第21話 二つの瞳

ガシャァァン、と調度品の砕ける音が部屋に響いた。


それを皮切りに書類が床に落ちる音、なにかが破れる音がひっきりなしに鳴り続ける。


やがて音が静まると、今度は荒い息遣いが聞こえてくる。


「はぁ、はぁ……! くそっ、くそくそくそ! ざっけんなあの女!」


キャロラインは血走った目でそう叫んだ。


あの後、個展を後にしたキャロラインたちは一度、報告のため王城へと戻った。


だが、そこで待っていたのは皇帝の侮蔑の眼差し。そしてその口から出た『切り時か……』という言葉。


「マズイ、マズイ、マズイ!」


このままでは后妃どころか命が危ない。


だが、好感度を上げようにもシェリルたちが邪魔でどうにもならない。


「なにか、なにか方法は……」


「お困りですか?」


「……っ!?」


不意にかけられた声にキャロラインは勢いよく背後を振り返った。


そこには黒装束を身に纏った男がドアに背を預けるようにして立っていた。


「だ、誰……?」


この部屋に入ったとき、室内には誰もいなかった。鍵も閉めたから新たに入ってくることもできないはず。


キャロラインは警戒しながら黒装束へと問いかける。


「まぁまぁ、誰でもいいじゃないですか。それよりも今日は耳寄りな情報をお持ちしましてね……聞いてもらえます?」


黒装束の言葉にキャロラインは眉をひそめた。


どうやら暗殺者の類ではないようだが、それならそれで無礼がすぎる。


勝手に人の部屋に侵入し、あまつさえ名乗りもしない人間の言葉を誰が聞くと思っているのか。


「いま虫の居所が悪いの。失せなさない」


「ありゃ? いいんです? あなたの今の状況をなんとかできるかもしれないのに」


「……なんですって?」


キャロラインは思わず聞き返した。


今の口ぶりからしてこの男はキャロラインの事情を把握している。


――いったいどこまで。


キャロラインは探るような目線を男に向けた。


「私がどういう状況かわかってるわけ?」


「もちろんぜーんぶ把握してますよー。ここ最近、失態続きで婚約者の地位を脅かされていることも、あなたが異世界からの転生者ってこともね」


「!」


間違いない。この男は全部知っている。


キャロラインはゴクリ、と生唾を呑み込んだ。


「聞く気、でてきました?」


「……いいわ。言ってみなさい」


この男が胡散臭いことに変わりはない。


だが、今は藁にもすがりたい状況なのも事実。


キャロラインは腕を組むと、藁にもすがる思いで男に続きを促した。


「そうこなくっちゃ」


そんなキャロラインに男は指を鳴らすと口を開いた。


「それでは教えましょーか。劣勢の状況。それを覆せる一発逆転の手段とは――」


男の口から方法が語られる。


その正気を疑う内容にキャロラインは驚愕し、その瞳を迷いで揺らした。



********************



「招待状、ですか?」


「ええ、舞踏会へのね。しかも彼女からよ」


個展での一幕から二日、ゼンたちが身を寄せているドミニク伯爵邸に招待状が届いた。


差出人はキャロライン・モリス。件の転生者その人からであった。


「あれだけボコボコにされたというのに、まだ諦めていないとは……」


「そうね。個展で最後に見たときの彼女はひどく追いつめられていたように見えたのだけれど」


ゼンはセスとシェリルのやり取りに肩をすくめる。


この世界にくる異世界人は精神的に不安定な傾向にあるのだが、意外にも根性があるらしい。


「それに、問題はそれだけじゃないわ」


「なぜ私たちが伯爵邸にいることがバレたか、ですね?」


弱みを握ってドミニク伯爵にここを提供させたのはゼンだ。


つまり情報が洩れるとしたらその過程のどこかということになる。


考えられるいくつかある。


・ ゼンが尾行されていた。


・ ゼンが伯爵の弱みを教えた異世界人――リョウヤが漏らした。


・ 伯爵が漏らした。


一つ目に関してはあり得ない。


ゼンの尾行に対する技術は一流のそれと遜色ない。キャロラインや、その支配下の貴族が雇える程度の密偵クラスなら即座に気づいていただろう。


二つ目もまずない。


リョウヤはとあることを条件にゼンに見逃されている身である。裏切れば抹殺されることがわかっていてそんな馬鹿な真似はしないだろう。


ならば残るは三つ目。


「さて。どういうことですか、伯爵?」


ゼンはそう言って執務中のドミニクのほうを見た。


「……は?」


不意に自身にかけられた嫌疑にドミニクがペンを取り落とす。


そして状況を理解したのか慌てて首を何度も横に振った。


「し、知らん! ワシはなにもしておらんぞ!? 疑うなら好きに調べろ!」


「ふむ……」


ゼンが見た限り、ドミニクは嘘を言っていない。


また、何度も接触したことで覚えたキャロラインの力の気配もない。


となると――。


「……」


「ゼンさん?」


黙り込むゼンにセスが怪訝そうに声をかけてきた。


ゼンは我に返ると首を振る。


「いえ、なんでも。それより――」


「ただいま戻りました!」


ゼンの言葉を遮るように執務室にグレイスが入ってきた。


ゼンはセスとの会話を中断し、グレイスのほうを見る。


「グレイスさん、ご無事でなによりです。帝都はどうでした?」


会談に出席しておらず、顔の割れていない彼女には帝都の様子を見にいってもらっていた。


ゼンの質問にグレイスは頷くと、口を開く。


「帝都では先日の個展後にゼン様たちが流布した噂でもちきりになっていました。こうしている今もキャロラインの力は弱体化し続けているはずです。ただ……」


「ただ?」


「モリス領で交易をしてきた商人と話したのですが、住人の様子が変わっていたらしいのです」


住民たちの様子。


ゼンはその言葉で以前、セスがモリス領を調査したときのことを思いだした。


あのとき判明したのはモリス領の住民がもれなくキャロラインの力の支配下にあるということだった。


それが変わったということはつまり――。


「支配が解けている……?」


「おそらくは」


「だけどおかしくないかしら。力が弱まった影響にしても急激すぎない?」


ゼンもその意見には同意だった。


なにせ相手は転生者、蛮神から力を授かった者だ。


たった二回の妨害で領民の支配ができなくなるとは考えづらい。


「もしや領民や名家の子息に割いていた力をすべて殿下に集中させたのでは?」


「「なっ……」」


セスがこぼした仮説にシェリルとグレイスが目を見開く。


もしそうならレグナの解放がまた遠のいてしまったことになる。


だが、ゼンはそんなセスの意見をかぶりを振る。


「いえ、その可能性はまずないでしょう。キャロラインの力が私の知る『乙女げーむ』を元にしたものであるのならば好感度――支配の強さを分配するということはできないはずです」


「……それを早く言ってください」


いらぬ恥をかいたではないか、そんな目をしてくるセスから目を逸らし、ゼンは咳払いをする。


「とにかく、キャロラインの真意はわかりませんがこれは絶好の機会です」


「そう? むしろ私は罠のように思えるのだけれど」


ゼンはシェリルの言葉に頷いた。


シェリルの言うとおり、これがキャロラインの罠なのは間違いない。


だが。


「それでもキャロラインの力が大きく削がれているのも確かです。先日の個展の様子から見てあと一押しで殿下を正気に戻せるはず。ならば……」


「ここは危険を承知で飛びこむべき、と?」


「はい。それにこれ以上は回復の時間を与えるだけかと」


首肯するゼンにシェリルがしばらく考えこむ。


今この場に公爵夫妻はいない。


キャロラインの国益的な価値が下がっている今なら皇帝も動いてくれるのではないか、そんな考えから再度皇帝への直訴に向かったのだ。


そして留守の間の決定権は彼女に一任されている。


シェリルにかかる重圧はゼンの想像以上のものだろう。


「……いいわ」


シェリルはしばらく目をつむっていたが、不意にそう呟いた。


ゼンの、セスの、グレイスの視線が彼女へと集まる。


「招待に応じましょう。この舞踏会を――決戦の場とします!」


そう宣言したシェリルの瞳には揺るぎない覚悟の炎が宿っていた。

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