閑話『ソフィア』
初めは、少し怖かった。
この辺では珍しい真っ黒な髪色に、
怒っているみたいな無表情で口数の少ないその姿に、なんだか責められているような気がして苦手だと思った。
どちらかといえば一緒にいたピンクの髪の女性ハンターの方が、優しそうで話しやすいかもなんて思ってた。
少しして、2人の名前がジャスパーとミルレアだというのを聞いて、貼り紙を見て院長の病気を治しに来てくれたのだと知った。
嬉しかった。
自分でもあまり報酬のおいしい依頼ではないというのはわかっていたから。
私程度の奇跡ではあまり価値もないだろうと……ただそれは、院長が奇跡を教えるって後から言ってくれたから、奇跡に価値を見出してくれるなら大丈夫かなって計算もあった。
そんな中で2人がやってきて、依頼を受けるとそう言ってくれて、伝えきれないほどの感謝があった。
不安だったのは、2人がクリス・アラカンに勝てるのかってことだったけど、それは院長が「大丈夫ですよ、あのお2人なら」って言ってたから信じることにした。
実際、院長の言った通り2人は、毎日スクータヴ迷宮に潜ってはダンジョンのモンスターを倒して危なげなく帰ってきた。
私は下の子たちの相手をしながら、2人の分の食事を追加で作ることにした。元々皆の分を作ってたから2人増えたところでそんなに変わらない。
どちらかといえば、2人が美味しそうに私の料理を食べてくれることがとても嬉しかったぐらい。
夜は、ほとんどの日は一人前の修道女になるため言葉遣いの練習をしていた。
もともと院長に教えてもらっていたのだけど、今はそういう訳にもいかないから、今までの勉強を振り返りながら苦手な敬語の練習を繰り返してた。
けど教えてくれる人がいないからあんまり進んでいる気はしなくて、もしこのまま院長が死んじゃったらどうしようってすごく不安になった。
――怖かった。
そんなある日、ジャスパーが勉強していた私の前に現れた。最初は後ろから急に現れたからとてもびっくりしたのを覚えている。
「何をしているんだ?」
そう言って、私が勉強するために広げていた紙を見て、ジャスパーは悟ったみたいだった。
勉強している理由や行き詰っていることなどを話して、この頃には、ジャスパーが見た目や雰囲気よりも優しい人だって言うのはなんとなくわかっていた。
一緒にいたミルレア……ミルに人となりを聞いてみた時も、彼女は笑いながら「感情が表に出にくいだけで、怖い人じゃないよ」と言っていた。
けど、その話をした後、彼が告げた提案にはとても驚いた。何せ、
「お前の敬語の勉強、俺が見てやる……だから代わりにお前の持つ奇跡の知識や技を俺に教えてくれ」
そんなことを言ったのだから。
私としては願ってもない提案だったので、二つ返事で承諾したのだけど、逆に提案してきたジャスパーの方が驚いた顔をしていたのは不思議だった。
その夜は、そのまま提案通りジャスパーのレクチャーを受けながら停滞していた敬語の勉強をした。
……実は普段敬語を使っていないし、トレジャーハンターというのもあって、ちゃんと知識があるのかなって不安だったんだけど、それは杞憂だった。
ジャスパーは不思議なくらい言葉遣いに詳しかった。
トレジャーハンターは職業柄、学校に通っていない人も多いし、言葉遣いなんて勉強してる人は稀だ。たまにいる貴族からトレジャーハンターになった人とかは別だけど、そういう人は大抵身なりも高価なもので固めていることが多かった。
ジャスパーは
それなのにそこまで言葉遣いに詳しいことは、不自然なくらいだった。
けど納得もした。
日々命をかけて迷宮探索をするトレジャーハンターにとって、知識はとても大事な資産だと聞いている。
迷宮の地図とか、魔法の詠唱とか、モンスターの情報とか。
相手の持つ情報を教えてもらうには相応の対価が必要だ、ジャスパーはその対価を私程度の奇跡の知識でいいといった。
依頼が完遂できれば院長にもっとちゃんとした知識を教えてもらえるのに、だ。
それはジャスパー自身が、自分の知識にあまり価値を感じていないからだと思う。私にとってはとても大きな物でも、ジャスパーからしたら”前座として教えてもらう奇跡の基礎”と引き換えにしても、問題ない程度の物なのだろう。
貴族ではなかったとしても、当たり前にそういう教育を受けられる立場の人間だということだ。
そう考えて私は、彼がどうやって生きてきて、ここに居るのか……それを知りたいと思った。
その日は私の勉強だけ付き合ってもらって、奇跡のレクチャーはまた後日することになった。
「ありがと!」
別れ際、今日の感謝をジャスパーに告げた。そのころには、ジャスパーに対して感じていた恐怖も、気後れも既になくなっていた。
そんな私の言葉に、一瞬きょとんとした顔で固まったジャスパーだったけど、すぐに何かを思い出したように返事をして、
「ああ……それじゃあ、おやすみ、いい夢をみろよ」
なんて言って笑った。
その表情が先ほどまでの仏頂面と全然違う、本当に優しそうな柔らかな笑顔だったから、私は思わず息を止めてしまった。
院長が、私たちに見せてくれる笑顔みたいな、記憶の奥底にうっすらと残っている、パパとママの顔のような……親しい人に向けるその表情に。
上手く別れの挨拶を告げられたかわからない。ただ自分でも感じたことのない感情に支配されて、その日は上手く眠ることが出来なかった。
次の日から、ジャスパーと2人きりの奇妙な勉強会が始まった。
ジャスパーに言葉遣いの勉強を教えてもらって、それが終われば逆に、私がジャスパーに奇跡のレクチャーをする。
毎日1時間づつの計2時間、夕食後の空いた時間でそれを続けた。
その時間はとても楽しかった。勉強した内容が身についていくこともそうだけど、何よりジャスパーと2人でしているということそのものが。
もっと彼のことを知りたい。話していたい。……あの時の笑顔を見たい。
そんなことを考えて、勉強会以外の時間も色々と理由をつけては話しかけてしまった。
少しだけ、うっとおしがられるかもと思ったけれど、顔色を変えずに相手をしてくれたからホッとした。
この感情が何なのか、実のところ私自身もよくわかっていない。
下の子たちに”好きなんでしょ!”とからかわれたこともあった。その時は慌てて否定してしまったけれど、それも間違いではないと思う。
ジャスパーのことは好きだ。
ミルも院長も、シャロも、リィも、皆が好きだ。
その『好き』に違いがあるのか、この修道院から出たことのない私には、人生経験の浅い自分にはよくわからなかった。
けど、少なくともこの感情が嘘ではないことは私にも分かった。彼のことを知りたいとそう思う気持ちには偽りはないのだと。
そんな日々が何日か続いた。
けれど院長が倒れたことで、状況は一変した。
私の奇跡で病状を軽くするのも限界だったのだ。予想よりも早く院長の体には限界が来ていた。
このままでは死んでしまう。そう思った私は人目も気にせず泣いて、泣いて。迷宮探索から帰ってきたばかりのミルとジャスパーに思わず泣きついてしまった。
2人はそんな私を宥めて、必ずクリス・アラカンを倒して、薬の素材を獲ってきてくれると約束してくれた。
戦う力を持たない私はその言葉を信じるしかなかった。ミルに言われた通り薬の調合の準備をして、2人の帰還を待つことにした。
直接、力にはなれないけれど、1つだけできることがあった。
ティアドロップ。教会に伝わる奇跡の1つ。
自らの願いと思いを、神力を使ってクリスタルに込めることで、渡した相手を守る。
クリスタルの切り出しも初めてで、本当に不格好な贈り物になってしまったけれど、今の私の全身全霊を込めたそれが、ジャスパーの命を守ってくれるように、ただそれだけを願った。
待つ間、不安に押しつぶされそうだった。
2人が強いことは知っていたけれど、何日か前に1度クリス・アラカンに挑み敗北したと聞いていた。
次は勝つとそう言っていたけど、まだその日から1週間も経っていないのだ。本当に勝てるかはわからない。
気を紛らわせるように、できうる限りの準備を続けて、帰りを待った。
普段は元気に遊んでいる下の子たちも今日はおとなしい。いつもは仕事をお願いしてもサボリがちなシャロが積極的に手伝ってくれたことには少し驚いた。
そして迷宮に
「ミル!ジャスパー!」
「ごめん遅くなったね、戻ったよ」
「ううん、いいの!ちゃんと戻って来てくれたから! ……けどジャスパーは!?」
戻ってきたとき、ミルは背にジャスパーを背負って血や泥にまみれたボロボロの姿だった。
背負われているジャスパーはもっとひどい。着ていた装備は血で真っ赤に染まっていて、意識のないぐったりとした姿で顔色はとても悪い。
つい先ほどまで見ていた院長と同じ死の色をしていた。胸の奥がきゅっと掴まれたように苦しくなる。
「ああ大丈夫、今は気を失っているだけだ」
「でも……ギルドでは治療しなかったの?」
「そこまで距離も離れてないし、ちょっと理由があってね……修道院で治療した方がいいと思ったんだ」
ミルはそう言いながらジャスパーを背負ったまま門をくぐって修道院へ入ってきた。
疲労は見えるけれど足取りは確かで、大きなけがはしていないみたいだった。
ただそうなればその体の血は全てジャスパーの物ということになるので余計不安になる。そんな私にミルは言った。
「ジャスパーのことは一旦ボクに任せて。それよりも、ソフィアはこれを」
「! ……これ」
ミルから手渡されたのはこぶし大の紫色の水晶のかたまり。
――ずっと探し求めていた治療薬の最後の素材、クリス・アラカンの眼水晶だった。
「ボクらにできるのはここまでだ。ここから先……実際にイザベラさんを助けるのはキミだ」
「ミル……」
「任せたよ」
私を信頼して、ミルは笑ってそう言ってくれる。
なら、その信頼には答えなくちゃ。
「……分かったわ!」
これがあれば、院長を助けられる。その為にずっと調べていたのだ。調合の仕方も、薬の使い方もわかっている。
「ボクもジャスパーを助けるために全力を尽くすから、そちらが落ち着いたらまた手を貸してね」
「ええ、もちろん!」
私はそう言って、ソフィアから眼水晶を受け取って院長室へ戻った。
そこからはとにかく全力だった。
眼水晶を割って中央に存在する、人間であれば水晶体に位置する核を取り出して削って粉にする。
それを他の材料と混ぜ合わせて調合し、寝たきりの院長にどうにかして飲み込ませた。
それを何度か繰り返しながら、奇跡で補助して全身に薬を行き渡らせる。
すぐに効果が出るわけじゃない。1週間か、10日か――長期戦になるだろう。
「薬の材料はたっぷりあるわ! ……必ず助ける」
たとえ何日かかったとしても、絶対にあきらめるつもりはなかった。
効果が現れ始めたのは4日経った頃だった。
徐々に院長の病気の進行が遅くなって、止まった。
奇跡の効きもよくなって、5日目には少しづつだが回復に向かっているのが分かった。
同じタイミングでジャスパーも目を覚まして、痛々しい恰好こそしていたけれど命に別状はないようだった。
よかった。
そう思うと同時に私は思わず泣いてしまった。
この数週間で、私はとても泣き虫になってしまったように思う。
今までも悲しいことはあったし、院長の病気が分かった時も泣いたけど、ここまでじゃなかった。
下の子たちにあまり弱い姿を見せられないと気を張っていたんだと思う。院長が倒れてしまって、私より年上の大人で、頼れる人がいない状況だったから。
私たちは孤児だ。助ける価値もないし意味もない。院長みたいな人の方が稀なのだ。
けれど、2人は。ジャスパーとミルは私にも、下の子たちにも分け隔てなく接してくれた。
助けてくれた。 ――頼るべき存在でいてくれた。
どれだけ嬉しかったか。どれだけホッとしたか。きっとその全てを2人に伝えきることは出来ないだろう。
そしてその時間もない。2人は依頼が終わればここから出て行ってしまう。
2人にも目的はあるし、それはこのスクータヴで全て叶うものじゃないことはわかっている。
できるならずっと一緒にいて欲しいと、そう思ってしまうけれど、私にはそれを口に出す資格もなかった。
だから、2人に……ジャスパーにどんな顔をして会えばいいのか分からなくて、私は院長の看病を言い訳にして自分から会いに行かず逃げてばかりだった。
私の心の葛藤も無視して、時間は無慈悲に流れる。
うじうじと悩んでいる間に、2人が出発する日になってしまった。
1ヶ月半。
短くはない……けれど時間はとても早く流れたように思う。
何度もダメだと思ったけど、2人は約束を守ってくれた。
きちんと依頼を遂行してくれた。
門をくぐって、修道院を後にする2人に、院長や下の子達が別れの挨拶をしている。
私は少し離れてその光景を眺めていた。
ジャスパーがそんな私に気づいて、こちらに歩いてくる。
思わず私の心の中で、相反する感情が渦巻く。
こっちに来ないで、何を言ってしまうか分からないから。
ここにいて欲しい、もっと勉強を教えて欲しかった。
ふたつの感情に両側から引っ張られて動けない私の下にきたジャスパーが、無言で私の目を見つめる。
「っ……」
何か、言わなきゃ。
このまま何も言えずに離れ離れになってしまう。それだけは、本当に……
「……!」
そんな風に動けない私の頭に、ごつごつした大きな手が触れた。
ジャスパーの手だ。既にクリス・アラカン戦の傷は癒えているみたいで、折れた腕に巻いていた包帯はもうない。
私と比べたらひと回りもふた回りも大きい、男の人の手――安心感から思わず目を瞑ってしまう。
私の髪を撫でて、しばらくしてジャスパーは手を引っ込めた。小さな喪失感に思わずねだるように彼の顔を見る。堪えきれずに、一筋の涙の雫が私の目から
そんな私を見て、いつかの夜のように優しい笑顔でジャスパーは告げた。
「泣くな……また会える」
また、泣いてしまいそうになって、けれど私は全力で踏みとどまった。
ああ、そうだ。
これは
この世界で生きていれば、きっとまた会えるのだ。
なら、今私が伝えるべきなのは、"ごめんなさい"でも"行かないで"でもなくて。
「うん! ……また会いましょう!」
「いつかまた!」
再会を誓って、今ここで抱えた全てを彼に預けることのないように。
次会う時に、本当の気持ちを伝えられるように。
約束をするのだ。
「……行ってしまいましたね」
「……はい」
2人の背が見えなくなって、それでも動かずに丘の向こうを見続けて動かない私の下に、院長がやってきてそう声をかけてきた。
私はその言葉に返事しつつも、目はずっと遠くを見つめたままだった。
「……ねえ、院長」
「なにかしら?」
小さく呟いた私の声に、院長は聞き逃さずに返事を返してくれる。
考えるのは今後のこと。病気が治っても、院長の目は見えないままで、依然として私たちは寄る辺のない孤児だ。
どれほど勉強して、修道女として大成しても、この孤児院に入ってくるお金は少ない。
教会からも
だから、何か他の収入源が必要だった。
「私、勉強を頑張るわ。一人前の修道女になれるくらい勉強して、院長を支えられるようになる」
「もしまた、院長が倒れてしまっても、今度はみんなを守って院長の代わりになれるように努力する」
「だから……」
喋りながら、無意識に手を強く握りこんでいた。
院長は私の言葉を静かに聞いてくれていた。
「だから、もうこの場所を任せられるって思えたら……院長が動ける間でいい……私、トレジャーハンターになりたい」
「……」
私の答えを予想していたのか、院長は顔色ひとつ変えずにこちらを見つめていた。
見えていないはずなのに、的確にこちらを射抜くその視線に心を見透かされている気がして緊張する。
「……それは、なぜ?」
「……いっぱい理由はある、けど……大きいのは2つよ」
けれど、私はそれから逃げたくない。体の向きを変えて、真正面から院長と向き合う。
「みんなを守るため、そのために今以上のお金がいるから……それと、」
「ジャスパーに成長した私を、見て欲しいから」
今よりもずっと強くなって、この感謝を返せるくらいに、なりたいから。
「……そうね」
ふっと、空気を弛緩させるように穏やかな笑顔で院長は笑って。
「……いいですよ。もう何年も前の記憶だけれど、私の知恵も授けましょう。これでも昔は教会の
そう言って力こぶを作るように腕を上げた。
「そ、そうだったの!?」
私はその院長のカミングアウトに驚いてつい大声を上げてしまう。
院長はイタズラを成功させた子供のように私の言葉に楽しげに笑った。
「ええ、だけどやるなら徹底的にやりますよ。……再開した時に失望されないように、しっかりとついてきてくださいね」
「――うん!」
私は、両手の拳をつよく、つよく握って院長に決意を伝えた。
何年後かは分からない、10年以上かかるかもしれない。
だけど私は、諦めるつもりはなかった。
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