第14話 風の便りと風邪と枷

 夏休みが終わり、学園内にも生徒の活気が戻ってきた。

 夏休みの思い出を語る少年少女達は離れていた時間を埋めるように友人と語り合っている。


 結局、一度も帰らなかったあんりとカイは夏休みの間、ほとんど一緒に夏休みを過ごしていた。

 同室なのだから当たり前と言えばそうなのだけれど、最初に出会った頃のカイなら、就寝時以外はあんりと顔を合わせなかったに違いない。

 「暑いから部屋にいるだけ」なんて言っていたが、それだけでもあんりは嬉しく感じてしまったのだった。


 夏休み明け、久方ぶりに顔を合わせたいつもの面々は、少し日に焼けた顔で嬉々として夏休みの出来事を話してくれた。


 例えば比奈ひなが海外旅行に行ったこと。

 瞬月しづきがヴァイオリンの小さな演奏会をしたこと。

 久遠くおんが次期学園長の勉強をしていたこと……エトセトラ。


 皆、夏休みを満喫したみたいだ。


「カイくん、そろそろ起きないと授業に遅れちゃうよ?」

「あー……」


 制服のリボンをきゅっと結び直し、あんりは鞄を持って学園に向かおうとドアノブに手をかける。

 その一方でカイは未だにベッドに寝転がっていた。


 寝覚めの良いあんりと違ってカイはマイペースだ。

 カイはあんりと同じくらいのご飯の量を食べるけれど、寝起きの悪さから朝食を抜くこともしばしばで、さらに覚醒するまでがかなり長い。

 そのせいで授業に遅刻すること多い。


 とにかくカイは自分のペースを乱されることを嫌う。

 だからしつこく起こすことはしないけれど、遅刻しそうな時は一声声をかけるようにはしていたのだ。


「私、先に行っちゃうね?今日は体育があるからジャージ忘れちゃダメだよ!」


 カイはなんとも言えない呻き声をあげる。それが果たして返事なのかは怪しかったが、これ以上ここにいては自分が遅刻してしまう。

 後ろ髪を引かれる思いだったが、あんりは仕方なく授業に向かうことにして扉を開いた。


 そして──そこに佇んで手の甲をこちらに向けていた比奈ひなとばったり鉢合わせした。


「あっ⁉ご、ご機嫌麗しゅう愛宮えのみやさん!け、けけ、決して耳をすませて推しの生活音を聞いていたのではなく……!その、お迎えに上がったのですわ!一緒に登校して下さるかと思いまして……」


 どうやらノックをしようとしていたらしい比奈ひなは、突然現れたあんりに汗をかいて慌てだした。


「一緒に行ってくれるの?嬉しい~!それじゃあ早速行こっか!」

「……?あの、早乙女さおとめさんはよろしいんですの?以前は登校も下校もご一緒されていましたのに」

「あ、あはは……そうだったねぇ」


 比奈ひなの言う通り、守護騎士ガーディアンになりたてのころはカイを説得しようと彼女の周りを四六時中着いて回っていた。

 今思えばあんなに迷惑なこともなかっただろうと反省する。


 よくカイはあんりのことを怒鳴りつけなかったものだ。

 ……呆れていただけかもしれないけれど。


「一応、起こしてはみたんだけど……カイくんってば朝が苦手みたいで、なかなか起きられないんだよね」

「まぁ……そうなんですのね。でもこれ以上寝ていたら遅刻してしまうかもしれませんわ」

「そうだよね~……もう一回起こしてみようかな」


 あんりはもう一度部屋に戻り、カイを覗き込んで肩を叩いてみる。カイはそれを振り払おうと、弱々しく手を振った。

 だがそれは全くあんりには届かず、布団にぼすんと落ちていく。


「カイくん?」


 いつものように寝ぼけているだけだと思っていたが、様子が明らかに違うことにようやく気付く。

 カイの顔はやや紅潮し、呼吸も速く汗ばんでいた。


「どうかされましたの……って、早乙女さおとめ様、顔色が優れませんわ。もしかして体調が悪いのではありませんか?」

「うん、ちょっとおでこ触ってみたけど、かなり熱も高いみたい……これじゃ起き上がれないよね。カイくん、すぐ先生呼んでくるから待っててね!」

「あ……?いや、いいよ……ほっとけ……」

「そんなわけにはいかないでしょ、夏風邪だってこじらせたら大変なんだから!私が戻ってくるまで、勝手にどこか行ったらダメなんだからね!比奈ひなちゃん、カイくんのこと見張ってて!お願いね!」

「えっ、あっ、はい!分かりましたわ!」


 そう言い残してあんりは小走りで保健室に向かった。

 寮住まいの生徒が体調を崩した時は基本的に保健室の先生が様子を見て、病院に連れていくか否かを判断してくれる。

 だからあんりは、一刻も早くカイの容体を見てもらおうと急いで向かったのだった。





「ただの風邪で良かったねぇ。直るまで先生が見に来てくれるみたいだし、ご飯とか薬とかも先生が用意してくれるみたい。安心したよ~」


 あの後カイを診てくれた保健室の先生は夏風邪と判断した。

 ひどい病気じゃないようで安心したあんりと比奈ひなは、それを聞いてから授業に向かったのだ。

 ホームルームには遅刻してしまったけれど、事情が事情なのであんり達はお咎めを受けることなく、授業に合流したのだった。


「それにしても、愛宮えのみやさんがいないお部屋では早乙女さおとめ様もさぞ心細いでしょうね。体調を崩されると余計に気が落ち込んでしまいますから……放課後にお見舞いに行って差し上げようかしら」

「それいいね!きっとカイくんも喜ぶと思うよ!」

「⋯⋯あれ、早乙女さおとめさん、今日は休みなのかい?」


 昼休み、比奈ひなと共に食堂から帰る途中で、廊下で瞬月しづきに声をかけられた。

 彼は軽く手を振ってこちらに歩いてくる。


「普段も姿を見ないけれど、今日は特に見かけなかったからね。またどこかで休んでいるのかと思っていたよ」

「それがカイくん、風邪引いちゃって……今は部屋で休んでるの」

「へぇ、それは大変だ。女子寮じゃ僕じゃお見舞いにいけないけど……お大事にって伝えておいてくれるかな」

「もちろん、伝えておくね」


 だがあんりは教室に戻る途中でふと立ち止まり、比奈ひな瞬月しづきがどうしたのかとこちらを振り返る。


「⋯⋯先生が診てくれたし大丈夫だと思うけど、私、やっぱり心配だから⋯⋯カイくんの様子見てくる。もしかしたら安静にしてないで動いてるかもしれないし⋯⋯」

「そんなことはない、って言いたいところだけど⋯⋯あの早乙女さおとめさんが先生の指示を大人しく聞くとも思えないんだよね⋯⋯」

「うん、だからちょっとだけ部屋を覗きに行こってみるよ。皆は先に教室に戻ってて!」


 そうしてあんりは二人に手を振ると、踵を返して寮へ戻る。昼休みはあと少し、様子を見てすぐに帰ってこなければ、午後の授業に遅れてしまう。


 熱が出ているのだから、流石のカイも大人しくしているとは思うのだが⋯⋯心配し始めるとどうにも気になってしまう。

 あんりはつい早足になって寮へ向かっていた。


「わっ!すみません⋯⋯!」

「あら、愛宮えのみやさん。廊下は歩いてくださいね。怪我をしたら大変ですよ」

「ご、ごめんなさい⋯⋯急いでて⋯⋯」


 寮に向かう廊下の角を曲がろうとした時、向こうから歩いてきた保健室の先生と鉢合わせになった。

 あやうく衝突寸前だったが、あんりはすんでのところで立ち止まり、事故を避けることが出来た。


「⋯⋯ところで先生、カイくんの様子はどうですか?ちゃんと部屋にいましたか?私、今から様子を見に行こうと思ってたんですけど⋯⋯」

「ええ、ちゃんといましたよ。つい先ほど様子を見に行きましたからね。ただ熱は少しずつ下がってきているみたいなので、あとは安静にしてくれるといいんですが⋯⋯」


 保健室の先生もカイの素行は知っているらしく、定期的に様子を見に行ってくれているようだ。

 いくらサボり癖の治らないカイとはいえ、体調不良では抜け出す気力も無かったらしい。完治するまで是非のままでいて欲しいものだ。


「良くなってるみたいで良かった⋯⋯放課後、お見舞いに来たいって子がいるんですけど、大丈夫そうですね」

「そうですね。高熱だったけど、愛宮えのみやさん達がすぐに発見してくれたおかげで解熱剤も早めに飲めましたし、しばらく様子を見ていれば大丈夫だとは思いますよ」


 それにしても、と保健室の先生顔を綻ばせる。


「お見舞いに来てくれる方がいて先生は嬉しいです。その方も、愛宮えのみやさんも早乙女さおとめさんの大事なお友達なんですね」

「友達……ですか」

早乙女さおとめさんは良く一人でいるでしょう?友達といることだけが全てじゃないとは思いますが……彼女が学園に馴染めていないんじゃないかって、心配だったんですよ。それが、今日は早乙女さおとめさんのことを心配してくれる人が何人も来てくれました。本人がつらい時に言うことじゃないけれど……先生は少し安心しました」


 カイの自由奔放な行動に何人もの先生が頭を悩ませていることは知っていた。


 必要最低限の出席日数とそれにそぐわない優秀な成績。

 注意するにも言い負かされてしまう先生がほとんどで、なまじ成績がいいものだから説教することもできないのかもしれない。


 カイの進路は聞いたことが無いが、普段の彼女を見るに何かを目指しているようにも見えない。

 この学園には夢やプライドを抱いて足を踏み入れる生徒がほとんどなのに、カイにはそのどれもが見当たらない。

 先生達もそんな彼女とどう接していいのか困惑しているのだろう。卒業できればどうでもいいというスタンスのカイには、陳腐な説教は全く届かない。


「何人も、って……私以外にもカイくんの様子を聞きにきたってことですか?」

「ええ、新任の柊木ひいらぎ先生と、あとは生徒会長の久遠くおんさんです。二人共かなり心配している感じでした」


 授業に来ないカイのことをヒースが他の先生に確認し、久遠くおんはヒースを介して知ったに違いない。

 あの二人が血相を変えてカイの心配をしていることを想像すると微笑ましくなり、つい顔が緩んでしまった。


(そういえば、私も昔風邪引いた時、家族に看病してもらったなぁ)


 幼い頃は頻繁に風邪や怪我をしていたように思う。

 子供は風邪を引くものだと言うけれど、双子だった自分達はとっかえひっかえのように風邪を貰っては返していた。

 そんなあんり達を育てていた両親や、寄り添ってくれていた姉には頭が上がらない。


『年内には帰ってきてね。あんりの顔が見たいわ』


 けれど、そう送られてきた姉からのメッセージには、いつまでも返せないままだった。



 ◇



 人は他人に期待するものだ。


 適度な期待はモチベーションになるのだろうが、過度なそれはプレッシャーという重圧になって何もかもを押し潰す。

 それは夢だとか未来だとか、そういう前向きなものが多い。


 望むと望まざるとに関わらず、人は他人を評価し価値観を押し付け、勝手に期待しては失望していく。

 人間とはそういう、自分勝手な生き物だった。


『カイ、あの女の言葉はもう聞かなくていい。お前は私の言うことを聞いていればいいんだからな』


 一言で言うなら、自分の親は最低だった。


 大企業の社長だかなんだか知らないが、父親は子供を自分の跡継ぎとしてしか考えていない。

 自分の会社を継がせるための教育には金も労力も惜しまなかったが、それだけだった。

 子供は自分のための道具、後継を作るために子供を産ませたと平気で言う人間だった。


 対して、母親はそんな考えに反発してカイに優しく接してくれていた。

 だが父親はそんな母親の気遣いは無駄だと言い切り、お前は教育に邪魔だと離婚して、容赦なく母親を切り捨てたのだ。


 父親は自分を利用し、チェスの駒のように盤面を勝手に動かしている。

 駒の気持ちなど考えずに。


 父親はどうしようもないクズだった。

 傲慢でどうしようもない、救いようのない人間の醜悪さが寄り集まった化け物のようだった。


 しかし、自分も父親と同じ愚かな人間だった。

 母親と離婚してからも、こんな父親でもまた情状酌量の余地はあると、そう幼心に希望を抱いていたのだから。


『やはり跡継ぎは男がいい。次は失敗しないようにしないとな』


 早々に次の母親を見つけた父親は、後妻と跡継ぎ作りに勤しんだ。


 女である自分が跡継ぎになると面倒だと思ったのか、奴は新しい女を見つけて子供を産ませていた。

 生まれた子供は見事男で、カイは望んでもいないのに姉になってしまった。


 弟が生まれてからというもの、カイに対する扱いが明らかにぞんざいになった。それは父親のみならず、後妻もである。

 弟がいるから、女である自分は用済みらしい。


 どうやら期待をされなくなったらしいので、カイは家を出て聖エクセルシオール学園に足を踏み入れた。

 寮があればどこでも良かったので志望動機のひとつもなかったのだけれど、今の暮らしは実家にいる時よりはマシだった。


 そんな家庭だから、風邪を引いても看病をされた記憶がない。

 それどころか学園に入ってから連絡の一つも来ていない。

 カイにとってはそれが当たり前で。だからどうということではないし、そんなことで心を揺らすほど繊細なわけでもなかった。


 ただ期待をされなくなっただけ。


「えっ⁉病院に行くのですか……⁉それほどまでに体調が優れないとは気が付かず……学園長代理として不甲斐ないです。私が病院に付き添います!行かせてください!」

「しっ、久遠くおんさん、しーっ!カイくん寝てるんだから、そんなに大きな声出しちゃ起きちゃいますよ!病院に行くかはまだ分からないから大丈夫!」

愛宮えのみやさん、失礼を承知で申し上げますが、あなたの声もかなり大きく聞こえますわ。わたくしはむしろ、もっと聞きたいまでありますけれど、一応病人の前ですから……」


 ──だから、薄らぼんやりとした視界の中でカイを見下ろしている人がいるなんて、予想だにしていなかった。


「ゲホッ、あー……何でいるんだよ、あんた達……」

「ごめんね起こしちゃった?あのね、みんなカイくんのこと心配してお見舞いに来てくれたんだよ。ヒースと瞬月しづきくんは部屋までは入れないから、お大事にって言ってた」

「ヒース?そんな方いらっしゃいましたっけ?」

「あっ、ひ、柊木ひいらぎ先生だよ!間違えちゃった!」


 口の滑った愛宮えのみやが慌てて誤魔化す。

 そんな下手な言い訳で誤魔化し切れるとは思えなかったが、白鳥しらとり愛宮えのみやの言うことに肯定しかしない。

 いつかカイに対してもそうだったように。


 白鳥の豹変ぶりには多少驚いたが、人はコロコロと意見を変えるものだ。

 それに、奴に大して興味もない。


「あっそ……ご苦労なことで……」

「カイくん、今朝に比べてだいぶ顔色良くなったねぇ。熱測る?それとも氷枕交換する?それか体拭いたり……」

「いい……自分でやる」


 起き上がってみると、鉛のように重かった体が少しだけ軽くなっているように感じた。

 熱も下がっていたし、解熱剤のおかげだろう。

 体温も下がり体も楽になってはいるけれど、発熱によって奪われた体力は自分に座っていることも許さず、カイはぼすんとベッドに倒れ込んだ。


「熱も下がっているようで本当に良かったです。もしものことがあったらと肝を冷やしてしまいました……」

「ただの風邪に大袈裟過ぎだろ。放っといたら治るのに大事にしやがって……」

「ダメだよカイくん!夏風邪でも放っておいたらひどくなることもあるんだから。風邪をこじらせて肺炎になったりしたらすっごくつらいんだからね?だから、ただの風邪だからって甘くみちゃダメなんだよ!」

「声デッカ……少し静かにしろって」


 愛宮えのみやの声は普段からかなり大きい。だから聞きたくなくても聞こえてくる。何度注意しても直りやしない。

 見舞いなんて言っておいて結局は騒いでるだけの奴らを無視し、カイは静かに目を閉じた。


「あれ、カイくん寝ちゃった?」

「下がったとはいえまだ熱があるのです、寝かせてあげましょう」


 病人の枕元でぺちゃくちゃと喋る奴らの気が知れない。

 病人なのだから少しは放っておくとか、気を遣って声を小さくしたり出来ないのだろうか。

 だがらそう言っても無駄なことは分かっていたので、カイは寝たフリを続けた。


 そこでふと、気づく。

 騒がしいということは──誰かが自分の傍にいるということに。


「⋯⋯!」

「これって⋯⋯!」


 寒気が全身を襲う。

 体温の上昇による生体反応ではなく、無理やり纏わりついたような不快感に、カイは体を起こした。


 シャドーのお出ましだろう。

 この感覚は何度経験しても慣れたものでは無い


早乙女さおとめさんが体調を崩しているのに、こんな時に限って現れるなんて……とにかく、まずは避難をして下さい!愛宮えのみやさん、早乙女さおとめさんに手を貸して差し上げて──」

「俺なんかに構ってないでさっさと行けよ。避難しなくても建物の中にいれば問題ないだろ。……ああ、愛宮えのみやはここに残れ」


 白鳥しらとりを部屋の外に誘導し、あまつさえ自分達も避難させようと声を張り上げていた久遠くおんはカイの言葉に振り返る。

 カイが何を言いたいのか理解した上で、信じられないと首を振った。


「……そんな体で何を言っているのですか。今はまずあなた達の安全が優先です。はやく避難を──」

「いいから、あんただけで行け。比奈あの女には⋯⋯上手いこと説明しておけよ」


 久遠くおんの返事を聞かずベッドから這い出して部屋の出窓を開ける。

 校舎の影になってよく見えないが、シャドーの位置は確認できた。

 カイは『こころ時計とけい』を取り出して窓に足をかける。


 カイの行動に久遠くおんは目を見開いて驚き、戻りなさいと叫んでいる。

 最初は自分達を使い捨ての駒にしようとしたくせに、なんて変わり身だ。


 そう思いながらカイは愛宮えのみやを見る。

 彼女は何も言わず、さらにカイが何をしようとしているのか理解して──『こころ時計とけい』を取り出していた。

 いつもは小煩いやつだが、いざと言う時に何をすべきかをきちんとわきまえている。

 それについてだけは認めてやってもいい。


「……俺の気まぐれに感謝するんだな」


 熱を出してるのに怪物を退治するだなんて、全くもって割に合わない。

 普段なら直ぐに断っていたところだ。


 だから、そう。

 愛宮えのみやよりも先に足が動いたことは──ただの気まぐれだった。



 ◇





 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


 そして『こころ時計とけい』に差し込まれている鍵が光の粒となり、時計の中の宝石に吸い込まれていく。

 空いた鍵穴に吸い込まれるように剣の形をした『こころかぎ』を差し込む。

 すると、変身した時と同じような光が二人を包み、フリルがあしらわれた衣装から、着物を基調としたものへ変貌していく。

 何もなかった空に光が弾け、あんりの手には小刀、カイの手に太刀が降ってきた。


 シャドーはうねる体から両手両足を出し、四つん這いになってこちらに向かってくる。

 その姿はさながら昔話に出てくるような妖怪のようであった。


 二人をめがけて突っ込んでくるシャドーに向かい、あんりは小刀を構え……一度だけ地面を蹴る。

 しかし次の瞬間、シャドーは体のあちこちを同時に切り落とされ、禍々しい影の塊がボトリと地面に落ちては風に流されて消えていった。

 あまりの出来事にシャドーは戸惑いを隠せないのか、失った自分の体を見つめていた。


 足に全神経を集中させ、光の速度にも達しそうな速さでシャドーの体を切り続けた。

 その結果同時に違う場所が切り落とされたというわけだ。


 しかし、守護騎士ガーディアンとして体力や筋力が上昇していたとしても、無限に動き続けられるわけではない。

 肩で息をするあんりに、シャドーは再び襲いかかってきた。


「あの足が鬱陶しいな……切り落としてやるか」

「ううん。カイくんはまだ何もしないで。私が合図したら……私にとっておきの魔法をかけてね」


 そう言って微笑むと、カイにもあんりがしたいことが伝わったらしい。


 「マジックキー」を時計の宝石部分にかざすと『セイバーキー』は光の粒になって時計にはめ込まれた宝石へ吸い込まれていく。


 空になった鍵穴に差し込まれた鍵がひねられると、変身した時のような光が二人を包みこんだ。

 着物を基調とした衣装は細かなフリルが印象的なゴシック調へと変わる。カイの手には魔導書のような本、あんりの手には背丈の半分ほどの杖が握られていた。


「さあ、すぐに終わらせるよ‼」


 あんりは杖を握り直し、カイを置き去りにして走り出す。

 シャドーはあんりを仕留めようと腕を振ったり足で踏み潰そうとしてきた。


 今の姿は『セイバーキー』で変身した時のようなスピードもなく、重い杖を携えながら走り続けるのは至難の業だった。

 だからカイから十分離れた所で立ち止まり──杖の先を地面に突き刺した。


「我らを護り給え!la chance sourit!」


 動きの止まったあんりに、これ幸いとシャドーは黒い光線を放つ。

 だが、あんりに張られたシールドはそんなことでは破られなかった。


「今だよ、カイくんお願い!」

「その身に纏え!l`action d`éclat!」


 攻撃強化魔法があんりの体に染み渡り、隅々まで行き渡る。

 さらに、カイは二度、三度と同じ魔法をあんりにかける。あんりが杖を握りしめると、行き場を失った力が踏みしめた地面を割った。


「ひらめき輝け!lumière d`espoir!」


 カイの重複呪文によって超強化されたあんりの魔法が、勢いよく杖から放たれる。


 その光線は地面を抉り、空気を焼き付くさんばかりにシャドーへ向かっていく。

 その技はシャドーを焼き払い、仮面の時計など欠片も残さずに消滅させてしまった。


「カイくん、大丈夫?」

「馬鹿、大丈夫なわけないだろ……」


 シャドーが消え去り、変身が解けたカイはその場に座り込む。

 体調が全快していないカイを介抱しながら部屋に運ぶと、体調が悪い時に守護騎士ガーディアンに変身するなんて、と久遠くおんからひどい雷が落ちてきた。

 当の本人は泥のように眠ってしまったので、聞こえていないだろうが。


 二人揃わないと変身できないから、カイは仕方なく変身してくれたのかもしれない。

 でも、それだけが理由だったのだろうか。


 あのカイが体の不調を押してまでシャドーの討伐に向かった理由が、あんりにはまだ分からなかった。



 ◇



 暗闇の中、布が擦れるような音がしてあんりはぱちりと目を覚ます。

 スマートフォンで時間を確認しようと手を伸ばすと、明るすぎる画面に目を思わず瞑った。


 そうっと目を開けてみれば、煌々とした画面には夜中の三時と表示されている。


 あんりは寝ぼけながら目を擦り、ベッドのカーテンを開ける。

 すると向かい側の──つまりカイが寝ているベッドのカーテンも開いていることに気付いた。


 カイが風邪を引いてからはや数日。

 体温は平熱に下がっているが、未だに咳や鼻水を引き摺っているカイはまだ完治したとは言えなかった。


(もしかして、また具合が悪くなったのかな……?)


 心配になったあんりは部屋の中を探してみたが、トイレやシャワー室の中にもカイはいない。

 こんな夜中に部屋を抜け出して一体どこに行ったというのだろう。まさか中庭のベンチにいるわけでもないだろうし。


 消灯時間以降に部屋から出ることは許されていない。しかし事態が事態だ。


 あんりは音を立てないようにそっと部屋の扉を開け、非常灯の明かりを目印にカイを探しに行くことにした。

 と言っても、寮の外に出られていたら探しようがないのだけれど。


 転ばないように壁に手を付きながらゆっくりと足を進める。

 寮にいなければ学園中を探すのも手かもしれないが、流石に施錠されているだろう。


 だとしたら、あとカイが行きそうなところと言えば──


「あ、」

「げっ。こんな遠くでも匂いがわかるのかよ……あんた、本当に食い意地張ってるな」


 共用のキッチンを通った時、食欲をそそられるような香りが鼻を通り抜けた。

 その香りを追いかけると、テーブルについてカップラーメンを食べようとしているカイを発見したのだった。


「良かった~!カップラーメン食べてただけかぁ。こんな時間にどこかに行ってるから、何かあったのかと思って心配しちゃったよ」

「静かにしろよ。見つかったら面倒だろ」


 カイはしっしと手を振ってあんりを追い出そうとする。

 どうやらカイは深夜ラーメンという禁断で至福の時をたった一人で満喫するらしい。


 それを察したあんりはカイの向かい側に座ることにした。


「じゃあ、口止め料に一口ちょうだい?」

「はぁ?嫌だけど」

「えー、いいのかなぁ。久遠くおんさんにこのこと言っても。久遠くおんさんって一応学園長代理をなんだから、もしかしたら反省文とか書かされちゃうかもしれないね。それでもいいなら、私はこのまま帰っちゃうけど」


 あんりは頬杖をつきながらにやにやとカイに迫る。

 自分が規則違反をしている自覚はあったのか、カイは少しバツが悪そうに黙り……あんりの口に一口ラーメンを突っ込んできた。


「ほら、やるよ」

「あちちっ、熱いよカイくん~!」

「文句言うな」


 火傷しないようにはふはふと舌先でラーメンを転がす。

 ようやく飲み込んだところで、カイがしたり顔でこちらを見ていることに気付いた。


「ところで、コレ食べた代わりに……あんたも何かくれるんだろうな?」

「あれ?私が口止め料を貰ったと思うんだけど……」

「あんただってこんな時間に寮をウロウロしてるんだから同罪だろ。で?なんか見返りあんのかよ」


 それを言われるとぐうの音も出ない。

 あんりは頭をひねってうんうんと考える。カイはその間にズルズルと音を立ててラーメンを啜っていた。


「そうだ!いつでも私‎がご飯を作ってあげる、とか?」

「何それ、意味わかんね」


 カイはこっちを見ずに突っぱねる。

 そう言われても、カイの迷惑にならずにあんりが出来ることなんてそう簡単に思いつかない。そもそもカイを満足させる答えなんてあるのだろうか。


「……ま、それでいいよ」


 だが、カップラーメンの底に溜まったスープを飲み干したカイは、思いがけずあんりの提案を飲む。


 思わず口がぽかんと開いてしまうくらい驚いてしまったのは、カイが承諾してくれただけではない。


 ほんの少し、たった数秒だったけれど。

 それは間違いなく──



「期待しておいてやるから、失敗するなよ」



 ──カイがあんりに向けて笑っていたからだった。

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