30話『告げるべき言葉』


「あ、ぐぁぁぁぁ……!!」


 尋常じゃない痛みが脳を刺す。チカチカと視界が赤く明滅し獣のような声が口から漏れ出るのが止められない。


 痛い。痛い。痛い。


 脇腹から火が噴出したかのような熱さが身を焦がす。思わず手でそれを止めようと脇腹を抑えれば、ぽっかりと空いた穴の感触が手に伝わってきた。

 触れた左手を伝って液体がこぼれだす。ただでさえ少なくなった血が漏れ出ているのだろう。その流血を今の俺は止められない。


「ジャスパー!おい!」


 ミルの焦った声が頭上から響いて、耳朶を打つ。壁となった水晶を跳びこえてきたのだろうが、生憎と今の俺にはその声を気にするほどの余裕がない。


 痛みに耐えるため、自分の意思に添わず服を握りしめる拳が強く、強く握り込まれる。

 真っ白になるほどの強さで力を込めた手に、食い込んだ爪が皮膚を破ってそこからも血が流れた。


「ジャスパー!!!」


 今度こそはっきりと、凛と響くミルの声が近くで聞こえる。背中に当てられた小さな手の感触が伝わってきた。


「これを飲め!!」


 脂汗を額に滲ませながら、歯を食いしばっていると、唇に何かが触れた。

 液体が唇を濡らす。ミルの指示が聞こえて無我夢中で流れてくるその液体を飲み込んだ。

 味はわからない。喉を濡らすそれを体内に取り込んでいく度に、少しだけ痛みが引いていくような気がした。


(ポーション、か……?)


 少しだけ余裕が出来た思考にそんな考えが過ぎる。

 薄っすらと目を開くと、いつぞや道具屋で買った粗雑な素焼きの瓶が見えた。蓋になっていたコルクは抜かれ、緑色の液体が雫を落としている。

 ポーションで間違いないようだ。俺は流されるままにその液体を飲み続ける。


 痛みが少しづつ収まると同時に、意識を繋ぎとめていた糸が緩んでいくのを感じる。



 やがてプツリと糸が切れたように、俺の意識は闇の中へと落ちていった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ああ、まったく無茶をし過ぎだ」


 自身のポーチを外して、倒れたジャスパーの頭の下に差し入れる。

 ポーションの沈痛効果が効いたからだろう。少しだけ穏やかな顔になってから、ジャスパーは気を失ったようだった。


 チラリと倒れたクリス・アラカンに目を向けるがその巨体はピクリとも動く気配はない。

 先ほどまで、暴れ狂うほどに拡散していた魔力も今は鳴りを潜めていた。


 死んでいる。


「……よくやったよジャスパー」


 これで、イザベラの薬が作れる。ソフィアも喜ぶだろう。

 彼は本当によくやった。

 


「……だからこんなところで死ぬなよ」


 胴体に目を向ければ、脇腹に空いた痛々しい穴が見える。防刃加工が施されていた上着はずたずたに引き裂かれもう使い物にはなりそうもなかった。

 血がとめどなく流れている。けれどその傷の大きさを考えれば出血量はとても少ない。

 いい事のように聞こえるがそうではない。……もはや流れるほどの血が彼の体に流れていないことを意味しているのだから。


 人間なら、このままでは5分と経たずに死ぬだろう。ヴァンパイアとてそれは例外ではない。いくら再生力に優れていると言っても限度はある。

 けれどヴァンパイアなら、やりようはあるし、ボクにできることもある。


 そう考えてボクはマントを外すと服の金具を外して首元を露わにした。少しだけ恥ずかしいが……背に腹は代えられない。


 ジャスパーの体を抱え起こして、膝を滑り込ませて支える。血がボクの服にも付着するが気にしない。

 爪を立てて、自身の首の左側に少しだけ傷をつける、赤い鮮血が滲みだした。

 

「ほら、飲むといい」


 顔を支えて、自身の首へと宛がう。血の匂いを感じ取ったか、意識がないままのジャスパーの鼻がひくつく。

 口が緩慢に動いて探るようにボクの首へと牙を立てた。


「うく……ぁぅ……」


 鋭い痛みを一瞬感じて、けれどそのすぐにその痛みはこそばゆい感覚へと変わる。

 首から血が流れ出るのを感じる。血を飲むことはヴァンパイアの本能だ。意識がなくともできるとは思ったがやはり可能なようだ。

 これで、少しでも彼の傷が早く治ればと願う。魔力の篭った血はヴァンパイアにとって最も体を直すのに適した薬だ。


「うぅ……ん……」

 

 吸血行為に伴う快楽が、じわじわと体を蝕んでいる。けれど状況が状況だ、流されてばかりもいられない。

 ボクは戦いを終え火照った肢体からだを落ち着かせるように、じっと堪えて時間が過ぎるのを待つ。


 1分ほどは経っただろうか。ジャスパーの体を起こす。

 牙がボクの首から抜けて、ぐらりと傾いた体を寝かしつけた。先ほど枕にしたポーチを回収し、代わりに自身のマントを丸めて差し入れる。

 ポーチから手拭いを取り出して、ジャスパーの体の血を拭き取る。露わになる脇腹の傷はまだ治ってはいないが、流血は止まっているようだ。……血を飲んだからだろう、ヴァンパイアの回復力が少しづつ戻りつつある。


「うん、これならどうにかなる」


 安堵する。とは言え少し安静にしている必要はありそうだ。一通り汚れを拭き取った後、ポーションの残りを傷口に振りかけた。

 飲用のポーションなので傷を治す効果こそ見込めないが、消毒にはなる。


 軽い応急処置を終えると、ボクはジャスパーから離れて立ち上がった。改めて大蜘蛛の死体へと向き直る。


「さて……また迷宮に取り込まれる前に、解体しようか」


 そしてそう言って、その巨体から素材の剥ぎ取りにかかった。



 それから半日ほどかけて、ボクはジャスパーを背負ったままスクータヴ迷宮を後にした。


 


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「…………う」


 ぼんやりと、だるさの残る体が脳からの指令を受けて緩慢に動く。

 右腕を持ち上げようとすると、ひきつるような感覚があって遅れて痛みがやってきた。思わず動かしていた手を止める。

 そのまま力無く元に戻した。


「……なに、が……」


 思考にはもやがかかり、記憶を引っ張り出そうとしても上手くいかない。

 ただどうやら俺はベッドで寝ているらしいということは理解できた。

 いや、寝かされていると言った方が正しいだろうか。

 衣服ははだけて、腹部を中心に全身が包帯で巻かれている。その包帯には血が滲んでいて、ベッドシーツにも着いてしまっているんじゃないだろうか、と益体もないことを考えた。

 首を横に向けると、額の上から何かがずり落ちる。どうやら濡らしたタオルのようだ。


 そのまま無気力に天井を見つめているとしばらくして、部屋の外から足音が聞こえてきた。

 ドアノブが回され、軽い音をたてて部屋の扉が開かれる。

 入ってきたのはピンク髪の小柄な少女、ミルだった。


 ミルは入るなり俺の顔を見て、驚いたように目を見開いた。


「あ、ジャスパー!起きたのか!」

「ああ……すまん、迷惑をかけた」

「ううん、こちらこそカバーが間に合わなくてすまない……」


 動物の耳でもついていたなら垂れ下がっているであろう雰囲気でミルが目を伏せる。

 視線を下げるとその手には、木のお盆と水とタオルが置かれている。腕から下げたかごにはリンゴのような果物が入れられていた。


「看病してくれていたのか」

「うん。……病気ってわけじゃないから、この場合は介抱が正しいかな?」


 話しながら、ベッドの横に椅子を持ってきて座るミル。

 机も引っ張り出して、その上に持ってきたものを置いた。

 俺の額から落ちていたタオルを取ると、代わりに新しいタオルを水に濡らして絞ってから俺の額に置きなおす。

 ひんやりとした水の冷たさが心地よかった。


「……戦いはどうなった?蜘蛛は?」


 タオルを変えて、今度はナイフで果物の皮を剥いていたミルに、うっすらと戻ってきた記憶から生じた疑問を投げかけてみる。


「クリス・アラカンは倒したよ。眼水晶もちゃんと持って帰ったから安心して欲しい」

「そうか」


 ならば、この傷も無駄ではなかったらしい。

 そう思ったのも束の間、ずいと顔を近づけたミルが少し怒ったように声を荒らげる。


 

「けど!今回は無茶をしすぎだ!1歩間違えれば死んでいたんだぞ!」

「回避に徹すれば、こんな怪我もすることはなかったハズだ」

「ん……それは……」


 ……言われてみれば。あの時は"攻撃を受けてでもあの蜘蛛をここで仕留める"と考えていたので多少無茶をしたところもあった。

 不意打ちの水晶柱はともかく、その後の前脚による攻撃は問題なく避けられたはずなのだ。

 クリス・アラカンの方もだいぶ消耗していた。あの時仕留められなかったとしても後々チャンスはできただろう。


 それは自身の判断ミスに他ならない。


「わる――


 謝罪をしようとして、それをさえぎってミルの言葉が続いた。


「だけど、2人とも生きて帰ってこれた。今回はそれでよしとするよ!」


 笑って。ミルは言う。

 

「……そうか」


 ……俺たちは生きている。ならどんな失敗も、判断ミスも"些細なこと"だ。


 大切なものを守る。家族を、自分自身を。そのために俺はここにいる。


「……そうだな」


 だから、その命を繋げてくれた、この少女に告げる言葉は謝罪じゃない。


 動く方の左手を動かす。手を突き出して拳を前に。

 そして謝罪の代わりに、今言うべき言葉を告げた。

 

「ありがとう」


 一瞬、キョトンとした顔で。けれど直ぐに意図を理解して笑顔になる。

 そして、ミルは俺の拳に自分の拳をぶつけてこう言ったのだった。


 

 

「……どういたしまして!」


 

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