16話『ネズの目的』



 「……ふぅ」


 数日ぶりに体を洗って、湯船につかって一息つく。


 極限状態がずっと続いていたこともあって、荒れ放題だった髪の毛を手櫛で整えながら手足と翼を大きく伸ばす。


「んっんーぅぅ!」


 コキ、コキと全身を解すと小気味のいい音が鳴って、じんわりと温められていく体から、疲労が解けて流れていく感覚が心地よかった。


 ぷかぷかと。胸と翼を浮袋にして湯船に体を浮かべて全身の筋肉を弛緩させる

 こんなだらけきった姿は誰にも見せられないな、と――ボク、ミルレア・オーンスタインは心の隅で考えるのだった。

 

「……」


 ぼんやりと、これからの事を考える。

 

 たった1つの噂を聞いて、思いついたままについ飛び出してきてしまったわけだけど。

 改めて考えても考え無しが過ぎたなぁと反省する。結果として噂の出所であるヴァンパイアに出会えたからよかったモノの、普通に死んでいてもおかしくない過酷さだった。


 「……うぅ」


 今更迷宮での戦いを思い返して体が震える。ギュッと両腕を抱え込むようにして体を丸めて湯船に沈み込む。

 ぶくぶくぶくと吐く息が気泡になって水面に浮かんでは消えていく。

 

 そのまま30秒ほど沈んでいたが息の限界が近づいて水面にゆっくりと浮上した。


 ゆらゆらと自分で起こした水面に揺られながら照明の光が乱反射する天井を見上げている。


「……ミドリ、か」


 頭に浮かぶのは迷宮で出会った黒髪の吸血鬼の少年の姿。

 自分より年上に見えて、実際は4歳年下の鉄面皮を被った少年。


「……結局、笑わせることはできなかったなぁ」


 あんな極限状態で仕方のないことであるが、密かに考えていた少年を笑わせるという目標は達成できなかったことを思い返した。

 彼の家族らしい赤髪の少年以外には、険しい態度を崩さないその姿にそこはかとない危うさを感じるけれど、残念ながらすぐに心を開いてくれることはなさそうだ。


 「……元々住んでいた世界で、何かあったんだろうか」


 彼の話した、こことは違う世界の話を思い返す。聞いたのは転移に関するところだけだから詳しいことはわからないけど、少なくともボクらの世界とは大きく外れた文明をたどったのだということはわかった。


 彼がそんな世界でどんな事を体験したのかはわからないけど、少なくとも今は共にヴァンパイアの復興を目指す仲間になったのだ。

 できれば、心を開いてくれたらうれしいな、とそんなことを思った。


「あ、そういえば……」


 思えば、ボクが今まで活動してきた中で、ちゃんと協力してくれると言ってくれたのは彼が初めてではなかろうか。


 ヴァンパイアには何度か会ったし、ボクらの村に移住してくれた者たちも何人かいるけど、結局皆、復興活動には消極的だった。

 まぁ無理もない。ガイナース戦争を知っているヴァンパイアたちは皆、自分たちがヴァンパイアであると明かすことを極端に恐れている。復興支援に従事するなら否応なしにそれを明かすことになるのだから、勝算のない活動に投じるリスクに見合ってない。


 

 そんな中で、彼だけがちゃんと手伝うと言ってくれたのだ。

 もちろん彼が異世界出身でガイナース戦争を経験していないこと、この世界のヴァンパイアとして生きた経験がないのが一番大きな理由だから、現実を知ったら離れてしまうかもしれないけれど……



 

 ――それでも、嬉しかった。



 ――仲間がいるということ。それだけでこんなにも心強くなるものなのかと、そう思わずにはいられない。


「……ふへへ」


 顔を半分また湯船に付けて、緩む表情筋を抑える。

 今までボクが生きてきた中で、ボンド以外で初めての仲間だった。


 

 ……願わくば、彼とはよい関係を気付いていきたいものだ。



 


「……どうすれば、心を開いてくれるんだろうか」

 


 それから、お風呂に入ったままそんな事を考え続けていたら、のぼせてしまったのはボクだけの秘密にしておこうと思う。





 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 

「……それは、いったい何の冗談だ?」

「おや、今更とぼける必要もないと思いますが。……言葉通りの意味ですよ、ヴァンパイア」



 ミルが風呂場でそんなことを悶々と考えていた頃、碧は過去一番の危機に直面していた。


 相も変わらず表情の読み切れない狐のような相貌が、俺の内側を見透かすようにこちらを睨め付けている。


(……どこからバレた?いや、いつからだ?)


 思考をフル回転させて、原因とこの場を切り抜けるための方策を考える。

 どうやらネズは俺がヴァンパイアであると確信を持っている。その根拠さえ崩せればどうにか話の突破口を開けるかもしれないが。

 

「悪いが、俺はヴァンパイアじゃないんでね。言葉通りと言われても何のことやら、だ」


 ミルの魔法による隠ぺいはまだ効いてるはずだ。現に領主や空には変化はバレていない。

 

 ……と、思いたいが。


「あはは、まあでも確かに本当にバレてるかはそちら視点ではわからないですもんね」

 

 俺の苦し紛れの言い訳を面白い物を見たとでもいうように笑い飛ばすネズの表情がそんな思いを吹き飛ばす。


「ああ、でも、でも警戒する必要はないですよ。私は危害を加えるつもりはないので」

「……」


 ――何の冗談だそれは。


「何の冗談だって顔してますねぇ。まあそれもそうでしょう」

「王国兵としてはヴァンパイアを見つけたらすぐに上に報告して討伐隊を組むべきでしょうからね」

 

 俺の心を正確に読んで、ネズはそんなことを言う。


「けど正直、私は人間にもヴァンパイアにも魔物にも大して興味ないんですよね。私に害を及ぼすものでなければ見逃すことも多いです」

「そりゃまた随分と有情だな」

「それでよく怒られてますけどねぇ、ええ、ええ」


「なので、私が今回あなたに持ちかけるのは断罪の剣なんかじゃないですよ。取引です、取引」

「なるほど、俺がヴァンパイアだとしたら安堵で咽び泣いてたかもしれないな」

「強情ですねぇ」


 笑いながら、ネズがポケットから何かを取り出しそれをコチラに投げてよこした。

 反射的に受け取るとそれは紙切れの入った小さなガラス瓶だった。

 

「……手紙か?」

「そのよーなものです。とある人物に渡すものなのですが、その人物の居場所を知っているのがたった1人のヴァンパイアだけでしてね」

「どこかで会ったらで構いませんのでそれを渡しておいてほしいんですよ」

「……別にいいが、ヴァンパイアに会う機会なんざそうそうないからな。力になれるかはわからないぞ」

「ええ、ええ、それで構いませんよ。そのヴァンパイアの名前はシュタイノーグ。渡す相手はセルキアという人間です」

「……」


 無言で、その小さな小瓶をポケットに収める。ネズはその姿を満足げに確認して踵を返してドアノブに手をかけた。


「それでは、私はこれで。貴方と――あの少女を見逃す見返り。期待していますよ」

「……そうかい。その温情に身に覚えはないが、覚えてたら渡しておくよ」


 ではでは、とネズが部屋を後にする。閉められた扉の先、コツコツと遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなるまで扉を凝視して。

 やがて完全に音がしなくなってからフッと力を抜くと、どっと疲れが押し寄せてきた。


「……なんだったんだ、アイツは……」


 ポケットに入れたガラス瓶をズボンの上から撫ぜる。

 自分も、ミルも吸血鬼であるということを完全に見破られていた。


 見逃すと、そう口にしていたことから俺たちの正体に気が付いたのは彼だけなのだろう。

 それも結局彼の証言を信じるならば、という話だが……信じるほかにない。


 もう既にこの駐屯地の全員に正体がバレているなら、とっくの昔にゲームオーバーだ。

 グルグルと思考が堂々巡りを繰り返す。

 考えて、考えて。……どうしようもないことに気が付いて俺は考えるのをやめた。

 

「……風呂、入ろう」


 結局、バレた理由も、どこまでバレているのかもわからない以上、対策なんぞ考えるだけ無駄だ。

 俺は心身ともに疲れ切った状態でふらふらとした足取りで浴場へと歩みを進めるのだった。


 ……告げられた、2人の名前を頭の片隅に刻み込んで。




 


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 

「~~♪」


 上機嫌に、狐目に緑髪をした細身の男、ネズが駐屯地の廊下を歩いている。

 つい先ほどまで相対していた黒髪の少年との話を思い出して、やけに上機嫌な様相を露わにしている。


 (しかし、いるとこにはいるもんですねぇ……ヴァンパイア)


 少年とのやり取りを思い出す。

 

 ネズは非常に頭の切れる男だった。

 それは彼が24歳という王国軍内部でも類を見ない若さで1部隊の副隊長を務めていることからでも伺い知れるが、なにより彼の凄い所はその観察眼と豊富な知識だった。


(彼は、どうして自分たちの正体がバレたのか不思議がっていましたが……バレバレなんですよねぇ。ヴァンパイアの話をするときだけ、不自然な瞳の移動が3ミリもありましたし、何より隠蔽魔法特有の魔力の揺らぎが腰辺りと目の部分にありました)


(それに、ソラ君の反応も顕著でした。これは彼も気づいて焦っていたみたいですが)


 その姿を思い出して、思わずネズの口元に笑みがこぼれる。


 そんな風にまるで簡単な事のように告げるネズだが、生憎と魔力の揺らぎを肉眼で感知できる人間など片手で数えるほどしか存在しない。獣人を始めとした他の種族であれば別だが、それでも相応の訓練を積んだ猛者でないとそんなことはできないだろう。

 魔力の扱いや感知に優れる種族でそれなのだから、ネズがどれだけ規格外の存在かが伺い知れるというものだ。


 当の本人はそんなことは全く考えておらず。望む人物への手がかりが1つ見つかったことに無邪気に喜んでいる。


 その人物に会うことが、ネズが王国軍に置いて、最も自由な行動が許されている特務部隊に所属している理由でもある。

 彼にとっての行動原理ともいえる一番大きな目的に少しでも近づけたことは、彼にとっても朗報であった。


(果たして彼がどれほど役に立ってくれるかは今はわかりませんが。せいぜい期待しておくとしましょう)


 自身の不利益になるようであれば切り捨てるだけ。幸いにして彼らの生殺与奪の権は自分が握っているようなものだ。

 いざ目障りなら、特務部隊を率いて彼らを討伐すればいい。


(ソラ君には悪いですが、その時は彼が人質ですかね)


 少年が最も大事にしているであろう家族。


 その中でも自分によく懐き、優秀な駒である空は、今後の事を考えても手元に置いておくのがよさそうだ。



「……ああ、ああ、楽しみですよ」


 ふと立ち止まって、ネズは窓から空を見る。

 青く澄み渡った広大な空がどこまでも広がっている。



「ええ、今度こそ、貴女を殺してあげますから……セルキア」


 蒼穹の先に、目的を見据えて。薄っすらと開いた眼でそう告げるのだった。



 

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