第15話 ヒースのとある一日

「お帰りなさいませ久遠くおんお嬢様。お荷物をお預かり致します」

「ありがとう。でも自分の荷物は自分で運びます。部屋に荷物を置くので待っていてくださる?」


 時は遡り、夏休み初日。

 久遠くおんとヒースは彼女の実家へと帰省していた。


 車から降りる久遠くおんに合わせてバスケットが揺れる。

 ヒースにはその中で揺られながら、バスケットの隙間から漏れる光に照らされていた。


 人の気配が遠ざかったのを確認してヒースはバスケットの蓋を開けて顔を覗かせる。

 ここは久遠くおんの実家、つまり雪桜ゆめの家だ。


 劣化に伴い壁紙を張り替えたり補修工事を行ったのだろう。

 昔と全く同じ外観という訳ではなかったが⋯⋯ヒースは懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。


 昔のものをそのまま残すのは難しい。

 それは寂しくもあるが、時代の流れには逆らえない。


「頼まれたので連れて来てしまいましたが、あなたを置くとなると私の部屋しか場所がありませんね……。どこか違う部屋に置いて、万が一誰かに捨てられでもしたら一大事です」

「勘弁してくれ。久しぶりに家に帰ってきたのに可燃ごみと一緒に捨てられたんじゃ、何しに来たのか分かったもんじゃない」

「……仕方ありません、学園に帰るまで私の部屋での寝起きを許可します。ただし、私が寝ている時はバスケットの中にいるようにして下さい」

「?何を今更、僕を学園に持っていくまではずっと君の部屋に置いていたじゃないか。それを今更──」

「何でもです。いいですね?」


 久遠くおんはぴしゃりと言い放つ。

 持ち主に圧をかけられてしまったからには従う他ないが、一体何を気にしているのだろう。

 人形の自分に睡眠は必要ないが、人間は誰かに見られていると眠れないのかもしれない。何とも繊細な生き物だ。


「コホンッ!まあ、それはいいとして。私はこれから席を外します。本棚にある本は自由に読んでも構いませんけれど、くれぐれも机の中などは漁らないように。分かりましたね?」

「ああ、忠告しなくとも分かっている。僕もそこまで野暮じゃないさ」


 久遠くおんが部屋から出ていったあと、ヒースは高い本棚を見上げて何を読もうか物色を始めた。

 様々な種類やジャンルの本が所狭しと並べられていて、彼女がどれだけ勤勉家なのかが伺い知れる。


 人間の世界の仕組みはいまいち理解できないが、今まで久遠くおんの部屋にいた記憶を辿れば、彼女の父親は人間という種の中で人の上に立つ存在らしい。

 それを受け継ぐ久遠くおんもそれなりに励まなければならないということだ。

 学園長室にあった本の数や、彼女の知識量の多さが久遠くおんの努力を物語っていた。


「配置や細かい家具は変わっているが……この本棚とあの机は、あの時のままだな」


 年代を感じるアンティーク調の本棚と机。

 これらはヒースが新品のころからこの部屋にあった。


 そう、ここはかつての雪桜ゆめの部屋だったのである。

 流石に全え家具が残っている、というわけではないが、この本棚と机だけはあの当時のままここに残っている。

 雪桜ゆめがドジをして付けてしまった傷なんてのもあって、微笑ましい気持ちが蘇ってきた。


「さて、ここにある本を読ませてもらうとするか……」


 ひとつ、興味を持った本を手に取ろうとする。しかしその本は隣の本と本の間にぴったりと挟まっており、なかなかスムーズに取り出せない。

 強めに引っ張ってみるも、かなり丁度良くはまっているようで取り出すのが困難だ。


 人間体になった方が手先を器用に使えると思うのだけれど、万が一誰かが入ってきたらと思うと気軽になれるものではない。

 ヒースはぬいぐるみの柔らかい手で本をぐいぐいと引っ張った。


「──うわっ‼」


 奮闘の末に本を救出することに成功したのだが、ヒースはその反動で部屋の隅まで転がってしまい……机の下にまで入り込んでしまった。

 衝撃で大きな声を出してしまったが、廊下はしんと静まり返っている。どうやら誰にも気付かれなかったようだ。


「いてて……久遠くおんの奴、きっちり入れすぎだろう……。几帳面に整理するのはいいが、取れないんじゃ仕方ない」


 所狭しと整理された本棚には几帳面でしっかりとした久遠くおんの性格が出ている。

 対する雪桜ゆめはかなり抜けている性格で、本もそこかしこに散らばっていた気がする。子孫とはいえこうまで性格が違うものだろうか。


 転がって打った頭部をさすり、綿が出ていないかを確認する。

 どうやら無事なようでほっと胸を撫でおろした。


 机の下から這い出ようとした時、サイドテーブルの裏の隙間から飛び出している紙切れを見つけた。

 飛び出したというより、紙片が少し顔を出している程度と言った方が正しいか。


 ヒースは特に何も考えず、それを引っ張って抜き出した。


「しまった、机の中のものには触るなと言っていたんだったな……仕方ない、落ちていたと説明しよう」


 引き出しの後ろに落ちてしまったのだろうその紙片は、何かのノートの一部のようだった。

随分と古い紙切れだったので劣化してノートから零れ落ちてしまったのだろう。

 久遠くおんへの言い訳を考えつつ、机の上に紙片を戻そうとして──見えてしまった文字に目を疑った。


『レギオンの力はとても不思議な現象を起こしている気がする。この前は、レギオンの出す力のようなものが人間を操っているのを見たわ……。

その人は夢も希望もなくなって、レギオンの言うとおりに動いていた。まるでレギオンに操られるだけの人形になったみたい。それに……最近はレギオンが本当に時間を戻したいのか分からなくなってきた。

最初の頃は、絶対に私を倒そうとしていたのに……今じゃそんな面影も感じられない。だって、彼は私を××××××××××××××××××。』


 これは雪桜ゆめが書いた文字だ。

 ところどころ掠れて読みにくかったが、彼女が書いた手記のそれに間違いなかった。


「ヒース?そんなところで何をしているのですか?机の下になんて潜り込んで……」


 頭上から久遠くおんの声が聞こえてはっと意識を戻す。

 見てみると、窓の外はもう夕方になっていた。つまり数時間はこの日記を見て茫然としていたということになる。


「勝手に触ってしまってすまない。机の外に紙がはみ出していて……雪桜ゆめの日記を見つけてしまった。この日記の本体がどこにあるか知っているか?」

雪桜ゆめ様の日記ですか?いえ……雪桜ゆめ様の遺品はあまり残されていないのです。子孫の方に渡されたり、嫁入り道具として持ち出したり……。この家に残っているのは、私の部屋にある本棚とこの机だけで、日記のような小さなものはありません。そんなものがあったなんて、知りませんでした……」


 ということは、この紙片は本体から千切れて机の下に滑り込み、今に至るまで発見されなかったということだ。

 日に当たっていなかったからか、かろうじて読める程度の劣化に留まっていたのも不幸中の幸いといったところか。


「このページ、最後の一文だけ辛うじて読み取ることが出来ませんが……その他はレギオンのことについて書いてありますね。このページだけだと、どういう意味なのか分かりかねますが……」

「そう……だな、いや……この言い方はどこかで……」


 久遠くおんが紙片を覗き込み、眉をひそめて考え込む。

 重要なことが書かれているのに上手く読み解くことが出来ず、痒いところに手が届かないような歯がゆさを感じる。前後の文が分からないことが悔やまれた。

 しかし、雪桜ゆめが書いていることを信じるのならば。


「レギオンの目的が時間を戻すことじゃないなら……一体何をしようとしているんだ?」



 ◇



 規則的な電子音が、自分を夢から引き戻そうとけたたましく鳴り響く。

 ヒースは短いぬいぐるみの腕を伸ばし、スマートフォンの画面に表示された「停止」のボタンをタップした。


 このスマートフォンは「私から離れている時に連絡が取れないと心配だから」と久遠くおんから直々に渡されたものだ。

 簡単な操作しか出来ないが、あるとないとでは生活が質が格段に変わる。定期的な時間に起床を促してくれるなんて、便利な時代になったものだ。


 ここは聖エクセルシオール学園、職員用の社宅である。

 シンプルな部屋ではあるが、人一人が寝起きをする分には十分な広さを有していた。


 人間体のヒースがここでどのように過ごすかは、シャドーやレギオンを除けば、一番の問題であった。

 人間の姿を取って教師をしている以上、学園長室から毎日登校するのはモラルに反するだろう。

 そういう結論に至った結果、久遠くおんが学園長室代理の権限を駆使し、学園の近くにある社宅の一室を与えてもらったのである。


「えーと……今日は一年A組の授業と、二年生の……何組だったかな」


 夏休みも終わり、生徒も先生も休み明けの怠さを引きずりながら元の学園生活へ戻っていた。

 ヒースは慣れないながらも、先生という役割を全うするために日々勉強を続けている。


 自分は何百年前から存在していると言っても、人に教える教養を受けているわけではない。

 果たしてこんな自分が生徒に教えてもいいものかと思うが、意外にも自分の授業は生徒に好評のようだった。


 社宅で人間の姿になり、これもまた久遠くおんに用意してもらった服を着て学園に向かう。

 初めこそ服を着るという行為に違和感を感じていたのだけれど、今ではこれも自分の生活の一部になっている。

 人形の自分が人間の真似事をするなんて、雪桜ゆめと過ごしている時には想像すらしていなかった。


「──というわけで、この国の政治は崩壊していったというわけだ。その結果、次に始まる時代の政策が一新されたんだが……そうだな。じゃあ雅樂川うたかわ、今のページから読んでくれるか?」

「……はい」


 席を立った生徒は流暢な口調で指示された文章を読み始めた。

 生徒が読んでいる間に教室をぐるりと見回り、堂々と居眠りをしているカイの肩を叩いて起こす。


 昼食を終え、腹が満たされた午後一番の時間はまどろんでしまうのも無理はない。睡眠と無縁な自分には分からないが、午後の授業は眠気に抗えず撃沈してしまう生徒が多い。

 その点、教科書を読んでいる生徒……雅樂川うたかわ瞬月しづきはいつの授業でもしっかりと起きている真面目な生徒だった。


 彼はヴァイオリンを専攻するシンティランテ寮の生徒で、真面目で物静か、そして人当たりの良い生徒だ。

 しかし、ヒースが持っている情報はそれくらいだった。

 教師として生徒とは満遍なくコミュニケーションをとっているつもりだが、彼についてはよく分からない、その一言に尽きた。

 ただでさえ赴任したばかりで、何百人もいる生徒なんて覚えられない。静かで印象に残らない生徒ならなおさらだ。


「……ん、この音は……ヴァイオリンか」


 本日の授業が終わり、学園長室に向かおうと廊下を歩いていた時、音楽室から弦楽器を奏でる爽やかな音が聞こえた。

 それは素人が聞いてもプロと間違うほどの音色で、思わず音楽室前で立ち止り興味本位で扉を開けてしまった。

 窓を開け、揺れるカーテンを背にヴァイオリンを弾いていたのは件の瞬月しづきだった。


柊木ひいらぎ先生、何かご用ですか?」

「すまない。誰が弾いているのか気になってつい扉を開けてしまった。練習中だったのに邪魔して悪かった」

「はは、ありがとうございます。でも、もう終わろうと思ってましたから。問題ありません」


 瞬月しづきは乾いた笑いを返し、ヴァイオリンを抱えてヒースの脇を颯爽と通り過ぎる。

 ヒースはそんな瞬月しづきをつい呼び止めてしまった。


「なあ、雅樂川うたかわは……あんまり僕のことが好きじゃないだろう?」


 通り過ぎようとしていた瞬月しづきが、そんなことを言うヒースを真顔で見上げた。

 先生という立場で言うことではないと思うけれど、生憎自分は正式な教師ではない。

 そのためか、どこか他人事のように生徒達を見ていた自分は、彼の自分への興味のなさをひしひしと感じていた。


 瞬月しづきはあんりやカイと仲が良い。

 あんり達に話しかけることが多い自分は、自然に瞬月しづきとも顔を合わせることになる。


 だが、瞬月しづきは自分と目を合わせずいつの間にかその場から去っていることが多いのだった。

 一度や二度なら気にも留めないのだけれど、記憶に残る程度には彼に避けられているように感じていた。


 瞬月しづきは今どきの生徒にしては礼儀正しく、誰に対しても優しい少年だ。あんり達と話している様子を見てもそう感じる。

 だから、そんな彼が理由もなく人を嫌うことはないと思うのだが。


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


 けれど、ヒースに返ってきた言葉には明らかに棘が含まれていた。


「特に規則を破ってるわけでも、失礼な態度を取っているわけでもありませんよ。僕は先生と友達になるためにここに通っているわけではないので」

「それはそうだが……」


 普段の彼の口調と変わっているわけではない。

 だが、そこに含まれている感情が冷めきっているにことに動揺を隠せない。


 彼とは先生と生徒の関係でしかないのに、ここまで嫌悪感をむき出しにされる理由が分からない。彼にここまで嫌われる覚えもなかった。


「まあいいか、これからも頑張れよ。あんなに上手なら心配も要らないだろうがな」

「上手に聴こえますか?」

「ああ、素人の僕じゃ上手く表現出来ないが……あんなに演奏できるなんて、もうプロの仲間入りしてもいいくらいなんじゃないか?」

「そうですか、アレが上手に聴こえるんですね……あなたには」


 彼は振り向きざまに笑う。

 そして瞬月しづきが音楽室から出ようとした時、別の先生が偶然通りかかった。

 その先生は音楽室にいた瞬月しづきを見て大層驚いたのか、瞬月しづきと音楽室を交互に見て、信じられないと目を丸くした。


瞬月しづき君、あなた……やっと練習が出来るようになったのね!一日練習しないと三日分は送れてしまうから……少しずつでもヴァイオリンに触れられて良かった」


 練習をしているだけなのに、そんなに褒められるものだろうか。

 そう不思議に思っている自分に気付いたのか、先生が瞬月しづきの肩に手を添えながら説明してくれる。


「ああ、彼は今少し不調気味でね。スランプなんて誰にでもあることだけど……でも私は、あなたならそれを乗り越えてくれると思っているわ」

「そうですね……前みたいに戻れるように頑張ります」

「それにしても本当に安心したわ、頑張ってね」


 安心して饒舌に話していた先生は、機嫌良く瞬月しづきとヒースの前から去っていく。

 取り残された二人の間には、何とも言えない空気が流れていた。


「スランプだったのにあんなに上手に演奏できるのか。やはり人間の器用さは段違いだな……」

「まあ、ちょっと自分の演奏について分からなくなっていただけですよ。昔の自分を真似しながら練習しているだけなので、今の僕が上手いのは、昔の僕がたまたま上手かっただけにすぎません」

「昔取った杵柄ってやつか。何にせよ、君の実力には違いない」

「先生は……僕が昔の自分の真似をしていても上手だと言うんですね」


 先ほどまで冷めた目つきでヒースのことを見ていた瞬月しづきが、顔を綻ばせてふっと笑う。


「そうだが……何か変なことを言ったか?」

「いえ、あなたらしいと思っただけです。皆心配してくれてくれていて、それ自体はとてもありがたいことだと思いますけれど……。まあ、そのうち僕が過去の自分を真似する必要もなくなりますよ。スランプは乗り越えていくものですからね」


 自分に対して苦手意識が解けたのか、瞬月しづきは鼻歌でも歌いそうな様子で廊下に出ていく。

 ヒースもそれに倣って音楽室を後にした。


「そうだ、僕がスランプだってこと、愛宮えのみやさんや早乙女さおとめさんには内緒にしておいてくださいね。恥ずかしいので」


 そして、今度こそ本当に瞬月しづき去っていく。


 ぬいぐるみだった自分は芸術のことはとんと分からない。

 だが雪桜ゆめが未来を託した学園の生徒が、少しでも前を向いてくれるのなら──彼女も報われるというものだ。



 ◇



雪桜ゆめ様の日記について、何か思い出せることはありましたか?」


 その日の放課後、ヒースはぬいぐるみの状態で学園長室にいた。

 長時間人間の姿を取り続けるのは体力を消耗するので、こうやって時々学園長室で休んでいる。

 学園長室に来る人間と言えば久遠くおんにあんり、カイがほとんどだ。

 あとは他の先生だろうが、久遠くおんに用事があったとでも言っておけば何とでも誤魔化せる。


「そうだな……何か思い出せそうな気もするんだが……引っかかってでてこない。もう少し時間があれば思い出そうなんだが」


 雪桜ゆめの日記に書かれていた文章の意味は、長年連れ添っていたヒースでさえすぐに分かるのもではなかった。

 ただでさえ一ページしかなく、重要な文は欠けている。暗号の解読までとは言わないが雪桜ゆめが伝えたかったことが何なのか、まだ理解出来ていない。


 だがヒースの記憶に何かが引っかかるような気がする。

 一体それが何なのか、その正体は分からないのだが。


雪桜ゆめ様は、レギオンが時間を戻すことを目的としていない可能性を考えいたのですよね。それが何故かは明記されていませんけれど……そう仮説を立てる根拠があったのでしょう。でも、時間を戻すことが目的でないのなら、一体何のために復活を目論んでいるのでしょうか?」

「僕もあの時代でレギオンを直接見たのはほんの少しだけだ。回数で言えば三回にも満たなかったと思う。その中でもレギオンはやたらと時間を戻したがっていたし、説得する雪桜ゆめの話なんて全然聞こうとしていなかった」


 久遠くおんはヒースのために新たに追加した本を本棚に戻していく。

 自分がレギオンを見たのは雪桜ゆめ守護騎士ガーディアンになったばかりのころと、レギオンを封印する少し前。

 どちらも雪桜ゆめが自分を持っていた時に偶然出会ったのだった。


「ああ……でも、封印される前のレギオンは、どこか様子が違ったような気がしたな」

「様子が違ったというのは……具体的にはどのような感じだったのですか?」

「そういわれると難しいんだが……そうだな、雪桜ゆめにしきりに何かを言っていたような……くそ、なんで思い出せないんだ……」


 最初に見たレギオンは、何がなんでも時間を戻そうと躍起になって雪桜ゆめを攻撃していた。

 まさか時間を戻せる自分に敵が現れるなんて思ってもいなかったのだろう、かなり狼狽している様子だった。


 雪桜ゆめといた時代のことを覚えているとはいえ、もう何百年も前の記憶だ。自身の劣化と共に記憶も徐々に色褪せている。

 雪桜ゆめが自分に向けた言葉だっていつ消えてしまうか分からない。


 レギオンは封印される前に雪桜ゆめ何を訴えていたのか。

 思い出したいのに記憶に霧がかかったかのように思い出すことが出来ない。何か重要なことを言っていたと思うのだが。


 窓からの光で明かりを保っていた部屋が急にふっと暗くなる。

 否応なく襲ってくる悪寒で人工の羽毛が逆立つような感覚に襲われた。太陽は出ているのに暗いこの現象は、いつ見ても不気味だった。


「この感覚は……またシャドーが現れたようですね」

「ああ。被害者が出ていないか見に行くぞ!」


 学園の外れに出現していたシャドーの元に向かう久遠くおんとヒース。

 ヒースはぬいぐるみから人間の姿に変わり、倒れている生徒を保健室まで運んでからあんりとカイが戦っている場所に再び戻った。


 シャドーは顔と呼ぶべき部分を大きく口のように開き、そこからどす黒い光線を放っていた。

 ゴシック調の衣装に身を包んだあんりはカイの唱えた魔法によるシールドで守られながら懸命に攻撃をしている。

 しかしシャドーの攻撃が止んでシールドが消えたその時、シャドーの攻撃に紛れてテオがレイピアを持って突進していた。


「このッ……忌々しい奴らが……!貴様らさえいなければこんな面倒なことにならずに済んだのに‼貴様らがレギオン様に勝てる道理など一つもない!さっさと降参して僕らに従え‼」

「テオ、お願いだから話を聞いて!私達、あなたと戦いたいわけじゃないの!過去に戻らずに済む方法を話し合えば、きっと私達は──」

「黙れ、僕達は過去に、今すぐに戻らなければ──」


 目にもとまらぬ速さでレイピアを振るうテオに、あんりは大きな杖で対抗している。

 その動きは人形とは思えないほど洗練されたものだったが、テオの膝が不意にがくんと折れてその場に倒れこんでしまう。

 まるで電池が切れたような唐突さだった。


「クソッ、この足もか……!こんな影もどきに庇われるなんて、何たる屈辱……ッ‼」


 テオは歯を食いしばり、落としてしまったレイピアを拾おうと手を伸ばす。

 そんなテオを庇うようにシャドーが彼に腕を回す。テオはそれすらも屈辱的だというように顔を歪ませていた。


(そうだ、あの時……レギオンが言っていたことは──)


 必死に訴えるあんりとそれを意に介さないテオが、あの日の雪桜ゆめとレギオンに重なる。

 それがトリガーになり、記憶にかかっていた霧が一気に晴れて行った。


「……テオ、過去に戻ったところで僕達はいずれ朽ちていくものだ。過去に戻って時間を遡ったとしても……僕らが壊れて消える未来に変わりはない。それは僕達が人形として生まれた以上、仕方のないことだ。お前達もそれを理解していないわけじゃないだろう」

「だから何だ。僕達はレギオン様のために──」

「お前達がレギオンの野望を果たしたところで、お前や僕達が辿る未来は変わらない。僕達が人間になるわけでもなければ、不死身になるわけでもない。それなのに……お前がそこまでレギオンに服従する意味は一体何だ?」


 ぬいぐるみであれ、人形であれ、人間だってそうだ。

 命や寿命という明確なものはなくとも、形のあるものはいつかなくなる。受け入れがたいけれど、それが自然の摂理であり、あるべき終わりでもある。

 数百年生きているとこの時間が永遠に続くと勘違いしてしまうが、必ず終わりは来るのだ。


「現に、お前達にガタが来ているのは僕にだって分かる。だが、お前達がここまでの状態になっているのにレギオンは増援を送ったりもしていない。封印されて力が無いにしても……お前達に命を吹き込むことは出来たんだろう。他の人形を作ってお前達を助けることも出来るはずだ。それなのに、それをせずにお前達を放ったままにしている」

 

 『時間を戻す』だけでは、自分達のようなものが抱える根本的な問題を解消することは出来ない。


 過去に戻れば確かに昔の自分に戻れるだろう。

 だけど、それは問題を先延ばしにしているに過ぎない。命や体を無暗に引き延ばしても、本当に欲しいものは手に入らないのだ。


「僕から見れば、レギオンはお前達を助けようとしているようには見えない。あいつは自分が過去に戻ることしか考えていないからだ。そんな奴のために身を削る必要なんてない。お前達はもう、戦闘に耐えられる体ではないはずだ」


 何十年、何百年前に作られた人形は今でも形を保っていることの方が稀で、大切に保管しているならともかく、戦闘に使うなどもってのほか。

 これ以上酷使し続ければどうなるか、それを理解しているのは他でもなく自分自身だろうに。


 それに、とヒースは続ける。


「お前よりもロゼの方が重症だな。最近姿を現さなかった理由も、どうせもう動けないからなんだろう。このままレギオンの言いなりになっていれば、いずれあいつは壊れるぞ。それでも──」

「うるさい‼‼」


 ヒースの声をかき消してテオは大声で怒鳴る。

 シャドーに押さえつけられていなければこちらに飛び掛かってきそうな形相だった。


「お前に言われなくても、そんなことは分かってるんだよ‼が僕達のことを考えてないことくらい、僕はともかく主様が気付かないはずがあるものか‼それでも、それでも僕達は言うことを聞いていなければ……お前みたいに動いていることも出来ないんだ‼呑気なぬいぐるみが知ったような口を聞くな!」


 テオの感情に当てられたのかシャドーが大きな口をばかりと開ける。

 口内は底が見えない闇が広がっていて、飲み込まれたら最後、どこに連れていかれるのか分かったものではない。


 そしてシャドーはヒースをめがけてその大きな口を開き──

 あんりの杖から放たれた光線によってかき消されてしまった。


「ヒース、大丈夫⁉」

「ああ。僕はなんともないが……」


 転がった時計の仮面諸共消えてしまったシャドー。

 黒い霧となって霧散していったその場には、レイピアを地面に突きさして膝をついているテオだけがいた。


「主様……そうだ、主様の元へ戻らなければ……。レギオン様のため、僕達は……過去を戻し、主様の傍に永遠にお仕えするのだ。早くしなければ──」


 テオはぶつぶつと呟き、覚束ない足取りで雑木林の中へと去っていく。

 テオの心の叫びを聞いてヒースはこれ以上彼を責めることが出来なかった。


 レギオンの腹の内は誰にも分からない。

 純粋に守護騎士ガーディアンに対抗する戦力が欲しかったのだろうか。だが、そうだとしてもを部下として従えるだろうか。


 レギオンの目的があの二体の望みと相容れないものだとしても、彼らはレギオンに逆らうことは出来ない。

 あれだけ取り乱したテオを見ると、レギオンに喜んで付き従っているとは思えなかった。


 もしかすると、それを逆手に取ってテオとロゼにわざわざ命を吹き込んだのかもしれない。

 そうだとするなら──なんと卑劣な手だろう。


『レギオンが本当に時間を戻したいのか分からなくなってきた』


 雪桜ゆめの日記は字が掠れ、最後の文はところどころしか読み解くことが出来なかった。

 だがレギオンが封印される前、雪桜ゆめに訴えていたことを思い出すと、最後の文に何て書いてあるのか解読することが出来る。


『お前も共に過去へ来ると良い。私と生きるのだ』


 過去に戻って世界を支配しようとしていたレギオン。


 奴が封印される前に何を考えていたのか、それは誰にも分からない。

 それでも雪桜ゆめに出逢って何かが変わったことは間違いない。だからこそ、雪桜ゆめもその戸惑いを日記に残したのだろう。




『──だって、彼は私を過去に連れて行こうとしているんだもの』

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