25話『助ける理由』


 ソフィアとそんな約束をした日から1週間が過ぎた。


 

 順調に過ぎていったと思う。何度か迷宮に潜り、血の力の練習をして、道中出てくる蜘蛛を倒して素材を集める。

 集めた素材はギルドに渡して換金して、得た報酬をミルと分ける。

 すっかり入り浸ってしまっている修道院に戻ると、夜はソフィアに言葉遣いの勉強を教えながら、ソフィアから奇跡を習っている。

 食事も寝床も用意してもらっているので、せめてもと食材の買い出しは俺とミルが出るようになったりもした。


「こいつはなんだ?」

「これ?リーヴァ!良いにおいするの!」

「フィー姉がよく料理に使ってるよ!」

「匂い……ああ、確かに。オリーブか」

「おりーぶ?」

「いや、リーヴァだったな。忘れてくれ」


 緑の果実を巡って、案内がてら着いてきた子供たちとそんな問答もしたりした。

 黒いイメージのあったオリーブに、近い匂いの緑の果実、リーヴァ。確かにこの街の料理にはあうだろう。


 ミルはすぐに子供たちとも打ち解けて、一緒に晩御飯を作るまでになった。

 俺の下にも最初の頃は子供たちが群がっていたが、あまり相手にせずいるといつの間にか積極的に寄ってくることはなくなっていた。

 今では俺に積極的に寄ってくるのはソフィアだけだ。

 

「あ、ジャスパー!ここにいたのね」

「どうかしたか?」

「これ!新しい料理にチャレンジしてみたの、食べてくれないかしら!」

 

 逆にソフィアはあの夜から俺に絡んでくることが増えたように思う。夜の勉強会以外にもこんな風に作った料理を食べさせに来たり、朝に鍛錬をしていると近づいてくることも何度かあった。そのたびにどこか緊張したような面持ちで他愛ない話を振ってくる。

 

 勉強会の事もあるので邪険にすることもないかと会話には付き合っているが、イマイチどういう気持ちの変化なのかは読めなかった。

 初日会った時にように、怯えているという様子でもないので、敵意があるというわけではないのだろうが。


 イザベラは体調がよくないのか基本的に部屋にこもって寝ているようだ。時折タオルと桶を持って部屋へ入っているソフィアの姿を目にしている。

 まれに体調のいい日は食堂に出てくることもあったが、なにかを食べている様子はなかった。ここに来た日と比べても少しやせたように感じる。


 だが、そんなイザベラの容体に対して、薬の素材集めは順調とは言い難い進捗だった。


「ミル左から3匹!頼めるか?」

「まっかせて!ジャスパーこそ油断しないでよー!」

「誰に言ってる!」


 層をさらに1つ下って、5層に辿り着いた俺達は、より苛烈さを増した迷宮の蜘蛛たちと戦いを繰り広げながら先へと進んでいった。

 一度蜘蛛に噛まれて毒を貰ってしまったが、大事に至る前段階で事前に買っておいた解毒剤で事なきを得た。

 薬の素材の1つであるピースジャックスパイダーも無事見つけ、ヴァンパイアの目と身体能力を駆使して比較的楽に倒すことが出来た。


「ほんとに虹色だね」

「何のための器官なんだろうな、これは」


 素材も持ち帰ることが出来たが……問題なのはもう1体の蜘蛛の方だった。


 水晶蜘蛛クリス・アラカン。


 3日かけて、5層の攻略を終えた俺達はそのまま6層へと潜った。

 基本的に同じ景色で、敵の強さにも大きな違いはないので6層の攻略も順調に進んでいたのだが。

 攻略開始から2日目、初めてアレに出会った俺達は、戦いを挑み――


 

 5分と持たず撤退した。


 

 かつてボスを務めた個体がいるのも頷ける。水晶蜘蛛は他のダンジョンの蜘蛛が遠くかすむほど、とてつもない強さを誇っていた。


 大型の蜘蛛。とは言えグレイビーストほどの巨躯ではない。俺達と同じ程度のサイズの蜘蛛。


 水晶蜘蛛という名に恥じず、背中に大きな水晶体を背負った姿で、その背は薄青色に輝いている。

 目も水晶のようになっていて、こちらは仄かに紫に光っていた。


 行動パターンは、今までの蜘蛛たちとそう大きくは変わらない。床を、壁を、天井を這いまわり、糸を吐き、前足で攻撃してくる。

 だが1つだけ他の蜘蛛と明確に違う点があった。


 魔法を使うのだ。


 その背中の水晶が、目と同じ紫の光を帯びた時、蜘蛛が定めたターゲットの足元から周辺に散らばる水晶と同じもので出来た柱が、地面から突き出してくる。

 それはかつて、あの鬼を倒すときに俺達が作った種のように、突然地面から生えてきた。

 ミルはなんとか魔力の”起こり”を読んでそれを回避できるようだったが、俺にはまだその技術がない。

 身体能力任せにギリギリで回避するが、それも長くは続かず。

 3回ほど続いた水晶攻撃を避けきれず、足にダメージを受けて撤退せざるを得なかった。


 何とか撤退した後、聞いていた通り水晶蜘蛛は縄張りを出ることはないようで、追いかけては来なかった。


 その日はそのまま撤退し療養に費やすことにした。

 翌日、蜘蛛の対策をするために1日を特訓に費やした。


 魔力の流れを読むために、感覚を磨いた。

 そもそもが俺の生きた世界には無かったものだ、1日でマスターできるわけもなく、その特訓は次の日も続いていた。

 

 血の力の方はある程度操作できるようになってきた。

 形状だけじゃなく、血を圧縮し状態を液体から固体にすることで武器として操る。

 そういう使い方が出来れば、かなり戦い方に幅ができるのでその練習をしているところだった。


 俺の修得速度は自分の感覚以上にかなり早いようで、見ていたミルは呆れ半分に驚いていた。

 

「普通練習を始めてから、初めてまともに動かせるようになるまでには1ヶ月はかかるものだよ」

「そうなのか、なら確かにかなり早いか」

「実際笑っちゃうぐらいだね」


 そんなことを言って本当に笑っていた。




 

 ――ここまでが、今日までに俺の周りで起こったことだ。


 

 今日もまた同じように迷宮に潜って、特訓を終え蜘蛛狩りに精を出している。


 1週間も経てば流石にこの迷宮にも慣れたものだった。

 最初こそ、不気味な姿かたちをした蜘蛛に気圧される部分はあったが、今は流れ作業のように飛び出してきた蜘蛛を処理することが出来る。

 4層以降の壁の穴から時折飛び出してくる子蜘蛛には注意が必要だが、そこはヴァンパイアの耳がある。気配は音で感じ取れた。


「ミル」

「うん?」

 

 何度目かの戦闘を終え、一息つく。素材の剥ぎ取りをしている最中、ふと気になったことをミルに聞いてみる。

 

「改めての確認なんだが、ミルの目的はヴァンパイアという種族の復興……で間違いはないんだよな?」

「うん、そうだよ。それがどうかした?」


 何をいまさら、と小首をかしげたミルが、作業する手を止めてこちらに向き直った。

 俺は自らの作業の手は止めずに、蜘蛛の解体を続けながら言葉を紡いだ。


「それなら何で、この依頼を受けたんだ?」

「依頼って、修道院のこと?」

「ああ」


 気になったのはソフィアの依頼を受けた理由だった。

 最初ギルドで依頼書を見た時に言っていた奇跡を教えてもらえるから……というのが最初の理由だっただろう。

 けれど、実際に依頼内容を聞いて、多少の奇跡を教えてもらったとしても、割に合わない依頼内容だというのは彼女もわかっているはずだった。

 けれどその上で、ミルは一片の迷いもなくその依頼を受けるとソフィアに返したのだ。……結果、本来の予定なら今頃この街を後にしている頃合いなのに、未だに目的は達せられずにいる。

 

 

 彼女の目的を考えれば、それはあまりに非効率な道程だった。


「うーん、そうだね……最初にジャスパーに伝えた”奇跡”を得る為、ってのが理由には違いないんだけど」

「そうだな……けど、割に合わんだろう」

「そうでもないよ?食費や宿泊費も浮いてるしね……けどジャスパーが聞きたいのはそう言うことじゃないんだよね?」

「……ああ」

 

 少しだけ茶化すように、そんな事を言うミルは、短剣を鞘にしまうと胸元から服の中に手を入れて何かを取り出した。

 チャリ、と金属質な音がして、取り出されたそれは少しくすんだ黄金のロケットペンダントだった。


「それは?」

「お父さんの形見。ほら」


 ミルはそのペンダントを持って俺の方に差し出してくる。俺も解体の手は止めて、立ち上がってそれを受け取った。

 開くとそこには、赤子を抱きかかえる2人の大人の姿が映っていた。


 礼服に身を包んだ切れ長の目のヴァンパイアらしき男性と、ミルと同じピンクの髪の優しそうな相貌の女性。

 

 ……一目見てわかる、ミルの両親だ。

 

 

「お父さんとお母さん……と赤ちゃんの頃の私」

「……」

「2人の写真とかはほとんど、屋敷から逃げてきたときに無くなっちゃったから、今残ってる2人の最後の写真なんだ」

「……大事なものだな」

「うん、いつも肌身離さず持ってるよ」


 ミルにペンダントを返す。ミルはそれを大事そうに受け取って、自らの首に戻した。


 

「……お父さんがね、ボクにとっての目標なんだ」

 

 そしてそのまま、そう告げる。

 

「どんな時も、誰にだって。例え石を投げられても、お父さんは手を差し伸べることをやめなかった」

「ヴァンパイアってだけで自分の領民にクーデターを起こされた時だって、ずっと対話で解決しようとしてた」


 昔を思い出すように、どこか遠い所に視線を移してミルは話す。

 俺はそれを黙って聞いていた。


「――かっこいいと思った」


 ぎゅっと手を握りしめた。彼女の視線が俺を射抜く。

 

「……分け隔てなくすべてに手を伸ばすお父さんの姿が、ボク自身の行動理念だ。誰だろうと関係ない。自分の恨みも怒りも関係ない。――助けたいから助けるんだよ」


 強い意志が、眼差しが。少女の強さを俺にぶつけてくる。


「……」


 俺はそれを真正面から受け止める。咀嚼する。

 彼女の強さを、その根源を前にして、自分自身に問いかける。


 ――果たして自分は、自らに恥じない生き方は出来ているだろうか、と。


「……どう?こんな返答でよかったかな?」

「……ああ、十分だ。納得したよ、ありがとう」

「そう?ならよかった……ジャスパーには申し訳ないと思う、ボクのわがままに付き合わせてしまって」


 申し訳なさそうに、視線を落とすミルに俺は少しおかしくなって、言葉を返した。


「気にするな……俺も、別に不満があるわけじゃない」


 今この質問をミルにしたのは、あくまで彼女自身の考えを聞きたかったからだ。

 修道院を助けること自体には不満もない。

 先ほど彼女が言っていたように食費などが浮いていることもあるし、ソフィアから受けている奇跡のレクチャーは順調に進んでいる。


「なら、よかった」

「わるいな、変な質問をして……取り敢えず剥ぎ取りを終わらせてしまおう」

「そうだね、これが終わったら今日はそろそろ戻ろうか」


 しまった短剣を改めて取り出して、止まっていた手を再度動かす。


 俺達はそのまま素材を剥ぎ取り終わると、転進してスクータヴダンジョンを後にした。


 



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 少しして、探索を終え修道院へと戻ってくる。

 日は傾いてすでに太陽は地平線の向こうに隠れている。日に怯える必要がなくなりフードを外したミルと2人、並んで門までの外壁を歩いていた。


「今日の晩御飯は何だろうね、ソフィアのご飯は美味しいからここに来てからちょっと太ったような気もするな……」


 お腹に手を当てて、そんな事を言って悩むミル。その言葉につられて俺も彼女の姿を改めて眺める。

 全体的にスレンダーな肢体に発育のいい胸が、ホルターネックに近い形状をした、動きやすさを重視して作られたハンター服に包まれている。

 お腹が出ているということもなく、太っているようには全く見えなかった。

 

「いつもあれだけ派手に動いてるんだ、気にすることもないだろ」

「……だとしても気になるのが乙女心なんだよ。勉強が足りないねジャスパー」

「……そうかい、そりゃあ悪かった」


 ジト目でそんなことを言うミルに俺は呆れて適当に言葉を返した。


 そんな他愛ない話を続けていると入り口の門が見えてきた。


「ん?」


 その門の周りで、1人の子供が何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。

 確かシャロと言ったか。修道院の子供たちの中にいた男の子だ。


 シャロはそのまま何かを探して、近づいたことで俺たちの姿に気づくと一瞬笑顔になって、けれどすぐに表情を歪ませてこちらに駆けてきた。


「ミル姉!ジャスパーさん!」

「シャロ、どうしたの?」


 駆け寄ってきたシャロをミルが受け止める。

 そしてそのまま、泣きそうな顔で俺達に向けてこう言ったのだった。



 

「院長が……!」

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