第20話 イベント失敗:Case2(2)

「あ、あんた……なんで……」


「あら。この個展は万人が芸術に触れることを目的としたもの。わたしがいても何もおかしくはないでしょう?」


「……っ! 白々しい……!」


邂逅して早々に繰り広げられる二人の舌戦。


ゼンはその傍らで溜息をついた。


本当なら出ていくタイミングはもう少し後だった。


だが、困り果てるレグナを見て制止も聞かずに飛びだしていったのだ。


「お主は?」


「お初にお目にかかります。私はシェリシール・レイライン。故あって同行しておりませんでしたが、殿下の本来の婚約者です」


「本来の……? まぁいい。どうせ貴族同士のゴタゴタだろう。それよりも」


そこまで言ってドルーは再び奥の不思議な絵画へと目を向けた。


「いま話しかけてきたということは、お主にも感想を聞けということことか?」


「はい。私は殿下の伴侶。ならば皇家との取り決めどおりあなたは私にも問う義務があるはずです」


シェリルの言葉にドルーが黙りこむ。


ゼンは確信していた。ドルーは断らない。


調べたかぎり彼は約束を絶対とする職人気質の人間だが、それを逸脱しない範疇でなら融通が利かないわけではない。


レグナとの婚約破棄が確定していない現状、シェリルにも資格がある。


「……ふん、たしかにな。だがそれに何の意味がある? お主がどう答えようとワシの皇太子への認識は変わらんぞ?」


「いいえ、今の殿下は本調子ではありません」


「なに?」


「そして私は殿下の伴侶、一心同体といっていい存在です。ならば私の感想は本来の殿下の感想に等しい。必ずや認識を改めることになるでしょう」


暴論だった。


しかしそのあまりに自信満々な物言いにその場の全員が奇妙な説得力を感じていた。


「く、くっくっくっ……」


静まり返る広間に押し殺したような笑い声が響いた。


そちらへ視線を向けるとドルーがこらえきれないとばかりに肩を震わせていた。


「はははは! なんだそれは? 無茶苦茶にもほどがある!」


「そ、そうよ! もし間違えたら殿下の挽回の機会を潰すことになるのよ!?」


ドルーの反応にそれまで黙っていたキャロラインが噛みついてくる。


それもそのはず、先日似たような状況で痛い目をみたのだ。


シェリルの参戦はなんとしても止めたいはずである。


ゼンはキャロラインとシェリルの間を塞ぐようにして前に出た。


「モリス嬢、これは帝国にとっての大事。転生者のあなたが口を挟むべきではありません」


「またアンタ!? モブは引っこんで――」


「――だが面白い」


キャロラインの言葉を遮るように、ドルーがそう呟いた。


そして興味深げにシェリルを見つめながら言葉を続ける。


「ここまで言うのだ。よいだろう。皇太子の真の感想、お主が代わりに示してみせよ」


「そ、そんなっ!」


「感謝します」


シェリルは一礼すると絵画をジッと見つめた。


その眼球の動きは明らかになにかを捉えており、レグナやキャロラインのように単色に見えているわけではないらしい。


「……そういうことですか」


しばらくしてシェリルがおもむろにそう言った。


そして数秒目をつむるとドルーへと向き直る。


「答えがでました」


「ほう? 早いな。ならば答えよ。お主にはこの絵がどう見えた?」


「はい。私には……この絵が帝国の理想の姿を示しているように見えました」


シェリルの答えに広間は再度沈黙に包まれた。


そして弾かれたかのように我に返ったキャロラインが声をあげる。


「な、なに言ってんの!? デタラメ言うのも大概にしなさいよ!」


「デタラメ、とは? あなたこそなぜこれを見て真っ黒などと……」


二人が困惑した様子で言い争う。


ゼンはそれを聞きながら、ドルーの様子を窺う。


ドルーはしばらくなにかを考えこむと再び口を開く。


「……続けろ」


「この絵では様々な地位、様々な人種が太陽に背を向けて天上を目指しています。そしておそらく、この太陽は神の暗喩。つまりは誰もが神に頼らず、己の足で成長していける国が帝国のあるべき姿だと、そう表現しているのでは?」


「……」


シェリルの感想にドルーはしばらくなにかを考えこむと再び口を開く。


「よいだろう。合格だ」


「なっ!?」


「ありがとうございます」


シェリルは優雅に一礼すると


「な、なんでよ! 今の感想でどうして合格になるわけ!?」


キャロラインが納得がいかなそうに声を荒げる。


ドルーはそんなキャロラインを冷めた目で一瞥すると呆れたように肩をすくめた。


「あの絵にはワシが編み出した独自の画法と魔法によって特殊な仕掛けが施されておる。見たものの心を写し取り、その目に絵画として出力する仕掛けがな」


「そうなのですか?」


「うむ。つまりお主がいま語ったものはそのままお主の理想とする帝国のありかたということになる」


ゼンは驚愕した。そして得心もいった。


見る者の心を写し取る絵画。どうりでこの場にいる全員の意見が食い違うわけである。


それにしてもドルーのことは事前に調べていたが、そんな超技術を持っているとは思わなかった。


流石、歴代の皇帝の肖像画を任せられただけはある。


「皇太子、いやレグナ殿下。お主はこの絵画を見て白といった。それはつまり意志薄弱の空っぽの心ということだ。そんな者を次代の皇帝として認めることなどできぬ……と、思っていたのだがな」


そこでドルーはシェリルを見ると、納得がいったように何度か頷いた。


「レイライン嬢の言葉が真実であるのなら、本来のお主もまた同じ考えをもつということ。わしが描きたい人間は確固たる信念を持つ者。肖像画の件、請け負おう」


「あ、ありがとうございます!」


レグナが安心したように胸をなでおろす。


そしてドルーは次にキャロラインへと向き直った。


「それに比べて……モリス嬢。お主はあの絵画を見て、黒と言ったな。それはつまりお主の心が黒い感情で満たされているからだ」


「は、はぁ!?」


「レグナ殿下。悪いことは言わん。この国の未来のためにもお主はレイライン嬢を伴侶とすべきだ」


「それは……」


レグナが答えに詰まる。


即答で拒否しないあたり、キャロラインへの《好感度》は著しく下がっているとみていいだろう。


ゼンは内心でほくそ笑み、そこでキャロラインがぶるぶると震えているのに気づいた。


「黙って聞いていれば……っ! 《続きから始め――》」


「モリス嬢!」


「……っ!?」


ゼンは声に殺気を乗せ、キャロラインを威圧した。


キャロラインは体をビクリと硬直させ、発動しようとしていたチートを霧散させる。


危ないところだった。もう少し気づくのが遅れればちゃぶ台をひっくり返されていた。


が許されると本気でお思いですか? 先日の茶会と同じく、この場には陛下直属の隠密が潜んでいます。殿下の婚約者とはいえタダではすみませんよ」


「う……」


キャロラインが苦虫を噛み潰したような顔になる。


他の転生者と違い、その体の強度は一般的な人間のものと変わらない。


支配した護衛を連れていない現状、チートを発動する前に取り押さえられるだけである。


「さて、ワシはもう行く。個展に来る客に挨拶せねばならんのでな」


「わかりました。横やりをいれるような真似をして申し訳ありません」


「なんの。思いがけずよい出会いをした。またいずれ」


ドルーは背中を向けると、ひらひらと手を振って広間を出ていった。


それを見送り、シェリルが一息ついているとそこへレグナが歩み寄ってきた。


「……ありがとう。君のおかげで皇帝家の威光に泥を塗らずに済んだ。しかし、なぜ……」


「フフ、なにを今さら。例え今の殿下の心が私になくとも、私の心は常に殿下と共にあります。お助けする理由などそれだけで十分です」


「シェリル……」


「で、殿下! 時間が押しています! そろそろ王宮へ戻らないと……っ!」


キャロラインが慌てたようにレグナの腕を引いた。


このままでは本当に支配が解けてしまうと思ったのだろう。


「し、しかし……」


「ほら! 早く行きますよ!」


キャロラインが強引にレグナを個展の外へと連れ出していく。


レグナは最後まで名残惜しそうにしながらも、引きずられるようにして個展を去って行った。


「あと一押しといったところですね」


「そうね。なんとかなってよかったわ」


「本当ですよ……色々と策を用意していたんですが」


ゼンは溜息をついた。


茶会のときといい、今回といい強引にすぎる。


シェリルの才覚がキャロラインのチートを上回っていたからよかったものの、下手をすればすべてが台無しになるところだった。


「それでもあなたは私の『モリス嬢と正々堂々と戦い、殿下の伴侶たる証を示したい』という願いを聞いてくれた。感謝を」


「……執事のグレイスさんからシェリル様の能力の高さは窺っていましたから。キャロラインがチートを使えない場でなら十分に勝算があるとふんだまでです」


それにゼンの用意していた策は効果的ではあったが、手段を選ばない卑劣なものばかりだった。


いずれ皇帝の伴侶となる人間にその片棒を担がせるのは心苦しくもあったのだ。


「とにかく、これでキャロラインの力は大きく削がれました。決着をつけるときです」


「ええ。お父様たちと合流して詰めの作戦を考えましょう」


二人は頷きあうと、広間の出口へと向かった。


そしてその寸前、前を歩くシェリルが不意に足を止めた。


「そういえば、あなたにはあの絵がどういうふうに見えていたの?」


「私ですか?」


ゼンはその質問に一瞬だけ目を丸くした。


だが、再びいつもの締まりのない表情に戻ると口を開く。


「……川を流れる木の葉でした。上からの命令に流されるまま従う私を端的に表していますね、ハハ」


「まぁ。ふふ」


二人が個展を後にする。


そんな二人を見送るように絵画の中で死神が笑っていた。

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