29話『水晶蜘蛛クリス・アラカン③』
クリス・アラカンが水晶を赤く光らせてから、攻撃はさらに苛烈になった。
変わらずに毒液を飛ばしながら、攻撃パターンに水晶攻撃を組み込んでくる。
攻撃そのものは予兆がある、背中の水晶が赤く光って、その0.1秒後にどちらかの足下や周囲の壁から真っ赤な水晶が飛び出してくる。
だが生成速度的に見てから回避は至難の業だ。前回の戦闘時は紫色の水晶だったが、そちらは光ってから生成されるまで1秒ほどのタイムラグがあった。水晶そのものもせいぜいが1メートル程度で……それですら、目視で回避するのは困難だったというのに。
「――っ!」
また、左足を狙って突き出してきた赤水晶を間一髪で避ける。どう頑張っても見てから間に合う速度じゃない。
けど、前回とは違うところが1つだけある。
それは、俺自身の魔力を感知する技能がギリギリ使い物になる程度に成長した、という部分だ。
ミルの助力もありぼんやりとだが周辺の魔力の流れのようなものが感じられるようになってきた。サーモグラフィー映像のように、濃度によって輪郭がぼんやりと見える……といった程度の物なのだが。
だが、水晶蜘蛛戦においてはそれで十分だったようだ。
なにせ、クリス・アラカンの発する魔力の線が、俺達と比べても桁外れに濃い。俺の
それが蜘蛛の背の水晶から一直線に自身に向かって飛ばされれば、いやでも攻撃体勢になっていることに気づく。
本体は全く動く気配はない。恐らくは俺達の攻撃で脚へのダメージが蓄積したせいだろう。焼け焦げた地面に脚を下ろして、頭だけを動かして俺達の位置を探っている。
視界の端で同じように水晶攻撃を避けるミルの姿が見える。
手足と翼を存分に使って危なげなく回避している。だが流石に余裕はないのか緊張した面持ちでクリス・アラカンの動きに注視しているようだ。
……俺も、何度も冷汗が流れるタイミングでの回避を繰り返している。
頭の横、足の先、胸の前。まともに喰らえば終わりだろう攻撃が掠るたびにガリガリと精神力を削られていく。
このままではいずれ致命的なミスを犯すだろう、だからと言って攻撃に転じられるかと言われるとそれも難しい。
攻められる隙がない。というのもあるが、そもそも下手な攻撃で反撃を喰らえば先ほどの二の舞だ。格段に相手の攻撃力が上がった今それは避けたい。
(……どうする)
攻め手が緩んだタイミング、少しだけ体を休めながら思考する。幸いにヴァンパイアの回復力もあり右腕の痛みは少し引いてきた。
折れていた部分は既に修復されつつあるようだ。まだ引きつるような感覚こそあるがじきにそれもなくなるだろう。
腕が治れば、アレをぶち込むためにも攻勢に転ずる必要がある……いつまでも逃げてばかりではいられない。
「ミル!」
「なぁにぃ!!」
呼びかけに、ミルがクリス・アラカンから視線を外さずに大声で返す。
「このままだとジリ貧だ!タイミング合わせて突っ込めるか!?」
「感覚は掴めてきたからいけるよ!」
頼もしいことを言って、水晶を避けたミル、同時に俺も、蜘蛛が飛ばしてきた毒液を避けながら言葉を返す。
「なら合わせてくれ。一気に叩くぞ」
「了解!いいよ!」
短剣を握りしめて、クリス・アラカンとの距離を目算で計る。
少しして、攻撃の手がまた少し緩んだ。
「今!」
俺が叫ぶより少し早く、ミルがクリス・アラカンへと突っ込んだ。すぐ後で俺も走りだす。
俺達に答えるように激しい魔力の波が肌を刺す。
先に俺を潰すと決めたらしい。
(上等だ……!)
走る足は止めずに、攻撃に備える。すぐに毒液を飛ばしてきた、それを避けた先に赤水晶が飛び出してくる。
進むたびに右から、下から、後ろから。それを紙一重で避け続ける。
「せやぁぁぁ!」
蜘蛛との距離が3メートルを切った。こちらへの攻撃が中心だったからだろう。既に足下まで突っ込んでいたミルが雄たけびを上げながらその剣を腰だめに構えて突き出した。
瞬間、背中の水晶が赤く光る。
魔力の線は出ていない……そう思考を過ぎった考えをあざ笑うように
「きゃぁあ!!」
「ミル!」
体への直撃こそ避けたようだが、翼の膜を貫かれミルが体勢を崩す。
自らの肉体から生やしたので、クリス・アラカン自身にもダメージのフィードバックがあったのだろう。よろけるだけでこちらへの追撃がない。助けに行くべきなのだろうが――このチャンスは棄てられない。
「ら、あああ!!!」
一気に短剣の間合いまで距離をつめて、左手で短剣を握りしめて、渾身の力で振り抜く。
鈍い音がして、蜘蛛の左の第1脚の付け根へと刃が食い込んだ。だが、硬い筋肉に阻まれてその刃が止まりそうになる。
「あああ!!!!」
考えるより早く、右手をその刃に下から添え全力で押す。
治りかけていた傷跡から血が噴き出す、尋常じゃない痛みが思考を埋め尽くした。
だが意味はあったらしい。ブチブチと音を立てて半ばで止まった短剣がそのまま上へと進んでいって、やがて最後の表皮を切り裂いてその歩脚を切り落とした。
勢いあまって振りきった短剣に、付着していた蜘蛛の血が遠心力で払い落とされる。
神経を直接弄られているかのような痛みと耳鳴りがうるさい。だがそれに気を取られてもいられない。蜘蛛は既にこちらをロックオンをしており、無事な右の脚を振りかぶっているところだった。
俺はその攻撃を避けるために蜘蛛自身の胴体の下へと体を滑り込ませた。
背後で空を切る音を感じながら、すぐに反対側から出る。開けた視界に、苦しそうに翼を庇うミルが見えた。
俺は短剣を鞘にしまい、その体を抱き抱えて離脱する為に跳んだ。
壁際まで後退して、ミルをその場に降ろす。
「まだやれるか?」
「大、丈夫!……痛いけど、いけるよ」
「気張れよ」
ポタポタとミルの翼に空いた穴から赤い血が垂れている。
俺の腕からも止まりかけていた血がまた流れているようだ。
「満身創痍だね」
「ああ、だがアイツも同じだ」
脚半分に触肢片方と胴体の後ろ半分。
魔力もあれだけ攻撃に使ったのだ、もうかなり少なくなっているはずだ。そう信じて戦い続けるしかない、が……
「!」
「っまだ!」
また同じようにクリス・アラカンから伸びた魔力が足下に収束する。俺が左へ、ミルが右へすぐに飛びのけば背中の水晶が
「ジャスパー!」
「ああ、色が戻った!」
そう言うと同時に、クリス・アラカンの目が赤から紫へと戻っていく。
魔力切れか、スタミナ切れか。真偽はわからないがなんだっていい、これで多少なりとも楽になる。
そんな考えを読んでか、クリス・アラカンがこちらへと突進してきた。
俺はそのまま左方向へと走ってその突進を避ける。壁伝いに距離を取る。どうやら部屋の奥の方まで来ていたようで半透明のストロマキア水晶が壁から飛び出ているところまで来ていた。
水晶の魔力が辺りに漂っている。尚もクリス・アラカンは突っ込んで来ようとしていた様子だったが、俺がこの水晶の前に来た途端にピタリと脚を止めた。
(……この水晶に傷を付けたくないのか?)
生憎と魔物の思考を読むことはできないが、現に今クリス・アラカンの攻勢は止んでいる。
(もしそうなら、どうにかこの場所まで引きずり出すことが出来れば……)
あるいは、勝機も見えてくる。
そこまで考えて、けれどその思考が甘い考えだったことをすぐに知る。
ギ、ギイィイイ!!
五月蠅く鳴いて、クリス・アラカンから魔力が放出され俺からは微妙にズレた軌道で魔力が飛ばされた。
だが先ほどまでと違いその魔力の道筋を通るようにすぐにその場に紫水晶が生成されていく。
地面を伝って伸びる水晶が1本、2本……俺を挟んで左右に伸びてきた。
「しまっ――」
理解し、離脱しようとしたがもう遅い。伸びた2本の水晶はそのまま伸び続け、壁まで辿り着いた。
その水晶は進むにつれて肥大化し、壁付近では2メートル以上の大きさになっている。
それがクリス・アラカンの足下から俺のいる壁まで伸びていた。
(閉じ込められた!)
水晶の壁を壊すのはすぐには不可能だ。一瞬触れただけでそれは理解できた。かと言って飛び越えられる高さではない。
苦虫をかみつぶしたような顔で蜘蛛を睨めば、その巨体がこちらへ突進する準備を整えているところだった。
もう逃げ場はない。
――ならもう腹ぁ括れ。
剣の柄を握りしめて鞘から引き抜いて左手で構える。全身の血を巡らせて、今の自分ができる最上のパフォーマンスを出せるように肉体を活性化させる。
クリス・アラカンが突撃を開始した。10秒もせずにその巨躯に俺は押しつぶされるだろう。
だから、接触するその瞬間に今の俺ができる最大の攻撃を叩き込む。
準備は随分前からできていた、その隙を作ることが出来なかったが……ないなら無理やりひねり出すしかない。
「――来い」
腰を低く構え、全神経をクリス・アラカンの動きへと集中させる。
紫の目を光らせて、こちらをロックオンしている。その姿がどんどん近づいてきた。
背中の水晶は光っていない。このまま突進して押しつぶす気か、それともその脚で串刺しにでもするつもりか。
「どっちでも、ただですむと思うなよ……!」
短剣を握る手に力が篭る。
足下から紫水晶がこちらへ伸びていた。
「は?」
世界がスローモーションで見える。
こちらへ伸びてくる、何度も見たクリス・アラカンの水晶攻撃。
背中の水晶は変わっていない。それどころか色も抜けて、黒く濁ってさえいる様子だ。
今まであった魔法発動の兆候すら
(あ)
……ふと思い出す。黒く濁った背中の水晶は1度見た記憶がある。
いつ?
……一番最初の時、蜘蛛が奇襲をするために姿を隠していた、あの瞬間。
つまるところ、
こいつは、
俺を確実に殺すこのタイミングの為に
「隠して――」
声を紡ぎきる事すら間に合わない。
伸びてきた水晶はもう目と鼻の先、正確に俺の心臓の位置に、槍のように切っ先を向けていた。
これは、死んだ。
"言ったでしょう"
"きっとあなたを守るって"
その瞬間だった。俺の首にかけられていた何かが眩く光った。
それはこの戦いに赴く前夜、ソフィアから貰ったクリスタル――ティアドロップ。
少女の声が聞こえた気がして顔を上げると、伸びてきた水晶が俺に届くその直前で弾けた。
ティアドロップも一際強く光ると同じように弾け飛んだ。あまりにも強い光に少し目が眩む。
それは蜘蛛も同じだったのか、突進してきていたクリス・アラカンが体勢を崩す。
少しだけ速度は鈍ったが、それでも動きは止めなかった。
その右脚が大きく振りかぶられる。
俺はそれを見た瞬間、素早く短剣を右手に持ち替えた。
腕の痛みを気にする暇もなく、掲げた右脚が振り下ろされた。
「がはッ!!」
心臓を狙う脚を左手で押し出すが、その勢いと重量は到底片腕でどうにかできるものではない。少しだけ軌道の逸れた脚先が脇腹を貫いた。嫌な感触。熱した鉄を押し当てられたような熱さに似た痛みを予感する。
その、前に!
「喰らえよおぉおおおおお!!!!!」
右手で短剣を逆手に構えて、蜘蛛の胴と腹の付け根――ミルの炎で焼けて、開いた傷へとがむしゃらに刃を叩き込む。
深々と突き刺さる短剣、その瞬間には、もうすでに俺は魔力を開放していた。
刃の先、小さく開いた穴に出来た血だまり。
圧縮した、自らの血の塊へと。
枷を失った血栓が魔力を得て暴れだす。
圧縮したガスを開放するように、クリス・アラカンの胴体が
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