第16話 綺麗な薔薇には棘がある

「おはようございます!日替わり定食大盛りで下さい!」

愛宮えのみやさん、今日もよく食べるねぇ。そこらの運動部の男の子より食べちゃうんだから、おばちゃんも嬉しくなっちゃうよ。女の子だって沢山食べた方がいいに決まってるからねぇ」

「えへへ、食堂のご飯すっごく美味しいので、つい食べすぎちゃうんですよねぇ」


 朝食時の食堂は相変わらず混雑している。

 食事制限が必要な生徒のためにヘルシーな献立が用意されている中、あんりは運動部の男子顔負けの量をトレイに乗せていた。

 その量たるや、傍を通り過ぎたフェルヴォーレ寮の生徒にぎょっと驚かれてしまう程だった。


 元々胃の容量が大きいのか、あんりはいくら食べても食べ過ぎということはないくらいの大食漢だった。

 女子としては如何なものかと思わなくもないけれど、美味しいものはいくらでも食べられてしまうし、消化も代謝も抜群なので太る心配があまり無いのも、あんりの自慢のひとつであった。


 春は桜を見ながら季節のものに舌鼓を打ち、夏はあえて熱いものを食べて汗をかき、冬は炬燵に包まれながら縁起の良いものを食べて一年を締めくくる。

 そして、秋は「食欲の秋」と公言されるくらいなのだから、食べないことの方が季節に失礼というものだ。


 そろそろ残暑も影を潜め始め、秋に向かって気温が下がっている。

 だがあんりの食欲は沈静化を見せるどころか、むしろエンジンがようやくかかってきたくらいである。


愛宮えのみやさん、今日も運動部に負けず劣らずの量だね。ご飯の山で顔が見えないのも、なんだか見慣れちゃったよ」

「だって今日の日替わり定食は生姜焼きだよ?これくらいご飯がないと釣り合わないよ~!本当はもっと盛りたいくらいだったんだけど、流石にお茶碗が倒れちゃいそうだったから辞めたんだ」

「倒れなかったらもっと盛ってたんだ……」


 サラダとご飯、目玉焼きにウインナーという洋風の朝食セットを持って現れた瞬月しづきは、あんりの山のような食事を見て感嘆の声を漏らす。

 初めの頃は体の心配をされていたものだが、今となっては慣れられてしまった。


「それにしても愛宮えのみやさん、前より……いや、ううん。何でもないよ」

「え?どうしたの?私の体に何かついてる?ご飯こぼしちゃった?」

「いやそうじゃなくて、その……愛宮えのみやさん、初めて会った時と比べて変わったなぁと思ってさ……」

「そうかなぁ?私、瞬月しづきくんとは初めからこんな感じで話してたような気がするけれど」

「うーん、そうだね……」


 何となく歯切れの悪い瞬月しづきに、あんりは小首を傾げる。

 彼はちらちらとあんりを見ては視線を逸らしていた。


「もしかして制服に皺付いてるとか⁉そうだったらまた久遠くおんさんに怒られちゃうよー!」

「制服じゃなくて太……ああいや、何でもないよ。流石に女の子に言うことじゃないからね」


 瞬月くおんはこれ以上何も言わないと決心したのか、急いで朝食をかき込んだ。

 結局彼が何を言いかけたのか分からなかったのだけれど、たまたま通り掛かったカイがあんりを見て一言だけ呟く。


「うわ、愛宮えのみや太った?」


 悲しいかな、あんりはその言葉だけで、瞬月しづきの不自然な態度の答え合わせが出来てしまったのだった。

 あんりは持っていた箸を取り落とし、わなわなと震え出す。


「ふ、ふ、ふ、太っ!……?私、太ったの⁉」

「いや、そんなことないと思」

「明らかに太ってるだろ。食べた分動かなきゃデブになるのも無理ないな」


 気を遣う瞬月しづきに被せるように、カイが言葉のナイフを投げつけてくる。

 カイは通路を挟んで隣の席に座り、あんりと同じくらいの量の朝食を食べ始めた。

 しかしカイはいつも通りスラリとしたスレンダーな体型を維持している。


 対する自分はというと……。


「た、確かに運動っぽい運動はしてないけど、動いてないわけじゃないもん!それに、冬服で着膨れして見えるだけで体重は変わってないよ、多分!」


 あんりは必死に取り繕って朝食をかき込む。


 太ったなんてそんなことあるわけがない。

 今までだって、どれだけ食べても太らないことが自慢だったのだから、今更太るわけがないのだ。

 カイや瞬月しづきが太ったと思ったのだって、あんりを見る角度が悪かったに違いない。

 そりゃあ、この学園に来てから格段に食べる量が増えてしまったけれど……それにしたって太っているはずがない。

 あんりはそんな希望を込めてカイに縋りついた


「太ってないもん!嘘って言ってよぉ!」

「いや太ってるって。現実見ろよ」

「なんでそんなこと言うの~⁉まだ全然大丈夫だもん!太ってないもん!」

「明らかに標準体重超えてるだろ。認めろって」

「ううう……そんなことないと思うんだけどなぁ……」


 カイや瞬月しづきの反応を見るに、認めたくは無いけれど、本当に認めたくはないのだけれど……あんりは少しふくよかになってしまったらしい。

 いくら食べてもう取らないことが自慢だったのに、いつの間に体質が変わってしまったのだろうか。


「やっぱり太っちゃったのかなぁ……でもでも、食堂のご飯美味しすぎるんだもん。大盛りにしたいし、ついおかわりもしちゃうんだよ~……」

「そうだね……もう少し、食べる量を減らしたらいいんじゃないかな。人の見た目をどうこういうのは好きじゃないんだけれど、その……普通に健康に悪いと思うからね」

「はい、おっしゃる通りです……」


 瞬月しづきの控え目な言葉にがっくりと肩を落とし、あんりはようやく自分の罪を認めることにした。

 美味しいからといって食べ過ぎたのに運動を疎かにしたのは間違いなく自分で、誰のせいでもない。

 学園に入る前には確かになかったであろう、スカートに乗っている余計な贅肉があんりの愚かな生活を物語っていた。


「……え、愛宮えのみやさん、あなた……‼」


 後ろでバサバサと何かを落とす音がした。

 振り返ると、久遠くおんが手に持っていたであろう資料を食堂の床にばら撒いて口を手で押えている。


「こんなだらしない姿になって……っ!聖エクセルシオール学園の生徒として恥ずかしいとは思わないのですか!」

「キャーッ‼」


 ずんずんと近寄ってきた久遠くおんは落とした資料なんて気にもとめず、なんとあんりのお腹をむんずと掴んできた。

 あんりの悲鳴で食堂がざわつき始める。


「急激な体重増加は膝や腰に負担をかけるのですよ!やはりあなたの異常な食事量は注意すべきでした……今からあんな食生活をしていたら生活習慣病になるのは目に見えています!こうなったらやはりアレしかありません……!」

「あ、アレってなんですか……⁉」


 興奮している久遠くおんを遠ざけようとしても、仮にも生徒会長を突き飛ばすわけにもいかない。抵抗しようとした両手が宙をさ迷い、降参したように高く上げる羽目になってしまった。

 普段は冷静沈着、品行方正な久遠くおんだけれど、ひとたび火がついてしまえばそれを直ぐに鎮火させることは不可能だった。


「決まっているでしょう!あなたには、適正体重に戻るまでまでダイエットをしてもらいます!」

「そ、そんなぁ~‼」


 そう宣言した久遠は、まるでカイに守護騎士ガーディアンの試験を課した時のようであった。





 それからというもの、久遠くおんによるスパルタなダイエット指導が始まった。


 守護騎士ガーディアンたるもの、自己管理が出来なくては勤めも果たせまい。

 というわけで、あんりの生活は久遠くおんによって厳しく管理されることになってしまったのだった。


「学生のうちから過度なダイエットをすることは好ましくありませんが、適切な運動、食事、睡眠は必要です。愛宮えのみやさん、あなたは明らかに食べ過ぎです。適正体重に戻るまでは私がメニューを選ばせて頂きますから、そのおつもりで」

「ってことは、三食久遠くおんさんと食べるってことですか?」

「そうですが、何か都合が悪いことでも?」

「いえいえ全然ありません!」


 放課後、久遠くおんの仕事が終わってからあんりはジャージを着用させられ、学園の外へと呼び出された。


 平日の食事は食堂で用意されているが、セットメニューもあれば自分でおかずを選ぶことも出来る。

 あんりがいつも運動部御用達の大盛りメニューを頼んでいるのを知っている久遠くおんは、自らあんりの食事を監視すると志願した。

 忙しい久遠くおんにそこまではさせられないと思ったけれど、彼女はこうと決めたらてこでも曲げない。

 久遠くおんの時間を邪魔しないためにも、必ずダイエットを成功させなければ。


「睡眠は十分に取れているとのことでしたし、食事は私に任せていただくとして……残すは運動です。手始めに学園の周りをジョギングしましょうか」

「了解です!これって、久遠くおんさんが後ろから自転車で追いかけてきてメガホンで応援してくれるやつですか?」

「いえ私はここで待っています。自転車には乗れな──ゴホン!学園に私が所有している自転車はありませんので。それに私では愛宮えのみやさんのスピードには追いつけません」

「分かりました!じゃあ行ってきまーす!」


 あんりは久遠くおんに手を振って走り出す。

 元々体を動かすこと自体が好きなあんりはジョギングなど苦ではない。太ったからダイエットをしているのだけれど、既に本来の目的を見失いかけていることにあんりは気付いていなかった。


 校舎に沿って走っていると、色んな生徒が様々な活動をしていた。

 楽器を演奏していたり、キャンパスを持ち出して絵を描いていたり、スポーツをしていたり。どの生徒も自分の才能を伸ばすために一生懸命取り組んでいるのが分かる。

 そのためにこの学園に来たのだろうし、一日たりとも休んでいる暇は無いのだろう。


「お疲れ様です。では一度休憩してもう一周しましょうか」

「大丈夫!もう一周行ってきますーす!」

愛宮えのみやさん⁉きちんと休憩を取らないと、無理はよくありま──」


 スタート地点に立っていた久遠くおんを通り過ぎ、あんりは二週目に突入する。


 頑張っている生徒たちを見ると鼓舞されたような気分になり、つい走る足に力が入る。

 あんりは他の生徒のように将来の夢や家柄を背負って入学した訳では無い。

 今最も大事なことは、守護騎士ガーディアンとしてレギオンの復活を止めること。このダイエットだってその一環といっても過言ではない。


「──やっと捕まえた!お前、一体何周する気なんだ。久遠くおんが困っていたぞ」

「えーっと、何周したんだっけ?えへへ、途中から数えるの忘れちゃった!」

「全く……様子を見に来て良かったよ。とりあえず少し休憩しろ。そんなに汗だくになって……水も持ってきたからちゃんと飲め。一日や二日ですぐに変わるわけがないんだから、無理して体でも壊したらどうするんだ」

「ごめんね、調子が良かったからつい……」


 後ろから追いついたヒースに止められ、あんりはジョギングを一時中断する。呆れるヒースと久遠に見守られ、ペットボトルの水を一気に飲み干した。


「……愛宮えのみやさんの体力には素直に感服します。ですがこれではダイエットではなくまるでアスリート並のトレーニングです。それが悪いというわけでは無いのですが……」

「あんりのすることだ、予想は出来たことだろう。お前じゃ止められないんだからカイも呼んでおくべきだったな」

「自分に関係がないのに早乙女さおとめさんが来るわけないでしょう。それに、こればかりは愛宮えのみやさんが乗り越えなければならないものですから」


 息切れをして追いついた久遠くおんを横目に、ヒースはベンチに座って腕を組んだ。


「まあいい、丁度いいから休憩がてら聞いてもらいたいことがある。僕と久遠くおんが家に帰った時の話だ。本当はすぐに話すべきだったんだが……色々と情報を整理しているうちに遅くなってしまった。カイにはあとで言うとして、まずこれを見てくれ」


 ヒースが渡してきたのは年月が経ち少し黄ばんだ紙片だった。

 罫線があることから、何らかのノートの切れ端だということは分かるのだけれど、書いてある文章は劣化のせいか所々掠れていた。


「これは雪桜ゆめの日記から落ちた一枚だ。要約すると……雪桜ゆめはレギオンの目的が過去に戻るだけではないかもしれない、というひとつの仮説を立てた、ということだな」

「そうなの?だとしたら、レギオンは一体なんのために復活しようとしてるの?」

「僕達も考えたが、まだそれは分からない」


 雪桜ゆめの日記を慎重に受け取り、ヒースはベンチから立ち上がった。


「とにかく、これは頭の片隅にでも置いておいてくれ。せっかくの情報だ、無駄にはしたくない」


 レギオンの目的が過去に戻るだけでは無い、という新しい情報を得ても、あんりの頭の上には疑問符が浮かぶだけだった。

 そんなあんりを見かねてか、久遠くおんはパンパンと両手を叩く。


「さあ、ジョギングを再開しますよ。次は一周ごとに小休憩を挟むこと、いいですね?」

「は、はぁ~い……」


 久遠くおんに念を押され、あんりは再び学園の周りを走ろうとスタート地点に立った。

 だが、視線の先に立っている少女を見た瞬間──せり上がるような緊張感が襲ってくる。


「ロゼ、どうしてここに……⁉」


 薔薇があしらわれたドレスを着た少女、陶磁器人形ビスク・ドールのロゼが佇んでいた。

 しかし、神経を集中して辺りを警戒しなくても、シャドーの気配は感じられなかった。

 それにいつも傍に仕えているはずのテオもいなかった。


「シャドーはいないのに、どうして……⁉」

「答えるまでもない。貴様らを葬りに来たのだ」


 冷たい言葉と共に、しなる薔薇の鞭が地面へと叩きつけられる。


 ──それが、戦いの合図だった。





 何百年もこの世界に存在していると、何が本当にあったことなのか、どの記憶が本物なのか、それすらも曖昧で不鮮明になっていく。


 どこで生まれたのかも最早定かではなく、人々は様々な理由で自分を買い、そして手放していった。

 そうしたことが何度も何度も続き、時間の感覚を失った頃──自分に「骨董品」という価値がついたことに気付いた。


 長い年月をかけて残っている物がそう呼ばれるのだが、自分も例外なくそんなものに当てはめられてしまったらしい。

 ただ壊れず押し入れに眠っていただけなのに「骨董品」になった途端、人々は自分を仰々しく扱い出す。

 遊んだ記憶もないくせに、大切だったけれど自分では持て余す、などと言って簡単に放り出す。


 所詮人間などそういうものだ。

 溢れるくらい物を作り出しては簡単に廃棄する。


 かといって貴重なものと分かれば喉から手が出そうなほどに欲しがる。


 ──ああ、なんて単純で愚かしい。


 美しかったであろう薔薇は色褪せ、豪華なドレスは糸がほつれて所々破けている。球体関節は何百年の年月を経てほとんど動かなくなってしまった。

 唯一動かせる腕で自身の体を引きずり、雑木林の中にぽつんとある池をのぞき込む。

 昔と比べてみすぼらしくなってしまった自分を眺めて──ロゼはその池に石を投げ込む。その衝撃で池に大きな波紋が広がった。


「主様、どうかされましたか?」

「いや……大したことではない。心配するな」


 すぐ傍にいたテオが振り向くが、手を上げて気にするなと合図をする。

 テオは従順で素直だが、過保護過ぎるきらいがある。それはロゼの体が動きにくくなっているせいなのだけれど。

 レギオンの力のせいで自由に動く体を得る前は、彼がこんな性格だとは思ってもみなかった。


「あなたの身を案じることは、僕にとって何よりも優先すべきこと。何かあってからでは──」


 そう言いかけて、テオは口を噤む。

 それより先は言ってはいけないと思ったのだろう。


「……正直に申し上げますと、僕はこのような姿になるまで主様と話ができるなど思ってもいませんでした。レギオンの力ということだけは不服ですが……僕達がその力に選ばれたことは喜ばしいと思っています。こうしてあなたのお傍にいられますから」


 何百年も昔の話、レギオンという負の感情の塊が時間を過去に戻そうという暴挙を起こしかけた。

 そして封印された力の一部が捨てられた我々に入り込み、こうして人間のように動いて喋ることが出来るようになった。

 レギオンのために守護騎士ガーディアンを始末するという条件を引き換えに。


「そうだな。我もお前がこんなに過保護だとは思っていなかった。我の執事ではなく母親の間違いではないのか?」

「ご冗談を……僕はあなたにだけ使える僕です。あの時からずっと」


 わざとらしく揶揄からかってみせると、テオは遠慮がちに否定した。


「お前は本当に真面目な奴だ。このくらいの冗談、笑って流せば良いものを。まあ……お前のこういう一面が知れただけ、レギオンには感謝しなくてはな」

「そうですね、感謝などしたくはないですけれど」

 

 テオは立ち上がって体の草を払う。


「主様、僕は周囲を見回りに行って参ります。守護騎士ガーディアンは僕が全て殲滅しますのでご安心を」

「ああ、任せたぞ」

「くれぐれもこちらに居てくださいますよう、主様」


 テオは仰々しく頭を下げて、レイピアを持って雑木林の奥へ消えていく。

 それを見届けてから──ロゼは動きそうにない足に鞭を打って立ち上がった。


「──許せよ、テオ」


 ずっと、長い間、答えの出ない問いを考えている。


 人形である自分はそのあり方全てを人間に委ねざるを得ない。

 誰かに譲られるにせよ、捨てられるにせよ、それら全ては人間の意思によるもので、自分意思など存在しない。


 本当に様々な人間がいた。

 乱暴な者もいれば、宝石のように自分を崇める者もいた。


 だがそんな奴らに一欠片の思い入れもありはしない。

 所詮は一時の感情で自分を手に入れ「骨董品」を手に入れたという優越感に浸り、すぐに存在すら忘れ去る生き物だ。


 それでも、この雑木林に我々を捨てた持ち主の母親のことだけはよく覚えている。奴はこの時代には珍しく、ロゼの価値を理解している者だった。

 奴は、ロゼが一人ではさぞ寂しかろうと、執事の人形をロゼの隣に置くようになったのである。

 今のように口がきけなかったロゼは、人形が一体増えようがなんの意味も無いと思っていた。人間とは違い、人形はただそこにいるだけなのだから。


(それがまあ、二世代も共に過ごすとはな)


 だが長い間傍にいると、不思議と情が湧いてくる。

 人間でいうところの家族──というものだろうか。


 歩く度に足が痛々しい音を立てて軋む。もう限界だと体が悲鳴をあげている。

 ろくにメンテナンスもされていないこの体では動いていることすら奇跡に近い。

 それでも、地を這ってでも、ロゼは成さねばならぬことがあった。


「ロゼ、どうしてここに……⁉」

「シャドーはいないのに、どうして……⁉」


 レギオンとは対照的な光の力を辿った先には、守護騎士ガーディアンの一人と、初代守護騎士ガーディアンの子孫だという人間が一人。

 そして自分と同様に、自我を持ってしまったぬいぐるみがいた。


「答えるまでもない。貴様らを葬りに来たのだ」


 ロゼは鞭を地面に打ち付けて牽制をすると、守護騎士ガーディアンの女は他の奴らを守ろうと一歩前へ出た。


 そうだ、守護騎士ガーディアンへ変身して見せろ。


 この体が自分の意思で動くうちに終わらせなければ──もう後などないのだから。





「どうした、さっさと守護騎士ガーディアンに変身するがいい。その上で我が貴様を切り刻んでやろう」


 まるで生き物のように蠢く薔薇の鞭は、その名の通り無数の棘が付いている。

 あれを生身で受け止めたら大怪我では済まないだろう。最悪の場合、抵抗できずに始末させられてしまうかもしれない。


「……ロゼ自らがお出ましとはな。あの態度の悪い執事はどうしたんだ?」

「貴様には関係無い。テオの力を借りずとも守護騎士ガーディアンの一人や二人、軽くひねり潰してくれる。これまでは貴様らの力を推し量っていたまでだ」

「よく言う。シャドーがいなければあんり達に倒されていただろうに」


 ロゼの放つ威圧をものともせず、ヒースは久遠くおんを背にして軽口を叩く。

 しかしその横顔には焦りが含まれていた。


「カイを呼んできてくれ。このままじゃ圧倒的に不利だ」


 あんりはカイがいなければ変身することは出来ない。それを知ってか知らずか、ロゼは最悪のタイミングで狙ってきたのだった。

 ヒースがこっそりと耳打ちをすると、久遠くおんは踵を返して学園に向かって走っていった。

 ロゼもそれを見ていたが、取るに足らないと思われたのか久遠くおんを追いかけることはしなかった。


「そういえば、守護騎士ガーディアンはもう一人いたな。まあいい、残りの一人はあとで始末するとしよう。そう時間は取らせない」

「……お前、テオから何も聞いていないのか。レギオンが時間を戻したところで、僕達人形に訪れる未来は変わらない。そのために全世界を犠牲にするつもりか⁉それに、レギオンが時間を戻す前にお前達に限界がきてしまうかもしれない。それでもレギオンはお前達を助けようとしていない、それが答えじゃないのか?」


 残酷なことだけれど、ヒースの言っていることは事実だ。

 形あるものはいつか朽ちる、それは人形であっても人であっても変わらない。同じ人形であるヒースのその言葉が、どれほど重いことか。


「──だから何だ?」


 しかし、ロゼは一切感情を揺らさずに答える。


「人形のくせに人間の真似事などしているから考え方が鈍るのだ。が我々を助けなかろうが、我々は存在しなければ価値のない無機物に違いはないのだ。異端は貴様だ、恥を知れ」

「……あんな勝手な奴が、お前達の都合のいいように時間を戻してくれると思うのか?利用するだけ利用して使い捨てるだけかもしれないんだぞ」

「だとしても、今ここで、こうやって立って話している奇跡はレギオンの力によるものだ。我はこの今を失うくらいなら、同胞である貴様のはらわたを抉っても構わない」


 もういいだろう、とロゼは鞭を振り上げた。

 鞭はロゼの動きに合わせてうねっている。


「……ロゼ、違うよね?」


 あんりはたまらずヒースとロゼの会話に割り込む。


「あなたの話を聞いてると、まるで、レギオンがあなたを利用していることを知っているみたい。もし利用されているんだとしたら、あなたは壊れちゃうかもしれないんだよ?それでも、今を続ける方が大事なの?」


 一人では守護騎士ガーディアンに変身することはできない。

 こんな風に煽れば鞭が飛んでくるかもしれないのに、それでも彼女の矛盾を見逃すことはできなかった。


 自分に意思と命を与えてくれたレギオンが自分のことを騙していたのだとしたら、いくらロゼでも平静を保ってられないだろう。


「愚問だ」


 だが、彼女は至って冷静だった。


彼奴きゃつが我を呼び起こしたのは、貴様の言う通り自分の目的を果たすためだろう。レギオンが我らのことを塵ほども考えていないことは。だが今更真意などどうでもいい」


 ロゼは光沢のある自分の体をなぞり──あんりに向かって鞭を振るった。


使、もう止まることは出来ないのだ!」


 無数の棘が飛び出た鞭があんり目掛けて飛んでくる。


「あんり、下がってろ!」


 ヒースにジャージを掴まれ後ろに引っ張られる。鞭は転んでしまったあんりではなく、庇うように立つヒースに向かっていた。

 鞭がヒースを貫かんと迫ったその瞬間、ポン!という音を立ててヒースは人間体からぬいぐるみへと戻る。そのお陰で鞭は彼を素通りしていった。


 だがそれだけではロゼの猛攻は終わらない。

 ロゼが裏拳を食らわせるように腕を振るうと、伸びきった鞭があんりとヒースに向かってくる。

 あんりはぬいぐるみになったヒースを抱えて鞭を潜るように滑り込んだ。あんり達に当たらなかった鞭は空を切り、学園の傍に立っていた木を薙ぎ倒す。

 ミシミシと音を立てて倒れる木に、細い腕から放たれるとは思えないほどの威力を感じて愕然としてしまう。


「何を呆けている、何故守護騎士ガーディアンに変身しない!我など戦うに値しないとでも言うつもりか?随分と舐められたものだ!」

「ロゼ、待って!話し合おうよ、私達は──」

守護騎士ガーディアンに変身しろ!我を壊す覚悟で来い、出来ないのであれば、貴様らにはレギオンを倒すなど夢のまた夢ということだ!」


 普段の荘厳な佇まいから一変し、激高して鞭を振り回すロゼ。

 その姿はあまりにも痛々しく──何かと葛藤しているようだった。


「我は、何を言われようと貴様、らを阻止──」


 ロゼはもう一度鞭を振るおうとするが、それよりも先に彼女の体が地面に叩きつけられてしまった。

 一切受け身を取らなかったロゼから鳴った音は人間のそれではなく、彼女がただの無機物であることをまざまざと突き付けてくる。


「……もうやめろ。お前はこれ以上動けるような体じゃない、レギオンの戯言になんか耳を貸すな。壊れるのは確かに怖いことだが、僕達はそういう星の元に生まれたんだ。悔しいが、受け入れるしかないんだよ」

「……はは」


 地面に伏すロゼが呆れたように笑う。


「……壊れるのが怖い?悪いが、そんなことに恐怖を感じているのではない」


 彼女の声はいつものような威厳に溢れたそれではなく、どこか空虚で投げやりだった。


「人形は必ず壊れる、ああそうだ、それが我々の最期だ。壊れてしまえば我々は忘れ去られる。どれだけ大事に扱われていようが、何も残すことは出来ない」


 首だけを回し、ロゼの無機質な目がぎょろりとこちらを見据える。


「──だが、それは救いだ」


 自分で動くことが叶わなくなったロゼに、彼女の武器であった薔薇の鞭がまとわりつく。

 ロゼの体に絡みついた鞭は操り人形のように彼女を宙に浮かせて立ち上がらせる。それは薔薇の鞭に縛り上げられて処刑を待つ死刑囚のようであった。


「……あんたの御託を聞く気はない。壊されたいなら望み通りにしてやるよ」


 久遠くおんに連れられてきたカイが隣に立つ。

 『こころ時計とけい』を構えて守護騎士ガーディアンに変身したあんりとカイを見て──何故かロゼが微笑んだように見えた。

 人形である彼女の表情は変わらないはずなのに。


「カイくん、待って!少し話を──」

「──主様‼」


 このままロゼを倒してはいけない。

 そんな焦りでカイを引き留めるが、ロゼを呼ぶ怒号にかき消されてしまった。


 見れば、レイピアによって刻まれた薔薇の鞭は地面に無惨に散らばっており、支えが無くなったロゼはテオに抱えられていた。


「何故、お一人でこのようなことを……!貴方はもう、こんな無茶ができる体ではないのですよ⁉守護騎士ガーディアンは全て僕に任せると言ってくださったじゃないですか‼」

「テオ……」


 最早指先すら動かすことができないロゼは、訴えかけるテオの揺れに身を任せることしかできない。


「我は、もう──」


 その先の言葉は誰にも聞くことが出来なかった。


 二人の上に落ちた大きな影に、テオが上を見る。

 いつの間にか発生していたシャドーが、二人のことをじっと見降ろしていたのだった。


 そして、二人のことを守るかと思われた泥のような腕は──

 ロゼの体に入り込んでしまった。


「貴様ッ……主様に何をするッ‼」

「危ない!テオ、離れて……‼」


 ずぶりと音を立ててロゼの中に入っていくシャドー。


 激高するテオを他所に、ロゼの体はシャドーの影に塗れて真っ黒になってしまった。

 見るも無残な姿になってしまった主に触れようとしたテオは、ロゼが纏う影によって弾き飛ばされてしまう。

 地面を転がるテオはそれでもロゼに近づこうと立ち上がるが、動くことさえままならなかったロゼがひとりでに立っているのを見て、テオは安堵の表情を見せる。


「主様、体が元に戻ったのですね。良かっ──」


 しかし、次の瞬間。


 ロゼの腕から飛び出した影により、テオの左手は破壊されていた。


「──あ、るじ、さま……?」


 砕けた破片が宙に舞う。

 光に反射したそれはキラキラと輝いていて──こんな状況でなければ、美しいと感嘆のため息を漏らしたほどだった。


「──、──」


 黒い影を纏ったロゼは口を開けるが言葉を発さず、腕を上げて影を噴射する。

 砕けた腕と共に地面に倒れ伏したテオは、それをただ茫然と眺めているだけだった。


 ──ロゼは明らかに、テオを狙っている。


光陰こういん穿うがて!arc d`amour!』


 あんりとカイの『こころ時計とけい』に装着されている針が光り輝き、弓矢となる。

 光り輝く矢がロゼを狙うが、命中する前にロゼは地面の影に沈んで消えて行ってしまった。


「もしかして、レギオンに吸収されちゃったの……?」

「いや、分からない。どちらかといえば、逃げたようにも見えたが……シャドーがロゼを飲み込むなんて……」


 何が起こったのか分からず、さすがのヒースも啞然としている。

 ロゼが去った後に残ったものと言えば、片腕を失って茫然としているテオだけだった。

 彼もこの状況を理解していないのか、ロゼが去った後をずっと見つめていた。


「テオ、大丈夫?腕が……」

「僕に触るな‼」


 混乱したテオは手を伸ばしたあんりを乱暴にはたき落とす。

 砕け散った腕よりも、自分に牙を向き、自分を置き去りにしたロゼのことしか眼中にないようだった。

 バラバラに砕けた自身の破片を踏みつけ、テオはよろめきながら立ち上がる。


「テオ、待って!」


 どれだけ叫んでも彼の耳には届かない。


 破壊された腕をそのままに、テオは雑木林の中に消えて行ってしまった。

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