第17話 陶磁器人形(ビスク・ドール)と胡蝶の夢
人形は人間に愛でて貰えなければ存在価値はない。
人間のために創り出され、人間の基準で選ばれ、人間の勝手で捨てられる。それが人形である自分達に課せられた逃れられない運命だった。
『この人形、良く出来ているんだが……如何せん華やかさが足りないんだよねぇ。人形を買っていくのは小さい女の子が主流だから、こういう系統の人形は売れないんだよ』
燕尾服を着た人形を眺め、ある店の店主は顎ひげを撫でながら残念そうに呟く。
燕尾服の人形──まだテオと名づけられる前のそれが店の棚で埃を被るまで、そう時間はかからなかった。
ただの少年である自分は有り体にいって人気がなく、どんどん店の隅に追いやられていった。
店主も店頭に並んだ頃は頑張って売ろうとしていたが、テオの人気が奮わないと分かってからはその存在すら忘れてしまった。
人形が人間に愛されて生涯を全うするなんてほんの一握りに過ぎない。
テオは一度も外に出ないながらも、その残酷な事実に気付いていた。自分はこのまま店の隅で朽ちていくのだと覚悟を決めていた。
『お母さん見て!このお人形ロゼとお揃いみたいだわ!』
『あら本当ね、このお人形にするの?』
『うん!これ下さい!』
しかしそんなテオの覚悟とは裏腹に、自分はいつの間にかとある少女の手の中に収まっていた。
こんな変哲のない人形を買う意味が分からず、テオは混乱したまま少女の家の一員になってしまったのだった。
棚の上から店を眺めることしか経験のなかったテオは、初めて自分がおもちゃ遊びに使われることに、感動するどころか違和感を感じていた。
『みんないらっしゃい、今日から家族になった子よ。名前は……そうね、あなたはテオよ。これからよろしくね。そうだ、テオに紹介したい子がいるの』
楽しげな少女はある人形をテオの前に置いた。その人形は薔薇を散りばめたドレスに身を包んでいて、豊かな金髪と透き通る陶器の肌が印象的な──自分と同じ
人形に呼吸など必要ない。
けれど、息が止まるほど美しいという言葉はこの人形のためにあるのだろうと、テオは本気で思った。
『テオ、あなたはこれからロゼの執事として仕えるのよ。それじゃあ、今日はおうちでパーティを開くわね──』
それはただのおままごととしての設定に過ぎなかった。
ロゼとテオは対になった人形ではないし、自分は執事でもなんでもない。だがそういう設定として遊ばれていると、不思議と最初からそうだったのではないかと錯覚してしまう。
自分を買った少女が大人になり、その子供にテオ達が受け継がれた時もそれは変わらなかった。
きっとこれから何世代にも渡って、ロゼと共に大事にされるのだろうと漠然と信じていた。
『これは学園に持っていかないの?あなた、このお人形がないと眠れないって言ってたじゃない。人形くらい持っていってもいいんでしょ?』
『もうやめてよお母さん。人形遊びなんていつの話してるの?私、もう高校生になるんだよ?お母さんはまだお人形が好きかもしれないけど……正直言ってダサいと思うよ』
『そんな言い方しなくてもいいじゃない。この女の子の方はずっと前に作られた骨董品で、とっても貴重なのよ?』
だが、そんな期待は泡のように儚く消えていく。
幼い頃に執心していたからといって、死ぬまで人形遊びをするわけではない。
テオ達の二代目の持ち主もその例に漏れず、自分達に対して徐々に興味が無くなっていた。
母親が自分達を娘の学園に送ってくれた時も、なんの感情も抱かず雑木林に捨ててしまったくらいだった。
人間の心は移ろいやすい。だからもう人間に期待することは辞めることにした。
心変わりした持ち主ではなくロゼこそが自分の主であり、ロゼの執事という設定こそが自分にとって現実だと。
ロゼと言葉を交わすことは出来なかったが、テオはそう思い続けていた。
『忌々しい
だからこの体が動いた時、これでようやくロゼの本当の執事として仕えられるのだと歓喜に打ち震えた。
たとえこの不可解な現象がレギオンという得体の知れない存在によるものだとしても。たとえ、レギオンが自分達を使い捨ての駒にしているのだとしても。
テオにとってそれは些細なことだった。目を逸らし続けていればロゼと二人でいられるのだから。
「ハァ、ハァ……!」
左腕を失ったことでバランスを崩しそうになりながら、テオは雑木林を彷徨っていた。軋む足がもつれることなど構わず、あてもなく突き進んでいく。
混乱した頭の中に、とある声がいつまでも響いていた。
『私が時間を戻し、過去へと時が遡れば……お前達も昔の主と幸せに暮らせるだろう。そのために邪魔な
それはテオが今の状態に覚醒した時、体に渦巻くレギオンの力が語り掛けてきた時の声だった。
あの時はただ、人間のように動いて話が出来ることに喜びを感じていて、それ以外を考えることを拒否していた。
もう人間がいなければ動けない人形ではない、これからは自分の意思で動き、ロゼと言葉を交わすことが出来るのだと。
だが、レギオンが自分達のことを微塵も考えていない、なんてこと。
あの忌々しいぬいぐるみに言われずとも、最初から分かっていた。
上辺では甘いことを囁いておきながら、その実、奴が腹のうちで考えていることは自分のことだけだった。
テオやロゼを動かしているのはレギオンの力であり、その異常なまでの怨嗟はずっと体の中に響いている。
だから、レギオンの言葉が嘘であることは早々に気付いていた。
過去に時間を戻す、だからテオもロゼも元の主に会うことが出来る。
それ自体に嘘偽りはないとしても、レギオンの野望が叶うまでに自分達の体が持たないことも分かっていた。
それでも、レギオンの命令に逆らうことは出来なかった。
テオ達はレギオンの力で動いているだけの人形に過ぎない。
だから、レギオン様と崇めて奴の言いなりになっていれば、少なくとも奴の逆鱗に触れて人形に戻ることは無かった。
それだけ分かっていれば十分だった。
たとえいつかレギオンの願いが叶うとして、そこに自分達がいないとして。
そんなことは今考えるべきことではなかった。過去の主にも興味など無い。テオはただ、今この奇跡のような時間が続くだけで良かった。
だから、レギオンが逆らえない自分達を利用している、なんて事実は忘れることにしたのだった。
ままごとのような時間だとしても、ロゼと共にいられるだけで幸せだったから。
「あいつめ、やっぱり僕達のことを、捨て駒に……!どいつもこいつも、僕と主様の邪魔をして……‼」
よろめいた足では体を支えきれない。
危ない、と思った時は既に視界は暗転していた。
片手では勢いを殺せなかったテオはがしゃりと音を立てて転んでしまう。
地面に叩きつけられた痛みは感じないが、湧き上がるような怒りがテオの体に渦巻いていた。
「僕達のことなんて、何にも考えてないんじゃないか……っ‼」
分かっていた。
分かっていた。
分かっていた‼
レギオンが自分達のことをただの使い捨ての人形だと思って動かしたことも、分かっていた。分かっていながら現実逃避をしていたのは自分だ。
でも、どこかでレギオンの言葉が真実だと信じたかったのだ。
愚かにも、信じたいと思ってしまったのだ。
その結果がこのザマだった。
ロゼに入り込んだシャドーはレギオンが操っていた。
姿形は見えなくても、あの明らかな悪意とシャドーの怪しい挙動を見ればそんなことは一目瞭然だった。
いつになっても
レギオンにとって自分達はどうでもいい存在なのだ。それだけははっきりと分かった。
(主様を救うにはあのシャドーというやつを叩くか……いや、あれは主様と一体化している。ならば元凶であるレギオンを始末しなければならない。だが、そうすれば、僕達は……)
テオは煮えたぎる憎悪を押さえながら頭を回転させる。
けれど、最適な解決策には重大な矛盾が生じていた。
レギオンを倒すということはすなわち、自分達がまたモノ言わぬ人形に戻るということ。
折角見つけた解決策なのに、それだけはどうしても受け入れがたかった。
「主様……僕は、どうしたら……」
何を選択しても最悪の結末が待っている。
テオは悔しさのあまり地面を削るように握りしめたのだった。
◇
シャドーに飲み込まれたロゼが姿をくらまし、テオも破壊された腕を残して雑木林に逃げてしまった。
砕けたテオの腕を拾い、その軽さに自分とは違う生き物なのだとあんりは今更ながらに痛感する。
テオの腕はそれだけが命を失ってしまったかのように、微動だにせずあんりの手に収まっていた。
「みんな、テオのことを追いかけよう。うまく言えないけど……あのままにしてたら駄目な気がする」
「あいつを?冗談だろ、今までのこと忘れたのかよ。慈善事業じゃないんだぞ」
当然ながらカイはあんりの提案をはねのける。
「確かにそうだよね」とあんりはテオの冷たい腕を抱きしめた。
「でも、私達は敵対してたけど……それだって、レギオンが関わってるせいかもしれない。そうだとしたら……あんな終わり方、寂し過ぎるよ」
シャドーに飲み込まれる前、ロゼは一体何を言おうとしていたのだろう。
どうしようもない葛藤にもがき、苦しんでいた彼女は──何を伝えたかったのだろう。
「……レギオンは彼女達の弱みを握って利用しているのかもしれません。それが何かは分かりかねますが……気持ちのいい取引ではないでしょう。そうでなければ、あそこまで取り乱すことはないでしょうから」
同じく、ロゼの訴えを聞いていた
「であれば、彼女達を解放してあげたい。私も
「……あんたら、正気かよ。レギオンの息がかかったやつなんて信用するだけ無駄だろ」
「あなたの意見は最もです。私も……以前なら彼らと和解を望むなんてこと、思いもしなかったでしょうね。でも人形だからといって無下に扱ってもいいと思えるほど……もう薄情にもなれないのです」
「私達には分からないけれど、彼らにも心や信念がある。それを知ってしまったから、私は一縷の望みにかけてみたい。それに、あなたなら彼のことを説得できるでしょ?」
「……これはまた、責任重大だな」
彼はそんな境遇だからこそ、テオやロゼの気持ちがあんり達以上に理解出来るだろう。出来てしまうからこそ、その心情も複雑なのだろうけれど。
「僕達人形は、どうしたって過去に囚われるモノだ。あの時こうだったら、なんて思い出したらキリがない。だから奴らはレギオンにそういうところを狙われてしまったんだろう。……ああ、僕も耳が痛いよ」
喉から手が出るほど欲しいものがあるとして、それが目の前にあったとしたら、きっと誰しも手を伸ばしてしまうだろう。
レギオンはそうやって無垢な人形を利用したのだ。そんなこと許されるはずがない。
「私達は未来を守るためにレギオンの復活を止める。そして……操られたロゼも救いたい。カイくん、手伝ってくれる?」
「……ハァ、別にいいよ。言い出したら聞かないんだろ」
「へえ、お前が首を縦に振るなんて珍しいな。明日は槍でも降りそうだ」
「
テオ達の今までの所業を思い返してみれば、カイが反対するのも無理はない。
散々自分達の邪魔をしていた人を助けるなんて、普通に考えれば思いつくことすら
それでも、あんり達は彼らの一面しか見ていない。
どんな理由があって、どんな思いであんり達に立ちはだかったのか、それを理解するには彼らのことを知らなさすぎる。
「行こう、テオを追いかけに!」
あんり達は雑木林の奥に向かって走り出す。
少しでも早く彼らを解放するために。
◇
学園から外れた雑木林の奥は暗く、夜になれば視界は真っ暗になり方向感覚を失ってしまうだろう。
雑木林の中はまるでホラーの映画のように不気味であった。ざわめく風は木々を乱雑に揺らし、あんり達を侵入者として威嚇していた。
雑木林を注意深く進んだ先、開けた場所に小さな池があった。
雑木林が途切れ、空から僅かに差し込む光は池を神秘的に照らしていた。
そこには──テオが
「テオ!私達、あなたと話をしに来たの!」
話しかけながら近づくが、テオはこちらを向こうとすらしない。
あんりは負けじと優しく語り掛けた。
「あなた達がレギオンに何を言われたのかわからないけれど、ロゼを救うためにはレギオンの話しに耳を傾けちゃだめ。私達と一緒に──」
「うるさい‼僕に話しかけるな‼今度は僕達に何を入れ知恵しに来た!」
失った左腕から破片がボロボロと落ちていた。
「僕達が一体何をしたって言うんだ!ただ、そこにいただけなのに!過去に戻るなんて分かり切った嘘までついて、僕達を弄んで……‼人形だからって何をしてもいいというのか⁉」
砕け散った左腕を押さえながらテオは濁流のように感情を吐き出す。
それは痛いくらいあんりにぶつかってきた。
「過去に戻って元の持ち主に会うだって……今更そんなこと求めてるわけがないだろう‼あいつは何もかも分かっていない‼」
「テオ、落ち着いて……!」
「あいつは、レギオンは、主様を醜い操り人形にしやがった!僕達には
喉が千切れそうなほど叫ぶテオに、しかしヒースは静かな声で返す。
「……だが、お前達はそれを分かった上でレギオンに協力していたんだろう?お前はどうか知らないが、少なくともロゼは知っているようだった。レギオンがお前達を都合よく使おうと甘い言葉を言っていたことにな」
「だから仕方ないとでも言いたいのか?僕達のような古ぼけた人形におあつらえ向きの結末だって?」
テオの怒りは収まるどころかどんどん膨れ上がる。
表情の変わらないテオの顔が歪んでいるように見えてしまうほど、彼の叫びは痛々しいものだった。
「そんなこと知っていたさ。僕達も過去に戻す、昔の持ち主に会わせてやるなんて約束、守らないことくらいな。僕達は昔の持ち主になんて興味がなかった。この体を維持できるなら
「でも、二つの道は選べない。尊厳を守ってただの人形に戻るか、レギオンの操り人形になって僕達と敵対するか。レギオンがこの世に存在している以上、お前達に選択肢はない」
ヒースは無慈悲な現実をテオに突きつける。
レギオンは自分が復活するために、テオ達の気持ちを無視して彼らを人間もどきの人形へと作り変えた。
あんり
最初からテオ達との約束なんて守る気がなかったのだろう。
「だが、レギオンを倒すというなら話は別だ。今話したことも前提としてレギオンが原因だろう。だから僕達と一緒に奴を──」
「ハッ!脳みそまで綿が詰まっている奴は言うことが違うな!レギオンを倒せば僕達は結局人形に戻る。だから僕はレギオンに逆らえるわけがないんだよ‼
「グダグダうるさいな。何が言いたいのかハッキリしろ」
カイの声はテオの叫びよりも小さかったが、その言葉は容赦なく彼に届く。
激高していたテオが口を閉ざし、その一瞬の間にカイは捲し立てた。
「あの女の人形を助けたい、でもレギオンを倒すとあんたらは人形に戻る。でも人形に戻りたくはない。随分と我儘な奴だな。だったらあの女なんて見捨てればいいだろ」
その言葉が琴線に触れたのか、テオは弾かれたように立ち上がってカイに襲い掛かる。
地面に倒れたカイに跨ったテオはカイに殴りかかろうとするが、それは難なくカイに押さえられてしまっていた。
「僕が主様を裏切るだって……⁉それが出来たら、それが出来たら!こんなことにはなっていないんだよ‼動けなくなる恐怖なんて、貴様ら人間には分からないだろう‼」
「喚いたら事実が変わるのか?おめでたい頭だな。……全く、こんな人形なんて助ける価値あんのかよ」
「なんだと……⁉」
睨み合う一人と一体の力は拮抗している。
しかし、テオの心がぐらついているのが手に取るように分かった。
「俺は
「僕は、貴様らに助けなんて求めていない!これは僕と主様の問題だ、貴様ら外野にとやかく言われる筋合いはないんだよ!」
そう吐き捨てたテオは、カイの手を振りほどいて走り出す。
カイは特にテオを捕まえる気がないようで、砂を払ってゆっくり立ち上がっていた。
その光景を見守っていた
「何故刺激するようなことを言うのですか……!彼らを助けると結論が出たばかりでしょう⁉」
「あ?助けてやるって言ってるだろ。あいつが素直にこっちの言うことを聞けばの話しだけどな」
「またそんなことを言って……!」
「うるさいな。人形のくせに意思なんか持つから迷うんだろ。それが嫌ならレギオンの言うことを聞いていれば良かったんだ」
これ以上の問答は不要だと、カイは手を軽く振る。
そして心なしか苛ついたような声で呟いた。
「──だから人形って嫌いなんだよ」
カイの横顔はまるで出会った時のように鋭く、何もかもを敵に回してしまいそうだった。
触れれば切れてしまいそうなカイに手を伸ばそうとして──空がふっと暗くなる。
この、何かが現れた感覚は。
「あ、るじ様……!」
「ロゼ!」
テオが走り去ろうとした先に、いつの間にかシャドーと融合したロゼがいた。
人の負の感情を喰らって生まれた怪物、それがシャドー。
そんな怪物に飲み込まれたロゼは既に自分の意思を完全に失っていた。
「あるじ、様……主様!どうか、どうかお戻り下さい!このままでは、あなたは
よろめきながら、テオはうわ言のように呟いてロゼの元へ歩いていく。
しかしそんなテオなど目もくれず、ロゼは黒く染まった薔薇の鞭を振りぬいた。
鞭がテオに直撃する寸前──あんりは
「どうして、主様、僕の声が聞こえないのですか……?」
テオは攻撃を受けなかったが、力なく地面に座り込んでしまう。
操り人形へとなり果ててしまったロゼを見たくないとでもいうように、片手で顔を覆っていた。
「元に戻ってくれれば、もう少しだけでもお傍にいられると……。ならば、本当に……もうレギオンを倒すしか……でも、そうなれば僕は……嫌だ、もうただの人形には戻りたくない!」
体を折って叫ぶテオを見てもロゼは鞭の手を緩めようとしない。こちらを向いてはいるが、ロゼはテオのことなど見てすらいないのだ。
ただの標的、ただの的。
彼女にはかつての同胞を襲っているという実感もないまま、その鞭でテオをガラクタにしようとしている。
「分かるよ」
足に力を込め、あんりは徐々に薔薇の鞭を押し返す。
「誰からも価値がないって思われるのは、つらいよね。自分の代わりはいると思うのも、認めたくない。だから絶対に手放したくない」
長い年月をかけてこの世に残った人形は、一体何を思いながら存在しているのだろう。
人間の寿命よりも遥かに長く、一人だけの世界に閉じ込められた人形。それがようやく誰かと言葉を交わすことが出来た。
それがどれだけの喜びなのか、勝手に奪われる悲しみや怒りは、一体どれほどのものなのか。
「私もあなたと同じなの」
ロゼと一緒にいたいけれど、ロゼはシャドーと一体化してしまい、元に戻す方法は不明。
唯一の方法はレギオンを倒すことだけれど、それは今のテオ達を殺すことと同義だった。
どちらも選べないのに何も諦められない。
優柔不断な態度にカイが嫌味を言うのも無理はなかった。
けれど、あんりだけは──それを責めることなんて出来なかった。
「人間の貴様が、僕と同じだと……?一体どこまで僕を馬鹿にしたら気が済むんだ、これ以上、僕を惨めな気持ちにさせるな!貴様ら人間に僕の気持ちなんか──」
「同じだよ」
薔薇の鞭を弾き返し、ロゼの周囲に漂うそれをカイが切りつけた。そのおかげでロゼの注意が逸れる。
あんりは後ろで
「ごめんね、私……あなたを説得出来るほど良い人じゃないの。私だってあなたと同じ立場だったら、きっと駄々を捏ねていたはずだから」
自分を犠牲にして誰かを助けるなんていうのは美談だ。
助けを求める人を全員救うことは出来ないし、全人類を救うヒーローなんてものは存在しない。
それでもあんりが助けを乞う手を振り払えないのは──ただのエゴに過ぎないのだから。
「ロゼを助けることが、あなたを助けないことになる。どうしたら皆が幸せになるのか私にも分からない。でも……でもね。あんな風にロゼと別れて終わりなんて、そんなの悲し過ぎるよ」
テオを助けたい。だけれど、まだ救える手立てはない。
それでも、どうしても。
身も心も崩れ落ちていく彼らを見て居られなかった。
「……人間、貴様らの言うことはいつも自分勝手だ。僕らは貴様らの掌の上で転がされて、生き死にも人間の思うがまま。そんな貴様らの言葉なんて信用に値しない」
握る手は抵抗しようと力が籠っていたが、徐々にその力が緩んでいく。
けれどテオはあんりの視線から逃げずに、鈍色の瞳でこちらをじっと見つめていた。
「だが、レギオンの言いなりになっているのも……いい加減腹に据えかねる」
先ほどまで取り乱していたのが嘘のように、テオは冷静な声でそう呟く。
彼は頼りない足取りで立ち上がると、右手でレイピアを構えた。
「僕は貴様の言うことを聞いたわけではない。ここで貴様らが主様を破壊しないように、邪魔をするだけだ」
シャドーに飲み込まれたロゼはカイの攻撃をものともせず、おぞましい威圧感を放ちながらこちらを見下ろしていた。
彼女はもう、自身を慕う忠実な僕の区別すらついていない。
邪魔をするなんて言葉が本心ではないことに、あんりは気付いていた。
あんり達のことを信用はしていないけれど、テオはロゼを護ることを選んだ。
その結果、自分がどうなるかを理解した上で。
それがどれだけ苦しく身を切るような決断なのか。
彼の覚悟が、どれだけ重いのか。
「カイくん!」
「ああ分かったよ。ったく、しょうがないな」
あんりの隣に着地したカイに手を伸ばす。
カイは呆れていたけれど、あんりがそう言うことを分かっていたように自分と手を繋いでくれた。
──その瞬間、体の奥底が熱く燃え滾る。
二人と、そしてテオの目の前に光り輝く鍵が現れた。
その鍵の頭は銃の引き金のような形をしていて、ゆっくりと二人の前に降りてくる。
「一緒に戦おう、テオ!」
その鍵を掴み、時計の宝石部分にかざすと『セイバーキー』が光の粒になり宝石に吸い込まれる。銃を模した鍵を差し込むと、初めて変身した時のような眩い光が二人を包み込んだ。
光に包まれたあんりとカイは軍服のような服を身に纏い、あんりは短銃、カイは長銃を構えて地面に降り立つ。
「新たな『
銃の使い方なんて習ったこともない。人に銃口を向けるなんてもってのほか。
それでもこれは誰かを救うための力で──確かに『
「──、────」
ロゼはまるで操り人形のように宙に浮き、憑りついたシャドーの影が彼女の表情を隠している。
口をぱかりと開け何かを訴えているように見えたが、その隙間からは何も聞こえてくることはなかった。
ロゼに纏うシャドーの影が腕のように伸びてくる。
シャドーとロゼの力が融合されているからか、その腕はより俊敏にこちらに向かってきた。
あんりとカイはそれぞれ片側からテオの脇を抱えると、後ろに大きく飛んでその腕を華麗に避けた。
「おい、乱暴に扱うな!僕は貴様らと違って貴重な骨董品なんだぞ!」
「あ?うるさいな、運んでやっただけ感謝しろ。お前があそこにいると邪魔なんだよ」
「もうカイくんったら、喧嘩しないの!」
あんりはテオの目の前に屈み、彼の手にあるものを握らせる。
それはロゼに砕かれて散ったテオの左腕だった。
「大事に持っていてね。きっと私達、ロゼのことを取り戻して見せるから!」
「……フン。貴様らのことを信用したわけではない。勘違いをするなよ」
左腕を受け取ったテオはつっけんどんに言い返す。
あんりはテオをヒース達に託すと、以前として禍々しいオーラを放つロゼに向かい合った。
「─────、──、──」
「ロゼ、あなたが本当にしたかったのはこんなことじゃないんだよね。私じゃなくて……テオと話してあげて欲しいの。だから、目を覚まして!」
黒い薔薇の鞭が飛んでくる。
それがあんりの腕に絡み、ロゼは自分の方へと鞭を引っ張った。棘が食い込まないように鞭を掴むが、しかしロゼの力には敵わず足が地面から離れてしまう。
このままではロゼに激突する。そう思ったが、乾いた音と共に黒い鞭が破裂した。
遠くから狙い撃ってくれたカイのおかげで自由になったあんりは、地面を転がって衝撃を緩和する。
「狙うのは主様の本体じゃない!黒い影を狙え!」
後ろからテオの声が飛んできた。
千切れた鞭が奮われるまでの数秒間、まるでスローモーションのように景色が流れていく。
すると徐々に視界が狭まり──ロゼが纏っているシャドーに焦点が合った。
『
カイが放った銃弾に合わせ、あんりも引き金を引く。
二つの銃弾はやがて大きな光の弾となり、ロゼに向かって鋭い弾道を描いた。
──しかし、二人の攻撃はギリギリのところでシャドーから外れ、激しく地面を抉った。
それを視界の端に入れたロゼはぎこちない動きでこちらを見据え、シャドーと共に地面に吸い込まれるように消えてしまった。
「また逃げられてしまったか……」
ロゼが沈んでいった地面は何の変哲もなく、ヒースが触ってもその指が通り抜けることはなかった。
結局のところ、ロゼを説得できたわけでも、ロゼからシャドーを引きはがせたわけでもない。
けれど、自分達は確実に一歩前に進めたはずだ。
「テオ、これからよろしくね」
「馴れ合うつもりはない。軽々しく話しかけるな」
腰に手を当ててツンとそっぽを向くテオは、相変わらずつれない態度をとる。
だがその表情はどことなく晴れやかなような──そんな気がしたのだった。
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