28話『水晶蜘蛛クリス・アラカン②』
俺は血の槍を構えて、クリス・アラカンへと肉薄する。
それに反応して飛んでくる毒液と糸をジグザグに進むことで回避する。
避けきれない物は構えた槍を飛ばして相殺した。
俺の左腕から伸びる血液の先端部、塊になった血が飛び出すと、すぐに次の塊が作られ始める。
銃の弾を装填するように。弓に二の矢をつがえるように。
繋がった体内から血を補充して弾を作るのだ。
無論、無尽蔵にという訳ではない。自分自身の血液を使う関係上、使えば使うほど体内の血が失われて行動に支障をきたす。
作れて10発が限度だろう。それ以上の数を作ると血が足りずに倒れるのが目に見えている。
1つ1つの塊は比較的小さくとも圧縮しているので見た目以上に血液を消費するのだ。
ギィィィ!!
「鬱陶しい!」
叫びながら、蜘蛛の周りを一周するように移動する。
合間飛んでくる攻撃を避けて、弾いて、隙が出来れば槍を飛ばす。
なるべく深く刺さるように回転させながら飛ばすが、当たりどころが悪かったかあるいは威力不足か、致命打になり得ることはなさそうだった。
とはいえダメージは与えられる。どちらにせよ足下の糸のトラップを解除しなければ下手に突っ込むことも出来ない。そちらはミルに任せるしかなかった。
時折、クリス・アラカンの攻撃が服や鎧を掠めていく。
ギリギリだ。その苛烈な攻撃が続く度に、無限に出せるのではないかと錯覚させる。
トラップが有効な内はその場所を動くつもりもないのだろう。脚を全て地に着けて、ただその水晶の眼でこちらを見据えて、遠距離攻撃を繰り返している。
こちらも応戦するが手数が違いすぎる。防御にも割かないといけないこちらの槍はすぐに弾切れを起こした。
(あと、3発……)
6本伸びていた血の筋はもう3本しかなかった。
この弾が尽きればこちらからあの蜘蛛に攻撃できる手段はなくなってしまうだろう。
だが、時間が経てばこちらの準備も整う。
「もういいよジャスパー!離れて!」
ミルの声に、俺は近づいていたクリス・アラカンからバックステップで離れる。
その瞬間に視界の端でミルの姿を捕える。
手に真横に構えた短剣。その刀身は赤く燃え上がり渦巻く火が今か今かと放たれる時を待っている。
俺が飛び退いたのを見てミルが短剣を体の横まで持ってきて構える。
無防備に背中を見せているクリス・アラカンの腹部を睨みつけて、ミルが吠える。
「
呪文を告げると同時にその刃が一際輝きを増した。
そのまま横1文字に振り抜くミル、炎が刃の軌跡から大きく広がってクリス・アラカンに向けて飛来した。
衝撃波を飛ばしたかのように、広がった炎が蜘蛛を襲い、糸を焼いて辺り一面を炎に包む。
刃の軌跡はクリス・アラカンの胴体に1文字の傷を付けた。それは糸を発射していた
糸の排出口を破壊されて、クリス・アラカンが耳障りな金切り声を上げて暴れ回る。
足下に広げられていた糸も燃やされ、こちらの動きを阻害する物は無くなったようだ。
「これで大丈夫だろうか!」
「完璧だ!これで邪魔はひとつ消えた!」
糸が出せなくなったなら今警戒すべきは毒液だけだ。
そして毒液は発射器官が口な以上、どう足掻いても正面からしか飛ばせない。
こっちは2人だ。どちらかを狙えば、もう片方に背を向けることになる。
「借りは返すぞ」
炎の発生源であったミルの方に向いた蜘蛛の足下に突進した。刃を閃かせ狙うのは左後ろ脚。
――前回の戦いで俺が傷を受けた脚と同じ場所を渾身の力で切りつけた。
肉を断つ、嫌な感触が手に伝わってくる。
ブチブチと切れる筋繊維が切り口から見えている、漏れ出た濁った液体は血だろうか。
脚を断ち切ることこそできないが、まともに機能しない程度にはダメージを与えた。離脱をしようとした俺をもう片方の後ろ脚が捉える。
「あ、がぁっ!」
車がぶつかってきたのかと錯覚するほどに、巨大な衝撃が俺の腹部を襲う。
短剣と手でガードしてもなおこのザマだ。俺は食らった勢いそのままに壁際まで弾き飛ばされた。無様に洞窟の壁に叩きつけられて肺の中の空気が全て漏れ出る。
「ジャスパー!?」
ミルの驚く声が聞こえる。それに返事する余裕もなく俺はその場に蹲った。
痛みで視界が明滅する。折れてるんじゃないかと思うぐらい脚を叩きつけられた右腕が熱を持った。
ああ、というか折れてるなこれは。
肩で呼吸をして、痛みが引くのを待つ。脂汗が額に滲んでぽたぽたと落ちていくが、それすら気にする余裕がない。
(クッソ……しくじった……!)
たった1発。それだけでこのザマだ。
クリス・アラカンからの直接攻撃を受けたのはこれが初めてだった。
ただでさえ昆虫は自身の体躯の何十倍もの身体能力を有している。それが人間よりも大きなサイズになったのならその力も想像に難くない……油断が招いた結果だった。
ミルの戦う音が聞こえる。クリス・アラカンを引き付けてくれているのだろう、こちらへの攻撃は飛んできていない。
5秒、10秒、時間が経って。30秒経った頃ゆっくりと体を持ち上げる。
痛みは消えない。だけどこの体はヴァンパイアだ。骨折も、打撲もいずれ治る。
「なら、蹲ってる時間が、無駄だ……!」
幸いにして死ぬほどのダメージじゃなかった。俺は痛む手を支えながら立ち上がる。ミルが俺の姿を見て焦って声を上げる。
「ジャスパー!大丈夫か!?」
「なん、とか……悪い、油断した!」
ドクドク、と血が全身を巡る。血が少なくなったことがあだになったか、少し貧血で目眩がする。
けど倒れる訳には行かない。手を見ると攻撃を受けた部分が赤く腫れ上がり曲がらない場所が曲がっていた。
血が流れでている。本当に痛い。
クリス・アラカンの方に頭を向ける。途端に視界が赤く染まった。血が目を覆ったらしい。壁にぶつけられた時に後頭部を打ったようだ。手の痛みに気を取られて気づかなかった。
なんだろう、逆にハイになって痛みを感じなくなってきた。アドレナリンが出ているからだろうか。
「すまないミル!加勢する!」
「ああ、わか――本当に大丈夫かジャスパー!?」
血まみれで明らかに腕が折れている俺の姿を見てミルが慟哭する。
それに内心そりゃあそうだと苦笑して。
「大丈夫じゃないな。……けど止まる理由にはならんよ」
そしてそう続けた。
折れていない左腕で落ちた短剣を拾って構える。
短剣は折れも曲がりもしなかったようで、真っ直ぐな刀身のままだった。
「……無茶はするなよ!」
ミルはなおも不安そうな顔でそう叫ぶ。
そこに毒を吐きながらクリス・アラカンが突進してきた。ミルは毒液を最小限の動きで避けると、翼を使って大きく宙返りをして体当たりを回避する。
「
天地逆さまのままで、クリス・アラカンの真上に来た瞬間にミルが手を真下に向けて呪文を口にする。
手の先で生まれたいくつかの炎の塊が鋭く尖って、クリス・アラカンの背中に突き刺さった。
体勢を崩したのか、クリス・アラカンは滑るようにそのまま壁に激突した。
ミルは危なげもなくそのまま半回転して地面に降り立つ。
俺も走ってミルの元へ行く。
体が揺れる度に腕が痛みを訴えてくるが、なるべく意識しないようにして進んだ。
「ジャスパー、今の攻撃で頭と胴体の関節のところに傷を付けられたみたいだ。あれ」
蜘蛛の方を見つめたままミルがそう言って指さす。つられて見てみれば確かに。反転しこちらに向こうとしているクリス・アラカンの体の節に、中程度の火傷跡が見えた。
表面が裂けて、中の肉が焼けてしまっている。
「あの状態なら刃も通るだろう……アレの出番じゃないか?」
「そうだな」
俺はミルの言葉に同意する。体を覆う弾力のある皮と硬い毛が胴体への刃の侵入を拒むのがこのモンスターの厄介なポイントだった。
それがなければ、用意していた武器の中で、1番火力の出るものが使える。
理論だけで、ほぼぶっつけ本番になってしまうのだけが難点だった。
「やるしかない……俺は準備に入る、悪いがもう少し耐えてくれ」
「まあ仕方ないね。どちらにせよジャスパーの体を治す時間も必要だし」
目線は蜘蛛から離さず。俺のともすれば理不尽な依頼をミルは迷うまでもないと引き受ける。
その言葉を聞いて俺は、共に蜘蛛へと突撃しようとしていた足を止め、大きくバックステップで距離を取った。
そして左手の短剣を胸の前に持ってきて、右腕の上に重ねる。今もポタポタと血を流す右腕に意識を集中させて、流れ出る血液を先程と同じように自分の意思で操作した。
浮かび上がったその血は、今度は空中ではなく、手の上に重ねられた短剣の刀身へと収束していく。
刀身の先端部、小さな穴の空いたその場所に血溜まりができていった。
準備を進める俺に気づかせないように。あえて壁際で戦うミルが視界に移る。
両手両足、翼も存分に使って3次元的な機動で蜘蛛の苛烈な攻撃を避け続ける姿に、場違いながら美しささえ感じるようだった。
飛ばされた毒液を体を左に傾けて躱す。そこを狙って穿たれた右前脚を、体を捻って軌道に添わせるように回避した。
そのまま突き出された脚の左側に着地すると、今度は蜘蛛が伸ばした脚を外側に大きく振り払う。
ミルはそれも読んでいたのだろう。脚に手を付きながらジャンプで飛び越えて、その最中に腰の刃を突き立てて力任せに切り裂いた。
ふわりと飛び上がったミルの体が落下する。後はこのまま着地をするだけ――とは行かない。空中で無防備なったミルを仕留めようとクリス・アラカンの左前脚が先程と同様に鋭く着地点に伸びてくる。
このまま行けば、空中にいるミルはなすすべもなく狩られるだろう――だが、空中戦こそ彼女の得意分野だ。
「
ミルはその腰から生えた一対の翼に魔力を帯させる。
1度はためかせるとそのサイズからは想像できない程の風が発生して、空中で留まったミルの体の下を蜘蛛の脚が通り抜けていった。
ミルがその脚の上に降り立つ。
「いい加減……倒れなよ!」
短刀を逆手に構えて、腰を低く落とす。その刃を今自らが立つ大地……クリス・アラカンの脚に突き立てて、翼をブースターに一気に切り裂いた。
首元まで走ると一気にジャンプして、翼で軌道修正しながら蜘蛛の左側に離れて降り立つ。
狂ったかのように脚を振り回す蜘蛛を冷静に見つめて、短剣に着いてしまった蜘蛛の血を振り払った。
ヴァンパイアも虫の血はさすがにいらないらしい。
「か……ったいなぁ、もう!」
1度の攻撃も受けることなく、見事な攻防を終えたミルはしかし、遠目でもかなり消耗しているのが分かった。
肩で息をして、自慢のピンクの艶のある髪が汗で濡れて重く垂れ下がっている。
……それも仕方ないだろう。いくらヴァンパイアの肉体を持ってしても、あの脚の重量と力で殴られれば大ダメージになりうる。
それをずっと至近距離で避け続けながら更には攻撃まで入れるその胆力には舌を巻くしかない。
その甲斐もあって、水晶蜘蛛クリス・アラカンは着実にダメージを蓄積している。
脚は至る所を切りつけられ既に千切れそうなものもある。
腹は焼かれ、糸を出すはずの
これが普通のダンジョンモンスターなら既にろくな武器もなく勝ちを確信している頃合だろう。
……そう、普通のダンジョンモンスターだったなら。
「ミル!水晶が来るぞ!避けろ!」
予兆を感じて、またクリス・アラカン相手に接近戦を仕掛けていったミルにそう警告を飛ばす。その瞬間、蜘蛛の背中、水晶体から今まで感じたこともない魔力が発された。
それに気づいたのかミルも急制動をかけて翼を使ってその場を離れる。
クリス・アラカンの目の色が変わっていく。
紫から、赤に。
背中の水晶体も合わせて色を変えた。青から紫に……そして赤に。
その度に発する魔力がどんどんと濃くなっていく。
背中の水晶体が濃い紅に染まったところで……フッ、と背中の色が消えた。途端に空間に満ちていた魔力も霧散する。
だが目の色は真っ赤なままだった。
「避けて!!」
かろうじて見えた魔力の道筋。ミルの悲痛な声より早く。俺の中のレッドアラートに従って思いっきりその場から左に跳んだ。
途端、先程まで俺がいた場所から見たことの無い真っ赤な水晶が恐ろしいスピードで生成された。
無理な体勢で飛んだせいで受け身も取れず地面を滑る。
衝撃がまだ治っていない右腕に鈍痛を響かせる。けれど蹲ってもいられない。すぐに体を起こして顔を上げる。
「……おいおい、こっからが本番ってことかよ……」
視線の先には一面の赫。
見たこともない程の、禍々しい紅に染った馬鹿げたサイズの水晶柱……あんなもの、喰らえば怪我どころではすまない。
まず間違いなく、死ぬ。
「なんだ……これ……」
声が聞こえる方に向くと、赤水晶をお化けでも見たかのような顔で見つめ固まるミルの姿が。
魅入られたように、立ち竦む少女の瞳が恐怖に揺れている。
蜘蛛がその目を向けた。
「同じだ!ミル!!」
「っ!?」
自然と声が出ていた。
そうするべきだと、自分の中の何かが叫んでいた。
「早くなろうと、大きくなろうと……対処法は同じだ!」
「避けて、避けて、避けて、全部避けて、叩っ斬る!」
「俺に出来たんだ!――お前に出来ない訳ないだろ!!」
声に反応して、蜘蛛の目が俺を射抜く。その赤い瞳が俺を捉えて……同時、怪しく光る背中の水晶。
その瞬間には足を踏み出していた。
後から魔力の気配が俺の体を通り過ぎた。
先程までいた場所にまた真っ赤な水晶が柱を作る。
――だが、そこには何も無い。
「……そうだね」
少しだけ笑ったように、背中越しにミルの声が聞こえた。
ジャリ、とその両足が地面を踏みしめる音が響く。
「ボクなら……ボクらなら、やれる」
自信に満ち溢れた声で、ミルはそう言った。
「ああ……いつまでも足踏みしてられないんだ。終わらせるぞ」
その言葉に同意して、俺も立ち上がり剣を取る。
クリス・アラカンに向けてその刃を突き出して、告げる。
「お前は前座だ……喰らい尽くすぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます