい!?」


 ユーキはマウトの肩を何度も叩く。

 マウトはその手に優しくポンポンと触れた。


「ああ、やってもいいさ。都合よく腕試しの相手が来たんだしね。僕も君にやって欲しいと思っていたところだ。だが……」


 マウトは、足元に生い茂るニミル草を指差す。


「ここはニミル草の群生地帯だ。もし今後、今回と同じような依頼を受けたとき、ここで刈り取るのが効率がいいだろう?残しておくべきだ。それに、こうも木々ばかりで狭いと、君の全力も見ることができない。だから、まずは開けたところに移動しようか」


「わかった!」


 二人はマウトの定めた迂回路に沿って、木々を頭を縫いながら開けた場所に出た。

 かなりの全速力だったためか、ユーキはかなりバテている。

 それでもまだ立っているのは、「拳を振るえる!」という一点にとてつもない希望を寄せているからに他ならない。


「GAAAAA!!!!!!」


 無慈悲に木々を薙ぎ倒しながら、魔獣もすぐ後を追ってきた。


「大丈夫かい?」


「大丈夫……じゃないです……。でも! 拳を振るうためならなんのこれしき……」


 どう見てもフラフラだが、マウトはユーキの言葉の方を信じることにした。


「ならば、君は全力で拳を放てばいい。僕は一人でもあの魔物を仕留められる。だから、仮に君が倒せなくても心配する必要は———」


「———今〝倒せなくても〟って言いました?」


 マウトの言葉に、ユーキは突っかかった。

 それは違うだろう、と。


「私の拳は、ヤツを


 マウトは、それが虚勢やハッタリではないと見抜いている。

 そして同時に、分かっていたのだ。それが有言実行されることを。

 キマイラは、身の危険を感じた。即座にあの小娘を喰い殺してやらねばならないと。

 遅い。本当は身の危険を感じるよりも早く対処していなければいけなかったのだ。


 ユーキが拳を振るった———。


 もう、叶わない。

 キマイラは、魔獣は、隕石を真横からぶつけられたような、あるいは極太のビームを一瞬で喰らい尽くしたような、そんな感覚を最後に味わう。


 ———そして、絶命した。

 地響きと共に倒れた地面には、草の根も残らぬ窪みが一直線に出来ていた。


「うしっ!」


 一拍おいて、小さくガッツポーズをするユーキ。


「やはり、君の拳は尋常ならざる強さだ。『ピース』であると断言していいだろう」


 マウトは、淡々と告げる。しかし彼の本心は、目的の存在と出会えたという確信が持てたおかげで、かなり嬉しい気持ちだった。出岡には



  ◇



 受付嬢は驚愕した。

 原因は複数ある。

 まず一つ目に、この周辺では最早あり得ないというレベルの大型の魔物が出現したという事実。

 二つ目に、普段問題しか起こさない厄介者が、ここ数年で町に最も貢献した一人になったこと。

 三つ目は、その問題児が魔物の死体を引き摺って帰って来たことだ。


「え〜と、ええっと……とりあえず説明してください!」


 ヘトヘトになって地面に寝転がるユーキを他所に、受付嬢はマウトに問いただした。


「見ての通り、彼女が一人で魔獣キマイラを討伐し、その死体を持ち帰っただけだよ」


「それは〝だけ〟で済むレベルの話ではありません! まずこの地域一帯の危険度の見直しと、ユーキさんの冒険者ランク変更と、あとえ〜っと……」


「まずキマイラは放浪する魔物だから、危険度の変更は必要ないだろう。学院に申請すれば、その後押しとなる生態情報を貰えるはずだ」


「やけに詳しいですね。魔物の生態についてしっかり把握してるのは、それこそ学院の人間か賢者くらいなものですが………まさか」


「まさか、僕が賢者だって? そんな馬鹿な話———」


「………ですよね! 流石にこんな辺鄙なところに来るはず———」


「———あるんだよ、それが。僕は正真正銘間違いなく賢者。さらに言えば、ランク827の冒険者でもある」


 受付嬢は、フリーズした。

 その理由は、マウトの名乗った肩書きにある。

 賢者。大陸中央学術院における、学者の最高号。その下には博士、教授と続く。賢き者の名に相応しく、様々な知識について見識が深い者の中でも、特に天才ばかりが選ばれる。魔法において最高の権威とされるのが、この賢者の称号である。

 冒険者ランクは、100を超えた時点で大陸の全てを歩むことができる。200を超えた時点で大陸の外を歩ける。500以上ともなれば、一人で国家を敵に回して勝つ見込みがあるほどの実力である。それよりも高いランク……例えば600辺りは十数億人の人々が住まう大陸中を探してもおよそ数百人で、700以上になると数十人、800は数えるほどしかしない。それより上は、ただ一人。998の冒険者のみだ。マウトは、両手で数えられるほど少ない実力者のうちの一人である、ということを証明しているのが、その数字だ。

 嘘をついていないのは、ギルドカードに書かれていることからも分かる。

 つまり彼は、そんな二つの山の頂点に登らんとしている天才中の天才なのだ。

 彼以外に学者で冒険者というのはいるが、賢者で超高ランクの冒険者というのはマウトただ一人だ。


「———………お名前をお伺いしても?」


「マウト。マウト・ストーリアだ」


「それって、もしかしなくても英傑時代の覇者マウト・ストーリアですか!?」


「英傑時代か。彼が出てきた時に僕もいたから、僕らの世代はそう呼ばれていたんだよね。彼は確か帝王だったかな」


「ええと、キマイラはマウトさんが討伐したのですか?」


「……さっき僕はユーキ一人で倒したと言ったはずなんだが」


「………あ、そうでしたね。失礼しました。そしたら、ユーキさんは冒険者ランクが上がりますが……前例が無さすぎて、どうすればいいのやら……」


「それなら、地図でいうこの辺りまで行けるくらいに上げて欲しい」


「分かりました。では、ギルドマスターと相談してみますね」


「一筆いるかい?」


「ありがとうございます! では、これにお願いします!」


 マウトは手渡された羊皮紙に、自分の名前と〝ルーティス地方に行けるランクまで上げて欲しい〟としたためた。


「少々お待ちください———」


 受付嬢はその書を手に取り、カウンターの奥へと姿を消した。


「……さて、もう元気になったかな?」


 それを確認したマウトは、未だ寝転がって動かないユーキに目線を向けた。


「無理うごけない」


 ユーキのバテが治りきっていないのは事実だが、それにかこつけてダラダラしようとしていた。

 マウトはそんなユーキに、掌をかざした。


「わ、元気になっちゃった!」


 途端にユーキの全身が光った。

 すると、ユーキはいきなりシャキッとして、飛び起きた。


「気力回復に特化した特製の治癒魔法だ。僕以外に使い手はいないけど、使い勝手は結構いいんだよ」


「よくわっかんないけど、とりあえず元気もりもりになった!」


「結果が出ました!」


 そのタイミングで、ちょうど受付嬢が戻ってきた。

 二人はカウンターに寄って、受付嬢の言葉に耳を傾けた。


「ユーキさんの冒険者ランクは、只今より2から16になります!」


「ほぇー」


「よかったじゃないか。これで活動範囲がだいぶ広がったよ」


「てことは、これから拳をもっと振るえるってことだよね!」


「ああ、間違いなくそうだ」


「じゃあ早速……」


「まぁまぁ。もう夕暮れ時だ。今日はゆっくり休んで、明日また考えよう」


「むぅ……仕方ないな」


「あ、ちょっと待ってください!」


 受付嬢は、集会所から去ろうとする二人を呼び止めた。手には何やら重そうな袋が携われていた。


「キマイラ討伐の報奨金です。依頼が出ていなかったので、ギルドからの付与になりますが。これはその半分です。……もう半分は既に借金返済に充てました」


「ユーキ、君借金してたのか」


「えぇまぁ30億近く」


「………なるほど。流石に僕の手持ちでも賄え切れないな」


 ユーキは手渡された袋を開けた。

 中には金貨がぎっしり、金額にして80万クリスタが入っていた。


「これだけあればしばらくは食べていけそう!」


 中堅冒険者でも少し多いくらいの報酬を、この短時間で獲得したユーキ。

 だがその価値を正しく理解しているかどうかは、本人含め誰にも分からない。

 彼女にとって重要なのは、金よりも拳を振るう権利が手に入ったことの方だ。だからあまり頓着していない。

 もしも金で拳を振るう権利が買えると知ってしまったら、きっと彼女はすごく金に汚い人間になるだろう。

 それほどまでに拳への執着も、情熱も、人一倍強かった。

 一晩寝た程度では冷めやらない興奮に、ユーキはしばらく心躍らせることとなる。



 翌朝。

 マウトは、ユーキにある話をしていた。


「拳をもっと鍛えたいとは思わないかい?」


「思う!」


「じゃあ、君に朗報だ。僕は君のその拳を、『ピース』を鍛えることのできる唯一の人物と知り合いだ」


「やったぁ!」


「これから、その人のところに行こうと思う。君は僕の弟子になってもらうつもりだが、その前に別の人に稽古をつけてもらうことにする」


「稽古? なんかめんどくさそうでやだなぁ」


「拳をたくさん振るえるよ」


「ならやる!」


 マウトはユーキと出会って二日目にして、もうその扱い方をマスターしていた。


「今から彼の所に行こう。名前はガルダ。丸太のような腕と脚を持った———木こりだ」

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