第19話 受け継がれる意思は永遠に

 秋服に袖を通して早ひと月が経とうとしていた頃、聖エクセルシオール学園はいまだかつてないほどの混乱に陥っていた。


久遠くおん様が生徒会長をお辞めになってしまうのですね……次期生徒会長への世代交代ですから、致し方ありませんけれど……やはり寂しいものですね」

「次期会長はどなたかしら?久遠くおん様が推薦するのでしょうか?」

「ヴァイスハイト寮から選ばれるのかしら。次期生徒会長は久遠くおん様の後ですから……さぞかし素晴らしい方なのでしょうね……」


 などと、廊下を歩いているだけでこれだ。

 ここ最近、学園中を賑わせている専らの話題は「後期生徒会選挙」である。


 その名の通り生徒会の総選挙なので、三年生である久遠くおんは生徒会長を引退することになる。

 それがかなり話題性を呼んでいるようで、今じゃどこを歩いていてもその手の話が絶えないのだ。


「とはいっても、毎年やっているんだろう。どうしてそんなに騒ぐんだ?」

久遠くおんさんは学園長の娘さんだし、二年生の後期と三年生の前期、連続で生徒会長をしてたからねぇ。それに久遠くおんさんはヴァイスハイト寮でも三本の指に入るくらい頭もいいみたいだし……歴代でもすごい生徒会長だったみたい」


 それ故に久遠くおんの辞任を悲しむ声は多い。

 辞任するだけでこんな騒ぎになってしまうのだから、次期生徒会長のプレッシャーは相当なものだろう。


 ヒースの授業に使った資料を片付けるため、あんりは彼と一緒に職員室へ向かっていた。

 職員室に到着するまでの道でも、すれ違う生徒達は殆どが生徒会選挙の話をしている。

 まだ選挙の日付が発表されたばかりだというのに、ここまで大事になってしまうとは久遠くおんも考えていなかっただろう。


 後期の生徒会長は二年生から選出される。

 だからあんり達一年生には関係ない……と言いたいところだが、書記と会計は一年生からも選ばれる。決して他人ごとではないということだ。


「この学園の代表を生徒から選ぶってことか。あんりはセイトカイ、にはならないのか?セイトカイというのは、つまり人を導いていく生徒の代表みたいなものだろう。お前なら自ら立候補しそうなものだけどな」

「そうだねー……中学生の時はしてたけど……」


 それも副会長という、会長の補佐のような立場だった。

 役職で上下関係があるわけではないけれど、生徒会長に座していた人を思い出さずにはいられない。


 あんりが副会長だった時、生徒会のトップに君臨していたのは──自分の姉だったのだ。


「でも、生徒会に入らなくても、人の役に立てることは出来るから……今みたいにね!」

「まあ確かに、それはそうだな」

「ほら、早く運ばないとお昼休みなくなっちゃうよ!」


 あんりは話題を変えてヒースを急かす。

 職員室までヒースを送り届け、あんりは食堂に向かおうとしたところ──曲がり角でばったり久遠くおんと出会った。

 久遠くおんはかなり急いでいる様子で、急ブレーキをかけなければ衝突してしまうところだった。


「わっ!久遠くおんさん!」

「申し訳ありません、急いでいますので──って、愛宮えのみやさんでしたか。お怪我はありませんか?」

「大丈夫ですけど……それにしても忙しそうですねぇ」

「ええ、生徒会や学園長代理の仕事ももちろんですが……選挙が告知されてから、歩いているだけで声をかけられてしまうのです。気持ちが急いていたとはいえ、私としたことが廊下で早歩きをしてしまうなんて……気を引き締めなければ」

「大変ですねぇ……何かお手伝い出来ることとかないですか?」


 今や久遠くおんはアイドル並みの知名度を誇っている。

 廊下を歩けば声をかけられ、教室で座って言えるだけなのに外から眺められ、食堂にいれば人だかりが出来る。

 大統領のように護衛が無ければ普段の生活を送れないほど、久遠くおんは一躍時の人となっていた。


「お気遣いどうも。でもその気持ちだけで十分です。確かに今はお昼休みも返上するくらい忙しいですけれど……ってまさか、私が見ていないからといって、大盛定食を食べていたりしないですよね?」

「えっ⁉や、やだなぁしてないですよ!」

「本当に?」

「本当ですって!」


 あんりが嘘をついていないか確かめるために、久遠くおんがずいと顔を近づける。そんな久遠くおんの尋問から逃れるように上半身だけ身を引いた。


 あのダイエットからおよそ一か月。

 あんりは放課後になると毎日ランニングをし、食事の際は出来るだけ久遠くおんがメニューを選ぶようになっていた。


 もちろん多忙な久遠くおんだ、毎回食卓で額を突き合わせることは出来ないから、自己管理を徹底するように言われていた。

 あんりはそれを守って適切な食事を取るようにしていたのだった。


「それなら良いですけれど……確かに、成果は出ているようですね」


 久遠くおんが言うようにダイエットの成果は確かに出ており、なんとあのカイに「痩せたじゃん」と言わしめるまでに至ったのだった。


「……愛宮えのみやさん。これはお願い、ではないのですが。聞いて頂きたい話があります」


 あんりの体を見て納得したように頷いた久遠くおんが、ひと際冷静な声で話し始める。お説教が始まるのかと、あんりはつい身構えてしまった。


「──生徒会に立候補しませんか?」


 しかし、久遠くおんの小さな口からは思いもよらない言葉が発せられた。

 予想だにしていなかったセリフに驚いたのか、食事を待ちわびるお腹がきゅうと鳴る。


 久遠くおんの真剣な面持ちに、あんりはすぐに答えることが出来なかった。





 生徒会選挙が告知されてから一週間、各学年から立候補者が集まって来た。

 空き教室に候補者たちが集められ、これから選挙までの日をどう過ごすべきかと説明を受ける。


 そしてそこには──あんりもいた。


『選挙?へえ、あんたも貧乏くじを引いたもんだな』


 久遠くおんから生徒会へ推薦されたことをカイに話すと、彼女は馬鹿にするでも呆れるでもなく、ただそうとだけ言った。


『良い顔してるとこういう時に返ってくるんだな。勉強になるよ』

『もう、そんなこと言わないで。久遠くおんさんはきっと私なら出来るって思ってくれたんだから』

『ふーん、まあ頑張れば』


 カイは良い意味でも悪い意味でも人に干渉しない。その距離を保って、あんり達は今の関係性を築き上げてきた。


 友達と言うには気安く、知り合いとうには関わりすぎてた。

 それでもカイはぶっきらぼうに応援してくれるくらいには、あんりに心を開いてくれたのだろうか。


 応援してくれてありがとう、なんて言っても「別に応援なんてしてないけど」と言われるのだろうけれど。


(生徒会か……久遠くおんさんが私を推薦してくれたんだから、それに応えないといけないよね)


 現生徒会長による推薦ともなれば、話題性としてはピカイチだ。

 久遠くおんを推薦者として生徒会書記に立候補したあんりは、一躍有名人として躍り出た。

 大勢の人の注目の的になるのは些か恥ずかしいが、でもそれ以上に久遠くおんの期待に応えなければとあんりは息巻いていた。


 自分を頼りにしてくれた人のために出来ることは、失望させないように全力を尽くすことだけ。

 そのためならなんでも出来るのだ。


 ──そう。本当に、何でも。


「来週のお昼からは選挙前演説が開始されます。一クラスに一度だけ、演説を聞いてもらえるというものですね。他の候補者との兼ね合いもありますから、スケジュールはしっかりと守って下さい。それと、来週までに演説の台本も用意しましょう」

「選挙って忙しいとは思ってましたけど、予想上にハードスケジュールなんですね……。久遠くおんさん、生徒会長と学園長代理の仕事もあるのに、私の推薦者も……本当に大丈夫なんですか?」

「ご心配には及びません。私が自ら決めたことですから。出来るかも、ではなくやり切ると決めています。仕事も学業も、何にも手を抜くつもりはありません」


 あんりと久遠くおんは机を挟んで向かい合い、昼食をとりながら選挙について話し合う。

 いつもの大盛り定食ではなく、あんりは野菜がたっぷり入ったうどんを注文していた。


 こういう隙間の時間を使わなければならないほど久遠くおんは多忙なのだが、それでもあんりのために時間を割いてくれている。

 それほどまでに期待をされていると思うと、ピンと背筋が伸びる思いだった。


 もちろん立候補者であるあんりがメインで活動するのだけれど、推薦者にも立候補者と共に演説をする決まりがある。

 立候補者を推薦するに足る演説もしなければならないのだから、その忙しさはあんりよりも上回る。

 忙殺されている久遠くおんの生活を思うと、昼食をとる時間さえどれだけ貴重なことか。


「よーし!推薦してくれた久遠くおんさんのためにも、私、頑張っちゃいます!絶対に当選してみせますよ!」


 拳を天高く上げて宣言すると周りにいた生徒にくすくすと笑われる。

 あんりは我に返ってそそくさと座り直した。


「さて、一番にやるべきことは演説の内容ですね。今週中にはある程度完成させておく方が良いでしょう。不安であればわたしが添削しますので」

「いいんですか、久遠くおんさんも忙しいのに……。でも、国語はちょっと苦手なので添削して欲しいかも……」


 あんりは久遠に両手を合わせて頼み込む。

 勉強自体が苦手ということはないのだけれど、その中でも得手不得手はある。国語の中でも特に、あんりは読解能力において少し苦手意識を持っていた。


 作者の意図や登場人物の感情は、必ずと言ってテストで聞かれることだ。

 だけれど、あんりにはそれが上手く分からない時がある。どんなに勉強しても、花丸を貰ったためしがない。


 現実の世界でも人の気持ちを完全に理解できないのに、創作の世界の登場人物が何を思っているかなんて、分かるはずがない。


「こんにちは、生徒会長。それに愛宮えのみやさんも」


 うどんを啜りながら演説の内容を相談していると、席の近くに誰かが立つ気配がした。

 視線を上げると、そこには瞬月しづきがお盆を持って静かに佇んでいた。


「御機嫌よう。シンティランテ寮の一年生ですね」

「はい、雅楽川うたかわ瞬月しづきです。生徒会長は愛宮えのみやさんと良く一緒にいますよね。お二人はどういう関係なんですか?」

「私と久遠くおんさんの関係……?」


 傍から見れば久遠くおんとあんりは優秀な生徒会長と、ただの一般生徒という関係に過ぎない。

 そんな二人が額を突き合わせて食事をしているなんて不自然以外の何物でもない。

 そもそもあんりを生徒会に推薦したことも、何かの間違いではないかと噂されているほどだ。


愛宮えのみやさんは私の大事な友人です」


 けれど、久遠くおんは何でもないことのように言う。


「友情に学年の垣根は関係ないと、私は思います。同い年とだけのコミュニティに閉じこもっているだけでは視野が狭くなってしまいますから」

「そうですね。流石は生徒会長、あなたもそう言うと思っていました。正面玄関に飾られている肖像画がありますよね。あの人も最後まで敵と友達になろうとしていましたし……やはり学園長の子孫、志が違いますね」

「ああ……『せかいの時計がまわるころ』の絵本のことですか。最終的に和解して友情を築いたのは、彼女の慈愛に満ちた心の成せる技でしょうね」

「和解……そう、そうでしたね。そういう結末だった」

「?ええ……」


 『せかいの時計がまわるころ』という絵本は、過去にあったレギオンと初代学園長──先代の守護騎士ガーディアン玉響たまゆら雪桜ゆめによる世界を天秤にかけた大事件を元に描かれた。


 もちろん、フィクションにするにあたって現実と異なることも多くあるだろう。

 だが、時間を戻す大災厄と女騎士が戦う、という一点においては紛れもなく事実だった。


 絵本の結末は、レギオンをモデルにした敵役が騎士に敗れ、悪用しようとした時計だけが封印されるといったものだ。

 実際の歴史ではレギオンごと時計を封印したけれど、絵本ではレギオンは改心して騎士と和解した……ということになっている。

 子供向けの絵本だからか、和解できずに封印したという結末はよろしくなかったのかもしれない。


 それに、現実と大きな相違点がもう一つある。

 それは騎士と共に戦う王子の存在だ。


 ヒースの話によれば雪桜ゆめはたった一人でレギオンと戦ったそうだが、絵本では同じ国の王子が騎士と協力してレギオンと戦っていた。

 そして騎士は王子様と結ばれてハッピーエンド、めでたしめでたし、ということだ。

 子供の頃はこの絵本を好んで読んでいたけれど、現実とはかなり違うみたいだ。


「そういえば、一年生は『せかいの時計がまわるころ』の絵本を元に学園祭で演劇をすることが決まっています。生徒会選挙が終わってから本格的に学園祭の準備に入ると思いますよ」

「学園祭で演劇をするんですね、なんだか本格的……!」

「あの絵本は、玄関の肖像画にもなっている初代学園長がモデルになったものですからね。一年生が演劇をするというのも、代々受け継がれてきた伝統なのですよ」

「今でも語り継がれる絵本のモデルになるなんて、初代学園長は本当に素晴らしい方だったんですね。でも初代学園長については文献でしか人となりを知ることが出来ない」


 瞬月しづきはお盆をテーブルに置く。


「一体どういう方だったんでしょう。生徒会長はご存じですか?」

「……それを何故私に?」

「初代学園長は生徒会長のご先祖様でしょう?」

「ええ、その通りです。ですが初代学園長、玉響たまゆら雪桜ゆめ様は……私から見ても遠いご先祖様ですから、もう雪桜ゆめ様を知っている方はご存命ではありません。ですから私が知っていることも文献にあることと大差ないでしょう」

「そうですか、残念だな」


 瞬月しづきは眉を下げて肩をすくめた。


 ご先祖様と言っても、祖母の祖母、そのまた祖母……と家系図を遡ってようやく雪桜ゆめに辿り着く。

 雪桜ゆめはもう親戚というより、歴史上の人物といっても差し支えないほど久遠くおんとは遠く離れた人物だった。


「とはいえ、雪桜ゆめ様が偉大な人であったことは文献を開かずとも分かります。この聖エクセルシオール学園も、雪桜ゆめ様がいてこそ設立に至ったのですからね」

「なるほど……初代学園長様は唯一無二の存在、というわけですね。それはそうだ、そうじゃなきゃ意味がありませんよね」


 瞬月しづきは納得したように何度も頷く。


 肖像画に描かれている雪桜ゆめは、守護騎士ガーディアンの姿をモデルにしたもの。少々ややこしいが、その雪桜ゆめを登場させたのがあの絵本、というわけだ。

 事情を知らない人は、肖像画の雪桜ゆめが何故騎士の姿をしているのか分からないだろう。


愛宮えのみやさん、とりあえず今週中には演説を完成させるようにお願いします。私は別の仕事があるので、今日はお先に失礼しますね」


 食べ終わった久遠くおんが颯爽と立ち上がる。瞬月しづきはその邪魔にならないように身を避けていた。


 瞬月しづきは情報の少ない初代学園長のことを久遠くおんに尋ねただけ。

 それについて何ら不思議に思うことは無い。知らないことは知りたくなるのが人の性というものだ。


瞬月しづきくんもあの絵本、よく読んでたのかなぁ。だから雪桜ゆめさんのことをあんなに聞いていたのかも)


瞬月しづきくんもあの絵本見てたの?私もね──」


 だが、けたたましいサイレンの音によってあんりの声はかき消されてしまった。

 そしてそれと同時に感じる、体の奥底にこびりつくような嫌悪感。


 避難勧告が出ずとも分かる。

 シャドーの再来に違いなかった。


「また現れたのですね……!皆さん、校舎の中から決して動かないように!」


 シャドーの発生時にはサイレンを鳴らして注意喚起するようになった。そのため、いたずらにシャドーへ近づく生徒はいない。

 久遠くおんは食堂にいる生徒がパニックにならないように声を張り上げていた。

 サイレンのあとに現在のシャドーの位置が校内放送で知らされる。学園から距離があるので、ひとまず校舎にいれば安全は確保できるだろう。


 しかし、あんりだけはその安全地帯から抜け出さなくてはならなかった。


「私、外にいる生徒が居ないか確認してきます!」

「……分かりました。そちらは任せます!」


 一般生徒が危険な場所に行くなんて言語道断。

 けれど、怪しまれずに外へ飛び出す口実がこれくらいしか思いつかなかった。


 幸い生徒たちはシャドーに気を取られていたので、玄関へと走っていくあんりを止める人はいない。


「気をつけてね、愛宮えのみやさん」


 ただ一言あんりの耳に届いたのは、自分の身を案ずる瞬月しづきの声だった。


 瞬月しづきくんもね、と言おうとして振り返った時──彼の姿は生徒の雑踏に紛れて見えなくなっていた。





 シャドーは学園から離れた庭園で発生していた。


 庭園にいた生徒は既に避難を終えていたようで、残っていたのはずるずると這い蹲るように動く黒い影の塊だけ。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 あんりとカイが守護騎士ガーディアンへと変身を終えると、待ちかねていたかのようにシャドーがこちらに向き直る。

 それはまるで、獲物を見つけたハンターのような機敏さだった。


 シャドーはうねうねと触手のように手を何本も伸ばし、その手で地面を掴んで移動している。その不気味な歩き方はホラー映画でも見ている気分だった。

 シャドーはその巨体に似合わずあんりの想像を絶する速さでこちらへと近づいて来る。


 二本の腕で地面に爪を立て、他の腕を大量に伸ばしてあんり達を捕まえようと迫り来る。

 あんりとカイは同時に飛び上がり、次に着地した時には『セイバーキー』を使って姿を変え、刀を振り下ろしてシャドーの腕を体から分断していた。


 突然腕を失ったシャドーは茫然と立ち尽くしている。

 しかし完全に切り離されたはずの腕はまだ生きていたのか、あんり達に向かって槍のように飛んできた。


 次々と降り注ぐ腕をかいくぐって避けるが、地面に突き刺さった腕はまだ活動を続けている。

 シャドーは個体によって特徴があるが、このシャドーは生命力が格段に強いらしい。


「チッ、こういう個体もいるのかよ……ッ!」

「カイくん危ない!『ソルジャーキー』を使おう!」


 あんりとカイは『こころ時計とけい』に手をかざして「ソルジャーキー」を取り出し、宝石にかざす。すると「セイバーキー」が光の粒になって宝石に吸い込まれていった。初めて変身した時のような眩い光が二人を包み込んだ。


 光に包まれたあんりとカイは軍服のような服を身に纏い、あんりは短銃、カイは長銃を構えて地面に降り立つ。


 あんりは態勢を低くしてマスケット銃を構える。

 構えた瞬間に視界にスコープ状の円が現れ、シャドーの腕に焦点を当てると危険信号のように赤く瞬き──あんりはそれに向かって引き金を引いた。


 放たれた弾丸は光を放ちながら見事にシャドーの腕に命中し、直撃した腕は今度こそ消滅する。


「やった!これが当たればシャドーも──」


 ──と、喜んだのもつかの間。

 あんりは急に地面にうつぶせになる形で押し倒されてしまった。


 何が起こったのかすぐには理解できなかった。人の指が意思を持って自分を掴んでいる感覚に得体の知れない恐怖が這い上がってくる。

 それが仕留めきれなかったシャドーの腕だという事に気付いたのは、そのすぐ後だった。


 シャドーの指が杭のようにあんりの腕を拘束している。

 地面に食い込んだシャドーの腕は守護騎士ガーディアンの力をもってしても、そう簡単には剥がせそうにない。

 その事実に焦るあんりの頭上に、大きな影が覆いかぶさる。


(──あ、逃げられない)


 上を向くことは出来ないけれど、シャドーの本体があんりを狙いにきたのだと分かった。


愛宮えのみや‼」


 カイの声と同時に空気をつんざく発砲音が聞こえた。

 それはシャドー本体を狙ったのではなく、あんりを拘束するシャドーの腕を貫いた音だった。


「私は大丈夫だから、カイくんだけでも逃げて……!」

「下らないこと言ってる暇があるなら手を動かせ!」


 二発目。


 両腕が動くようになった。

 でも立ち上がるには足を拘束しているシャドーの腕をどうにかしなくてはならない。でも、一緒に落ちたマスケット銃は遠くて届かない。


 三発目。

 あとひとつ、シャドーの腕を取り除けば自由の身になれる。


 四発目──


「生徒会長!早く逃げて──」


 あんりを拘束していた腕はカイが全て打ち抜いた。

 覆いかぶさるシャドーの本体をかろうじて避けた時、視界に二人の生徒が映る。


 一人は見たことのない人だった。

 恐らく逃げ遅れた生徒なのだろうと一瞬で思考する。


 その後ろにいたのは──

 逃げ遅れた生徒を誘導していた久遠くおんだった。


 二人の表情は恐怖で引き攣っている。

 なぜなら、それは黒いもやが迫っていたからだ。


 レギオンの力であるそれが久遠くおんの体に潜り込むまで──一秒もあれば十分だった。


久遠くおんさんっ‼」


 黒い靄に入り込まれた久遠くおんは、その場で意識を失って倒れこむ。

 心配して駆け寄った生徒は、久遠くおんの影から現れた怪物を見て、腰を抜かしていた。


 その怪物が何なのか、あんりは誰よりも良く知っていた。


「マジかよ……」

「そんな、久遠くおんさんから……シャドーが……」


 久遠くおんの影から生まれた怪物は、せりあがった沼のように形を作り、頭部と呼ぶべきところに時計の仮面が貼りついていた。

 二体のシャドーに取り囲まれたあんりとカイは互いの背を守りながら立ち尽くしてしまった。


 二体のシャドーが同時に攻撃をしかけてくる。

 あんりはそれをかわしながら、取り落としたマスケット銃を拾った。


 地面を転がり、止まったと同時に照準を合わせるが、もう一体のシャドーの攻撃が直撃してしまう。体に叩きこまれた衝撃で一瞬目の前に星が飛ぶ。

 絶妙なコンビネーションを見せるシャドーに銃弾を当てるのは至難の業だった。


「ごほっ……痛ぁ……!」

「遠距離じゃ無理だ、即効で決めるぞ!」


 脇腹を押さえつつ、あんりは『こころ時計とけい』に手をかざし、『セイバーキー』を取り出して宝石にかざす。

 すると「ソルジャーキー」が光の粒になって宝石に吸い込まれていき、初めて変身した時のような眩い光が二人を包み込んだ。

 『セイバーキー』を『こころ時計とけい』に差し込み、着物を模した姿に変わった二人はそれぞれの刀を構える。


 蛇のようにうねる腕があんりとカイに迫ってきた。二体同時の攻撃に翻弄され、完全に防ぎきることが出来ずに体に生傷が増えていく。

 痛みのせいで剣先がぶれ、その隙を狙われて剣を弾き飛ばされてしまった。


(シャドーが二体もいると対処しきれない!でも、早くしないと……!)


 倒れた久遠くおんは近くにいた生徒によって運ばれている。

 彼女の身は安全だけれど、久遠くおんからシャドーが生まれたという事実で精彩を欠いているのは明らかだった。

 なんとかして決定打を叩きこまなければ、とがむしゃらにシャドーに向かっていく。


 刀がなくても、四肢が千切れても関係ない。

 自分が行かなければ誰が行くというのだ。


久遠くおんさん、待ってて──」


 刀もなく、ただの拳でシャドーに一撃を与えようと思ったその瞬間。

 シャドーは煙のようになり、あとかたもなく消え去ってしまった。


 それはあんり達が守護騎士ガーディアンになったばかりの頃、何度も見たことのある光景だった。


 まだ時計の仮面を壊しきれていない。

 つまり──あんり達はシャドーを倒しきることが出来なかったのだ。


「制限時間か……」


 シャドーが姿を現す時間には制限がある。弱点である仮面の時計まで破壊して、完全に討伐することが出来るのだ。

 それが出来なければシャドーは時計塔に吸収され、レギオンの復活に一歩近づいてしまう。


 間に合わなかった。レギオン復活まで間もないと言われていたのに、シャドーをみすみす取り逃してしまった。

 そんな無念に唇を噛み締め、あんりとカイは変身を解いて久遠くおんの元に向かう。彼女は生徒によって学園の近くまで運ばれていた。


久遠くおんさん、大丈夫ですか……⁉」


 眠っているように見える久遠くおんに声をかける。苦しそうに見えないのが何よりだった。

 生徒達が彼女を担架で運ぼうとした時、久遠くおんの目がゆっくりと開く。


「ここは……ええと、私は何をしていたのでしょうか……記憶が混濁してしまって……」

久遠くおんさん、良かった……!今は怪物が現れてたんですけど、無事に姿を消したみたいですよ」


 久遠くおんは頭を押さえて力なく呟く。

 シャドーに襲われた影響が気になるが、意識を取り戻したことにとりあえず安堵した。

 

 ほっと胸をなでおろして手を差し伸べたのだけれど、久遠くおんはあんりになど目もくれず──他の生徒の手を借りて立ち上がった。


「そうですか。では今後は先生達の指示に従いましょう」

「生徒会長、念のため保健室に行った方が……」

「手を貸してくれてありがとう、ですが、特に不調は感じていませんので必要ありません。学園に戻ります」


 相変わらず硬い口調で生徒に接する久遠くおんをぽかんと見つめていると、あっという間に置いていかれてしまった。

 確かに体調を崩しているようには見えなかったけれど……。


「……久遠くおんさん、他の人達がいるからシャドーについて話せかったんだろうね。って、カイくん?聞いてる?」

「?ああ……」

「どうしたの?何見てるの?」

愛宮えのみや、シャドーがどこに消えたか見たか?」

「え?うーん……見てない、かも。久遠くおんさんが気になって仕方なかったから……」


 カイは先ほど、シャドーが消失した場所に立っていた。


「消えたシャドーが時計塔に向かっていかなかったような……いや、気のせいか。なんでもない」


 一人で結論を出したカイは颯爽と学園に戻っていく。あんりもそれに着いて帰ることにした。


 そんな二人を見つめている瞳になど、一切気づかずに。

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