第18話 揺蕩う願いは終わりと共に

 学園長室に置いてある古びたラジオが季節の移り変わりを知らせる。

 決して良いとはいえない音声だけれど、時々途切れる音声が何故か耳に心地良い。


 しかし久遠くおんはそのラジオの電源を切り、難しそうな顔でこちらに向き直った。


「……聞き間違えでしょうか。もう一度言っていただけますか?」

「何度も言わせるな、人間。僕は貴様らと手を組むつもりはないと言ったんだ」

「……何故でしょう。何やら既視感を感じるのですけれど……ああ、頭痛が……」

「俺の方を見るな」


 場所は学園長室。

 あんりとカイ、そしてヒースと久遠くおんは学園に足を踏み入れたテオと向き合っていた。

 テオは高級そうな皮素材のソファに腰かけ、足を組んで膝をトントンと指で叩いている。


「僕はレギオンに対抗して主様を救い出すと決めたが、貴様らと馴れ合うつもりはない。共通の敵が出来ただけで味方になるとでも思うなよ、人間」

「それにしてはここまで素直に着いてきたじゃないか。言っていることとやってることが随分乖離しているようだが?」

「貴様の脳みそには綿も入っていないようだな。人間が蔓延はびこっている中で僕が話し始めたらパニックになってしまうだろう。そんなことも分からないのか?」


 テオはヒースと違ってぬいぐるみではなく、人の形を模している陶磁器人形ビスク・ドールだ。

 ぬいぐるみが喋っているよりは自然に見えるかもしれないけれど、それでも人形が動いて喋る非現実が受け入れられると思えない。

 だからあんり達はテオを一時的に学園長室に匿うことに決めたわけだ。


 新しい『こころかぎ』──通称『ソルジャーキー』と名づけたそれが顕現したあと、ロゼはその姿を影にくらませた。

 左腕が壊れているテオをそのままにしておけなかったあんりは、学園に来てはどうかと彼に提案したのだった。

 着いて来るかは五分五分の賭けだったけれど。


「共通の敵がいるなら、協力し合う方があなたにとっても良いと思います。一人でどうにか出来るほど、シャドーは甘くないでしょう?それに、シャドーに飲み込まれたロゼはシャドー単体よりも強大な力を感じましたし……」

「それは貴様らでは、の話しだろう。一緒にするなよ」

「でも、片腕じゃ大変じゃない?」


 どうしても久遠くおんの意見に賛同しないテオに、あんりはふと浮かんだ疑問を呟く。

 その場にいた全員がテオの欠けた左腕を見た。


「どっちにしても、腕を直さないと何をするにしても大変だと思うよ。まずは直してもらってから考えてもいいんじゃないかな?ね、久遠くおんさんもそう思うでしょ?」

「そうですね……あまりに怒涛の出来事が続いたもので、あなたが負傷していることを失念していました。この話は貴方が万全になってからにしましょう」

「いや、僕は貴様らとは協力しないと言っている。人間は話を聞かないのが得意技なのか?」

「では、その腕はどうするのですか?貴方に直す手立てがあるとは思いませんけれど」

「それは……どうにかする、しかないだろ。貴様に直してもらう必要など──」


 テオの言葉を遮るように、バン!と久遠くおんの掌が机を叩く。


 ひりついた空気にヒースとカイが目を逸らしていた。

 なぜなら、二人共久遠くおんが怒り始めていることに薄々気付いていたからだ。


「いい加減に屁理屈をやめなさい」


 減らず口を叩いていたテオが思わず口を噤む。

 上から睨みをきかせる久遠くおんの圧力は、人形さえも黙らせる迫力であった。


「あれも嫌これも嫌……あなたは生まれたての赤ちゃんですか?ロゼを助けると言ったのはその口でしょう?もしやその時限りのでまかせだったのですか?」

「そんなわけないだろうが、僕は主様を助ける。たとえそれで僕の機能が失われてもな」

「では何が気に食わないのですか?ハッキリ言いなさい」

「……気に食わない、わけじゃない。敵だった奴らとそう簡単に馴れ合えるか」

「成程。つまり仲間になるにはまだ時間がかかる、ということですね」


 不機嫌そうな答えを聞き、久遠くおんはすっと怒りを収める。

 カイの時のように喧嘩になるのではないかとヒヤヒヤしていたが、どうやらそれは免れたようだ。

 久遠くおんはテオの左腕を取ると、それを何食わぬ顔であんりの腕の中に収める。


「では、まずは腕を直すことが先決ですね。私は生徒会選挙が控えていて忙しいので……愛宮えのみやさん、早乙女さおとめさんと一緒に彼を連れて行ってくれますか?以前ヒースを直してくれた雑貨屋なのですが」

「はい!任せてください!」

「おい、僕は行くとは言ってないぞ!勝手に進めるな!」

「俺も言ってないけど」


 テオはまだ不満気だったけれど、久遠くおんの圧力を思い出したのか、それ以上文句を言うことは無かった。


 かくして、あんりとカイは再び町の雑貨屋に足を延ばすことになったのだった。





 封印の力がまた強まった。

 光の一粒も見えない真っ暗な時計塔の中で、はそれを感じていた。


 あの時代、私が桜色の守護騎士ガーディアンしのぎを削っていた時から随分と時間が経つ。

 どれくらい経ったのか、もう日を追うのも忘れてしまった。


 何事も劣化や老化には敵わない。人は老い、物は朽ち果てていく。

 あの守護騎士ガーディアンが私に施した封印もそれに違わずボロボロになっていた。


 だが、また新たな守護騎士ガーディアンが現れた。

 忌々しい奴らのせいで、着々と封印が紡ぎ直されていくのを直に感じていた。


 封印に綻びが生じ、飛び出した私の力は人間を介して強大になって私に還ってきていた。

 だが、ここまで封印が強くなってしまえばそれも難しい。

 私の力は私の手を離れて膨れ上がり──に入り込んでいた。


 もう少しだ。

 もう少し、力を回収することが出来れば、この封印など私の敵ではない。


 そうすれば。

 そうすれば──


『あなたは過去に戻って、誰もいない世界を作ると言っていたわ。誰もいない世界でただ一人の王になれば、どんな世界でも支配することが出来るから』


 そうだ。

 誰かが支配し、統率している世界などつまらない。


 そんな世界だからこそ「過去に戻りたい」という思いが集まり、私という存在が生まれてしまったのだ。


『それなのに、どうして私を過去に連れていこうとするの?誰もいない世界に行きたいんじゃなかったの?』


 誰もいない世界で私が王になれば、私は私として確立できる。


 「過去に戻りたい」という感情で生まれた私が唯一生き延びる場所は、私が君臨する世界だけ。

 そうすれば、私を産み落とした感情など不要になる。不要なものは排除すべきだ。


 ──だが。


『私の他には誰も要らない、確かに私はそう思っていた。──だが、お前は別だ』


 何度挑んでも私を打ち負せず、それでも馬鹿の一つ覚えのように私の前に立ち塞がった愚かな人という生き物。

 私を説得できると思い込んでいる傲慢な人間。


 なんと憐れ、なんと愚か。


 だが、それ故に──興味を惹いた。


『私のほかには誰も要らないと思っていたが……お前は私の傍に置いておく価値がある。私と共に過去に渡れるなどこれ以上ない誉れだろう?』


 人の感情から生まれ落ちた私は、人でもなければ化け物でもない。ただの概念が意思を持っただけの存在に過ぎなかった。

 私は災厄を振りまくことでしか世界に干渉出来ない。そんな私を認識できたのは、桜色の守護騎士ガーディアンだけだった。


『……私は、過去には行けないわ』


 だけれど、この女から発せられた言葉は私の求めているモノではなかった。


『私は過去に囚われるのではなく、未来に進んでいきたいの。もちろん過去を否定するわけじゃないけれど、私はあなたには着いていけない』


 あり得ない。


 私が連れて行ってやろうと言っているのだから、嬉々として着いて来るはずなのに。

 そうでなければ、私が過去に戻る意味も──


「でも、もうすぐだよ」


 私の力は人間の負の力に触れることで確実に膨れ上がっている。

 この厄介な封印も、もう少し力を蓄えれば脅威ではない。


 あと少し、もう少しで。


「もうすぐで……君の所に行けるよ」


 雪桜ゆめだけの騎士。


 君とまた会うことが出来るのなら──

 世界の時間など、どうなっても構わないのだ。





 千代目ちよめ町、郵便局前でバスを降りた路地裏の先。そ

 こにこじんまりと雑貨屋が佇んでいた。


 そこはアンティーク雑貨を取り扱っている店で、古い雑貨の修繕も行っている。ヒースの糸のほつれを直してくれたのもこの店だ。


『話は通しておきましたので、次の休日に町に降りてお店に伺って下さいね。もちろん早乙女さおとめさんもですよ』


 そう久遠くおんに言われたあんりとカイは、休日にバスを使って町に降りてきた。

 ヒースが使っていたのバスケットにふてぶてしく座っているのは、今回町に降りてきた目的でもあるテオだった。


「あまり揺らさないでくれ、僕の体は繊細なんだ。これ以上壊れてしまったらどう責任を取るつもりだ?」

「知るか。文句言うなら自分で歩けば?」

「こんな人間の多いところで歩けるわけないだろ。少しは頭を使って喋ってくれ。これだから人間と話すのは疲れるんだ」

「……こいつ落としていいか?」

「だめだってば~!」


 どうしてもソリの合わないカイとテオは、町に降りてくるまでに数分に一回は諍いを起こしていたのだけれど──なんとか大事になる前に店に到着することが出来た。


 雑貨屋の扉を開けるとドアベルが軽快に鳴る。

 その音に気付いたのか、奥から静かに店主が現れた。


「えーっと……君達は……」

玉響たまゆら久遠くおんさんの紹介で伺いました!この陶磁器人形ビスク・ドールの修理をお願いしたいんですけど……」

久遠くおんのお嬢さんのお友達だね、話は聞いているよ。修理する陶磁器人形ビスク・ドールというのは……」

「こちらです」


 カイから受け取り、あんりは店主にバスケットを渡す。

 人形の振りをしているテオがバスケットから取り出されると──店主の動きがピタリと止まった。


 左腕の損壊が酷すぎるのだろうか、と不安に駆られ始めた時。

 店主はゆっくりと息をついてテオを優しく机に置いた。


「この人形はどこで迎えたんだい?」

「えーっと……同じ学校の人が持ってたんですけど、壊れちゃったみたいで。それで私達が修理に持ってきたんです」

「そうか……」


 店主はそわそわと薄くなった頭を触る。


「もしかして直すのは難しい、ですか……?壊れた部品の欠片は出来るだけ集めたんですけど、足りないかも……」

「いや、難しいことはないよ。足りないところは違うもので補うからね」


 それでも店主は煮え切らない様子でテオを眺めている。その瞳には複雑な思いが込められているように感じた。


「この人形は……私の昔の友人が取り扱っていたものとそっくりでね。それに驚いてしまったんだよ」


 そっと撫でる店主の手は優しく、慈しむようだった。


「とても素晴らしい人形だったんだけど、当時の流行りではなかったんだ。私も協力したんだけど……それでもなかなか受け取り手が見つからなくてね」

「その人形はどうなったんですか?」

「友人はそれから店を畳んでしまってね。どうなったのかは分からない」


 店主はテオを抱え上げ、作業場に持っていくために店の奥に歩いていく。


「君があの時の人形かどうか分からないけど……そうだったなら、良かった。良い主に巡り合えたんだねぇ」


 店主は心から嬉しそうに微笑む。

 それを聞いているテオは相変わらず人形の振りをしていて──何を思ったのか、あんりには分からなかった。





「僕の前の持ち主は、確かに良い主だった」


 日が暮れた空でカラスが鳴いている。

 学園に帰る道すがら、バスケットの中からぼつりと呟く声がした。


「僕らの価値も、人形に対する扱いも。全てをわきまえている人間だった。ただ一つ、僕達を娘に託したことだけは……奴の落ち度だった」


 テオは淡々と語り始める。

 それはあんり達に話して聞かせているというよりは、ただ自分の気持ちを整理しているだけのようだった。


「娘は年を重ねるにつれ、人形に対する興味を失っていった。それは当たり前のことだったが、一時だけでも人形のような扱いをされていたから、僕は人間の習性を忘れていた。あの時の僕は愚かだったが、それが分かっても、僕達にはどうすることも出来なかった」


 バス停が夕暮れに照らされている。

 バスケットに収まっているテオは入り込む光を反射し、幻想的に煌めいていた。


「買われるのも売られるのも、捨てられるのも拾われるのも。僕達の生涯は人間の思い通りだ。娘に捨てられた僕達は雑木林で朽ち果てる前に……レギオンの奴隷になった」


 テオは繋ぎ直された左腕を擦る。


「得体のしれない力が僕に流れ込んできた時……奴はこう言った。『過去に戻り、元の主に会わせてやろう』と。それが人形の誉れだと信じて疑わない憎たらしい声だった。僕と主様が望んでいないことと、それが奴のでまかせだったことを除けば──レギオンの提案はそう悪いことではなかった。大方の人形は昔の主に会いたいだろうからな」


 テオは忌々し気に息を漏らす。


「レギオンの命令通りに守護騎士ガーディアンを始末すれば、僕は主様と過去に戻ることが出来る。本当にそれが出来るなら、僕達にとっても喜ばしいことだった。元の主に会うかどうかは別として、僕達は過去に戻れば、劣化した体から解放される。……まあ、それまで壊れない保証など、どこにもなかったのだがな」


 吐き捨てた言葉は夕暮れに消えていく。

 けれど、そこに含まれた怒りはどうやっても消えることはない。


 左腕を握る力に段々と力が込もっていくのを、あんりはただ見つめることしかできなかった。


「あいつが過去に戻るまで、僕達の体が持たないことは、僕達が一番良く知っていた。あいつは僕達をボロ雑巾のように使い潰して……自分だけが過去に戻るつもりだったのだ」

「……どうしてそれが分かったの?」

「僕はレギオンの力で動いている。だから、たとえ言葉で説明されずとも、奴が何を考えているかくらいは分かってしまう。それに、その思惑が僕達に知られたとしても、僕達は従うと思っていたんだろう。……ああそうだ、その通り。使い潰されると知っていても尚、僕達は貴様らを始末するつもりだった。それしか道がなかったからな」


 彼らはレギオンの力で人間のように動いている。

 レギオンから離反することは、その機能を手放すことと同義であり、それを恐れていたからあんり達と敵対していた。


「奴が復活するまで、そう遠い未来ではない」


 間もなく夜の帳が降りる。

 テオが放った言葉は重く、ただ事実としてあんりの胸に刻まれる。それは受け入れたくない言葉だったけれど、カイは冷静に聞き返した。


「どうして分かる?」

「何度も言わせるな、僕はレギオンの力で動いていると言っているだろう。だから分かるんだ。根拠などなくとも、事実としてそれが分かる」


 テオは呆れたようにため息をつく。

 突き放すような話し方は以前と同じようで、それ故に少しずつ立ち直ってきていることが分かる。

 その分、ふんだんに棘も含まれているが。


「貴様らがシャドーと呼ぶアレがレギオンに回収されているのだろう。奴の力がみなぎっているのが僕には分かる。決着の日も……そう遠くはない」

「随分と素直に喋るんだな。何か企んでるのか?」

「口を慎めよ人間。誰も貴様らのためを思って教えているのではない」


 テオは修繕された左腕を動かす。

 掌を開いては、また閉じる。それを繰り返して──ぶっきらぼうに呟いた。


「……僕はただ、この腕の借りを返しているまでだ。僕が知っている情報なら渡してやる、光栄に思えよ」


 バスが目の前に止まる。あんりとカイはステップに足を乗せ、シックな布張りの椅子に腰かけた。

 ゆっくり流れていく景色はまるで時の流れのようで──テオの話を思い出した。


『奴が復活するまで、そう遠い未来ではない』


 体の奥底からじわりと冷えていき、指先が痺れていくような感覚があんりを襲う。

 流れる街並みは普段と変わりなくあんり達を見守っているのに、水面下では何かが動きだしているような、そんな嫌な予感が拭えなかった。


(……もしレギオンが復活して、時間が過去に戻ったら。私はどうなるんだろう?)


 レギオンの復活を阻止するために、守護騎士ガーディアンとしてシャドーを食い止めてきた。

 がむしゃらに戦ってきたけれど、ふと、レギオンを打倒できなかった未来を考えてしまう。

 時間が過去に戻るなんて今でも実感が湧かないけれど、漠然とした不安が明確な恐怖に変わっていった。


「でも、絶対にレギオンを止めなきゃ。手遅れになる前に……」

「何を当たり前のことを。貴様らがやらなくとも僕が奴を止める」


 バスの中にはあんりとカイ、テオの他には誰もいない。

 テオと少し話したところで訝しむ人はいなかった。


「だが、主様をこちらへ戻す方法がそれしかない以上……貴様らとは一時休戦しても構わない」


 仲間になる、なんて陳腐な言葉はあんり達の間に存在しなかった。


 ただ共通の敵がいて、目的が同じだけ。


 でも、ロゼを助けるためなら力になると、言外にそう言ってくれているような気がしたのだった。




 あんり達が学園に戻ると、寮の前で久遠くおんとヒースが帰りを待っていた。

 久遠くおんはバスケットの中で不貞腐れたように座るテオを確認し、安堵のため息をつく。


「良かった、無事に直ったのですね。片腕がないと不便だったでしょう」

「あまりジロジロと見るなよ、僕の価値も分かっていない人間風情が。貴様の目に入るだけでも光栄に思うがいい」

「……私はあなたの身を案じていたのですが。その態度を見る限り問題は無いようですね」


 口を開けば嫌味を言うテオに、久遠くおんの眉毛がピクリと動く。

 冷ややかな怒気を感じたのか、テオは久遠くおんの視線から逃げるように目を逸らした。どうやら、久遠くおんに一喝されたことがまだ記憶に残っているらしい。


「もうすぐ寮の門限になります。愛宮えのみやさんと早乙女さおとめさんは寮に戻るように。テオ、あなたはヒースの社宅で過ごしてもらいます」

「はあ⁉何故僕がこのぬいぐるみと一緒にいなければならないんだ!」

「僕も初耳なんだが……」

「学園長室にいてもらうという手も考えましたが、テオはこの学園のことをよく知らないでしょう?誤って部屋の外に出てしまったり、生徒と鉢合わせてしまったらと考えると……ヒースといることが最善だと思います」

「それは、まあそうだな……」


 突然のことに隣で仰天していたヒースだが、確かにと素直に頷く。

 しかしテオは納得がいかないと苛立ちを抑えられていない様子だった。


「僕のような貴重な陶磁器人形ビスク・ドールを、ただの部屋に置くなんて、貴様らの感性は地に落ちているのか?頑丈なケースに保管するくらいのことはするべきだろう!」

「もちろん、私はあなたの希少価値について理解しているつもりです。だからこそ、この世界に慣れているヒースのそばにいた方が良いと言っているのですが?」

「な……なんだその目は。僕をその目で見るのはやめろ!分かった、あのぬいぐるみといればいいんだろう!全く人間の言うことは理解に苦しむ……!」

「協力してくれて何よりです」


 我儘な子供をたしなめるような久遠くおんに気圧され、テオは渋々首を縦に振る。


「ということは……」とヒースが思いついたように呟いた。


「僕は人形を持って出勤するということか?それはその……かなり変じゃないか?」

「致し方ありません。生徒に指摘されたら私に報告して下さい。言い訳くらいは一緒に考えてあげましょう」


 あのバスケットを持って出勤するヒースを想像すると笑いが込み上げてしまう。

 本人は至って真面目なところも、また笑いを誘うのだった。


「テオ」


 ヒースにバスケットを渡し、久遠くおんは静かに語りかける。


「ヒースと共に過ごしてもらうと言いましたが……あなたは本当にそれで良いのですね?」


 ロゼを助けるためにあんり達と共に過ごす。

 あんり達としては心強いけれど、それは──今ある自由をいつか失うということだった。


 本当にそれで良いのかと、久遠くおんは確かめる。


「あのね久遠くおんさん、テオは私達と──」

「よせ人間」


 手を組むつもりは無いと豪語した手前、言いづらいのではないかと助け舟を出したのだけれど、テオはそんなあんりをそっと制した。


「僕が言おう。これはけじめだ」


 だがそんなテオの決意を嘲笑うかのように、空に蓋をされたかのごとく空が暗く染まる。

 ──シャドーが現れたのだ。


 学園のすぐそばにどす黒く染まったがいる。

 その何か──ロゼは薔薇のドレスを引き摺り、黒いオーラを身に纏いながら蠢いている。

 目までもが黒く濁り、以前の優雅な姿は失われてしまっていた。


「主様本体ではなく周りの影を狙え。上手く行けばシャドーと主様を引き剥がせるかもしれない!あのまま破壊されてしまうのは絶対に避けるんだ!」

「分かったよ!」


 あんりとカイは『心の時計』を合わせ、高らかに叫ぶ。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


 地面から生えた太い茎がロゼの体を這い、縛り上げるような形で彼女を吊るし上げている。ロゼは虚ろな表情で力なく首を傾け、あんり達を指さした。

 すると地面にヒビが入り、鋭い棘の付いた薔薇の茎があんりたちを捕まえようと飛び出してきた。


 一本の茎を飛んで避けたが、着地したところからもう一本の茎が生えて足に絡みつく。

 その茎に引っ張られて、尻もちをつく形で体勢を崩してしまった。


「きゃあっ!」


 そのまま引き摺られそうになってしまったが、傍に着地したカイがあんりを抱えながら『こころ時計とけい』に『セイバーキー』を差し込んだ。


 すると、変身した時と同じような光が二人を包み、フリルがあしらわれた衣装から、着物を基調としたものへ変貌していく。

 何もなかった空に光が弾け、あんりの手には小刀、カイの手に太刀が降ってきた。


 カイは刀を突き刺してあんりの足から茎を外す。

 傷ついた茎はまるで生き物のように痛みにうねり、地中に逃げていく。


「このまま行こう!ロゼの影に当てれば……!」


 あんりをカイはそれぞれ振り被ろうと構えを取る。

 だが降り立ったロゼが地面に手を当て、そこから伸びた影が二人の影と交わった時──何故か体が動かなくなってしまった。


「嘘、なにこれ……⁉」

「チッ!体が……!」


 シャドーに蝕まれているロゼは影から生まれたシャドーも同然だ。影に身を隠していたことからも、彼女と影は表裏一体と言ってもいいだろう。

 だからこんな芸当が出来るのか、と思考が繋がる。


「何をしているのですか⁉早く避けないと──」


 久遠くおんの声が遠くで聞こえる。

 だが瞬きすら出来ないあんりは、ロゼが放つ光線を避けることが出来なかった。


 放たれた攻撃が地面を抉りながら眼前に迫る。


 もう助からない。

 こんなにあっけなく、最期の時を迎えてしまうのだろうか。


 嫌だ、まだ。まだ何も出来ていない。

 まだ何も、叶えられていない。


 ここで諦めたら、何も──


 悔しくて唇を噛み締めたくても指の一本すら動かない。


 もう駄目だと諦めかけた時──

 目の端でひらりと燕尾服が翻った。


「──主様、僕は、」


 テオは淀んだ光線をレイピアで受け止め、流れるように軌道を変える。

 飛んで行った光線が地面を破壊する音が聞こえた。


「僕は、あなたを連れ戻すためならどんなことでもします。たとえそれが、僕自身を壊すことだとしても」


 ロゼは何の感情も抱いていないような瞳でテオを見下ろしている。

 優しい言葉を掛けながらも、彼のレイピアの切っ先は揺らぐことなく彼女を指していた。


「この体を捨てるのは惜しい。叶うことならずっと、あなたと今を過ごしていたかった」


 レイピアを握る手が震えているのが分かる。

 彼の背は小さく、その体は一度でもロゼの攻撃を受けてしまえば砕けてしまうほどに脆い。


「でも……夢見ているだけでは本当に何もかもを失ってしまう」


 だが、迷いを抱いていた頃の彼とは比べるまでもなく、地に足をつけて立っていた。


「僕の命とあなたの尊厳なんて天秤にかけるまでもありません。あなたがいなければ僕はここに存在しない。それが分かるまでに……多少時間がかかってしまいました」


 テオの震えが止まる。


「──だから、僕はあなたの前に立ち塞がります」


 怒りも悲しみも消えてはいないけれど、それでも彼は、確かに前を向いていた。 


 あんりとカイは『こころ時計とけい』に手をかざして「ソルジャーキー」を取り出し、宝石にかざす。すると「セイバーキー」が光の粒になって宝石に吸い込まれていった。初めて変身した時のような眩い光が二人を包み込んだ。

 光に包まれたあんりとカイは軍服のような服を身に纏い、あんりは短銃、カイは長銃を構えて地面に降り立つ。


運命さだめを撃ち抜け!je vais mon desitn!』


 カイが放った銃弾に合わせ、あんりも引き金を引く。二つの銃弾はやがて大きな光の弾となり、ロゼに向かって鋭い弾道を描いた。


 放たれた弾丸はロゼの周りを漂う黒い影に命中し、一部を霧散させる。

 ロゼは外傷こそないもののダメージは受けたようで、多少よろめいて……どぷんと影に沈んで行った。


「人間、僕は主様のために貴様らに手を貸す……⋯⋯が、一つ、条件がある」


 ロゼが消えていった地面を見つめ、テオはレイピアをゆっくりと降ろす。


「……僕の最期は主様と共にありたい。だから、もし僕らが破壊されたとしても──引き離すことだけはしなでくれ」


「もちろん、約束するよ」


 それはあんりではなく、本当はロゼに届いて欲しい言葉なのだろう。


 それが痛い歩と分かるからこそ──あんりは力強く頷いたのだった。

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