24話『修道女見習いの少女』
夕食後、食事処を後にして風呂に入った。
といっても浴槽があるわけじゃない。水がタンクに溜められていて、そこからシャワーのように放水する。
温水が出るわけもなく、冷たい水だ。気温が低いわけじゃないのでそれでも問題ない。
浴槽がない以上、風呂というのも語弊がある気はするが。
この世界の風呂事情はどこもこんなものだ。ルバンダートの宿屋では水の張った桶だったのでそれと比べるとだいぶマシといえる。
タンクの水は魔法で生み出したものらしい。
水売りという職業の人たちが、魔法で生み出した水を売り歩いているそうだ。
以前の世界風に言うならば、ウォーターサーバーの水配達に近いだろうか。
下水道の通っていない地域では重宝するだろう。
(やっぱ水魔法は使えるようになっておきたい……)
どんな攻撃魔法よりも、水は大事だ。それを生み出せるだけでどれだけ探索が楽になるか。
水は意外と重いので持ち運びも苦労する、長期間の探索をするなら猶更だ。
トレジャーハンターにとって新鮮な水というのは死活問題だった。
「……課題だな」
魔法を覚えられるかはまだわからないが、俺自身に魔力があることは確認済みだ。
なら、何とかなるだろう。楽観だが、悲観しても仕方がないのでそう考えることにした。
そんなことを考えて、着替えた俺は風呂場を後にする。
廊下を進みリビングらしき場所に出る。置いていた自身の水筒を手に取り、水を飲んだ。
「……ん?」
部屋の奥。置かれたソファの端に人影がある。向こうをむいていて顔色はうかがえなかったが、その小さなシルエットには見覚えがあった。
水筒を置いて、その人物に近づく。
「何をしているんだ?」
「ひゃっ!?」
真剣になにか、書き物のようなことをしているようで、後ろから声をかけた俺に驚いて飛び上がった。
「あ……ジャ、ジャスパー」
人影、ソフィアは声の主が俺であることが分かると安堵と緊張をないまぜにしたような複雑な表情で固まった。
「これは……」
俺はそんなソフィアの顔よりも、その前の机に置かれた紙の束に興味をひかれた。
依頼書で見た少し拙い字で様々な単語や短文が綴られている。
「……敬語の練習か」
「あ、うん……そうなの」
綴られた言葉は一般に丁寧語、謙譲語などと言われる言葉たち……端的に言えば”敬語”だった。
変わる前の言葉と共に、どう変化するのかが綴られている。
「シスターになってこの修道院を継ぐために、覚えないといけないから」
「……今はまだ見習いだけど、院長が動けない今、ここを守れるのは私だけだもの」
覚悟を瞳にたたえて、少女がそう決意を口にする。
「今この修道院に他のシスターはいないのか?」
気になった疑問を聞いてみることにした。
「ええ、元々院長1人で運営していたから、他にはいないわ」
「この修道院をか、よくやる……」
「ええ、院長はすごいのよ!」
自分の事のように誇らしげに、ソフィアは胸を張ってそう告げる。
けどすぐに俯いて、ギュッと拳を握りしめて俯いた。
「……けれど、院長が病気でいなくなってしまったら、私達だけでこの場所を守らなくちゃならないの」
「皆の中で、私が一番お姉ちゃんだから……私が皆を守らないと」
「……」
彼女も不安なのだろう。勇ましく宣言するその背中は、到底頼りがいがある、とは言えなかった。
当たり前だ。齢15にも満たない非力な少女が背負うにはあまりにも大きすぎる責任と重圧。
潰れてしまってもおかしくないそれに、ソフィアは何とか抗っていた。
彼女がこうして勉強を続けるのも、勿論生来の生真面目さもあるだろうが……それよりも、その重圧を逃がす先が欲しいからなのかもしれない。
これをしている私は成長している。先に進んでいる……そう言った実感が欲しいのだと思えた。
「……でも、あんまり進んではないの」
「なんでだ?」
「元々院長に教えてもらってたんだけど、院長が病気になってから、1人で勉強してるから……」
「ああ、師事するものが無くなってしまったのか」
確かに紙束を見てみると書かれた言葉は同じ物が続いているようだった。
印刷技術が発達していない以上、指南書なんてものもあるはずもない。学ぶべき人間がいなくなればそうもなるか。
「……」
少し、考える。
元々この街の滞在予定期間は1週間程度だ。いくつかの依頼をこなしながら金を貯めて、6層までの攻略が終われば次の町へ行く予定だった。
その方針自体は今も変わっていないが、水晶蜘蛛の討伐という大きな課題が出来てしまった以上、それはもう少し伸ばさないといけないだろう。
3週間か、1ヶ月か、少なくともそれぐらいは見積もっておくべきだった。
それだけの時間があるならば、そしてこの修道院を活動拠点とするならば、”それ”をするだけの時間は十分にある。
(……ふむ)
思い起こすのは夕方の1幕。
『彼女はほかの子供たちを守るために、私とこの修道院を守るために必死です』
『だからどうか、お2人に彼女の支えになっていただきたいのです……どうか、よろしくお願いします』
イザベラのソフィアに対する言葉、願い。
そして彼女は修道女見習い……当然、奇跡を勉強している。
少しして、考えはまとまった。
「ソフィア」
静かに少女の名前を告げる。
「な、なにかしら……?」
それに少し驚いて、ソフィアがこちらに向いた。
「お前の敬語の勉強、俺が見てやる……だから代わりにお前の持つ奇跡の知識や技を俺に教えてくれ」
教える代わりに、教えてもらう。
最終的には奇跡はイザベラに教わる予定だが、それができるのは彼女の病気が治ってからだろう。
なら、それまでに基礎だけでも知っておけば、修得にかかる時間も短縮できる。
俺は、何よりも力が欲しい。家族を守るために、自分を守るために。
どんなものでも利用する覚悟はできていた。
俺のその言葉を聞いて、ソフィアは驚いた後嬉しそうに顔を綻ばせる。
「本当!?」
「あ、ああ」
俺の方が面食らうほどの勢いで、ソフィアは前のめりに聞いてくる。
辛うじて返事を返すと、より一層破願する。
「そんなの願ってもないわ!ありがとうジャスパー!」
先ほどまで緊張した面持ちだったとは思えないぐらい、遠慮なくこちらの手をとって喜ぶ少女の姿に、気圧される俺。
これほどの反応は少しだけ予想外だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そこから、1時間ほど少女に言葉遣いの指導をした。俺自身普段あまり意識していないので、講師としては半人前だろうが……それでもソフィアは真剣に話を聞いていた。
奇跡について聞くのは今日はやめておいた。もう既に日が落ちてからかなり経っている。12,3歳の少女にこれ以上無理をさせるのは憚られた。
「こんなものか」
話を終えて、今日はここまでだろうと言葉を吐けば、ソフィアも「そうね」と同意して今日の勉強は終わった。
「もう遅い、今日は早く寝るといい」
時計が無いのでわからないが11時は過ぎてるんじゃないだろうか。子供には遅い時間だ。
「ええ、そうするわ」
紙束を片付けながら、ソフィアもそう首肯する。
俺もソファから立って、机に置きっぱなしだった水筒と、自分の荷物を取りに行った。
「ジャスパー!」
そんな俺に向けて、ソフィアが少し大きな声で呼び止めてくる。
「何だ?」
俺は荷物を取る手を止めて、その声に振り返った。
月明りに照らされて、こちらを見つめるソフィアの顔が先ほどよりもよく見える。
「ありがと!」
そしてそう言った。
少し笑って、抱えた紙を握りしめて言うソフィアの姿が、妹の――理央の姿と少しだけ被る。
そう言えばあいつも、こうして勉強を教えて欲しいとねだりに来ていたっけ、とそんな思考が頭を巡った。
「……ああ」
少しだけ、懐かしいことを思い出して、思わず口元が緩む。
口角を上げて、彼女の言葉に答えを返す。
「それじゃあ、おやすみ、いい夢をみろよ」
おもわず理央に言うように、笑ってそんな言葉を投げかけて。俺はそのままリビングを後にした。
バタン、と廊下への扉を閉じる音が響いた。
「……ええ、おやすみ、なさい」
聞く相手のいなくなったリビングで、返事を返すソフィアが、呆然と立ち尽くしている。
……頬を少し桜色に染めて、ジャスパーが出ていった扉を見つめていた。
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