第11話 力の片鱗


「……ゼンさん」


レイライン邸を出てしばらくたった頃、不意に背後のセスが口を開いた。


ゼンはセスを一瞥し、頷くと路地裏へと入っていく。そして行き止まりにさしかかったところで呟いた。


「――よし、いいぞ」


ゼンたちと行き止まりとの空間がぐにゃりと歪んだ。


歪みは大きくなり、やがて元に戻るとその場には一人の男が倒れていた。


「く、くそっ! いったいなんなんだ!」


男がみじろぎして喚く。


その両手両足は透明な立方体で拘束されていた。


「無駄ですよ。空間を固定していますから破壊は不可能です」


「流石だな。潜んでいる敵を支配空間に取り込んだうえ、拘束までするとは」


とんでもない力である。


聞けばセスの家系に伝わる一子相伝の魔法らしいが――


「……ところで、いつ気づいたんですか? 私がこの男を捕縛したことに」


「最初からだ。部屋一つ分の遮音結界と周囲の探知なんてお前なら無動作で発動できる。それをしなかった時点で察してたよ」


「……気持ち悪いです」


「なんでだよ……」


そっと顔を逸らすセスにゼンはげんなりした。そして気持ちを切り替えると話を再開する。


「で、そいつは密偵なのか?」


「はい。あの場では否定しましたが間違いないでしょう。なにせ天井裏にいましたから」


「なるほど」


ゼンは屈みこみ、男の身なりを確認していく。


黒い外套に肌を覆う包帯、そして首元には目の形をした首飾り――


「依頼人を特定できるかもな」


「本当ですか? 仮にも密偵。大人しく話すとは思えませんが」


「ああ。だから別の人間に聞く」


ゼンはそう言って首飾りを回収すると立ち上がった。


「どこへ?」


「ちょっとしたツテがあってな。そこをあたってみる。お前はキャロラインを探れ」


「……了解です。連絡はいつもの方法で」


ゼンたちは頷きあい、二手に分かれる。


異世界転生対策課のレイライン領での任務が始動した。



*********************



ゼンと別れたセスは馬車に乗りこみ、モリス領に来ていた。


活気のある露店街を散策しながらセスは首をかしげる。


「いくらなんでもおかしいです」


活気がありすぎるのである。


さすがにレイライン領には劣るものの、男爵領としては破格すぎる。


「すみません」


セスは適当な露店に話を聞いてみることにした。


匂いからどうやら甘味を販売しているらしく、看板にはクレプと書かれている。


「いらっしゃい!」


「あの、クレプとはなんですか?」


「ん? お嬢ちゃん、クレプを知らないのかい?」


店主が意外そうな顔をする。


口ぶりからして、どうやらクレプという甘味はこの領地では相当に有名なものであるらしい。


「ええ。初めてこの領地に来たもので」


「そうかい、そうかい! クレプってのはな、領主であるキャロライン様が直々に考案された甘味だよ。せっかくだ、お安くしとくぜ?」


「そうですか。では一つ」


セスが注文すると店主は黄みがかった液体を鉄板の上で円状に広げ、その上に果実と生クリームを乗せていく。


「ほい、できたぜ! これがクレプだ」


「では……はむ」


セスはあまりのおいしさに目を見開いた。


口の中に広がる濃厚な甘みと果実の酸味。それらが合わさって味に絶妙な強弱をつけている。


ふわふわな食感の生地もたまらない。思わず一口、二口と食べすすめ、セスの手からはあっという間にクレプがなくなっていた。


「……ふぅ。大変美味でした」


「気に入ってくれたかい?」


「ええ。こんなに美味しい料理を貴族の方が思いつくとはにわかには信じられませんね」


「だろ!?」


セスがそう言った瞬間、店主の顔色が変わった。


興奮したように身を乗りだし、セスへ迫る。


「キャロライン様はすげぇんだ! いきなり領地改革を始めて、あっという間にここまでの活気を呼びこんじまったんだよ! まったく大したお方だぜ! なぁみんな!」


「ああ、まったくだ! 俺ぁキャロライン様のためなら命だって張れるぜ!」


「私もよ!」「ワシもだ!」「俺も!」


店主の言葉に周りの人間も次々と同意していく。


その目には揃って狂気的な光が宿っていた。


――そして、濃密な魔力の気配も。


「……なるほど」


セスは得心がいったようにそう呟いた。


なんとなくではあるが、今回の婚約破棄のカラクリが見えてきたような気がしたのである。


「これは……少し面倒なことになってきましたね」


セスは億劫そうにそう言うと、さらなる調査をおこなうためモリス邸へと歩を進めた。



********************



セスと別れたゼンは商業区域の外れにある寂れた雑貨屋に来ていた。


建付けの悪いドアを開いて中へと入る。


薄暗い室内には不気味な物品がところ狭しと並んでいる。


「……いらっしゃい」


ゼンが入ってきたことに気づいたのか店主らしき老婆が歩み寄ってくる。


陰気な気配を漂わせるその姿はまるでおとぎ話に出てくる魔女のようだった。


「なにをお求めかな?」


「そうですね……逆さ墓標に供える花束を」


「……送り主は?」


「墓守に」


ゼンの注文に老婆が目を細める。


そしてしばらく沈黙すると再び口を開いた。


「……ついてきな」


老婆に促されゼンは店の奥へと歩いていく。


そこにはもう一つ部屋があった。中は閑散としていて一組の机と椅子、そして水晶玉がポツリと置いてあるのみだった。


「やっぱりな」


ゼンはそう呟いた。


ゼンのツテは抜け目のない性格だ。各地の、こういった目立たない店舗に連絡手段を用意していると思っていたのである。



「終わったら知らせな」


「感謝します」


ゼンは老婆が部屋を出るのを確認すると椅子に座った。


そして、水晶玉の表面に坂さまになった十字を描くと手を乗せる。


『この波長は……アニキか?』


しばらくして、頭の中に声が響いた。


その声が目的の人物であることを確信すると、ゼンは話したいことを思い浮かべる。


『久ぶりだな、リョウヤ。あと誰がアニキだ』


『俺らの世界じゃ恩人や尊敬する人間にもアニキって言うのさ。それにしても嬉しいぜ。俺が教えた連絡手段、覚えててくれたのか』


ゼンは通話相手の友好的な口ぶりに顔をしかめた。


相変わらず油断ができない。


声色、言葉の選択、抑揚、そのどれもが計算されつくしている。


『聞きたいことがある』


『連れないねぇ。もうちょっと話題を膨らませてくれよ』


ゼンは零れ落ちかけた返事を押し殺した。


相手は若くして裏社会の大物になった天性の戯言使いだ。


そんな相手と雑談に興じるなど自殺行為である。


『いま思い浮かべた首飾りを着けている組織と、そこにレイライン邸の監視を依頼した顧客を知りたい』


『……あー』


水晶玉の向こうで躊躇うような気配がした。


そして言いづらそうに言葉を続ける。


『あのさ。言ってる意味わかってるか? こっちの業界で余所様の情報流そうものなら――』


『心にもないことを言うな。お前なら問題にもならないだろう』


『……』


にべもなく斬り捨てられリョウヤが口をつぐむ。


難しいような物言いをしたのはゼンから対価を引き出すために他ならない。


ゼンにはリョウヤの魂胆がわかっていた。


『オーケーわかった。今回は特別だ』


『助かる』


『ったく……その首飾りの組織は〈影目〉だ。まぁギリギリ中堅の弱小組織。たしかドミニク伯爵からその依頼を受けてたはずだぜ?』


「……!?」


ゼンは目を見開いた。


求めていた情報が一瞬ででてきたことに驚きを隠せなかった。


『……随分はやいな』


『これでも裏社会の頭はってるからな。そのくらい記憶してる』


こともなげに言うリョウヤにゼンは感心する。


裏社会には膨大な数の組織がひしめきあっている。その末端の一依頼を記憶しているなど尋常なことではない。


『有能さを示せたかい? 困ったことがあればいつでも頼ってくれ。執行対象の俺を見逃してくれてる大恩には報いたい』


『は?』


ビシリ、と手元の水晶に亀裂が奔った。


ゼンは怒りをこめてリョウヤへと念を送る。


『勘違いするな。俺がお前を後回しにしているのは協定があるからだ。破れば即始末する。地獄の果てまで追いつめてな』


『……肝に銘じとくよ』


ゼンは水晶玉を握りつぶした。


通話が強制的に切断され、ゼンは席を立つ。


「すみません、これ弁償金です」


店を出る際、カウンターに相場の金額を置いておく。


変えはリョウヤが手配するうえ、老婆はあの水晶玉についてなにも知らないのだろうが気持ちの問題だった。


「さて、一度セスと合流したいが――っ!」


そのとき、ゼンは馴染み深い魔力が自身の身体を通過するのを感じた。


噂をすればなんとやら、セスの連絡である。


『ゼンさん、緊急事態です。キャロラインの取り巻きが兵を連れてレイライン邸へ。急ぎ戻ってください』


内容は穏やかなものではなかった。


だが、問いただすことはできない。


先ほどの水晶と違い、この魔法はセスの魔法の派生技。連絡は一方的なのである。


ゼンは自身に強化魔法をかけるとレイライン邸へと急いだ。

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