第3話 ある窓際公務員の一日(3)
食堂に足を踏み入れたゼンを待っていたのは目を覆いたくなる光景だった。
抜けた床。なぎ倒されたテーブル。二人の女性遊騎士になにやらまくしたてている黒髪黒目の少年と、それを冷たい目で見る客と店員。地獄絵図である。
ゼンは近くに座る何人かに事情を聞いたあと、懐から一枚の紙を取り出した。
そして、目の前の異世界人に関する情報が書かれたそれに目を走らせると、渦中のテーブルへと近づく。
「で、危機一髪のところを俺が助けたんだよ! どうやったかって言うと――」
「あの……ノゾム様、少々よろしいでしょうか?」
「……ん?」
ゼンが声をかけると、異世界人――ノゾムはゆっくりとこちらを振り向いた。そしてゼンを見つめると首をかしげる。
「えっと……誰?」
「対策課のゼンです。覚えて、いらっしゃいませんかね? はは……」
「対策課……ああ!」
ゼンの問いにノゾムはしばらく考え込み、思い出したように手をポンと打って指差した。
「組合に入ってすぐ会いにきた使いっぱしりの!」
「つか……いや、まぁ、そうです」
ゼンはいきなりの無礼な発言に苦笑した。だが当たらずとも遠からずではあるので首肯し、言葉を続ける。
「コホン、実は少々お伺いしたいことがありまして……」
「ふーん、まぁ座れよ――二人ともどこいくんだ?」
「え! あ、あの……」
ゼンと入れ替わるようにしてテーブルを立とうとしていた女性遊騎士たちがギクリ、と体を強張らせた。
店内に他の遊騎士がいないことから考えて、この二人は先ほどの大男の同僚だろう。その表情からは蹴り飛ばされた男を案ずる気持ちが伝わってくる。
「ノゾム様。内密に話したいことですので」
「いやそんなの知らな……っ!?」
ゼンは深々と頭を下げた。異世界人には内心思うこともあるが、この世界の人を助けるためなら頭の一つや二つ下げることくらい安いものである。
「お願いします」
「わ、わかったよ……」
ゼンの姿に罪悪感を覚えたのか、ノゾムは渋々といったふうに了承した。二人はゼンへと一礼をすると急ぐように店の外へ出ていく。
「ところで、先ほどはなにがあったんですか? いきなり店から人が飛んできて驚きましたよ」
「なにって、さっきの二人が絡まれてたから助けたんだよ」
やはりというべきか。早とちりからの犯行だったらしい。
ゼンは得意げにするノゾムへと遠慮がちに口を開いた。
「……えぇっと。何名かに聞いたところ彼らは自分たちの遊騎士団の方針について議論していただけだそうですが」
「は? マジ?」
ゼンが事情を話すとノゾムは目を丸くし、バツの悪そうに口を尖らせた。
「あんな強面で女の子に怒鳴ってたら勘違いするだろ……で、なに? 俺はなんかペナルティでも受けるわけ?」
「い、いえ決してそのようなことは! ですがノゾム様はつい数日前にも《紫銀の乙女》と同じような問だ……すれ違いを起こしておられますから」
「《紫銀の乙女》? それってこのあいだ助けた女の子たちだよな。え、なに。あれも俺の早とちりなわけ?」
「ええその、まぁ、はい……」
「なんだよそれーー!」
ゼンが肯定するとノゾムは天を仰ぎ、ぐったりと椅子にもたれかかる。そしてつまらなそうにポツリ、と呟いた。
「なんっだよ。せっかく異世界に来たのにぜんぜん思いどおりの展開にならないじゃん……」
「思い通りの展開、とは?」
「そりゃ決まってるじゃん! 女の子のピンチに偶然でくわして、チートで無双して、惚れられて――ってこんな話をモブにしても無駄か」
ノゾムの言葉にゼンはかぶりを振る。これまで出会った転生者の中には似たような願望を抱いていた異世界人もいた。その経験からノゾムを怒らせることなく諭す話を組みたてる、
「いえ、わかります。私が担当してきた異世界人の方で似たような願望をお持ちの方がいましたから。それをふまえてここで一つ、話をさせてもらっても?」
「急だな……まぁいいけど」
神妙な様子にノゾムも気圧されたのか、しぶしぶ聞く姿勢を取る。ゼンはそれを確認し、人差し指を立てた。
「私は以前、『えろげー』なる場で百人以上の女性を虜にしたことがあるという異世界人に出会ったことがあります」
「え? あ、うん」
ゼンの話始めた内容が予想外だったのか、ノゾムが困惑したような顔をした。
しかし、ゼンは構わずに話を続ける。
「その方には過去、唯一ものにできなかった女性がいたそうです。普通であれば好感度が上がるであろう言葉をかけたのに、大きく機嫌をそこねてしまった、と。なぜだと思いますか?」
「なんの話してんだよこれ……いや、まぁエロゲーだしそれが外れの選択肢だったってだけだろ?」
「そういうことです」
「は?」
ノゾムが首をかしげた。ゼンがなにを言いたいのかわからないようで、眉を寄せている。
「女性には思いだしたくない過去があった。何気なくかけた言葉が、偶然にもその女性にその過去を思い出させてしまったんです」
「だからわかんねーって。結局なにが言いたいんだ?」
ノゾムの口調に剣呑なものが混じり始める。ゼンとしては自分で気づいてほしかったのだが、これ以上は危険だろう。咳払いをして続きを話す。
「失礼しました。つまりですね……相手の事情を把握してから行動しないと、ノゾム様の思ったとおりの展開にはならない、ということです」
「なん、だと……っ!? っていやいやいや! エロゲーと現実を一緒にされても!」
「そうでしょうか。『えろげー』が仮想的なものであることは承知しています。ですが逆に考えてみてください。再現ですらそういうことがあるのです。この世界の女性はもっと複雑な事情があってもおかしくはないでしょう?」
「……」
ゼンの言葉にノゾムは深く考えこみ始めた。
そして、考えこみ、考えこみ――
「……た、たしかに!」
衝撃を受けたように目を見開いた。
ゼンは手ごたえを感じ、内心でガッツポーズをする。
「強引に出会いを演出しても逆効果。女性と仲良くなりたいのでしたら、まずはその方を知ることから始めるべきです」
「そっか……よく考えてみたらそうだな」
「……! そう! そうです!」
ゼンは狂喜し、身を乗り出した。
今回の異世界人はものわかりがいい。久しぶりにゆっくりと眠れそうである。
「もし協力が必要であれば本部の対策課にいらっしゃってください。全力で協力して――」
「つまりよく観察してから助太刀すればいいんだな!」
「ええ。よく観察してから……はい?」
ゼンはピシリ、と石のように固まった。
聞き間違いだろうか。まじまじとノゾムを見つめるが、すでに心は決まってしまったらしい。晴れ晴れとした顔で立ち上がった。
「よしわかった! んじゃさっそく助けが必要なイベントを見つけてくる!」
「ち、違います! 私は自発的に探すこと自体をやめていただきたいのであって……っ!」
まさかの解釈にゼンは慌てて手を伸ばす。だが時すでに遅し。その超常的な身体能力でノゾムの姿は風のように目の前から消えていた。
「……ま、まぁ強引な介入はしなくなるだろうし。うん。大丈夫、かなぁー……」
幸いノゾムは自分のいる帝都支部に所属している。自分が注意深く監視していけば問題ないはずだ。
そうだ。そうに違いない。そうに違いないと今決めた。
ゼンはそう自分に言い聞かせると痛む胃を抑えながら帝都へと帰還した。
************
――ドンドン!
「グー……ガー……」
――ドンドンドン!
「グー……ガー……」
――ドンドンドンドンドドドドドドド!!
「……フガッ!?」
翌日の朝、久しぶりの休日に爆睡していたゼンを叩き起こしたのは凄まじいノックの嵐だった。
「ちょっ、ちょっと!」
慌てて布団をひっぺがし、着替えもそこそこに玄関へと向かう。その間も爆撃ノックは留まることをしらず、むしろ悪化し続けていた。
「あの! 近所迷惑も考え――ってリュミさん?」
扉を開けた先にいた下手人は昨日話したばかりの同僚であるリュミだった。
すわ家にまでからかいにきたのかと引きかけるが、どうも様子がおかしい。
いつもの余裕そうな表情はどこへやら顔面蒼白でこちらを見ていたのだ。
「ゼンくん……」
「えっと、あの……どうしたんですか?」
「異世界人が……異世界人が……」
「……っ! 異世界人がどうかしたんですかっ?」
対策課に勤めて数年。その経験が語っていた。
これから聞くことは異世界人という存在の負の側面――そこから生み出される災厄の一つであることを。
「異世界人が村を壊滅させたって……っ!」
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