31話『平等(アマルディア)』
「ともかく、今は絶対安静だ!キミが起きたことソフィアにも伝えてくるからちゃんと寝てること!」
あれからミルはそう言って、部屋を出ていった。
いわゆる、うさぎの飾り切りと呼ばれる形に切って整えたリンゴのような果物を用意して。
俺は問題なく動く左腕で、そのうち1つを取って口に運ぶ。
「……どちらかといえば梨だな」
瑞々しいその果実は、皮の色こそ赤っぽい色だったが、梨に近いあっさりとした味だった。
存外腹が減っていたようで、腹を満たすためにリンゴ梨を黙々と食べ進めているとまたドタドタと扉の外から足音が聞こえてきた、先ほどのミルの足音と比べるといくらか焦ったような、早歩きの音だ。
そのまま勢いよく扉が開かれて、ミルよりも
黒色の法衣に身を纏う少女……ソフィアが泣きそうな顔でそこに立っていた。
「……!」
1秒ほど俺の姿を凝視した後、やがて本当に涙を両目にたたえてこちらに走り寄ってくる。
無言で俺の体に縋り付いて、顔をうずめて泣いている。
「……」
その姿に俺は何も言うことが出来ない。少し考えて、果物を食べ終えて所在なさげに漂わせていたままだった左手を、そっとその頭に乗せて撫ぜた。一瞬ビクっと少女の肩が震えてすぐに俺の手だと気付いたのか体の緊張を解いた。
「……死んじゃったかと……思った」
涙声のまま、ソフィアはぼそっと呟く。
「ミルが帰ってきたとき、背負っていたジャスパーの顔色が……院長と、同じだった」
「……ああ」
土気色だったと、そう言うことだろう。
確かに、能力で使った分と出血とであの時の俺は貧血どころじゃないぐらい血を失っていたはずだ。
その姿を見て、俺と院長とを重ねてしまったのだろう。……それは確かに、俺が死んだと思うのも仕方ない。
「でも……生きてた」
ずっと顔をうずめたまま泣いていたソフィアが顔を上げてこちらを見る。両目から涙の筋を頬に流しながらこちらを見るソフィア。
その顔は喜怒哀楽の感情がない交ぜになったような複雑な色をしていた。
だがそれでもソフィアはグッと溢れ出る涙を堪えて目元を服の袖で拭う。そして泣き笑いながら俺に言うのだ。
「約束。 ……守ってくれてありがとう」
その言葉に、何のことだっただろうかと少しだけ思案する。そして戦いの前日彼女に告げられた言葉を思い出した。
『このティアドロップが、きっとジャスパーを守ってくれる……そう信じてるから』
『だからお願い。院長を必ず助けて』
『必ず、帰ってきて……ジャスパー』
あのやり取りのことが、少女の言う約束だというなら、つまり――
「……院長は、間に合ったのか?」
ソフィアはそんな俺の言葉を受けて、先ほどの泣き笑いとは違う、ただ純粋な歓びだけをたたえた笑顔で言葉を紡いだ。
「……ええ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それから3日が過ぎた。
俺が目を覚ましたのは戦いが終わってから4日経った後だったそうなのであれから1週間経ったことになる。
脇腹と右腕の傷はだいぶ良くなってきた。右腕はもう動かしても問題ない程度に回復したし、脇腹の穴もふさがり後は残るが痛みはもうほとんどない。
普通の人間ならありえない速度の回復だが、そこは体質と異世界ゆえだ。ポーションとソフィアの奇跡により俺の傷は起きた次の日には大部分が治っていた。
寧ろ逆に俺がヴァンパイアであることを考えればかなり遅い、とはミルの談だ。
その理由はヴァンパイアの力の源である血を失い過ぎたからだという。
思い返してみれば、ルバンダート6層で出会ったときのミルも全身ボロボロだった。あの時のミルはもう何日もあの洞窟でグレイビーストと補給もなしに戦闘を繰り広げていたのだから、血も多く失っていたのだろう。
そのミルの言葉を証明するように、3日経ち体内の血液がある程度戻ってきた今の方が体の調子がいい。もう普通に生活する分には何の問題もないだろうと思えた。
数日寝っぱなしで凝り固まった体を解すため、ベッドから降りて準備運動をする。
体を伸ばしながら、逆に回復力が落ちていてよかったかもしれないな、と考えた。なにせ修道院の人たちに俺達がヴァンパイアであることがバレるわけにはいかないのだ。
代表であるイザベラにバレる心配はないが、ソフィアたちにバレて追い出され、このクエストの報酬である奇跡を教われなくなるのも避けたい。
そうなってしまえば、本当に何のために戦ったのか分からなくなる。
ミルが定期的に隠蔽魔法をかけなおしてくれているので今のところバレてはいないが、そろそろこれも自前でどうにかできるようになっておかなければな。
いつまでも頼りきりではいられない。
そんなことを考えながらストレッチを続けた。
そこからさらに5日経った。
俺の体は完全に快復し、そろそろまた迷宮探索に出向こうか、とそう思っていた頃、ようやくイザベラが目を覚ましたと報告を受けた。
1週間以上ぶりに見た、ベットで横たわるイザベラは、相変わらず細い手足で具合が悪そうだったがそれでも薬が完成する前の土気色よりかははるかによい顔色だった。
子供たちが入れ代わり立ち代わり世話をしている。まだ万全の体調というにはほど遠いが、ソフィアが言うには峠は越えたとのことだった。
ただ、彼女がかかっていたウェルニア病は、治ったからと言ってその全てが元通りになる類の病気ではないらしい。
肉体の衰えは時間と共に戻していくことは可能だろうが、失われた目の光は元に戻ることは無いという。
教会に収蔵されている聖典に記された、最上位の奇跡であればそれを治すことも可能だろうとのことだったが、生憎とそれをするだけの金も時間もこの修道院にはない。
ソフィアは悔しそうだったが、イザベラ自身が自分の目を受け入れ、問題ないという以上、それを否定することもできないようでただ
1週間後、車いすでなら何とか動けるようになったイザベラが、またダンジョンで資金稼ぎをしていた俺たちに声をかけてきた。
内容は、そもそもの目的だった奇跡のこと。約束通り、俺たちにイザベラの持つ奇跡の力を伝えるとのことだった。
「このあたりでいいでしょう」
修道院の外れ……倉庫の裏手、屋根のある空き地でイザベラがそう言うと車いすを押していたシャロが足を止めて取っ手から手を離す。
あの日イザベラの容体が急変したことを俺たちに伝えに来てくれた小さな少年は、まだ少し不安そうにしながらイザベラと一言、二言会話を交わすと、車いすから離れ俺たちに会釈をして帰っていった。
なんでこんな場所なのかといえば、ミルが日の当たらない場所を指定したからだ。
一般的なヴァンパイアであるミルは日差しを浴びるとダメージを受けてしまう。それを馬鹿正直にそのまま言う訳にはいかないので、肌が日差しに弱いんだと理由をでっちあげていたようだが、イザベラはそれを疑うこともなく、"それなら"とこの場所を指定したのだ。
車輪に備え付けられた取っ手を器用に回してイザベラが体をこちらへ向ける。
「それでは改めて、この度は私の病気を治すために尽力をしていただき、本当にありがとうございます」
両手を膝の上に揃えて、深々とお辞儀をするイザベラの姿に慌ててミルが反応する。
「そんな!ボクたちも正式に依頼を受けてのことですから、そんなに感謝されるほどのことは……」
「いえ、だとしても。命の恩人である人たちに、どうしても1度ちゃんとお礼を言っておきたかったのです」
「私だけではありません……ミルレア様、ジャスパー様。 ……お2人は子供たちの未来も共に救ってくださいました。あの子たちはまだ幼い。誰か1人でも親代わりになる大人が必要なのです」
「……」
「今のところ、それをなせるのが私だけでしたから、私が死ねば、あの子たちに明るい未来を示してあげられなかった」
光の消えた、真っ白な瞳孔で。目線の定まらないまま、誰がどう見ても、誰かに頼らないと生きていけない病人の姿で。
「だからこそ、感謝を」
それでもなお、イザベラは揺らぐことのない、強い意思で前を向いている。
誇り高いその姿に、俺たちは何も言えなくなった。
そんな俺たちの姿を察したのか、イザベラが少し苦笑する。
「……あまり重い話ばかりと言うのもあれですね」
そして今度は、真っ直ぐにこちらを見据えて、
「私がお2人にお返しできる唯一のもの――私の知る奇跡の力をお伝えいたします」
そう言った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「奇跡は魔法と比較されることの多い力です。起こす現象や形式として似通った特性を持ちます」
「ですが得意とする特性は離れています……魔法が攻撃的、物理的干渉を得意で、奇跡は精神的、概念的な影響が強い」
「その理由は、ご存じですか?」
イザベラはミルのいる方向を向いて、そう問いかける。
ミルは手を唇に当てて、少し思案するがいい結論は出なかったのか眉根を寄せて返答する。
「……いや、わからない。確かにボクもその2つにはイザベラさんと同じイメージがあるけど……その理由までは考えたことは無かったな」
「まあ普通はそうでしょうね……ジャスパー様は、分かりますか?」
ミルの返答に、それはそうだろうとイザベラは同意する。そのまま俺の方に向けてそう質問を続けた。
俺はその問いかけに、こう返す。
「”力の出所と、方向が違うから”だろう?」
「ええ、その通りです」
俺の言葉に、イザベラが満足げに頷く。
ミルが少しだけ驚いたような顔になった後、なにか納得がいったのかすぐにジト目になって俺を睨んだ。
「夜にソフィアとなにかやってるなとは思ってたんだけど……隠れてレクチャーを受けていたわけだ」
少し棘のある声色でそんなことを言うミル。
ソフィアとのここ数日の教え合いの事を言ってるのだろう。
「別に隠してたわけじゃない。ミルが聞いてこなかっただけだ」
「むぅ……」
俺の言葉に、恨めしそうにむくれるミル。
実際のところ、別に隠してはいないのだ。こちらに非があるわけでもないので、ミルのジト目をこともなげに受け流す。
そんな俺たちを見てイザベラがくすくすと笑っていた。
「……ともかく、ジャスパー様の言う通り。『出所』と『方向』……その2つの違いが魔法と奇跡の違いの理由なのです」
真面目な顔に戻って、イザベラの言葉が続く。
「……魔法は自身の体の中の魔力と呼ばれる力を使って、自分の周りにある世界に影響を及ぼす力です。なので”外”への影響を与えやすい」
「奇跡は逆に、世界に存在する神力と呼ばれる力を借りて、それを自らの体内に取り込む……だから”内”への影響が大きい」
「……だから出所と方向、か。そもそも必要な力が違うんだ」
「ええ……ですが、技術的には似ていると思いますよ」
「ソフィアに基礎を学んでいるジャスパー様も、既に魔法を使えるミルレア様も……覚えるのはそう難しくはないでしょう」
「……だといいけど」
ミルは少しだけ不安そうな顔を覗かせて、イザベラの言葉に首肯する。
……ミルのそんな顔は、少しだけ珍しい。
「寧ろ、私のお伝えできることが、お2人からいただいた恩に足りるものなのかが不安です……」
一転、イザベラも少しだけ表情に影を落として頬に手を当てる。
「……私も多くをお伝え出るわけではありません。跳躍、回復、暗視……」
いくつかの奇跡を指折り数えて。……その奇跡たちがヴァンパイアには必要ないものである、とそう気付いて口にするよりも早く――イザベラの口からこう続いた。
「ヴァンパイアであるお2人には、それらは必要ない物でしょうから」
ミルと2人、同時に固まった。
イザベラはそれに気づいているのか、いないのか。穏やかな笑顔でこちらを見ている。
「なん……いつから?」
ミルがどうにかそう一言。絞り出すように言葉を紡ぐ。
その両目は驚愕に大きく見開かられ、かく言う俺も未だに衝撃から立ち直れずにいる。
「それはもう……初めて会った時から」
そんな俺たちの姿が見えているようにイザベラは、そう楽しそうに告げる。
そして手を自分の目に
「私ね、目はこの通りもう見えませんけど、相対するものが善性のモノか悪性のモノかは見えていた頃よりもよくわかるようになったんです」
固まる俺たちを尻目にイザベラの言葉は続く。
「そんな私の感覚が告げているんです。お二人は悪性の心を持つ者ではないと……だから種族の問題など些細な事です」
今まで出会ってきた人間たちと比較してありえないその言葉に、俺たちの間に走っていた緊張が次第に解ける。
けれどそれでも疑問は残った。この修道院がどこに建っているのかを考えれば、素直にイザベラの言葉を信じることはできなかった。
「……だが、ヴァンパイアだぞ? この国が、ヴァンパイア相手にどんな考えなのか、知らないはずもないだろう」
ミルの言葉はもっともだ。ヴァンパイアだと知ったうえで力を貸したことがバレればどんな目に合うか。
「……そうですね、王国の民であるならば、お2人がヴァンパイアだと気付いたその時点で国にその事実を告げるべきだったのでしょう」
「もしかしたら、その功績でこの病も治していただけたかもしれませんね……そうなれば、また別の意味でお2人と出会った幸運を神に感謝していたかもしれません」
「ですが、そんな誰かの犠牲の上に成り立つ幸運などクソ喰らえです」
顔に似合わない、汚い言葉遣いでそんなことを言うイザベラ。何度目かもわからない衝撃が俺たちを襲う。
「私、そもそも王国のその排他的な考え方に賛同できずに、教会から逃げてきた身ですから。こんな場所の修道院を再建したのもそれが理由です」
「……私は、誰かを助けない理由を必死に探すような、そんな人間にはなりたくないのです」
「……!」
神に仕える身でそれでいいのかと思うほど、一切の躊躇なくそう言い切ったイザベラ。
その言葉に言い知れぬ何かを感じて、俺は二の句を継げなかった。
「それはまた、思い切ったことをしたんだな……こちらとしてはありがたいことだけど」
ミルも関心半分、呆れ半分といった顔でイザベラの言葉に苦笑いしている。
「ですから、お2人もどうか気兼ねなく」
イザベラはミルの言葉に答えるように両手を広げて、自ら再建したこの場所を自慢するように見回してから。
「なにせここはアマルディア修道院……
「今はただ一人の修道女、イザベラ=ケラーとして、あなたがたの力になれることを私は嬉しく思います」
そう言って笑ったのだった。
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